暗律の戦乙女は盤上を覆すが故、己が未来を選ぶ 作:カミッシー
黒い門を越えた先には、これまでの《神の箱庭》とは少し違う空間が広がっていた。
敵の気配も、複雑な迷宮機構もない。円形の広間を取り囲むように白い柱が並び、その中央には穏やかな水を湛えた泉がある。先へ続く門は閉ざされていたが、周囲を調べた限りでは今すぐ何かを要求される様子もなく、九人は久しぶりにまとまった休息を取ることになった。
ハイセは泉の縁へ腰掛け、セルヴィトラを傍らへ置いていた。
少し離れた場所では、綾斗とアーネストが先ほどの戦闘について話している。范星露は暇そうに辺りを歩き回り、ピアソラは全員の状態を確認し、シルヴィアは水面へ映る光を眺めていた。
その中で、エクリプスだけがしばらくハイセを見ていた。
「ハイセ」
「何?」
「少し、聞いてもいい?」
ハイセは首を傾げる。
「いいよ」
◇
エクリプスはハイセの隣へ腰掛けた。
「あなたのこと」
「俺?」
「ええ」
彼女は少しだけ言葉を選ぶ。
「私はあなたに結婚を申し込んだ。でも、考えてみれば私は今のあなたしか知らない」
ハイセは黙って聞いていた。
「《ダークストーカー》だった頃のあなたも、セイクリッドにいた頃のあなたも、私は記録でしか知らない。だから、あなた自身から聞きたいの」
「何を?」
「どうして、今のあなたになったのか」
その言葉に、近くにいたサーシャの表情が僅かに変わった。
◇
「まず」
エクリプスはサーシャを見る。
「サーシャとは、どういう関係だったの?」
「私から聞くのか?」
「重要そうだから」
ハイセは少し考えた。
「昔は、すごく大事だったよ」
サーシャが目を伏せる。
「昔は、か」
「今も嫌いじゃない」
「フォローになってるのか、それは?」
「でも、昔みたいに俺の人生の中心にいるわけじゃない」
ハイセは淡々と言った。
怒っているわけでもない。
責めているわけでもない。
ただ、今の事実を言っているだけだった。
「それは、追放されたから?」
エクリプスが尋ねる。
「それだけじゃないよ」
◇
ハイセは泉の水面を見る。
「追放された時、一番嫌だったのは捨てられたことじゃなかった」
サーシャが顔を上げる。
「俺のためだって言われて、俺がいないところで俺の人生を決められたこと」
誰と一緒にいるのか。
どこへ行くのか。
何を諦めるのか。
その全てを。
本人不在のまま決められた。
「弱かったから?」
エクリプスが静かに聞く。
「そう思ってた」
ハイセは答える。
「だから、追放された後は強くなろうとした」
◇
《ダークストーカー》。
当時のハイセが選んだ生き方は単純だった。
二度と捨てられないようにする。
二度と誰にも自分の価値を決めさせない。
そのためには。
「一人で何でも出来ればいいと思ってた」
ハイセは言った。
「誰より強くなって、誰にも頼らなくて、一人でも全部出来れば、もう追放される理由なんてなくなるって」
サーシャは何も言わなかった。
それを否定出来ないことを知っていた。
「だから《武器マスター》は、当時の俺にとって理想の能力だった」
「全ての武器を使えるから?」
「うん。一人で出来ることを増やせるから」
それは奇妙なほど、初期の強化型煌式武装に似ていた。
一人の中へ、多くの役割を詰め込む。
誰かがいなくても困らないように。
◇
「では、どうしてアスタリスクへ?」
エクリプスが尋ねる。
「来ようと思って来たわけじゃないよ」
「事故?」
「そんな感じ」
異世界転移そのものは、ハイセが計画したものではない。
気付いた時には、まったく異なる法則を持つ世界へ流れ着いていた。
「最初は帰る方法だけ探そうと思ってた」
「でも残った」
「うん」
「カミラ・パレート?」
ハイセは迷わず頷いた。
◇
「カミラが言ったんだ」
武器は汎用性にこそ存在意義がある。
誰もが手に取ることが出来て。
誰もが強くなれて。
誰もが成長出来る武器。
それこそが、自分の求める究極の汎用性なのだと。
「最初に聞いた時」
ハイセは小さく笑った。
「意味分からなかった」
「そうなの?」
「だって俺の世界では、弱いなら強くなれって言われるから」
努力する。
鍛える。
才能がなければもっと努力する。
それ自体は間違っていない。
だが。
誰も。
その先を疑わなかった。
「弱い奴が捨てられるなら」
ハイセは続ける。
「弱い奴でも強くなれる道具を作ればいいって言った人は、初めてだった」
◇
サーシャが静かに息を呑んだ。
「……それで、カミラを?」
「崇拝してる」
「即答するのか」
「するよ」
エクリプスが少し不思議そうに笑う。
「でも、あなたってカミラ・パレートの言うことを全部聞くわけではないでしょう?」
「うん」
「崇拝しているのに?」
「カミラ本人に服従してるわけじゃないから」
ハイセは当然のように答えた。
「俺が崇拝してるのは、カミラが見せてくれた思想」
もし本人がここにいたなら。
間違いなく。
面倒そうな顔をしただろう。
◇
「アルルカントでは、何をしていたの?」
エクリプスの問いに、ハイセは少し困った顔をした。
「いっぱい」
「それでは分からないわ」
「最初は、俺が強くなるための武器を作ってた」
エルネスタ。
カミラ。
ヒルダ。
そして、必要に応じてディルク。
様々な人間を巻き込みながら、ハイセの研究は膨らんでいった。
「途中から、俺以外も強くなれる武器を作りたくなった」
《青鳴の魔剣》。
Yami_Q_ray。
強化型煌式武装。
安全機構。
個人適応。
「最後は」
ハイセは一度言葉を切る。
「俺がいなくても残るものを作りたくなった」
エクリプスの目が細くなる。
「【雛形】?」
「そこが始まり」
◇
《武器マスター》を【雛形】へ渡した。
技術的には、それが正しい。
力の核を託し、武器の原理を学ばせ、再構成出来る形へ変換した。
しかし。
「俺、今になって思うんだ」
「何を?」
「本当に欲しかったもの」
ハイセは自分の手を見る。
そこにはもう、《武器マスター》はない。
「昔は自分が強くなりたかった」
「今は?」
「違う」
その返事は、驚くほど早かった。
◇
「俺が本当に欲しかったのは」
ハイセは静かに言った。
「二度と、こんな悲劇を繰り返さない未来だった」
サーシャの表情が揺れる。
「俺だけ強くなっても意味ないんだよ」
「……何故?」
エクリプスが尋ねる。
「俺が世界最強になっても、次に弱い奴がいたら、その人が捨てられるから」
ハイセだけが救われても。
仕組みは残る。
弱いことを理由に。
役に立たないことを理由に。
誰かがまた。
居場所を失う。
「だったら」
ハイセは言う。
「俺が強くなることより、弱くても選択肢がある未来を作る方がいい」
◇
「だから《武器マスター》を手放したの?」
エクリプスが尋ねる。
「うん」
「【雛形】へ?」
ハイセは少し考えてから、首を横へ振った。
「渡した相手は【雛形】」
「……?」
「でも」
ハイセは少し笑う。
「捧げた相手は、カミラだよ」
その場にいた者達が、黙った。
「正確には」
ハイセは続ける。
「カミラが見せてくれた未来に」
◇
《武器マスター》は。
本来。
ハイセ一人に宿る力だった。
あらゆる武器へ適応し。
使いこなし。
自分のものにする。
だが。
「俺一人が全部の武器を使えても、俺が死んだら終わりじゃん」
ハイセは言う。
「だから、世界の法則に溶かしたかった」
「法則に?」
「誰か一人の能力じゃなくて、誰かが学んで、改良して、また次へ渡せるものにしたかった」
【雛形】が学ぶ。
そして。
【王冠】へ。
中央に誰か一人を置かなくても。
使用者。
武器。
メーカー。
それぞれが。
自分で成長していける仕組みへ。
「俺がいなくなっても残る」
ハイセは言った。
「それが欲しかった」
◇
エクリプスは静かにハイセを見る。
「永遠?」
「うん」
ハイセは少し笑う。
「俺が永遠に残りたいんじゃないよ」
自分の名前でもない。
自分の伝説でもない。
自分の力でもない。
「選択肢が残ってほしい」
誰かが弱かった時。
誰かが追放されそうになった時。
その人に。
別の道を選ぶ余地が残る。
「未来と永遠」
ハイセは小さく呟いた。
◇
そして。
ゆっくり立ち上がった。
水面へ揺れていた光が、ハイセの長い髪へ淡く反射する。
「誕生の時きたれり、其は全てを修めるもの」
シルヴィアが顔を上げる。
「戴冠の時きたれり、其は全てを始めるもの」
綾斗も。
アーネストも。
黙って聞いていた。
「そして――」
ハイセは自分の胸へ手を当てる。
「訣別の時きたれり、其は世界を手放すもの」
誰も言葉を挟まなかった。
◇
「主よ。貴方から頂いたこの叡智、全てお返し致します」
《武器マスター》。
それはかつて。
ハイセの翼だった。
「人の身に【武器マスター(ウェポンマスター)】など、あまりに過ぎた力だった」
全てを使える必要などない。
一人で全てを担う必要もない。
「人は、人の範囲で未来を切り開く」
ハイセは静かに笑う。
「これは新たに刻まれし、全く新しい時代の扉を開く航海図」
一拍。
「【真・人理補正式】」
◇
「神の叡智を、人が扱える形へ」
ハイセの声は穏やかだった。
「誰か一人の奇跡じゃなくて、学んで、失敗して、改良して、次の人へ渡せるものへ」
《武器マスター》から【雛形】へ。
【雛形】から【王冠】へ。
そして。
王冠さえも。
誰か一人が握り続けるものではない。
「それが」
ハイセは言う。
「ハイセという」
少しだけ。
悪戯っぽく。
それでも誇らしそうに。
「翼を自ら捧げた堕天使の結末だよ」
◇
「…………」
沈黙。
長い。
誰も。
すぐには言葉を出せなかった。
最初に反応したのは。
「闇の聖女……爆誕ですわ」
ピアソラだった。
「ピアソラ?!」
サーシャの声が裏返った。
ハイセも瞬く。
「聖女?」
「堕天使を名乗っておいて、やっていることが『人類へ技術を残して弱者を救う』ですもの」
ピアソラは真顔だった。
「どう考えても闇の聖女ですわ」
「やめて」
「似合ってるよ♪」
シルヴィアが楽しそうに追撃した。
「リューネハイムまで!?」
◇
アーネストは口元を押さえて笑っていた。
「本人が堕天使を名乗っているのに、周りから聖女扱いされるのは面白いね」
「笑わないで」
「でもハイセ君らしいと思うよ」
綾斗も微笑む。
サーシャだけが額を押さえていた。
「さっきまで良い話だったのに……」
「俺のせい?」
「半分はピアソラだ!」
「失礼ですわね!」
重かった空気が、少しだけ軽くなった。
◇
しかし。
エクリプスだけは。
まだハイセを見ていた。
「……あなたを手に入れようとしたら」
静かな声。
「私は、あなたが一番嫌うものになるのね」
ハイセは少し目を見開いた。
「そういう意味で言ったんじゃないよ」
「分かってる」
エクリプスは笑う。
「結婚したくないと言われたわけではないもの」
「うん」
「あなた自身が、選ぶまで待てということでしょう?」
ハイセは頷いた。
「そう」
それだけだった。
◇
「私が好きなのは」
エクリプスは続ける。
「《ダークストーカー》ではない」
「うん」
「《武器マスター》でもない」
「うん」
「Yami_Q_rayという肩書でもない」
ハイセは少しだけ笑った。
「じゃあ誰?」
「ハイセ」
即答。
その言葉に。
ハイセは少し驚いたあと。
「そっか」
穏やかに笑った。
◇
少し離れた場所で、サーシャはそのやり取りを聞いていた。
昔なら。
割り込んでいたかもしれない。
止めようとしたかもしれない。
ハイセのためだと。
自分が正しいと信じて。
でも。
「ハイセ」
「何?」
「昔の私なら」
サーシャは言う。
「お前が《武器マスター》を手放すと言った時、たぶん止めていた」
ハイセは黙って聞く。
「危険だとか、勿体ないとか、もっと考えろとか。お前が決めたことなのに、私の答えを押し付けていたと思う」
少し。
苦い笑み。
「でも今は止めない」
◇
サーシャはハイセを見る。
「お前が選んだ未来なら」
一度だけ息を吸う。
「最後まで見届ける」
ハイセは少しだけ驚いた。
そして。
「うん」
それ以上は言わなかった。
必要なかった。
◇
「でも」
エクリプスが再び口を開く。
「少し不思議ね」
「何が?」
「空を飛べる翼を、自分から捨てたのでしょう?」
「うん」
「後悔していないの?」
ハイセはセルヴィトラを手に取った。
「全然」
「どうして?」
ハイセは仲間を見る。
綾斗。
アーネスト。
シルヴィア。
オーフェリア。
范星露。
ピアソラ。
サーシャ。
そしてエクリプス。
「空を飛ぶ翼はなくなったけど」
セルヴィトラの柄を握る。
「一緒に歩く人が増えたから」
◇
エクリプスはしばらく何も言わなかった。
そして。
小さく笑った。
「……ようやく少し、あなたが分かった気がする」
「少し?」
「まだ少し」
「結構喋ったよ?」
「だからこそ」
エクリプスは立ち上がる。
「続きを知りたいの」
ハイセも立ち上がった。
「じゃあ、迷宮出るまでいっぱい話す?」
「ええ」
「HTMLの話も?」
「それは別にいいわ」
「何で?」
アーネストが思わず笑った。
◇
その時。
閉ざされていた次の門へ光が走った。
泉の水面が揺れ、中央から一本の光が伸びていく。
門。
開く。
その向こうには。
まだ見えない。
新しい道がある。
ハイセはセルヴィトラを腰へ戻した。
《武器マスター》はもうない。
青鳴の魔剣も。
今は持っていない。
それでも。
怖くはなかった。
一人で。
全部を持つ必要はない。
翼を失ったのではない。
翼を。
未来へ渡した。
「行こう」
ハイセの声に。
九人が歩き出す。
誕生。
戴冠。
そして。
訣別。
世界を手放したその先に。
人が。
自分の足で歩く時代がある。
その航海図は。
もう。
一人の胸の中だけにはない。