暗律の戦乙女は盤上を覆すが故、己が未来を選ぶ 作:カミッシー
白い樹の周囲で立ち上がった十二体の守護者は、これまでの石造兵とは明らかに違っていた。
人型に近い細身の身体を持ち、それぞれが剣、槍、斧、弓に似た武器を構えている。さらに単独で襲い掛かるのではなく、前衛と後衛を入れ替えながら互いを補うように動くため、単純な力押しでは崩しにくい。
「今度は向こうも連携してくるみたいだね」
綾斗がセルヴィトラを構えた。
「なら、ちょうどいい」
ハイセも剣を抜く。
「こっちも九人いるから」
戦闘は激しかったが、長くは続かなかった。
アーネストとピアソラの障壁が守護者の攻撃経路を削り、サーシャと綾斗が前衛を崩す。シルヴィアとハイセの歌が全体の呼吸を支え、オーフェリアの《赤霞の魔剣(ラクシャ=ナーダ)》と范星露の圧倒的な突破力が、出来た綻びを一気に広げていった。
最後の一体が崩れた時には、九人の間に細かな指示すらほとんど必要なくなっていた。
◇
「休もう」
ハイセがそう提案すると、珍しく誰からも反対意見は出なかった。
白い樹の根元には敵の気配もなく、ピアソラが周囲を確認した上で安全と判断する。各自が水分を取り始める中、ハイセだけはまだ興奮したようにセルヴィトラを眺めていた。
「綾斗」
「何?」
「さっきの三体目を斬った時の動き、もう一回見たい」
「今?」
「うん」
「休憩じゃなかったの?」
綾斗が苦笑する。
すると、少し離れた場所に座っていたアーネストが笑った。
「本当に剣が好きなんだね」
「好き」
即答だった。
「綾斗の剣は特に好き」
「ありがとう。でも、アーネストの剣も凄いよ。僕より技術そのものは上だと思う」
その一言で、ハイセの顔が変わった。
「……何それ」
「何って?」
「初耳」
ハイセはアーネストを見る。
「二人、戦ったことあるの?」
アーネストと綾斗が顔を見合わせた。
「あるよ」
「《獅鷲星武祭》の決勝でね」
数秒。
ハイセが停止した。
「映像ある?」
「食いつくところ、そこなんだ」
◇
「あると思うよ」
綾斗が答える。
「星武祭なんだから公式映像は残っているはずだし」
「欲しい」
「即答だね」
「欲しい」
「二回言ったね」
サーシャが呆れたように口を挟んだ。
「お前、前にも天霧の戦闘映像を三重にバックアップしてなかったか?」
「してるよ」
「今回も?」
「永久保存する」
「聞くんじゃなかった……」
アーネストが肩を揺らして笑う。
「僕まで保存されるのか。それは少し照れるね」
「アーネストの剣も見たい」
「じゃあ、帰ったら用意しよう」
「やった」
ハイセは明らかに嬉しそうだった。
◇
「どんな試合だったの?」
ハイセが問う。
綾斗は少し考える。
「一言で言うのは難しいかな。アーネストは当時、《白濾の魔剣》を使っていたから」
「レイ=グラムス」
ハイセも名前自体は知っている。
四色の魔剣の一振り。
聖ガラードワースが所有する純星煌式武装。
「触れたくないものをすり抜けて、斬りたいものだけを斬る剣だったね」
「そうだよ」
アーネストは穏やかに答えた。
「便利な剣ではあった。防具だけを無視して、その奥だけを斬るようなことも出来るからね」
ピアソラが興味を示す。
「それほどの武器を、今はお持ちではないのですわね?」
「ああ」
アーネストは自分の腰にあるセルヴィトラを見る。
「もう僕の武器ではないよ」
◇
綾斗が静かに続けた。
「決勝の途中で、アーネストはレイ=グラムスを手放したんだ」
「何で?」
ハイセが尋ねる。
アーネストは少しだけ考えたあと、誤魔化すことなく答えた。
「僕とあの剣は、最後まで同じ方向を向いていたわけではなかったからだよ」
「相性?」
「それもある。でも一番大きいのは、あの剣が使用者へ求めるものかな」
ピアソラが首を傾げる。
「代償ですの?」
「ああ」
純星煌式武装には、使用者へ何らかの代価を要求するものがある。
生命力。
血。
精神。
感覚。
形は武装によって異なる。
しかし《白濾の魔剣》が求めるものは、そのどれとも少し違っていた。
「レイ=グラムスは、持ち主へ高潔さを求める」
アーネストは淡々と言った。
「私心を捨て、正義と秩序の代行者として振る舞うこと。もちろん、人間社会の騎士道と完全に同じというわけではない。あくまで、あの剣自身が認める基準だけれどね」
ピアソラが黙った。
「……少々お待ちくださいませ」
「うん?」
「その剣、生命力を削るとか、身体を傷めるとかではなく……」
「そうだね」
「持ち主に、どう生きるべきかまで要求してきますの?」
「大雑把に言えば」
ピアソラの顔が引きつった。
「それ、武器の代償という範囲を越えていませんこと!?」
◇
サーシャも微妙な顔をする。
「私も今の話を聞く限り、随分面倒な武器だと思うぞ」
「扱い方さえ分かれば、付き合えない相手ではなかったよ」
アーネストは苦笑する。
「僕は比較的、あの剣の要求と自分の行動を両立させるのが上手かったらしい」
「上手かった、で済ませていい話ですの……?」
ピアソラはまだ納得していない。
その隣で、ハイセだけが黙っていた。
「ハイセ君?」
アーネストが見る。
「……俺、それ嫌い」
はっきりした言葉だった。
◇
「レイ=グラムスが?」
「代償があることじゃないよ」
ハイセはセルヴィトラの柄へ手を置いた。
「代償を知って、その上で払うって自分で決めるならいい。それは本人の選択だから」
アーネストは黙って聞いている。
「でも、武器の方から『お前はこう生きろ』って決められるのは嫌い」
それはハイセにとって、単なる武器の好みではなかった。
誰かの人生を誰が決めるのか。
他人が善意で決めるのか。
組織が決めるのか。
力が決めるのか。
それとも、自分自身が決めるのか。
ハイセがこの世界へ来てからずっと向き合ってきた問いだった。
「なるほど」
アーネストは少し笑った。
「君らしい答えだ」
◇
「だから僕は、セルヴィトラを気に入っているのかもしれないね」
アーネストが手元の剣を見る。
「これには意思がない。僕へ聖騎士であれとも、善人であれとも言わない」
「うん」
「守るために使ってもいいし、攻めるための足場にしてもいい。仲間へ障壁を渡すか、自分のために残すかも僕が決める」
アーネストは剣を軽く持ち上げた。
「剣士としてどう戦うかは、僕自身に任せてくれる」
ハイセが嬉しそうに笑う。
「そういう武器にしたかった」
「成功しているよ」
何気ない言葉だったが、ハイセにはかなり嬉しかったらしい。
耳まで少し赤くなっていた。
◇
「それで?」
ハイセはまだ話を終わらせる気がなかった。
「グリプスでは、レイ=グラムスを置いてからどう戦ったの?」
「やっぱりそこへ戻るんだね」
「大事」
綾斗が苦笑しながら説明する。
「そこからのアーネストは、かなり変わったよ」
「というより、本来の僕に戻ったと言った方が近いかな」
アーネストはどこか懐かしそうに目を細める。
「当時の僕は、《聖騎士》として振る舞う自分と、純粋に剣を振るいたい自分をかなり分けていたんだ。綾斗君との試合では、それを抑えるのをやめた」
「強かったよ」
綾斗が素直に言う。
「身体能力だけなら僕に分がある部分もあったけど、剣の技量では完全にアーネストの方が上だった」
ハイセの目がさらに輝いた。
「映像、絶対欲しい」
「分かったから」
◇
「でも勝ったのは綾斗なんだよね?」
「チームが勝った、が正確かな」
綾斗は答えた。
「グリプスは個人戦じゃないから」
アーネストも頷く。
「僕は途中から、少し剣士としての自分を優先しすぎた。綾斗君は最後までチームとして勝つことを捨てなかった。その違いは大きかったよ」
ハイセはその言葉を静かに噛み締めた。
強い剣士が一人いれば勝てるわけではない。
一人で全てを完成させる必要もない。
それは今、自分達がセルヴィトラで実践しているものとよく似ている。
「何年も前から答えあったじゃん」
「何の?」
「一人で完成しなくていいって」
アーネストは一瞬きょとんとしてから、笑った。
「言われてみれば、そうかもしれないね」
◇
「それで《白濾の魔剣》は?」
ピアソラが尋ねる。
「今は別の使用者がいるんだよ」
「エリオットだね」
綾斗が答えた。
「エリオット・フォースター君。僕の後にレイ=グラムスへ認められた剣士だ」
アーネストの声に未練はなかった。
「僕より、今のあの剣に相応しい。だからそれでいい」
ハイセは少しだけアーネストを見る。
「返してほしいとか思わない?」
「思わないよ」
「即答」
「一度手放したものを、今の自分に必要だからという理由もなく取り戻しても仕方ないだろう?」
アーネストはセルヴィトラを軽く叩いた。
「今は新しい剣もあるしね」
◇
その流れで、話題は星武祭当時の六学園へ移っていった。
星導館。
ガラードワース。
クインヴェール。
界龍。
アルルカント。
そして。
レヴォルフ。
「そういえば」
アーネストがハイセを見る。
「だから僕は、【悪辣の王(タイラント)】とツーカーの仲になっているハイセ君には、少し嫉妬していたんだ」
ハイセが瞬く。
「ディルクと?」
「ああ」
「毛嫌いしてたんじゃ?」
「それは政治上の話だね」
アーネストは肩を竦めた。
「彼のやり方に賛同出来ないことはいくらでもある。ガラードワースの生徒会長としてなら、警戒して当然の相手だった」
「うん」
「でも、取引相手としてだけ見れば、驚くほど分かりやすいんだよ」
◇
ハイセはその意味をすぐに理解した。
「欲しいものを欲しいって言う」
「そう」
「条件を出す」
「そう」
「金額も言う」
「そう」
「じゃあ楽じゃん」
「それだよ」
アーネストが苦笑した。
「僕は彼と話すたびに、発言の裏を読んで、政治的な意図を考えて、そのさらに先まで警戒していた。それなのに君は、『いくら?』『条件は?』『分かった』で取引を成立させるだろう?」
「取引だから」
「君、本当にそこは割り切りがいいよね」
ハイセにとって、相手が善人か悪人かと、取引条件が妥当かどうかは別問題だった。
ディルクが利益を求めるなら、その利益を明示してもらえばいい。
ハイセも自分が欲しいものを提示する。
条件が合わなければ断る。
合えば成立。
それだけだった。
◇
「ディルク、話早いよ」
「それを僕も昔から出来ていれば、もう少し胃に優しい学生生活だったかもしれない」
アーネストが遠い目をした。
その瞬間。
「アーネスト」
ピアソラが真顔になった。
「何だい?」
「そろそろ胃薬を卒業しませんと、本当にヤバいですわよ?!」
「努力はしているよ」
「机に胃薬と整腸剤とサプリメントを常備している方の台詞ではありませんわ!」
ハイセが首を傾げる。
「セルヴィトラに胃腸保護機能いる?」
「いらない」
即答だった。
「早い」
「武器で解決しようとしないでくれ」
「じゃあデミルークスに薬箱――」
「付けなくていい」
「まだ最後まで言ってない」
「言わなくても分かるよ」
◇
「そもそも、お前はこれからもっと胃薬が必要になるんじゃないか?」
サーシャが何気なく言った。
アーネストが見る。
「どうしてだい?」
「生徒会長なんだろう? これからも問題児の面倒を見ることになる」
アーネストはサーシャを見た。
サーシャもアーネストを見る。
数秒。
沈黙。
「……サーシャ君」
「何だ?」
「君、ガラードワースへの転入を検討していたよね?」
「そうだが」
「そうだったね」
アーネストの笑顔が、少しだけ引きつった。
ピアソラが静かに顔を覆う。
「卒業どころか、服用期間延長ですわ……」
「何で私を見て言う!?」
◇
「だってサーシャ、入学前からSNSで問題起こしたし」
ハイセが言う。
「蒸し返すな!」
「リアルタイムお子様見守り機能アプリもあるから大丈夫」
「だからその名前を変えろ!」
アーネストはこめかみを押さえた。
「まだ転入前なのに、既に指導履歴があるというのは新記録かもしれないね」
「記録するな!」
「生徒会として記録は必要だよ」
「正論で殴るな!!」
綾斗が笑いを堪えきれなくなった。
シルヴィアも肩を震わせ、エクリプスまで口元へ手を当てている。
「笑うなぁぁぁ!!」
サーシャの声が、第二領域へ響き渡った。
◇
ひとしきり騒いだあと、アーネストは自分のセルヴィトラを見下ろした。
かつて手にしていたのは、自分へ在り方を要求する白い魔剣だった。
今、手にしているのは何も要求しない剣だ。
守りたいなら守ればいい。
攻めたいなら攻めればいい。
仲間へ手を伸ばしたいなら、自分でそう決めればいい。
その自由さを、昔の自分ならどう感じただろう。
「ハイセ君」
「何?」
「この剣を作ってくれて、ありがとう」
唐突な言葉に、ハイセは少し目を丸くした。
「どういたしまして」
それだけ答えて、少し笑う。
アーネストも笑った。
◇
「ところで綾斗」
「うん?」
「グリプス決勝の映像」
「ああ」
「忘れないでね」
「忘れないよ」
「出来れば高画質」
「注文が細かくなってるね」
「あとアーネスト側のカメラも」
「公式にあればね」
「剣筋見たいからスロー再生出来るやつ」
サーシャが額を押さえる。
「まだ続いてたのか、その話……」
「大事だから」
ハイセは真剣だった。
アーネストが楽しそうに笑う。
「今度、映像を見るだけじゃなくて実際に剣を合わせてみるかい?」
ハイセの動きが止まった。
「いいの?」
「もちろん」
「絶対?」
「ああ」
「約束ね」
「約束しよう」
ハイセの顔が一気に明るくなった。
「……こいつ、今日一番嬉しそうだな」
サーシャが呆れたように呟く。
綾斗は少し笑った。
「ハイセらしいと思うよ」
◇
休憩を終え、九人は再び立ち上がった。
過去の剣。
今の剣。
誰かに選ばれた力。
自分で選んだ力。
どちらにも意味はある。
だが、その力をどう使うのか。
いつ手放すのか。
次に何を選ぶのか。
最後に決めるのは、武器ではない。
ハイセはセルヴィトラを腰へ戻し、白い樹の奥へ続く通路を見た。
「行こう」
「今度はどんな試練だろうね」
アーネストが隣へ並ぶ。
その後ろでは、サーシャが何やらピアソラに不満を訴えていた。
「私は別に問題児じゃない!」
「SNSの件がありますわ」
「あれは事故だ!」
「入学前から一件」
「数えるな!」
アーネストは遠くを見た。
「……胃薬、追加しておこうかな」
ハイセが即座に答える。
「業務用?」
「そこまで必要にならないことを祈っているよ」
その願いが叶う可能性について。
誰も。
肯定はしなかった。