暗律の戦乙女は盤上を覆すが故、己が未来を選ぶ   作:カミッシー

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第83話 未来と永遠を捧ぐ

 

 

 黒い門を越えた先には、これまでの《神の箱庭》とは少し違う空間が広がっていた。

 

 敵の気配も、複雑な迷宮機構もない。円形の広間を取り囲むように白い柱が並び、その中央には穏やかな水を湛えた泉がある。先へ続く門は閉ざされていたが、周囲を調べた限りでは今すぐ何かを要求される様子もなく、九人は久しぶりにまとまった休息を取ることになった。

 

 ハイセは泉の縁へ腰掛け、セルヴィトラを傍らへ置いていた。

 

 少し離れた場所では、綾斗とアーネストが先ほどの戦闘について話している。范星露は暇そうに辺りを歩き回り、ピアソラは全員の状態を確認し、シルヴィアは水面へ映る光を眺めていた。

 

 その中で、エクリプスだけがしばらくハイセを見ていた。

 

「ハイセ」

 

「何?」

 

「少し、聞いてもいい?」

 

 ハイセは首を傾げる。

 

「いいよ」

 

 

 エクリプスはハイセの隣へ腰掛けた。

 

「あなたのこと」

 

「俺?」

 

「ええ」

 

 彼女は少しだけ言葉を選ぶ。

 

「私はあなたに結婚を申し込んだ。でも、考えてみれば私は今のあなたしか知らない」

 

 ハイセは黙って聞いていた。

 

「《ダークストーカー》だった頃のあなたも、セイクリッドにいた頃のあなたも、私は記録でしか知らない。だから、あなた自身から聞きたいの」

 

「何を?」

 

「どうして、今のあなたになったのか」

 

 その言葉に、近くにいたサーシャの表情が僅かに変わった。

 

 

「まず」

 

 エクリプスはサーシャを見る。

 

「サーシャとは、どういう関係だったの?」

 

「私から聞くのか?」

 

「重要そうだから」

 

 ハイセは少し考えた。

 

「昔は、すごく大事だったよ」

 

 サーシャが目を伏せる。

 

「昔は、か」

 

「今も嫌いじゃない」

 

「フォローになってるのか、それは?」

 

「でも、昔みたいに俺の人生の中心にいるわけじゃない」

 

 ハイセは淡々と言った。

 

 怒っているわけでもない。

 

 責めているわけでもない。

 

 ただ、今の事実を言っているだけだった。

 

「それは、追放されたから?」

 

 エクリプスが尋ねる。

 

「それだけじゃないよ」

 

 

 ハイセは泉の水面を見る。

 

「追放された時、一番嫌だったのは捨てられたことじゃなかった」

 

 サーシャが顔を上げる。

 

「俺のためだって言われて、俺がいないところで俺の人生を決められたこと」

 

 誰と一緒にいるのか。

 

 どこへ行くのか。

 

 何を諦めるのか。

 

 その全てを。

 

 本人不在のまま決められた。

 

「弱かったから?」

 

 エクリプスが静かに聞く。

 

「そう思ってた」

 

 ハイセは答える。

 

「だから、追放された後は強くなろうとした」

 

 

 《ダークストーカー》。

 

 当時のハイセが選んだ生き方は単純だった。

 

 二度と捨てられないようにする。

 

 二度と誰にも自分の価値を決めさせない。

 

 そのためには。

 

「一人で何でも出来ればいいと思ってた」

 

 ハイセは言った。

 

「誰より強くなって、誰にも頼らなくて、一人でも全部出来れば、もう追放される理由なんてなくなるって」

 

 サーシャは何も言わなかった。

 

 それを否定出来ないことを知っていた。

 

「だから《武器マスター》は、当時の俺にとって理想の能力だった」

 

「全ての武器を使えるから?」

 

「うん。一人で出来ることを増やせるから」

 

 それは奇妙なほど、初期の強化型煌式武装に似ていた。

 

 一人の中へ、多くの役割を詰め込む。

 

 誰かがいなくても困らないように。

 

 

「では、どうしてアスタリスクへ?」

 

 エクリプスが尋ねる。

 

「来ようと思って来たわけじゃないよ」

 

「事故?」

 

「そんな感じ」

 

 異世界転移そのものは、ハイセが計画したものではない。

 

 気付いた時には、まったく異なる法則を持つ世界へ流れ着いていた。

 

「最初は帰る方法だけ探そうと思ってた」

 

「でも残った」

 

「うん」

 

「カミラ・パレート?」

 

 ハイセは迷わず頷いた。

 

 

「カミラが言ったんだ」

 

 武器は汎用性にこそ存在意義がある。

 

 誰もが手に取ることが出来て。

 

 誰もが強くなれて。

 

 誰もが成長出来る武器。

 

 それこそが、自分の求める究極の汎用性なのだと。

 

「最初に聞いた時」

 

 ハイセは小さく笑った。

 

「意味分からなかった」

 

「そうなの?」

 

「だって俺の世界では、弱いなら強くなれって言われるから」

 

 努力する。

 

 鍛える。

 

 才能がなければもっと努力する。

 

 それ自体は間違っていない。

 

 だが。

 

 誰も。

 

 その先を疑わなかった。

 

「弱い奴が捨てられるなら」

 

 ハイセは続ける。

 

「弱い奴でも強くなれる道具を作ればいいって言った人は、初めてだった」

 

 

 サーシャが静かに息を呑んだ。

 

「……それで、カミラを?」

 

「崇拝してる」

 

「即答するのか」

 

「するよ」

 

 エクリプスが少し不思議そうに笑う。

 

「でも、あなたってカミラ・パレートの言うことを全部聞くわけではないでしょう?」

 

「うん」

 

「崇拝しているのに?」

 

「カミラ本人に服従してるわけじゃないから」

 

 ハイセは当然のように答えた。

 

「俺が崇拝してるのは、カミラが見せてくれた思想」

 

 もし本人がここにいたなら。

 

 間違いなく。

 

 面倒そうな顔をしただろう。

 

 

「アルルカントでは、何をしていたの?」

 

 エクリプスの問いに、ハイセは少し困った顔をした。

 

「いっぱい」

 

「それでは分からないわ」

 

「最初は、俺が強くなるための武器を作ってた」

 

 エルネスタ。

 

 カミラ。

 

 ヒルダ。

 

 そして、必要に応じてディルク。

 

 様々な人間を巻き込みながら、ハイセの研究は膨らんでいった。

 

「途中から、俺以外も強くなれる武器を作りたくなった」

 

 《青鳴の魔剣》。

 

 Yami_Q_ray。

 

 強化型煌式武装。

 

 安全機構。

 

 個人適応。

 

「最後は」

 

 ハイセは一度言葉を切る。

 

「俺がいなくても残るものを作りたくなった」

 

 エクリプスの目が細くなる。

 

「【雛形】?」

 

「そこが始まり」

 

 

 《武器マスター》を【雛形】へ渡した。

 

 技術的には、それが正しい。

 

 力の核を託し、武器の原理を学ばせ、再構成出来る形へ変換した。

 

 しかし。

 

「俺、今になって思うんだ」

 

「何を?」

 

「本当に欲しかったもの」

 

 ハイセは自分の手を見る。

 

 そこにはもう、《武器マスター》はない。

 

「昔は自分が強くなりたかった」

 

「今は?」

 

「違う」

 

 その返事は、驚くほど早かった。

 

 

「俺が本当に欲しかったのは」

 

 ハイセは静かに言った。

 

「二度と、こんな悲劇を繰り返さない未来だった」

 

 サーシャの表情が揺れる。

 

「俺だけ強くなっても意味ないんだよ」

 

「……何故?」

 

 エクリプスが尋ねる。

 

「俺が世界最強になっても、次に弱い奴がいたら、その人が捨てられるから」

 

 ハイセだけが救われても。

 

 仕組みは残る。

 

 弱いことを理由に。

 

 役に立たないことを理由に。

 

 誰かがまた。

 

 居場所を失う。

 

「だったら」

 

 ハイセは言う。

 

「俺が強くなることより、弱くても選択肢がある未来を作る方がいい」

 

 

「だから《武器マスター》を手放したの?」

 

 エクリプスが尋ねる。

 

「うん」

 

「【雛形】へ?」

 

 ハイセは少し考えてから、首を横へ振った。

 

「渡した相手は【雛形】」

 

「……?」

 

「でも」

 

 ハイセは少し笑う。

 

「捧げた相手は、カミラだよ」

 

 その場にいた者達が、黙った。

 

「正確には」

 

 ハイセは続ける。

 

「カミラが見せてくれた未来に」

 

 

 《武器マスター》は。

 

 本来。

 

 ハイセ一人に宿る力だった。

 

 あらゆる武器へ適応し。

 

 使いこなし。

 

 自分のものにする。

 

 だが。

 

「俺一人が全部の武器を使えても、俺が死んだら終わりじゃん」

 

 ハイセは言う。

 

「だから、世界の法則に溶かしたかった」

 

「法則に?」

 

「誰か一人の能力じゃなくて、誰かが学んで、改良して、また次へ渡せるものにしたかった」

 

 【雛形】が学ぶ。

 

 そして。

 

 【王冠】へ。

 

 中央に誰か一人を置かなくても。

 

 使用者。

 

 武器。

 

 メーカー。

 

 それぞれが。

 

 自分で成長していける仕組みへ。

 

「俺がいなくなっても残る」

 

 ハイセは言った。

 

「それが欲しかった」

 

 

 エクリプスは静かにハイセを見る。

 

「永遠?」

 

「うん」

 

 ハイセは少し笑う。

 

「俺が永遠に残りたいんじゃないよ」

 

 自分の名前でもない。

 

 自分の伝説でもない。

 

 自分の力でもない。

 

「選択肢が残ってほしい」

 

 誰かが弱かった時。

 

 誰かが追放されそうになった時。

 

 その人に。

 

 別の道を選ぶ余地が残る。

 

「未来と永遠」

 

 ハイセは小さく呟いた。

 

 

 そして。

 

 ゆっくり立ち上がった。

 

 水面へ揺れていた光が、ハイセの長い髪へ淡く反射する。

 

「誕生の時きたれり、其は全てを修めるもの」

 

 シルヴィアが顔を上げる。

 

「戴冠の時きたれり、其は全てを始めるもの」

 

 綾斗も。

 

 アーネストも。

 

 黙って聞いていた。

 

「そして――」

 

 ハイセは自分の胸へ手を当てる。

 

「訣別の時きたれり、其は世界を手放すもの」

 

 誰も言葉を挟まなかった。

 

 

「主よ。貴方から頂いたこの叡智、全てお返し致します」

 

 《武器マスター》。

 

 それはかつて。

 

 ハイセの翼だった。

 

「人の身に【武器マスター(ウェポンマスター)】など、あまりに過ぎた力だった」

 

 全てを使える必要などない。

 

 一人で全てを担う必要もない。

 

「人は、人の範囲で未来を切り開く」

 

 ハイセは静かに笑う。

 

「これは新たに刻まれし、全く新しい時代の扉を開く航海図」

 

 一拍。

 

「【真・人理補正式】」

 

 

「神の叡智を、人が扱える形へ」

 

 ハイセの声は穏やかだった。

 

「誰か一人の奇跡じゃなくて、学んで、失敗して、改良して、次の人へ渡せるものへ」

 

 《武器マスター》から【雛形】へ。

 

 【雛形】から【王冠】へ。

 

 そして。

 

 王冠さえも。

 

 誰か一人が握り続けるものではない。

 

「それが」

 

 ハイセは言う。

 

「ハイセという」

 

 少しだけ。

 

 悪戯っぽく。

 

 それでも誇らしそうに。

 

「翼を自ら捧げた堕天使の結末だよ」

 

 

「…………」

 

 沈黙。

 

 長い。

 

 誰も。

 

 すぐには言葉を出せなかった。

 

 最初に反応したのは。

 

「闇の聖女……爆誕ですわ」

 

 ピアソラだった。

 

「ピアソラ?!」

 

 サーシャの声が裏返った。

 

 ハイセも瞬く。

 

「聖女?」

 

「堕天使を名乗っておいて、やっていることが『人類へ技術を残して弱者を救う』ですもの」

 

 ピアソラは真顔だった。

 

「どう考えても闇の聖女ですわ」

 

「やめて」

 

「似合ってるよ♪」

 

 シルヴィアが楽しそうに追撃した。

 

「リューネハイムまで!?」

 

 

 アーネストは口元を押さえて笑っていた。

 

「本人が堕天使を名乗っているのに、周りから聖女扱いされるのは面白いね」

 

「笑わないで」

 

「でもハイセ君らしいと思うよ」

 

 綾斗も微笑む。

 

 サーシャだけが額を押さえていた。

 

「さっきまで良い話だったのに……」

 

「俺のせい?」

 

「半分はピアソラだ!」

 

「失礼ですわね!」

 

 重かった空気が、少しだけ軽くなった。

 

 

 しかし。

 

 エクリプスだけは。

 

 まだハイセを見ていた。

 

「……あなたを手に入れようとしたら」

 

 静かな声。

 

「私は、あなたが一番嫌うものになるのね」

 

 ハイセは少し目を見開いた。

 

「そういう意味で言ったんじゃないよ」

 

「分かってる」

 

 エクリプスは笑う。

 

「結婚したくないと言われたわけではないもの」

 

「うん」

 

「あなた自身が、選ぶまで待てということでしょう?」

 

 ハイセは頷いた。

 

「そう」

 

 それだけだった。

 

 

「私が好きなのは」

 

 エクリプスは続ける。

 

「《ダークストーカー》ではない」

 

「うん」

 

「《武器マスター》でもない」

 

「うん」

 

「Yami_Q_rayという肩書でもない」

 

 ハイセは少しだけ笑った。

 

「じゃあ誰?」

 

「ハイセ」

 

 即答。

 

 その言葉に。

 

 ハイセは少し驚いたあと。

 

「そっか」

 

 穏やかに笑った。

 

 

 少し離れた場所で、サーシャはそのやり取りを聞いていた。

 

 昔なら。

 

 割り込んでいたかもしれない。

 

 止めようとしたかもしれない。

 

 ハイセのためだと。

 

 自分が正しいと信じて。

 

 でも。

 

「ハイセ」

 

「何?」

 

「昔の私なら」

 

 サーシャは言う。

 

「お前が《武器マスター》を手放すと言った時、たぶん止めていた」

 

 ハイセは黙って聞く。

 

「危険だとか、勿体ないとか、もっと考えろとか。お前が決めたことなのに、私の答えを押し付けていたと思う」

 

 少し。

 

 苦い笑み。

 

「でも今は止めない」

 

 

 サーシャはハイセを見る。

 

「お前が選んだ未来なら」

 

 一度だけ息を吸う。

 

「最後まで見届ける」

 

 ハイセは少しだけ驚いた。

 

 そして。

 

「うん」

 

 それ以上は言わなかった。

 

 必要なかった。

 

 

「でも」

 

 エクリプスが再び口を開く。

 

「少し不思議ね」

 

「何が?」

 

「空を飛べる翼を、自分から捨てたのでしょう?」

 

「うん」

 

「後悔していないの?」

 

 ハイセはセルヴィトラを手に取った。

 

「全然」

 

「どうして?」

 

 ハイセは仲間を見る。

 

 綾斗。

 

 アーネスト。

 

 シルヴィア。

 

 オーフェリア。

 

 范星露。

 

 ピアソラ。

 

 サーシャ。

 

 そしてエクリプス。

 

「空を飛ぶ翼はなくなったけど」

 

 セルヴィトラの柄を握る。

 

「一緒に歩く人が増えたから」

 

 

 エクリプスはしばらく何も言わなかった。

 

 そして。

 

 小さく笑った。

 

「……ようやく少し、あなたが分かった気がする」

 

「少し?」

 

「まだ少し」

 

「結構喋ったよ?」

 

「だからこそ」

 

 エクリプスは立ち上がる。

 

「続きを知りたいの」

 

 ハイセも立ち上がった。

 

「じゃあ、迷宮出るまでいっぱい話す?」

 

「ええ」

 

「HTMLの話も?」

 

「それは別にいいわ」

 

「何で?」

 

 アーネストが思わず笑った。

 

 

 その時。

 

 閉ざされていた次の門へ光が走った。

 

 泉の水面が揺れ、中央から一本の光が伸びていく。

 

 門。

 

 開く。

 

 その向こうには。

 

 まだ見えない。

 

 新しい道がある。

 

 ハイセはセルヴィトラを腰へ戻した。

 

 《武器マスター》はもうない。

 

 青鳴の魔剣も。

 

 今は持っていない。

 

 それでも。

 

 怖くはなかった。

 

 一人で。

 

 全部を持つ必要はない。

 

 翼を失ったのではない。

 

 翼を。

 

 未来へ渡した。

 

「行こう」

 

 ハイセの声に。

 

 九人が歩き出す。

 

 誕生。

 

 戴冠。

 

 そして。

 

 訣別。

 

 世界を手放したその先に。

 

 人が。

 

 自分の足で歩く時代がある。

 

 その航海図は。

 

 もう。

 

 一人の胸の中だけにはない。

 

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