暗律の戦乙女は盤上を覆すが故、己が未来を選ぶ 作:カミッシー
最初の石造兵を撃破してから、《神の箱庭》はしばらく不気味なほど静かだった。
白い石造回廊は森の奥へ続き、その左右には半透明の植物が群生している。頭上には巨大な結晶が浮かび、時折淡い光を放っていたが、それが何のために存在するのかはまだ誰にも分からなかった。
「静かすぎますわね」
ピアソラはデミルークスを周囲へ展開したまま、足元の植生を警戒していた。
「入口の敵を倒したから休憩時間、なんて親切な迷宮ではなさそうね」
シルヴィアも周囲へ視線を巡らせる。
「何か来るなら早く来ればよい!」
范星露だけは元気だった。
「君は少し静寂を楽しむということを覚えた方がいいと思うよ」
アーネストはそう返しながらも、セルヴィトラから手を離してはいない。サーシャは二人の会話を聞きながら溜息を吐いた。
「何故私は、迷宮の敵より同行者を警戒しているんだ……」
「成長したね」
ハイセが言う。
「お前のせいでもあるからな?」
◇
ハイセは先ほどから、小さく旋律を口ずさみ続けていた。
本格的に歌っているわけではない。戦闘が終わった今は仲間の能力を高める必要もなく、九人の呼吸や歩調がどのように変化しているのかを、自分の声を使って確かめているだけだった。
「まだ歌ってるの?」
綾斗が尋ねる。
「実験中」
「何の?」
「歌わない時と、少しだけ歌ってる時で、みんなの音がどう変わるか」
綾斗は少し考えてから笑った。
「やっぱり研究者なんだね」
「正式な研究者じゃないよ」
「そこ、まだ拘っているの?」
以前からカミラにも散々突っ込まれているところだった。
◇
シルヴィアは二人の会話を聞きながら、ハイセの歌へ耳を澄ませた。
「無理に続けない方がいいわよ。戦闘支援として使うなら、喉だけじゃなくて集中力も消耗するでしょう?」
「うん。だから今は弱くしてる」
「ならいいけれど」
ピアソラも振り返る。
「歌姫が先に倒れては困りますもの。身体が変わったからといって、疲労まで消えるわけではありませんわよ」
「分かってる」
ハイセは素直に頷いた。
そこでサーシャが眉を寄せる。
「……珍しいな」
「何が?」
「お前が健康管理について素直に言うことを聞いている」
「俺だって成長するよ」
「ならもう少し普段から自分を大事にしろ」
「サーシャに言われた」
「どういう意味だ!!」
いつもの調子で声を荒らげた直後、サーシャは自分の声が森の奥へ響いたことに気付き、慌てて口を閉じた。
◇
その時だった。
頭上に浮いていた結晶が、一斉に光った。
「止まれ!」
アーネストの声と同時に、九人全員が足を止める。
次の瞬間、一本の光線が森の奥から飛来した。正面ではなく右上に浮かぶ結晶へ当たり、そこから別の結晶へ、さらに三度、四度と角度を変えながら反射し、最終的には九人の真横から襲い掛かってくる。
「っ!」
アーネストがセルヴィトラの障壁を展開した。
光線が激突し、障壁の表面へ激しい火花が散った。防ぐことは出来たが、問題はその軌道だった。
「今の、敵が撃った方向と全然違いますわね」
ピアソラの表情が険しくなる。
「あの結晶が全部、射線を変える装置になってる」
ハイセが空を見上げる。
森の奥で、再び光が生まれる。
今度は一つではない。
◇
「散れ!」
サーシャの声に合わせて、九人が一斉に動いた。
三本の光線が飛来し、無数の浮遊結晶を経由して軌道を変える。どこから撃たれたものがどこへ来るのか、肉眼だけで追い続けるのは難しい。
「面白い仕掛けじゃ!」
范星露は楽しそうに笑いながら、身体を僅かに捻るだけで一本を回避した。
「面白がってる場合か!」
サーシャが怒鳴る。
その背後へ別方向から光線が迫った。
「サーシャ!」
ピアソラがセルヴィトラを振る。
サーシャの左後方へ小型障壁が出現し、光線を受け止めた。
「助かった!」
「前を見てくださいませ!」
ピアソラ自身はデミルークスを別方向へ飛ばし、迫っていた小型の異形を迎撃している。剣、障壁、遠隔武装を並行運用しているにもかかわらず、セルヴィトラ側の制御が単純だからこそ負荷は破綻していない。
ハイセがその様子を横目で確認した。
「……ちゃんと併用出来てる」
「今そこに感動するところですの!?」
◇
浮遊結晶の間から、新たな異形が現れ始めた。
羽根のような結晶体を持つ四足獣。数は十を超えている。
オーフェリアが《赤霞の魔剣(ラクシャ=ナーダ)》を構えた。
「全部壊す?」
「待って」
またハイセが止める。
オーフェリアが僅かに不満そうな顔をした。
「どうして?」
「結晶を全部壊すと、何が起きるか分からない」
綾斗も頷く。
「迷宮側が利用しているものなら、攻略に必要な可能性もあるね」
「面倒ね」
「禁忌迷宮だからね」
ハイセが答えると、オーフェリアは渋々ラクシャ=ナーダの向きを変えた。
結晶ではなく、獣だけを狙う。
◇
ハイセは再び息を吸った。
歌が、今度は先ほどより明確に戦場へ広がる。
ただし、一つのテンポへ全員を縛ることはしない。
綾斗、アーネスト、サーシャ、范星露、オーフェリア。それぞれがまるで違う戦い方をしているし、シルヴィアに至ってはハイセと同じ歌姫だ。
九人を無理に一つのリズムへ揃えれば、逆に本来の強さを削いでしまう。
だからハイセは歌う。
合わせるためではない。
聞くために。
◇
綾斗が一歩前へ出た。
ハイセはその瞬間だけ旋律を少し落とし、彼が間合いへ入るための空間を作る。
結晶獣の爪が振るわれるが、綾斗はセルヴィトラで直接受けず、相手の脇へ遠隔障壁を出した。攻撃方向そのものを制限し、その狭い隙間へ身体を滑り込ませる。
一閃。
首元の結晶核だけが切断された。
「綺麗」
歌いながら、ハイセが小さく呟いた。
綾斗には聞こえていたらしく、少しだけ笑う。
「ハイセも来る?」
「うん」
◇
二人が並んだ。
同じセルヴィトラ。同じロングソード。
それでも、剣は全く違う。
綾斗の剣は洗練されている。相手を見て、必要な動きを選び、最短で斬る。
ハイセの剣には、まだ綾斗ほど完成された一本の流れはない。その代わりに、色々な人間から学んできた痕跡が残っている。
相手の癖を見る。
間合いを変える。
時には正面から入り、時には障壁で道を作る。
その全てを、歌が繋いでいた。
◇
一体の結晶獣がハイセへ飛び掛かる。
右へ回避。
しかし着地点へ、別の光線が反射してくる。
「ハイセ」
綾斗がセルヴィトラを展開した。
障壁へ光線が激突する。
ハイセは足を止めない。
「ありがとう」
「どういたしまして」
そのまま前へ踏み込み、結晶獣の核を切る。
次は綾斗の死角から別個体。
今度はハイセの障壁が出る。
「そっち」
「分かった」
綾斗が反転し、一閃。
少し離れた位置から二人を見ていたアーネストが呟いた。
「……もう言葉みたいに使っているね」
ピアソラが頷く。
「セルヴィトラを?」
「障壁を、だよ」
◇
しかし、迷宮側もそれで終わらなかった。
浮遊結晶が急速に移動を始め、これまで不規則だった配置が巨大な円環を形成する。
中央。
森の奥。
巨大な花の蕾にも似た結晶体が、地面からゆっくりとせり上がった。
「嫌な感じがしますわ」
ピアソラが言った直後、蕾が開く。
内部には、先ほどの石造兵とは比較にならないほど膨大な光が満ちていた。
「全方向へ来る!」
シルヴィアが叫んだ。
◇
結晶体から放たれた光が、円環状に並んだ浮遊結晶へ同時に突き刺さる。
そこから反射を繰り返し、何十本もの光線が森全体へ撒き散らされた。
「これは……!」
アーネストがセルヴィトラを展開する。
一枚では足りない。
大きく一枚。
小さく三枚。
それぞれ別方向へ。
ピアソラも同時に複数展開する。
「全部を防ごうとするな!」
ハイセの歌が一度止まり、声が飛んだ。
「必要なところだけ!」
アーネストが僅かに目を見開く。
そうだ。
全部守る必要はない。
避けられる攻撃は避ける。
斬れるものは斬る。
セルヴィトラは、足りない場所だけ補えばいい。
◇
「綾斗!」
「分かってる!」
綾斗は正面から迫る光線を、自分の障壁一枚だけで止める。
その横では、ハイセは障壁を出さない。身体を沈めて一本をかわし、二本目は位置をずらして通過させる。
三本目。
避けられない。
そこへアーネストの小型障壁が滑り込んだ。
「ありがとう!」
「前へ!」
四人のセルヴィトラが、それぞれ別々の場所へ盾を出す。
誰も命令していない。
全員が自分で必要な場所を選んでいる。
◇
サーシャは光線の間を走った。
以前なら全部自分で突破しようとしたかもしれない。
今は違う。
前を見る。
右にはハイセ。
左にはアーネスト。
後方にはピアソラ。
「……ここ!」
自分では避けられない一線だけを指す。
ピアソラが即座に障壁を置き、サーシャはその横を踏み抜くように加速した。
「助かる!」
「後でスイーツ一つですわ!」
「何故有料なんだ!?」
「冗談ですわ!」
戦闘中だというのに、ほんの少しだけ笑いが生まれた。
◇
范星露は、ほとんど全ての光線を避けていた。
アーネストが一瞬だけ彼女を見る。
「……あの人、セルヴィトラ要らないんじゃ?」
「考えちゃ駄目」
ハイセが答える。
オーフェリアもまた、《赤霞の魔剣(ラクシャ=ナーダ)》を手に、迫る光線の隙間を強引に突破していた。
エクリプスは周囲の動きを読みながら攻撃可能な経路を探し、シルヴィアはハイセへ視線を送る。
「ハイセ君!」
「うん!」
分かる。
次に必要なのは、防御ではない。
◇
二人が歌う。
Yami_Q_ray。
シルヴィア・リューネハイム。
異なる声が重なる。
ただし、全員へ同じ力を与えるためではない。
戦場に散らばる九つの音を探す。
サーシャの踏み込み。
綾斗の呼吸。
アーネストの障壁展開。
ピアソラの遠隔制御。
范星露の自由な動き。
オーフェリアの圧倒的な一撃。
エクリプスの判断。
そして、二人自身の歌。
九つを一つにしない。
九つのまま、噛み合わせる。
◇
「今!」
誰が言ったのか、分からなかった。
全員が動いた。
アーネストとピアソラがセルヴィトラの二重障壁を重ね、正面の光線群を受け止める。
綾斗とハイセは左右へ分かれ、それぞれの障壁で反射光を遮断した。
その一瞬。
中央に道が開く。
范星露。
サーシャ。
オーフェリア。
エクリプス。
四人が同時に突入した。
◇
最初に范星露が結晶円環の一角を叩き壊した。
光路が崩れ、反射が乱れる。
サーシャはその穴へ飛び込み、次の結晶を斬り落とした。
続いてオーフェリアが《赤霞の魔剣(ラクシャ=ナーダ)》を振るい、円環の反対側をまとめて切り崩す。
最後にエクリプスが中央の結晶蕾へ攻撃を叩き込み、大きな亀裂を走らせた。
「綾斗!」
ハイセが叫ぶ。
二人が走る。
綾斗が先。
ハイセが半歩後ろ。
セルヴィトラ。
同じ剣。
しかし、振り方は違う。
綾斗の一閃が亀裂を正確に捉え、表層を割る。
その奥へ露出した核へ、ハイセの剣が走った。
一撃。
切断。
巨大な蕾が、音もなく崩れ落ちた。
◇
浮遊結晶から光が失われ、森へ本当の静寂が戻った。
九人はしばらく警戒を解かずに周囲を見ていたが、新たな敵が出現する気配はない。
そこでハイセの歌も、ようやく完全に止まった。
「……綺麗」
ぽつりと声がした。
ハイセが振り返る。
オーフェリアだった。
「何が?」
「歌」
あまり感情を表に出さない彼女が、珍しく真っ直ぐハイセを見ている。
「もう少し聞いていたかった」
「ありがとう。次の戦闘でも歌うと思うよ」
「そう」
オーフェリアの表情が、ごく僅かに柔らかくなる。
「楽しみ」
少し離れた場所で水を飲んでいたサーシャの動きが止まった。
◇
「分かるわ♪」
そこへシルヴィアまで加わった。
「ハイセ君の戦闘中の歌って、ステージとは全然違う魅力があるのよね。誰かに聞かせるためというより、隣で一緒に戦っている人へ届く感じ」
「リューネハイムまで……」
サーシャの眉間へ皺が寄る。
「私も好きよ」
今度はエクリプスだった。
サーシャの顔が引きつる。
「何で全員ハイセの歌の感想会を始めてるんだ!?」
「どうしましたの?」
ピアソラが分かっていながら尋ねる。
「何でもない!」
「顔に出ていますわよ」
「出てない!」
「オーフェリアがハイセの歌を褒めただけでしょう?」
「分かってる!!」
ピアソラは楽しそうに笑った。
「でしたら問題ありませんわね」
「……問題ない!」
声だけは妙に力強かった。
◇
アーネストはそのやり取りを横目に見ながら、深く追及しないことにした。
「サーシャ君」
「何だ!」
「SNSへは書かないようにね」
「書かない!!」
「なら良かった」
「何故そういう時だけ保護者みたいになるんだ!?」
ハイセが隣で小さく呟く。
「リアルタイムお子様見守り機能、必要だったね」
「お前は黙れ!!」
戦闘より大きなサーシャの怒声が、また森へ響いた。
◇
騒ぎが一段落すると、アーネストは手元のセルヴィトラへ視線を落とした。
「……なるほど」
「何が?」
ハイセが尋ねる。
「僕は、連携を強くする武器が欲しいと言った」
「うん」
「でも、少し考え方が違ったみたいだ」
アーネストは先ほどの戦闘を思い返す。
「連携そのものを強くする必要はないんだね」
ハイセが首を傾げる。
「どういうこと?」
「互いに助けるための手段だけ共有する。誰がどう助けるかは、その時に自分達で決めればいい」
ピアソラも自分のセルヴィトラを見る。
「なるほど。だからわたくしとアーネストでは、同じ武器なのに障壁の使い方が全く違うのですね」
「そういうことだろうね」
綾斗も頷く。
「僕は自分の間合いを作るために使ってる。ハイセは仲間の死角を埋めることが多い」
ハイセは少し考えた。
「……そっか」
セルヴィトラが連携を作るのではない。
連携出来る余白を作る。
◇
「なら」
ハイセは少し笑った。
「アーネストの注文、ちゃんと答えられた?」
「十分すぎるくらいだよ」
「よかった」
アーネストも微笑んだ。
「ただし、まだ量産試験も耐久試験も必要だ。禁忌迷宮の戦闘だけで正式採用を決めるつもりはないよ」
「真面目」
「普通だよ」
「アルルカントなら?」
「聞きたくないな」
「実戦で動いたから量産準備入るかも」
「やっぱり聞かなければよかった」
アーネストは額を押さえた。
◇
少しだけ休憩することになった。
ピアソラは回復の必要がある者を確認し、サーシャは水を飲みながらセルヴィトラを眺めている。
「……これ、私も持った方がいいのか?」
ハイセが見る。
「欲しい?」
「いや」
少し間を置く。
「……ちょっとだけ」
「作れるよ」
「待て。今すぐ作るな」
「何で?」
「お前はそうやってすぐ話を大きくするからだ!」
アーネストが小さく笑う。
「僕も、その意見には賛成だね」
「アーネストまで?」
「サーシャ君の扱いについては、少しずつ分かってきたよ」
「何故だ!?」
◇
その横で、エクリプスはハイセを見ていた。
歌う。
戦う。
仲間を見る。
自分の剣を振る。
会ったばかりで、まだ知らないことばかりだ。
だからこそ面白い。
「ハイセ」
「何?」
「あなた、本当に色々するのね」
「そう?」
「歌って、剣を振って、武器を作って、アプリまで作る」
「HTMLは嫌い」
「そこなの?」
「うん」
エクリプスは少しだけ笑った。
◇
「結婚したい気持ち、変わった?」
ハイセが唐突に聞いた。
近くにカミラはいない。
ディルクもいない。
だがシルヴィアはいる。
そして、オーフェリアもいる。
エクリプスは普通に答えた。
「今のところ、強くなっているわ」
シルヴィアの笑顔が僅かに固くなる。
「へぇ♪」
ハイセが振り返る。
「リューネハイム?」
「何でもないわ♪」
そこへ、オーフェリアが静かにハイセを見る。
「結婚するの?」
「まだ決めてないよ」
「そう」
それだけだった。
それだけなのに。
サーシャの手に持たれていた水筒が、僅かに軋んだ。
「……また何か始まってないか?」
アーネストが横を見る。
「聞かない方がいいと思うよ」
サーシャは深く頷いた。
「お前もそう思う?」
「ああ」
この一点だけは、二人の意見が完全に一致した。
◇
休憩を終え、九人はさらに奥へ進んだ。
やがて森が途切れ、白い回廊の先へ巨大な扉が現れる。
その表面には、九つの窪みが刻まれていた。
エクリプスが手元の鍵を見る。
「ここから先が本番みたいね」
ハイセは扉を見上げた。
歌の余韻は、まだ喉に残っている。
剣も手に馴染んでいた。
セルヴィトラ。
普通の剣。
それだけ。
でも、もう十分だった。
一人で全部出来なくてもいい。
九人は一つではない。
だからこそ。
九人で進める。
ハイセは小さく息を吸った。
「行こう」
九人が扉の前へ並ぶ。
《神の箱庭》。
第二領域。
開門。