【暗律の戦乙女(ヤミキューレ)】は盤上を覆すが故、己が未来を選ぶ 作:カミッシー
「……誰?」
昼過ぎ。
アルルカント・アカデミーの研究室で、午前中に取った実験データを眺めていたハイセは、カミラから差し出された端末へ目を落とした。
画面に表示されているのは、一人の男だった。
大柄な体格に、相手を値踏みするような鋭い目。制服を着ているから学生なのだろうが、少なくともハイセがこれまでアスタリスクで見てきた学生たちとは、纏っている空気が少し違っている。
「ディルク・エーベルヴァイン」
「知らない」
「だろうな」
「有名?」
「非常にな」
「強いの?」
「そういう意味ではない」
カミラは腕を組んだまま、僅かに眉間へ皺を寄せた。
「レヴォルフ黒学院の生徒会長だ」
「生徒会長?」
「ああ」
ハイセはもう一度画面を見る。
そう言われても、やはり学生という印象は薄い。
「……学生に見えない」
「それは本人へ言うな」
「何で」
「面倒になる」
少し離れた机で作業していたエルネスタが、面白そうに顔を上げた。
「私は言ってもいいと思うよ?」
「お前は黙っていろ」
「えー」
どうやら、カミラがここまで露骨に警戒する程度には厄介な相手らしい。
「で」
ハイセは端末をカミラへ返した。
「何で、その生徒会長が俺に用あるの?」
「それを」
カミラは、朝から何度目か分からない深い溜息を吐いた。
「私が聞きたい」
◇
発端は、数時間前だった。
研究室へ一件の通信が入り、送信元として表示されたのはレヴォルフ黒学院生徒会。
そして通信を寄越した本人こそが、ディルク・エーベルヴァインだった。
『アルルカントで、妙な素材を使った試験を始めたそうだな』
開口一番そう言われた瞬間、カミラは眉間を押さえた。
『……情報が早すぎないか?』
『そうか?』
『外部へ発表していない』
『なら、どっかから漏れたんじゃねえのか』
『…………』
『俺に怒るなよ』
『お前以外に誰へ怒れというんだ』
『知らねえな』
悪びれる様子など欠片もない。
ディルクは軽く鼻を鳴らすと、前置きもなく本題へ入った。
『その異世界人』
一拍。
『会わせろ』
『断る』
『即答かよ』
『研究協力者だ。見世物ではない』
『別に見世物にする気はねえ』
『では何だ』
『商談』
その言葉で、カミラは初めて黙った。
ディルクという男が、何の利益もなく誰かへ時間を使うことはない。厄介で、信用しづらく、目的のためなら手段も選ばない。
だが逆に言えば、彼がわざわざ商談と言った以上、少なくとも相手へ何らかの対価を払うつもりはある。
『本人が望めばな』
『…………』
『私が決めることではない』
その返答を聞いたディルクが、通信の向こうで低く笑った。
『なるほど』
そして。
『じゃあ本人に聞け』
◇
「商談?」
「ああ」
事情を聞いたハイセは、首を傾げた。
「俺と?」
「そう言っている」
「何を売るの?」
「恐らく、君の世界に関する素材か情報だろう」
そこでハイセは少し考えた。
ブラックエンシェントドラゴンから回収した灰色の龍核は論外だ。
あれは一点しかなく、現在カミラたちが非破壊解析を続けている重要な研究対象でもある。売るつもりも、誰かへ渡すつもりもなかった。
一方で、元の世界から持ち込んだ荷物の中には、旅の途中で使うため残していた小さな魔獣素材や、用途の決まっていない消耗可能な小片が僅かにある。価値があるかどうかすら分からない物だが、研究用サンプルとしてなら手放しても困らない。
「会う」
「…………」
カミラが意外そうに目を細めた。
「早いな」
「だって、何欲しいのか聞かないと」
ハイセは肩を竦める。
「断るかどうかも決められない」
「…………」
カミラは僅かに黙り。
「まあ」
「ああ」
「正論だ」
「でしょ?」
そこへエルネスタが、待ってましたとばかりに勢いよく手を挙げる。
「私も行く!」
「何故だ」
「面白そうだから!」
「帰れ」
「まだ出発してない!」
◇
結局。
三人で向かうことになった。
「何でお前まで来てる」
移動中、カミラが隣を歩くエルネスタへ呆れた視線を向ける。
「護衛?」
「誰の」
「ハイセくん」
「誰から」
「ディルク?」
その会話を聞きながら、ハイセは少し眉を寄せた。
「危ない奴なの?」
「危ない」
カミラは即答する。
「面白い」
エルネスタも即答する。
「どっち?」
「両方だ」
二人の答えだけは、妙に綺麗に揃った。
「……なるほど」
どうやら、会えば分かるらしい。
◇
指定された場所は、六学園いずれの管理区域にも属さない中立区画にある個室だった。
扉が開く。
「来たか」
室内では、画面で見た男が既に待っていた。
実際に目の前へ立つと、写真以上に学生らしくない。
大柄な身体。相手を値踏みするような鋭い目。座っているだけなのに、自分の方が上だと言わんばかりの態度。
ハイセも遠慮なく観察していると、ディルクの方から口を開いた。
「お前が、ハイセか」
「ああ」
「ディルク?」
「そうだ」
数秒。
互いに何も言わず、相手を見る。
先にその沈黙を破ったのはディルクだった。
「思ったより普通だな」
「そっちも」
「…………」
「学生に見えないけど」
「ハイセ!」
背後でカミラの声が飛ぶ。
「言うなと言っただろう!」
ところが、当のディルクは気にした様子もなく鼻を鳴らした。
「別にいい。よく言われる」
「言われるんだ」
横ではエルネスタが肩を震わせている。
「笑うな」
「ごめんごめん」
「絶対謝ってねえだろ」
第一印象としては。
少なくとも、面倒そうではあった。
◇
「で」
全員が席へ着くと、ハイセは前置きもなく本題へ入った。
「俺に何の用?」
「話が早くて助かる」
「長い話、嫌いだから」
「俺もだ」
そんな二人を見比べながら、カミラの中には別の意味で嫌な予感が膨らんでいく。
話し方が似ているわけではない。
性格など、むしろ正反対に近い。
それでも。
目的と条件を先に確認したいという一点だけは、妙に噛み合っていた。
「異世界の素材」
ディルクは机へ片肘をついた。
「研究用に回せるもんを売る気はあるか?」
「物による」
「条件は?」
「先に、アンタが何に使うのか聞きたい」
ディルクの目が僅かに細くなる。
「研究?」
「商売だ」
「…………」
「物によっちゃ研究にも回す。価値があるなら、市場へ出す方法も考える」
「なるほど」
ハイセはすぐに意図を理解した。
「つまり、価値があるか調べて」
「ああ」
「売れるなら売りたい?」
「そういうことだ」
ディルクが薄く笑う。
「嫌か?」
「別に」
答えようとしたところで、カミラが先に口を挟んだ。
「ディルク。我々の研究を勝手にお前の商売へ組み込むな」
「まだ組み込んでねえ」
「今まさに組み込もうとしているだろう」
「だから商談してんだろ」
ディルクは悪びれずに言い返す。
「勝手に持っていくより、本人へ欲しいと言って、条件を出して、断る余地も残してる。よっぽど誠実じゃねえか」
その言い方には反感を覚えそうなものなのに。
ハイセはむしろ、少し納得した。
「確かに」
「ハイセ」
「え?」
カミラから即座に視線が飛んできた。
「何故そっちへ納得する」
「でも」
ハイセには、本当にそこが不思議だった。
「欲しいって言って、代わりに何か払うって言ってるだけだろ?」
少なくとも。
勝手に決められてはいない。
嫌なら断れる。
条件が合わなければ、話を蹴ればいい。
「別に俺が嫌なら、断ればいい」
その言葉を聞いたディルクの口元が、少しだけ上がった。
「話が分かるな」
「普通じゃない?」
「意外とな」
一拍。
「普通じゃねえ」
◇
「まず一つ」
ディルクが指を一本立てた。
「消費試験に回して構わないサンプルが欲しい」
「龍核は無理」
「龍核?」
ディルクの目が鋭くなる。
「今アルルカントが調べてる灰色の素材か?」
「そう。でもあれは売らない」
「値段の問題か?」
「違う」
ハイセは首を振った。
「あれは一個しかないし、俺自身まだよく分かってない。今は研究用。誰にも渡す気ない」
ディルクは数秒ほどハイセを見た。
値段を吊り上げるつもりなら交渉の余地がある。
だが。
そもそも売る意思がないなら。
そこで話は終わる。
「分かった。なら別のもんでいい」
意外なほどあっさり引いた。
「消費しても困らない小さい素材なら、少しある」
「それで十分だ」
「で」
ハイセは身を乗り出す。
「何をくれる?」
「現金」
「いらない」
「…………」
今度はディルクの方が、少しだけ意外そうな顔をした。
「金はいらねえ?」
「生活する分は研究協力費で何とかなってる。今は、それより欲しいものある」
「何だ」
「情報」
横でエルネスタの口元が楽しそうに緩む。
「へぇ」
一方のディルクは、ハイセの顔をじっと見ている。
「どんな情報だ?」
「この街で、武器が実際にどう使われてるか」
ハイセは頭の中で、ここ数日の研究を思い返した。
カミラの【究極の汎用性】。
使う人間へ合わせる武器。
誰でも挑戦出来る入口。
ただ。
研究室で「こういう武器が便利だろう」と考えるだけでは、本当に必要としている人間のことまでは分からない。
「研究所の中じゃなくて、外で」
ディルクの目を見る。
「誰が何を欲しがってるのか。今の武器の何が不満なのか。どんな奴が使えなくて困ってるのか。どれくらいなら金払ってでも欲しいと思うのか」
話を聞いていたカミラの表情も、僅かに変わった。
確かに。
それは研究者が持つ性能試験のデータとは違う。
武器が実際に流通し、人が使い、金を払い、時には不満を抱く。
その場所でしか集まらない情報だった。
「そういうの」
ハイセは言う。
「欲しい」
ディルクは数秒ほど黙ってハイセを見つめていた。
「お前」
「?」
「本当に異世界から来たばっかりか?」
「ああ」
「何?」
「いや」
ディルクは椅子へ深く座り直した。
「思ってたより使える」
「褒めてる?」
「俺なりにな」
「変な褒め方」
「お互い様だろ」
◇
「なら、情報を出す」
ディルクは条件を整理するように指を動かした。
「レヴォルフ内で流通してる武器の種類。需要。不満。実際に取引されてる価格帯。それと、可能な範囲で購入層の傾向も出す」
「どこまで?」
「当然、機密や個人情報は出さねえ」
「それでいい」
「代わりに、消費して構わない異世界由来サンプルを一点。成分分析、加工試験、耐久試験まで自由にさせてもらう」
「全部は無理だからな」
「最初から一個でいい」
「それと」
ハイセは続ける。
「今後、俺の世界から別の素材が手に入ることがあったら、その時は優先して話くらいはする」
「優先交渉権か」
「買うって約束じゃないぞ」
「分かってる」
ディルクはすぐに条件を理解した。
「先に話を持ってくる。それだけでいい」
「なら、それも付ける」
「話が早い」
「ただし」
ハイセが付け足す。
「結果は全部教えて」
「何の」
「その素材が使えそうだったか。何に使えるのか。駄目なら、何が駄目だったのか」
ディルクの口元へ、僅かに笑みが浮かぶ。
「なるほど」
「?」
「金より、次に使えるものを欲しがるか」
「そっちの方が得だろ」
ハイセにとっては自然な発想だった。
「金は使ったら減る。でも情報なら、次の研究にも使えるし、別の素材を見つける時の参考にもなる」
それは、ここ数日で研究へ関わり始めたからこそ持てた感覚だった。
試作機が壊れても。
原因が分かれば次へ使える。
素材が役に立たなくても。
何故役に立たなかったかが分かれば、次の選択肢を絞れる。
なら。
金よりも。
今はそちらの方が価値が高い。
少しだけ沈黙が落ちる。
その後。
ディルクが笑った。
「気に入った」
「そう?」
「商売相手としてな」
「俺も」
「…………」
「話が分かりやすい」
その横で。
カミラが静かに額を押さえた。
「何故」
深い溜息が続く。
「そこだけ相性がいいんだ」
「そこだけ?」
エルネスタが楽しそうに口を挟む。
「私は全部いけそうだと思うよ?」
「黙れ」
◇
条件がほぼ纏まったところで、今度はハイセの方から一つだけ気になっていたことを訊いた。
「アンタさ」
「何だ」
「何でそんなに露骨なの?」
「…………」
「欲しい物は欲しい。金になるならやる。得するなら話す」
ここまで会話して。
ディルクが自分の欲をほとんど隠そうとしないことが、逆に気になった。
「普通、もう少し隠さない?」
「隠して何になる」
ディルクは鼻で笑った。
「綺麗な理由を並べて、その裏で別のこと考えてる奴なんざ腐るほどいる」
その言い方には、何かを嫌悪するような響きがあった。
「なら最初から、俺は利益が欲しい、お前の持ってる物が欲しい、その代わり必要なもんを払うって言った方が早い」
その言葉を聞いても。
不思議と。
胸がざわつかなかった。
むしろ。
楽だった。
相手が何を欲しがっているのか。
何を渡すつもりなのか。
嫌なら断れるのか。
最初から分かっている。
「俺は欲しいものがある」
ディルクは続ける。
「なら相応のもんを出す」
「…………」
「お前も欲しいもんがあるなら」
一拍。
「何か払え」
ハイセは、その考え方を少しだけ咀嚼した。
「……それ」
「?」
「いいな」
「何が」
「分かりやすい」
ハイセは小さく笑う。
「欲しいなら払う。何か得るなら、何か渡す」
それなら。
自分が何かを欲しいと思ったこと自体を。
後ろめたく感じる必要もない。
「それなら納得出来る」
「そうか」
ディルクもまた、僅かに笑った。
「なら覚えとけ」
「?」
「何かを欲しがるのは、悪いことじゃねえ」
一拍。
「払えるならな」
その言葉が。
少しだけ。
ハイセの中へ残った。
欲しい。
何かを。
自分の意思で。
欲しいと言う。
ここ数日。
選ぶということについては、何度も考えてきた。
アルルカントへ入ることも。
自分で決めた。
だが。
何かを「欲しい」と認めることについては。
これまで、あまり意識したことがない。
強さは必要だった。
生きるために。
仲間へ追いつくために。
足手纏いにならないために。
必要だったから求めただけで。
自分が本当に欲しいから欲しいと言ったことは。
どれほどあっただろう。
ふと。
昨日見た天霧綾斗の剣が頭へ浮かぶ。
あんなふうに。
自分自身で積み上げた技術。
あれに近付きたいと思った。
誰かに言われたからではない。
必要に迫られたからでもない。
ただ。
自分が欲しいと思った。
「…………」
「どうした」
「いや」
ハイセは小さく首を振る。
「何でもない」
◇
「じゃあ、これで決まりだな」
商談が終わり、ハイセは席を立った。
「研究用サンプルは、カミラと確認してから送る」
「ああ」
「龍核はなし」
「分かってる」
「情報は?」
「用意させる」
「結果も」
「出たら送る」
ハイセは一度だけ確認するようにディルクを見る。
「約束な」
「取引だろ」
その一言を聞き。
ハイセは少し笑った。
「ああ」
契約書も。
友情も。
信頼関係も。
まだ何もない。
ただ。
条件があり。
対価があり。
互いに断れる。
今は。
それだけで十分だった。
「取引だ」
◇
個室を出て少し歩いたところで、カミラが口を開いた。
「ハイセ」
「何?」
「ディルクを信用しすぎるな」
「してないよ」
「…………」
「でも」
ハイセは少しだけ考えてから続ける。
「約束を守る限り、取引相手としては信用する」
友人として信じることとは違う。
善人だと思っているわけでもない。
ただ。
条件通りに取引をする人間なら、次の商談は出来る。
今のハイセには、それで十分だった。
カミラもその違いを理解したのか、それ以上は否定しなかった。
「……それならいい」
「アンタ、ディルク嫌い?」
「好き嫌いの問題ではない」
「じゃあ?」
「手段を選ばない」
カミラの声音が少し低くなる。
「利益になるなら、人間すら駒として扱う。利用出来るものは利用する。その結果、誰かが傷つく可能性まで切り捨てることがある」
その言葉を聞いて。
ハイセは、ディルクとの会話をもう一度思い返した。
確かに。
善人ではないのだろう。
利益のためなら、人を使うことにも躊躇しない。
だが。
それでも。
「本人に、こういうことをしてほしいって言って」
一度。
言葉を選ぶ。
「条件を見せて、対価も払って、嫌なら断れるなら?」
「…………」
カミラが眉間へ皺を寄せる。
「それなら話は変わる」
「でしょ」
「だからといって、何でも許されるわけではない」
「それは分かってる」
ハイセは歩きながら前を見る。
「俺、勝手に決められるのが嫌いなだけ」
つい最近。
自分自身が経験したことだった。
弱いから。
危険だから。
お前のためだから。
そう言われ。
自分の意思より先に、居場所を奪われた。
だからこそ。
何かを求められる時でも。
「条件と」
一つ。
「対価と」
もう一つ。
「断れるってこと」
最後に。
「それがあるなら、俺は考える」
少なくとも。
そこから先は自分で選べる。
受けるか。
断るか。
別の条件を出すか。
自分自身で決められる。
カミラはしばらく黙ってハイセを見ていた。
やがて。
「そうか」
短く答えた。
「ああ」
◇
その少し後ろでは。
エルネスタが一人、随分楽しそうに笑っていた。
「…………」
「何だ」
カミラが気付いて振り返る。
「いやぁ」
「?」
「ハイセくん、ディルクとも仲良くなれそうだなって」
「仲良くはならねぇよ」
「じゃあ商売仲間!」
「それなら」
ハイセは一度だけ考える。
「ありかも」
「…………」
今度はカミラの足が止まった。
「何?」
「……いや」
深い溜息。
「もう何も言わん」
「諦めた?」
「少しな」
「カミラァ」
「誰のせいだ」
◇
数日後。
レヴォルフ黒学院、生徒会室。
「会長」
「何だ」
部下の一人が、小さな保管ケースを机へ置いた。
「アルルカントより、研究用サンプルが届きました」
「ああ」
ケースの中に入っているのは、ハイセの世界から持ち込まれた異世界由来素材の小片。
灰色の龍核とは違う。
失っても研究に致命的な支障がなく、加工・破壊試験へ回しても構わないと判断された物だった。
「それと」
「?」
「ハイセ本人から、短いメモが」
一枚の表示が開かれる。
『結果が出たら全部教えて』
「…………」
ディルクの口元が僅かに上がった。
「図々しいですね」
「違う」
「?」
「取引条件だ」
ディルクはケースへ視線を落とした。
素材そのものの価値は、まだ分からない。
使えるかもしれない。
使えないかもしれない。
だが。
少なくとも。
今はまだ誰も知らない価値が眠っている可能性はある。
「調べろ」
「はい」
「成分分析、加工適性、武装転用の可能性。売り物になるかも含めて全部だ」
「研究用ですか?」
「最初はな」
一度。
指先でケースを叩く。
「使えるなら買う」
「市場へ?」
「出せるなら出す」
「…………」
「利益になるなら、何度でもアルルカントへ金を落とす」
技術が売れる。
金が動く。
研究費が増える。
新しい武器が作られる。
その武器がまた売れる。
ディルクにとって。
今はまだ。
それだけの話だった。
異世界から来た少年が持っていた。
僅かな素材。
そして。
一度きりかもしれない小さな取引。
だが。
この時のディルクはまだ知らない。
やがて。
異世界由来の魔獣素材や鉱石。
ダンジョン資源。
煌式武装。
ウルム=マナダイト。
さらには。
二つの世界そのものを跨いだ物流と技術交換。
それらが絡み合う巨大な流通網が作られていくことを。
そして。
利益を嗅ぎ分け。
条件を提示し。
必要な対価を払うという。
この男自身の性質が。
六学園の中でも。
とりわけ美味しい場所へ。
自分を滑り込ませることになるなど。
もちろん。
この時のディルクは。
まだ知る由もなかった。