暗律の戦乙女は盤上を覆すが故、己が未来を選ぶ 作:カミッシー
黒い門の先には、緩やかな坂道が続いていた。
先ほどまでの閉鎖的な空間とは違い、頭上には疑似的な空が広がっている。青白い光が遠くから差し込み、左右には異世界特有の植物が静かに揺れていた。敵の気配もないため、九人は警戒を保ちながらも、少しだけ歩調を緩めて進んでいた。
「さっきの話を聞いていて、もう一つ気になったことがあるの」
エクリプスがハイセの横へ並ぶ。
「まだあるの?」
「あなたについては、むしろ分からないことが増えたわ」
「それ褒められてる?」
「どうかしら」
エクリプスが笑う。
「あなたがアスタリスクへ来たことで、そちらの世界だけじゃなく、ハイベルグ王国側もかなり変わったのでしょう?」
その問いに、ハイセではなくサーシャが反応した。
「……変わったどころじゃない」
◇
サーシャは少し遠い目をした。
「昔はな、迷宮で拾った武器を使って、足りないものがあれば訓練で補う。それが普通だった」
「今は?」
「武器を選ぶ前に、安全規格だの適性だのコストだのを確認する。遠征前には異世界製の通信機器を確認して、帰ったら成果を【FAIR STAGE】へ登録する」
少し前なら考えられなかった生活だった。
武器の性能だけでなく、使用者への負荷を測る。
危険な能力には限界値を設定する。
情報を一部の冒険者や国家が独占せず、条件を明示した上で共有する。
「ピアソラなんて一番変わったんじゃない?」
ハイセが振り返る。
「何故わたくしですの?」
「毎日ウォークマン使ってる」
「音楽に罪はありませんわ」
「異世界の美容品も使ってるよね」
「美容品にも罪はありませんわ」
ピアソラは堂々と言い切った。
「むしろ、何故あれほど便利なものを今までこちらの世界だけで独占していましたの?」
「世界が違うからだよ!」
◇
シルヴィアが楽しそうに笑った。
「でも逆も同じでしょう? アスタリスク側だって随分変わったもの」
「そうなの?」
サーシャが尋ねる。
「もちろん。異世界の魔法体系や迷宮資源、こっちには存在しなかった生物素材まで研究対象になってるもの。冒険者という職業そのものを研究している学園だってあるわ」
アルルカントでは研究者達が異世界素材へ群がり、レヴォルフではディルクが新しい市場を嗅ぎ付けた。クインヴェールは文化交流を企画し、星導館は王国との外交・治安協力へ動いている。
そしてハイベルグ側でも、アスタリスクの技術が少しずつ日常へ入り込んでいた。
「つまり」
エクリプスが言う。
「あなたが片方の世界を変えたわけではないのね」
「俺一人じゃ無理だよ」
ハイセは即答した。
「二つの世界が繋がったから、両方とも勝手に変わり始めた」
◇
「では、その始まりは?」
「始まり?」
「あなたがこちらへ来て、最初に大きく世界を変えた出来事」
エクリプスはハイセを見る。
「Yami_Q_rayになったこと?」
ハイセの足が僅かに止まった。
「……そこ聞く?」
「聞きたいわ」
ピアソラも興味を示す。
「そういえば、わたくしも詳しい経緯までは聞いていませんわね」
「私は聞くたびに頭が痛くなる」
サーシャが先に額を押さえた。
「まだ話してないよ?」
「お前の過去話は大体ろくでもない」
「偏見」
「実績だ!」
◇
「そもそもの発端は」
ハイセは少し考えてから言った。
「ヒルダがド違法量子AIを隠し持ってたこと」
空気が止まった。
「……もう一度お願いしますわ」
ピアソラが真顔になる。
「ド違法量子AI」
「聞き間違いではありませんでしたのね……」
アーネストも微妙な顔をする。
「名前を聞いても?」
「【セイレーンデルタシステム】。SIREN-Δ SYSTEM」
「名前からして、あまり健全な研究設備には聞こえないね」
「健全じゃないよ」
「即答しないでくれ」
◇
【セイレーンデルタシステム】。
それは、シャロン・アップル型の人工知性構造を発想の基礎に置き、ヒルダが量子演算技術を組み合わせて発展させた研究用AIだった。
ただし、単純な演算補助ではない。
人間の身体、神経、精神反応、星辰力循環、さらには外部マナ環境まで仮想上へ再構築し、条件を変更しながら膨大な並列シミュレーションを行う。
「つまり、人間そのものをデータ上で何万人分も作って、環境を変えてどうなるか確かめる」
ハイセが説明する。
ピアソラの顔が引きつった。
「……許可は?」
「ない」
「倫理審査は?」
「通してない」
「統合企業財体は?」
「知らない」
「ド違法ですわ!!」
「だから最初に言ったじゃん」
◇
「でも、そのAIが人工星脈世代の仮説を作ったの?」
綾斗が尋ねる。
「正確には、仮説の入口を見つけた」
《落星雨》。
それによって世界へ万応素が広がり、その後、星脈世代と呼ばれる新人類が出現するようになった。
従来は、それを一種の突然変異として捉える考えも強かった。
しかしSIREN-Δは、出生年代、マナ濃度、地域差、星辰力の出力、身体変化、発現年齢といった膨大な情報を重ね合わせた末、別の可能性を提示した。
「星脈世代って、いきなり完成形で生まれたんじゃないんじゃないかって」
「段階的な変化?」
アーネストがすぐに理解した。
「うん」
マナ環境へ晒された人類が、世代を重ねながら少しずつ変化していった。
その長い適応の積み重ねが、星脈世代という形で表面化したのではないか。
◇
「なら」
ピアソラも結論へ辿り着く。
「その過程だけを人工的に早めれば……」
「後天的に星脈世代を作れる」
ハイセが答えた。
「だからプラーナ加速装置なんだ」
装置そのものが超能力を与えるわけではない。
本来なら長期間のマナ環境と世代交代を通じて起こる変化を、高密度のマナ刺激と星辰力循環への介入によって強制的に圧縮する。
「進化を早送りする装置、と考えれば分かりやすいかな」
ハイセが言う。
サーシャが顔をしかめた。
「十分分かりやすいが、十分気持ち悪い技術だな」
「ヒルダは喜ぶと思う」
「褒めてない!」
◇
「では、マディアス・メサはそれを何に使おうとしたの?」
エクリプスの問いで、空気が少し変わった。
ハイセの表情から、先ほどまでの軽さが消える。
「人一人を星脈世代に出来るってことは」
歩きながら、ハイセは言った。
「条件を拡大すれば、十人にも百人にも出来る」
「その先は?」
「都市」
誰も言葉を挟まない。
「さらにその先は、世界」
◇
マディアスが目指していたのは、単なる強化兵士の量産ではなかった。
《落星雨》によって偶然起きた人類の変化を、人間の手で再現する。
そして再現出来るなら。
今度は制御する。
「アスタリスクそのものを巨大な実験装置にする計画だった」
学園都市に張り巡らされた設備。
大量の星脈世代。
星武祭によって蓄積される戦闘データ。
マナ濃度。
エネルギー循環。
それら全てを利用し、局所的な人工《落星雨》に近い現象を引き起こす。
「最初はアスタリスクだけ。でも成功したら技術は拡大出来る」
「人類そのものを、自分達の意図で次の段階へ進める?」
アーネストが問う。
「そう」
ハイセは頷いた。
「進化を偶然に任せない。そのつもりだったんだと思う」
◇
「それを止めるのに、《武器マスター》では足りなかった?」
エクリプスが尋ねる。
「足りない」
ハイセは即答した。
「《武器マスター》は武器を扱う力だから」
どれほど多くの武器を使えても。
どれほど強力な攻撃が出来ても。
巨大なマナ循環そのものが暴走している状況では、装置を壊せば解決するとは限らない。
「最悪、壊した瞬間に溜め込んだエネルギーが全部吹き飛ぶ」
ピアソラの表情が険しくなる。
「では、破壊ではなく制御が必要だった」
「うん」
そこでハイセが目を付けたのが、シルヴィアだった。
◇
「私?」
シルヴィアが自分を指差す。
「うん」
歌を媒介にし、広範囲の現象へ干渉する。
単純な攻撃ではなく、状況そのものを変える。
「シルヴィアみたいなことが出来れば、壊さずに止められると思った」
「それでヒルダのところへ?」
「行った」
「行った、じゃありませんわよ」
ピアソラは嫌な予感しかしない顔になっていた。
「それで何をしましたの?」
「身体を作り直した」
「軽い!」
◇
SIREN-Δは再び使われた。
今度の課題は、ハイセという異世界人へ、シルヴィア型の歌唱現象干渉を成立させること。
声帯だけでは足りない。
呼吸器。
胸郭。
共鳴腔。
神経系。
聴覚処理。
星辰力循環。
マナとの接続。
歌唱という行為へ関わる身体構造全体を、一つのシステムとして設計し直す必要があった。
「何万パターンもシミュレーションしたらしい」
ハイセは淡々と言う。
「男性体を維持した案も?」
エクリプスが尋ねる。
「あった。でも成功率が低かった」
◇
「女性だから歌える、という話ではないよ」
ハイセは補足する。
「既に成功してるモデルがシルヴィアだったから、未知の構造を一から作るより、その成功例に全身の設計を近づけた方が確実だった」
シルヴィアも頷いた。
「声だけ真似ても、私と同じ現象干渉が出来るわけではないものね」
「うん。だから最適化した結果、身体そのものを女性型へ再構築する案が一番安定した」
ピアソラが口を半開きにする。
「……つまり」
「うん?」
「マディアスを止めるために?」
「うん」
「身体を一から作り直して?」
「うん」
「性別まで変えて?」
「うん」
「その状態で戦場へ?」
「うん」
ピアソラは頭を抱えた。
「何で全部『うん』で済ませますの!?」
◇
「しかも」
サーシャの声が低くなった。
ハイセが振り向く。
「何?」
「今の話を聞く限り、その【セイレーンデルタシステム】というのは」
「うん」
「ド違法なんだな?」
「うん」
「人体再構築の研究も?」
「少なくとも正規ルートでは通らないと思う」
「……つまり」
サーシャの目が据わった。
「違法と知った上で、被験者に志願したのか?!」
ハイセ。
「あ、」
◇
「私の善意を一二〇%の勢いで思いっきり踏み躙ったんだな?!」
「待って」
「何を待つんだ!!」
サーシャの怒声が通路中へ響く。
「私はお前を危険から遠ざけようとした! それが正しい方法だったとはもう言わない! でも少なくとも、お前に死んでほしくないと思っていたのは本当だ!」
「それは分かってる」
「その後のお前は何だ!? 違法AI! 人体実験! 全身再構築! 性別変更! マディアスとの戦い!!」
指折り数えるたびに、サーシャの顔が険しくなっていく。
「お前、私と別れてから人生のイベント密度がおかしいだろ!!」
◇
ハイセは一歩後退した。
「うわ」
「何だ」
「なんでこういう時だけ頭の回転が速いんだ、このビッグ・フット」
静寂。
アーネストが目を閉じた。
ピアソラも顔を覆う。
綾斗が小さく「あ」と漏らす。
サーシャの笑顔が。
完全に消えた。
「今ここで殺してやる!!!!」
「やば」
ハイセは走った。
◇
「待てぇぇぇぇ!!」
「セルヴィトラ持ってるから!」
「だから何だ!!」
「障壁!」
「正面に出すな! 回り込む!!」
「対応早っ!」
先ほどまで人類進化の話をしていたとは思えない勢いで、二人が白い通路を駆け抜けていく。
アーネストは遠ざかる二人を見ながら静かに胃の辺りへ手を添えた。
「……転入、するんだよね」
「まだ検討段階ですわ」
ピアソラが答える。
「そうだったね」
「ですが、あの様子ですと」
「言わなくていいよ」
「胃薬、増やしましょうか?」
「お願いするよ」
◇
しばらくして。
ハイセはサーシャに襟首を掴まれた状態で戻ってきた。
「捕まった」
「知っていますわ」
「反省は?」
サーシャが尋ねる。
「ビッグ・フットは言い過ぎだった」
「そこだけか!?」
「人体実験は自分で決めたことだから」
「そこを反省しろと言っているんじゃない!!」
サーシャは頭を抱えた。
ただ、以前のように「そんな選択をするべきではなかった」とまでは言わなかった。
ハイセ自身が選んだこと。
それだけは、もう否定しない。
◇
「それで」
エクリプスが話を戻す。
「完成したのが、今のあなた?」
「うん」
ハイセは自分の長い紫髪を指先で掬った。
「Yami_Q_ray」
歌によって現象へ干渉する身体。
星脈世代としての星辰力生成機構。
異世界人としての特異な適応性。
そして、《武器マスター》を持つハイセ自身の経験。
それらを一つの器へ統合した存在。
「ヒルダが言ったんだ」
ハイセは少し苦笑する。
「《ダークストーカー》なんてチープな二つ名は捨てて、新時代の扉を開く闇の歌姫――【暗律の戦乙女(ヤミキューレ)】を名乗れって」
ピアソラが納得したように頷く。
「昨日の闇の聖女よりは格好いいですわね」
「比較しないで」
◇
「でも」
シルヴィアがハイセを見る。
「最初はマディアスを止めるために作った身体だったのよね?」
「うん」
「今はアイドルもしてる」
「してる」
「武器も作ってる」
「うん」
「異世界冒険者もしてる」
「うん」
「随分用途が増えたわね♪」
ハイセは少し考える。
「汎用性?」
「カミラが聞いたら、たぶん頭を抱えるわ」
「何で?」
「あなたが自分の身体まで究極の汎用性へ寄せ始めてるからよ」
アーネストが堪えきれず笑った。
◇
「それでも」
エクリプスは少し真面目な表情へ戻った。
「あなたがこちらへ来なかったら、今の交流は存在しなかったのでしょう?」
ハイセは首を横へ振った。
「俺だけじゃ無理」
カミラがいなければ。
究極の汎用性という考えには出会えなかった。
エルネスタがいなければ。
発想を形にする速度はもっと遅かった。
ヒルダがいなければ。
Yami_Q_rayは生まれなかった。
シルヴィアがいなければ。
歌で現象へ触れるという答えそのものが存在しなかった。
ディルクがいなければ。
研究資金も、社会へ技術を流す経路も足りなかった。
そして。
帰還したあと。
サーシャ達がいなければ。
アスタリスクの技術を異世界へ根付かせる場所もなかった。
◇
「俺が二つの世界を変えたんじゃないよ」
ハイセは言う。
「俺が穴を開けただけ」
「穴?」
「世界と世界の壁に」
そこを誰かが通る。
物が通る。
技術が通る。
歌が通る。
考え方が通る。
「それで、お互いに勝手に変わり始めた」
サーシャが少し笑った。
「穴を開けただけ、で済ませる規模じゃない気がするがな」
「でも俺一人じゃ何も続かないよ」
83話で語ったことと同じだった。
一人で完成しない。
一つの世界だけでも完成しない。
◇
ピアソラは自分のセルヴィトラへ触れた。
異世界の漫画から得た発想。
アスタリスクの技術。
ハイベルグ王国の冒険者による実戦データ。
それらが混ざり合って、今、自分の腰に一振りの剣として存在している。
「不思議ですわね」
「何が?」
「どの世界の技術なのか、もう分かりませんわ」
ハイセは少し考えた。
「それでいいんじゃない?」
「そうですの?」
「使えるものを、使いたい人が選べばいい」
アーネストが頷く。
「君らしい答えだね」
◇
その時、坂道の先へ光が見えた。
九人が足を止める。
出口。
ではない。
そこには巨大な円形広場があり、その中央に一基の古びた装置が立っている。
ハイセの表情が僅かに変わった。
「……似てる」
「何に?」
綾斗が尋ねる。
ハイセは装置を見つめた。
「マナ加速装置に」
サーシャの顔が露骨に嫌そうになる。
「今その話をした直後に出てくるなよ……」
「偶然だと思う?」
「この迷宮で偶然を信用出来るか!」
アーネストもセルヴィトラへ手を伸ばした。
「どうやら、昔話だけでは終わらせてくれないらしいね」
◇
九人はゆっくりと広場へ入る。
その背後で、通ってきた道が静かに閉じた。
ハイセは中央の装置を見ながら、自分の喉へ軽く触れる。
かつて。
これに似た技術を止めるために。
身体を捨てた。
性別を変えた。
歌う力を得た。
そして今は。
その歌を。
一人で戦うためではなく。
仲間と歩くために使っている。
「……ヤミキューレの再試験ってところかな」
「何を格好良く言っている」
サーシャが剣を抜く。
「今度は人体実験なしで済ませろ!」
「善処します」
「断言しろ!!」
笑い声と怒声が混ざった直後、中央の装置へ光が走った。
異なる二つの世界が交わり、変わり始めた理由。
その始点にあった力が。
今度は《神の箱庭》の中で。
再び彼らの前へ姿を現した。