暗律の戦乙女は盤上を覆すが故、己が未来を選ぶ 作:カミッシー
巨大な扉に刻まれた九つの窪みは、九人がそれぞれ手を触れることで反応した。
一つ、二つと淡い光が灯り、最後にピアソラが九つ目へ触れた瞬間、扉の表面を幾何学模様が走っていく。重たい石が擦れる音と共に門が左右へ開き、その先には森とはまるで違う光景が広がっていた。
「……これはまた、随分と雰囲気が変わったね」
綾斗が見上げる。
第二領域は巨大な屋内都市のような空間だった。白い床と壁が幾重にも重なり、その間を細い通路が複雑に走っている。壁面には意味不明な文字列や図形が発光し、遠くでは床そのものが静かに移動していた。
「迷路?」
サーシャが眉を寄せる。
「普通の迷路ならいいんだけど」
ハイセは壁面へ近付き、流れる文字列を眺めた。
「これ、何かの制御記述みたい」
「読めるのか?」
「全然」
「では何故分かった!?」
「雰囲気」
「お前な!」
サーシャが怒鳴る横で、アーネストも壁面を観察していた。
「でも、ハイセの感覚は間違っていないと思う。この記号、同じ組み合わせが何度も反復されている」
ハイセが振り向く。
「アーネストも分かる?」
「少しね」
その返事に、サーシャだけが嫌な予感を覚えた。
◇
まだ敵の気配はない。
九人は警戒を維持したまま、入り口近くで短い休憩を取ることになった。第一領域でかなり動いたこともあり、ピアソラが全員の状態を確認している間、ハイセは端末へ何かを書き込んでいる。
それを見たアーネストが、何気なく尋ねた。
「何をしているんだい?」
「昨日作ったアプリのログ確認」
「ああ、例の見守りアプリか」
サーシャの眉が動いた。
「まだその話をする気か?」
ハイセは気にせず画面をスクロールする。
「一つ単純なアプリ作るのでも、HTMLとJavaScriptはガチで地獄の作業だよ」
「分かるな」
あまりに自然な返答だった。
今度はハイセの方が顔を上げる。
「分かるの?」
「もちろん。スペルを一文字間違えただけでも正常に動かなくなることがあるし、面倒なのは書く作業より原因を探す時だよ。数百行、数千行ある記述の中から、どのタグや変数名を間違えたのか探すのは本当に気が滅入る」
ピアソラが神妙な顔になった。
「利便性の高い文明の影で……そんな犠牲が生まれていますのね……」
「でも、エンジニアは食いっぱぐれにくいわよ?」
シルヴィアが明るく口を挟む。
「頭髪の犠牲を気にしないならね♪」
ハイセは反射的に自分の長い髪へ触れた。
「髪は女の命……CSS以外触りたくない」
「CSSも配置が崩れ始めたら十分面倒だけどね」
「言わないで」
ハイセが真顔で遮った。
「色とか見た目を弄ってる間は楽しいからいいの」
◇
サーシャはしばらく我慢していた。
だが限界が来た。
「お前らもう少し私にも分かる話をしてくれ!!!!」
声が第二領域へ響いた。
范星露が面白そうに笑い、エクリプスまで口元を緩める。
「HTML!? じゃばすくりぷと!? しーえすえす!? さっきから何の呪文なんだ!」
ハイセは少し考えた。
「魔法陣を書くとして」
「うん」
「一文字でも間違えると発動しない」
「……うん」
「しかも術式が三千行くらいあって、どこを間違えたか教えてくれない」
サーシャの顔が固まった。
「……地獄だな」
「でしょ?」
「急に理解しましたわね」
ピアソラが妙に感心している。
シルヴィアは笑いを堪えながら、アーネストを見る。
「でも意外ね。アーネスト君、随分詳しいじゃない」
「そういえば」
ハイセも首を傾げた。
「騎士だよね?」
「騎士だよ」
「エンジニアじゃなくて?」
「故国では両方だった」
全員の視線が集まった。
◇
アーネストは特に隠すようなことでもないらしく、淡々と説明した。
「僕の故国では、上位の騎士ほど自分の装備について一定以上の知識を持つことを求められていたんだ。専門の技術者は別にいるけれど、戦場で簡単な故障が起きるたびに整備員を呼ぶわけにもいかないからね」
「つまり自分で直す?」
「出来る範囲ならね。機構の交換、出力調整、制御系の設定変更、簡単なプログラム修正くらいは騎士の教育課程に入っていたよ」
ハイセの目が明らかに輝いた。
「いい国」
「そこ?」
「剣の話も出来てコードの話も出来る人、珍しい」
「僕も君と話していると退屈しないよ」
その瞬間、サーシャが嫌そうな顔をした。
「何か新しい組み合わせが成立してないか?」
「友達だよ」
ハイセが答える。
「今のところはね」
アーネストも続けた。
「『今のところ』を付けるな! 何に発展するんだ!」
誰も恋愛の話などしていないのに、サーシャだけが妙に警戒していた。
◇
「ただ、現場で使う装備なら高性能なだけでは駄目だ」
アーネストはセルヴィトラの柄へ手を置いた。
「故障しても最低限の機能が残ること、整備が難しすぎないこと、交換部品を用意出来ること。通信が切れたから剣まで使えなくなるような構造は、僕なら採用したくない」
「セルヴィトラは大丈夫」
「それは確認したよ。共有が落ちても、ローカル制御で障壁は出せるし、最悪そこまで故障しても剣そのものは残る」
ハイセは嬉しそうに頷いた。
「そこ拘った」
「良い設計だと思う」
ピアソラが二人を見る。
「何だか急に技術者同士の顔になりましたわね」
「放っておくと三時間くらい話すぞ、こいつら」
サーシャが言う。
「まだ三十分も話してないよ?」
「既にそんなに話したのか!?」
「十二分くらいだね」
アーネストが訂正した。
「それでも長い!!」
◇
休憩を終え、九人は第二領域の奥へ進んだ。
最初の分岐へ到達したところで、異変は起こった。
綾斗が右側の通路へ一歩踏み込んだ瞬間、左側の通路が消えたのである。
「……戻って」
ハイセが言う。
綾斗が一歩戻る。
消えた通路が再び現れた。
「なるほど」
アーネストが目を細める。
「誰かの行動が、別の場所の状態を変える」
范星露が迷わず左側へ足を出した。
今度は正面の床が壁へ変わった。
「面白い!」
「勝手に踏まないで!」
ハイセが慌てて止める。
「何故じゃ?」
「デバッグ中だから!」
「でばっぐ?」
范星露が首を傾げる。
「今の行動で何が変わったか確認してる!」
「ならもっと踏めば分かるのではないか?」
「力技でバグ探す人の発想!」
◇
九人は入口付近へ戻り、一つずつ挙動を確認した。
綾斗が右へ進むと左が閉じる。
サーシャが中央へ進むと奥の壁が開く。
ピアソラが床の円形模様へ立つと、別区画へ橋が現れる。
だが、アーネストがその橋へ乗ると、今度はサーシャ側の扉が閉じた。
「条件式みたいだね」
アーネストが呟く。
ハイセも頷く。
「誰かが特定座標にいる時だけ真になる条件がある」
サーシャが眉を寄せる。
「……魔法陣で説明しろ」
「誰かがスイッチ踏んでる間だけ別の扉が開く」
「最初からそう言え!!」
エクリプスが小さく笑った。
◇
問題は、一人ずつ調べていても全体像が見えないことだった。
九人の位置関係によって、通路、橋、壁、階段が同時に変化する。一つの条件を満たすと別の条件が崩れ、単純に全員で同じ方向へ進もうとすれば必ずどこかが閉ざされる。
「一つの正解ルートを探す迷路じゃない」
綾斗が言う。
「九人が別々の場所にいること自体が条件なんだね」
「多分そう」
ハイセは壁面に流れる記号を見る。
「九人全員を一か所へ集めようとすると、絶対に進めないように作られてる」
アーネストが苦笑した。
「また随分、この攻略隊に都合の良い試練だね」
九人は一つにならない。
先ほどまで自分達が実践していたものを、今度は迷宮そのものから要求されていた。
◇
ハイセとアーネストが条件を整理し、綾斗とエクリプスが実際の経路を確認する。ピアソラはデミルークスを飛ばして離れた区画の変化を観測し、シルヴィアは全員の通信を整理した。
一方、范星露は。
「ここ踏んでよいか?」
「待って!」
「ではこちらは?」
「待って!」
「これは?」
「星露、少しだけじっとしてて!」
「退屈じゃ!」
オーフェリアが横から淡々と言った。
「座ってれば?」
「それはもっと退屈じゃ」
「面倒」
「お主にだけは言われたくないぞ!」
珍しい組み合わせで口論が始まった。
サーシャは頭を抱えた。
「こっちは迷宮を解いてるんだぞ……!」
◇
やがて、ハイセが一つの規則を見つけた。
「これ、順番じゃない」
「どういう意味?」
シルヴィアが尋ねる。
「誰が先に動いたかじゃなくて、今この瞬間に誰がどこにいるかだけ見てる。状態を保持して、その組み合わせで次の道を決めてる」
アーネストがすぐ理解した。
「なら、一人ずつ目的地へ送るのでは駄目だね。途中で条件が変わる」
「うん。全員が自分の位置を見ながら、同時に少しずつ動く必要がある」
サーシャが遠い目をする。
「またお前の歌の出番か?」
「歌わなくても出来ると思う」
「珍しく温存するんだな」
「喉も大事だから」
「本当に成長したな……」
どこか感慨深そうに言われ、ハイセは複雑な顔をした。
◇
それでも九人の移動タイミングを完全に揃える必要はあった。
そこでハイセは、本格的な歌ではなく、短い旋律だけを口ずさんだ。
一定の拍。
ただの合図。
誰かを強化するわけでも、現象へ干渉するわけでもない。
一拍目。
綾斗とサーシャが移動する。
二拍目。
ピアソラとアーネスト。
三拍目。
オーフェリアと范星露。
エクリプスとシルヴィアが続き、最後にハイセ自身が中央の座標へ踏み込む。
壁が動いた。
だが閉じない。
橋が伸びる。
今度は消えない。
「成功!」
ピアソラが声を上げた。
◇
九人はそれぞれ離れた場所にいる。
しかし、全員の進路は一本の巨大な円形回廊へ繋がっていた。
最後の拍に合わせて九人が同時に境界を越えた瞬間、空間全体へ低い音が響く。
それまで絶えず流れていた壁面の文字列が停止した。
そして。
一行だけ。
新しい文字が表示される。
「読める?」
サーシャが尋ねる。
「読めない」
ハイセが即答した。
「台無しだな!」
アーネストが笑いながら、記号の変化を確認する。
「でも意味は何となく分かるよ。恐らく……認証成功、みたいなものじゃないかな」
「迷宮にログインした?」
「その言い方をすると急に安っぽくなるからやめよう」
◇
直後。
第二領域の最奥にあった巨大な壁が、ゆっくり左右へ開いた。
その向こうには、これまでとは比較にならないほど広い空間が待っていた。
天井は見えない。
床の中央には一本の巨大な白い樹が立ち、その枝から無数の透明な果実が垂れ下がっている。その周囲には、石造兵とも結晶獣とも異なる何かが、静かに跪いていた。
数。
十二。
いや。
さらに奥にもいる。
「今度は戦闘みたいだね」
綾斗がセルヴィトラを抜く。
オーフェリアも《赤霞の魔剣(ラクシャ=ナーダ)》へ手をかけた。
范星露は待ってましたとばかりに笑う。
「ようやくか!」
「さっきまで十分戦ってただろ……」
サーシャが呆れる。
◇
ハイセは目の前の敵ではなく、まず仲間を見た。
迷宮は一つの答えを要求していない。
一か所へ集まることさえ、時には間違いになる。
それぞれが違う位置へ立ち、違うことをしながら、それでも一つの目的へ進む。
その構造は、セルヴィトラにも。
ハイセの歌にも。
そして、この九人にもよく似ていた。
「アーネスト」
「何だい?」
「さっきの迷宮、JavaScriptより親切だった」
「さすがにそれは言い過ぎじゃないかな」
「間違えたら、ちゃんと目の前の道が消えて教えてくれた」
アーネストは少し考えた。
「……確かにエラーメッセージとしては優秀だね」
「だよね?」
「お前ら!」
サーシャがついに振り返った。
「戦闘前くらい私にも分かる会話をしろ!!」
九人の笑い声が、第二領域の最奥へ響いた。
その音に反応するように、白い樹の周囲で跪いていた十二体の守護者が、一斉に立ち上がる。
今度は誰も笑わなかった。
ハイセはセルヴィトラを抜き、静かに息を吸う。
「じゃあ――続き、行こうか」
第二領域。
最終試練。
九人の攻略は、まだ終わらない