暗律の戦乙女は盤上を覆すが故、己が未来を選ぶ 作:カミッシー
第三領域。
その境界を越えた瞬間、空気が変わった。
第二領域までに漂っていた濃密な魔力とも違う。
静かだった。
不自然なほどに。
「……随分と大人しいな」
サーシャが周囲を見渡す。
灰白色の石床。
高く伸びる柱。
その先には、薄暗い回廊が幾重にも続いている。
敵の姿はない。
罠らしい気配もない。
だが、《神の箱庭》の中で何も起こらないという事実こそが、最も信用ならない。
「静かな場所ほどろくなものが出ないよ」
ハイセが気の抜けた声で言った。
「経験則か?」
「だいたい」
「説得力があるような、ないような……」
綾斗が苦笑する。
その横で、アーネストはサーシャの腰元へ視線を落とした。
「それが昨日言っていた剣かい?」
「ああ」
サーシャが柄へ手を添える。
強化型煌式武装【セルヴィトラ】。
華美な装飾はない。
見た目だけなら、ごく普通のロングソードと大差ない。
だが。
その設計。
重心。
握り。
刃渡り。
細かな重量配分まで、サーシャが扱うことを前提に調整されている。
作ったのは。
「ハイセが?」
アーネストが訊ねた。
「そうだ」
「工房設備はどこに?」
「ないよ」
答えたのはハイセだった。
アーネストが首を傾げる。
「ない?」
「現地調達だから」
「……材料が?」
「材料も」
「加工設備は?」
「作った」
「…………」
アーネストが黙る。
視線だけがゆっくりハイセへ向いた。
「加工設備を作るための加工設備は?」
「その辺にある機械をバラして流用した」
「…………なるほど」
理解した。
というより。
理解することを諦めた顔だった。
ハイセは気にせず続ける。
「ハードウェアなら得意だよ。カミラと散々、試作機作って壊してたから」
「壊すところまで含めるのかい?」
「壊れたら原因分かるし」
「実にアルルカントらしい発想だね」
アーネストが苦笑した。
そしてセルヴィトラをもう一度見る。
簡素な外観。
だが、粗製品には見えない。
現地にあった廃材と機械部品を組み替え、加工設備そのものまで即席で用意し、その上で一人の使い手へ最適化された武装を完成させる。
「やはりキミは」
アーネストは感心したように言った。
「アルルカントが一番合う学校だ」
「今さら?」
「今だからこそ確信したよ」
ハイセが肩をすくめる。
「聖ガラードワースには?」
「欲しい人材ではあるけれど、キミを置いておくと騎士団の装備規格を三日で勝手に変えそうだ」
「さすがにしないよ」
ピアソラが静かに口を挟む。
「三日も待たないと思いますわ」
「ピアソラ?」
「事実ですわ」
「ひどい」
「普段の行いです」
アーネストが小さく笑う。
そして。
再びサーシャを見る。
「ところで」
「なんだ?」
「せっかくだ」
その声色が少し変わった。
柔らかさは残っている。
だが、騎士としての芯が通る。
「ここで最終試験をしよう」
「……試験?」
「聖ガラードワース学園への編入試験だよ」
サーシャの眉が僅かに動いた。
「今?」
「今だからこそ、だ」
アーネストは第三領域の奥へ目を向ける。
「既にキミの力は知っている。単純な戦闘能力だけで合否を決めるつもりもない」
「では何を見る?」
「剣の使い方」
即答だった。
「それと」
アーネストがサーシャを見る。
「キミ自身が、何を見るようになったのか」
「…………」
サーシャの手がセルヴィトラの柄に触れる。
「以前のキミは強かった」
「過去形か?」
「今も強いよ」
アーネストは笑う。
「ただ、以前は強さを使うことしか考えていなかった」
サーシャは否定しなかった。
「自分が前へ出ればいい。自分が斬ればいい。突破できるなら力で突破する」
「……ああ」
「それは時に必要だ」
アーネストは続ける。
「だけど聖ガラードワースの騎士に求めるものは、それだけじゃない」
剣が強ければいいのではない。
何を守るのか。
何を見ているのか。
どこで剣を振るい。
どこで剣を止めるのか。
「そのセルヴィトラで見せてもらおう」
「今の私を?」
「そういうことだ」
サーシャはしばらく黙った。
やがて。
ゆっくりセルヴィトラを抜く。
刃が微かな光を反射する。
「望むところだ」
その言葉と。
ほぼ同時だった。
――ゴゴゴゴゴゴゴゴッ!!
「来る!」
綾斗が声を上げる。
床が揺れた。
柱と柱の間。
暗闇の奥から、何かが這い出てくる。
一体。
二体。
三体。
人型に近い。
だが人ではない。
石と金属が入り混じったような巨体。
両腕には長大な刃。
関節部には淡い光が走っている。
「守護型か」
ハイセが目を細める。
敵の一体が踏み込む。
速い。
巨体からは想像できない速度。
「サーシャ!」
アーネストは動かない。
声だけを飛ばす。
「キミが先頭だ!」
「分かった!」
サーシャが踏み込む。
一閃。
金属音。
セルヴィトラと敵の刃が衝突する。
「っ……!」
重い。
だが。
受けきれる。
サーシャは剣を滑らせ、攻撃を横へ流す。
そのまま懐へ。
「はあっ!」
斬撃。
敵の装甲へ浅い傷が走る。
しかし。
「硬いな」
「普通に斬るだけじゃ厳しそうだね」
ハイセが言う。
「手を出すな」
サーシャは即座に返した。
「試験なのだろう?」
「そうだけど」
「なら見ていろ」
「別に一人で戦えとは言ってないけどね」
「…………」
サーシャの足が一瞬止まった。
その隙に。
二体目。
側面から。
「サーシャ!」
「分かっている!」
振り向く。
受ける。
二撃目。
三撃目。
重い。
だが、まだ耐えられる。
セルヴィトラはサーシャの動きへ忠実に追従する。
以前使っていた武装より派手な力はない。
特別な能力もない。
だからこそ。
誤魔化しが利かない。
自分が動けば動く。
自分が乱れれば乱れる。
「……なるほど」
サーシャが小さく呟く。
ハイセが何故これを渡したのか。
少し分かった気がした。
第三撃を流す。
反撃。
装甲の隙間へ刃を滑り込ませる。
だが。
敵は止まらない。
背後。
三体目。
「ちっ!」
踏み込もうとする。
その瞬間。
サーシャの視界に入った。
床。
柱。
三体の配置。
仲間の位置。
敵の踏み込み。
全て。
「…………」
以前なら。
前へ出た。
自分で三体全てを斬り伏せようとした。
だが。
今日は。
サーシャが後ろへ跳ぶ。
「なに?」
ハイセが僅かに目を開く。
敵の三体が追う。
一列になる。
その先。
「綾斗!」
「分かった!」
言葉は短い。
綾斗が横から踏み込む。
敵の進路を僅かに逸らす。
「ピアソラ!」
「ええ!」
別方向から牽制。
敵の足が止まる。
サーシャはまだ動かない。
一秒。
二秒。
待つ。
敵の一体が仲間の動きへ反応し、姿勢を崩した。
そこ。
「今だ」
サーシャが踏み込む。
一閃。
装甲ではない。
関節。
そこだけを正確に斬る。
巨体が膝をついた。
二体目。
同じ。
無理に防御を抜かない。
仲間が作った隙だけを使う。
斬る。
三体目。
アーネストは黙って見ていた。
サーシャは焦らない。
強引に行かない。
相手を見る。
仲間を見る。
地形を見る。
最後。
敵が大きく振りかぶる。
サーシャが一歩。
後ろへ。
攻撃が空を切る。
姿勢が崩れる。
「終わりだ」
セルヴィトラが走る。
鋭い音。
関節部。
切断。
巨体が崩れ落ちた。
――静寂。
「…………」
サーシャが息を吐く。
剣を下ろす。
「どうだ?」
アーネストへ訊ねた。
返事はない。
「おい」
「一つ訊こう」
ようやく。
アーネストが言った。
「二体目と三体目に囲まれた時、何故退いた?」
「…………」
「以前のキミなら、前へ出たはずだ」
「ああ」
「なら、何故?」
サーシャは少し考える。
それから。
「勝つためだ」
「それだけ?」
「……以前の私は」
セルヴィトラを見る。
「退くことを負けだと思っていた」
アーネストは何も言わない。
「自分で全て斬れなければ、弱いと思っていた」
「うん」
「だが」
サーシャは仲間を見る。
「仲間がいるなら使えばいい」
「使う?」
「言い方が悪かったな」
小さく笑う。
「頼ればいい」
それだけだった。
だが。
アーネストの表情が僅かに柔らかくなる。
「私は私の剣を振るう」
サーシャは続ける。
「だが、私一人で全てを決める必要はない」
「…………」
「相手を見て、仲間を見て、その上で最善を選ぶ」
セルヴィトラを鞘へ納める。
「それが今の私だ」
アーネストはしばらく黙っていた。
やがて。
「合格だ」
「…………」
サーシャの目が少しだけ大きくなる。
「本当か?」
「冗談でこんなことを言うと思うかい?」
「……いや」
「サーシャ」
アーネストは真っ直ぐ彼女を見る。
「キミを聖ガラードワース学園の生徒として認める」
静かな言葉。
だが。
重かった。
「正式な手続きは戻ってからになるけれど」
「ああ」
「編入を歓迎するよ」
「……ありがとう」
短い。
サーシャらしい返事。
それでも。
僅かに嬉しそうだった。
ピアソラが微笑む。
「おめでとうございます、サーシャ」
「ありがとう」
「これで晴れて聖ガラードワースの一員ですわね」
「ああ」
サーシャが小さく頷く。
その時。
「ただし」
アーネストが言った。
「…………?」
サーシャが振り返る。
「ネットリテラシーに関しては、要保護観察とする」
「…………」
空気が止まった。
ピアソラが視線を逸らす。
綾斗は困ったように笑う。
ハイセだけ。
「ぷっ」
肩が震えた。
「…………」
「怒られてやんの」
「ハイセ」
「プークスクスw」
「ハイセェェェェェェッ!!」
「うわっ!?」
サーシャがセルヴィトラを抜く。
「待って! 今それ試験に使った武器!」
「知るか!」
「合格直後に殺人事件起こすなよ!」
「誰のせいだァァァァァッ!!」
「ネットリテラシー俺関係ないじゃん!」
「笑っただろうが!」
全速力で逃げるハイセ。
追いかけるサーシャ。
その二人を眺めながら。
アーネストは額へ手を当てた。
「……本当に合格でよかったのかな」
「戦闘面なら問題ありませんわ」
ピアソラが答える。
「戦闘面なら、ね」
「ネットリテラシーは別問題です」
「そこはやはり要保護観察か」
「はい」
遠く。
『待てハイセェェェェ!』
『ネットリテラシー鍛えてから追ってこい!』
『貴様ァァァァァァッ!!』
怒声が響く。
アーネストは小さく息を吐いた。
そして。
少しだけ笑う。
「まあ」
以前のサーシャなら。
自分の正しさだけを信じ。
一人で前へ進んでいた。
だが今は。
退くことを知った。
待つことを知った。
人を見ることを知った。
頼ることを知った。
それでも。
剣を握る手だけは。
昔と変わらない。
強く。
真っ直ぐで。
今度は。
その強さの向け方を。
自分で選べる。
「聖ガラードワースへようこそ」
アーネストは。
遠ざかるサーシャの背中へ向けて。
静かにそう言った。