暗律の戦乙女は盤上を覆すが故、己が未来を選ぶ   作:カミッシー

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第88話 受け継いだもの、その先へ

 

第三領域の空気は、妙に澄んでいた。

 

 澄んでいる――その言葉だけなら心地よいものを連想する。だが、この場所に限っては違った。風はなく、湿り気もなく、土や苔の匂いすらしない。巨大な石造建築の内部を思わせる空間には、薄青い光を放つ結晶が一定間隔で埋め込まれ、磨かれた石床だけを冷たく照らしていた。

 

 九人が歩を進めるたび、靴底の音が石壁へぶつかり、幾重にも反響して返ってくる。そのせいで、自分たち以外にも誰かが歩いているような錯覚さえ覚えた。

 

「……嫌な静けさだな」

 

 サーシャが周囲へ視線を巡らせながら呟いた。

 

 先ほど最終編入試験を終えたばかりだというのに、表情にはもう浮ついた様子はない。腰には、ハイセが現地で組み上げた強化型煌式武装【セルヴィトラ】。柄に一度だけ手を触れ、その感触を確かめてから、再び正面へ視線を戻した。

 

「さっきみたいなのが、また来ると思う?」

 

 綾斗が訊ねる。

 

 アーネストは歩調を崩さないまま、前方の薄闇へ目を向けた。

 

「同じ試練を繰り返すほど、この迷宮が親切だとは思えないね」

 

 その声が落ちた直後だった。

 

 足元から、ごく微かな震えが伝わる。

 

 最初は誰かが踏み込んだ振動かと思う程度だった。だが数秒も経たないうちに、震えは石床から柱へ、柱から壁へと広がり、第三領域全体が低く唸り始めた。

 

「来るぞ」

 

 ハイセが足を止めた。

 

 その瞬間、正面の床へ一本の青白い光が走った。

 

 縦に、横に、斜めに。

 

 光は互いに交差しながら複雑な幾何学模様を描き、巨大な魔法陣へ形を変えていく。

 

「……後ろもだ」

 

 綾斗が振り返った。

 

 彼の足元にも、同じ魔法陣が浮かび上がっている。

 

 二つ。

 

 そして、その二つは明確にハイセと綾斗だけを囲い込んでいた。

 

「分断型……?」

 

 シルヴィアが眉を寄せる。

 

「どうやらそうらしいね」

 

 ハイセは足元の光を見下ろしながら、流れている魔力の性質を探る。転移か、隔離か。それとも何らかの結界。

 

 判断がまとまるより先に、魔法陣から放たれる光量が一気に増した。

 

「ハイセ!」

 

 サーシャが咄嗟に踏み出す。

 

「来ないで!」

 

 ハイセの声が鋭く飛んだ。

 

 光の境界線へ入りかけたサーシャの足が止まる。

 

「多分、入ったら巻き込まれる」

 

「だが――」

 

「大丈夫」

 

 ハイセは腰のセルヴィトラへ手を添えた。

 

 特殊能力はない。圧倒的な出力もない。ただ一本の剣。それでも、今はそれで十分だった。

 

「一人でやる試練なんでしょ」

 

 その隣で、綾斗も静かにセルヴィトラを抜く。

 

「……そうみたいだね」

 

 二人の視線が、一瞬だけ交わった。

 

 言葉はなかった。

 

 だが、お互いに何を考えているのか、それだけで十分に伝わった。

 

 次の瞬間。

 

 二つの光が爆ぜ、ハイセと綾斗の姿を呑み込んだ。

 

     ◇

 

 視界が戻った時、ハイセが最初に感じたのは暗さだった。

 

「……」

 

 目が馴染むまで数秒。

 

 そして、自分が立っている場所を理解する。

 

 広い。

 

 先ほどまでの石造りの回廊とはまるで違う。

 

 そこは、巨大な円形空間だった。

 

 半径は三十メートルほど。天井は高く、壁面には幾重もの段差が設けられている。それはまるで、観客席を備えた舞台のように見えた。

 

 だが、その席には誰もいない。

 

 暗闇だけが並んでいる。

 

 唯一、中央だけが白い光に照らされていた。

 

 そして、その光は。

 

 ハイセだけを捉えている。

 

「……ステージ?」

 

 思わず零れた言葉に、自分で少し呆れる。

 

「趣味悪いな」

 

 そう呟いたものの、口元には僅かな笑みが浮かんでいた。

 

 足元から、低い振動が響く。

 

 正面。

 

 観客席を模した暗闇の奥に、赤い光が二つ灯った。

 

 一体。

 

 その横に、また一つ。

 

 二体。

 

 三体。

 

 四体。

 

 黒い人型の影が、暗がりからゆっくり降りてくる。

 

 全身は金属質の装甲に覆われ、両腕は人間よりも長い。その指先は刃のように尖り、顔のあるはずの場所には、縦に走る一本の赤い発光部しか存在しない。

 

「なるほど」

 

 ハイセはセルヴィトラを抜いた。

 

 鞘から滑り出た刀身が、舞台を照らす白い光を反射する。

 

「四人相手か」

 

 最初の一体が動いた。

 

 巨体に似合わぬ速さで、一気に間合いを詰めてくる。

 

 ハイセは右へ半歩。

 

 刃が頬の横を掠め、鋭い風圧が髪を揺らした。

 

 避けた。

 

 そう思った瞬間には、左側から二体目が入っていた。

 

「っ!」

 

 セルヴィトラを立てる。

 

 甲高い金属音と同時に、腕へ重い衝撃が突き抜けた。

 

 重い。

 

 重心を後ろへ持っていかれそうになるのを、足裏で床を噛むように踏み止める。

 

 だが、息を整える暇はない。

 

 三体目が頭上から叩きつけるように刃を振り下ろしてくる。

 

 ハイセは横へ跳んだ。

 

 直後、床へ刃が突き刺さり、石片と粉塵が弾け飛ぶ。

 

 一瞬、視界が白く濁った。

 

 その向こうから。

 

 四体目。

 

「多いな!」

 

 身体を捻る。

 

 刃先が衣服を僅かに掠めた。

 

 ハイセは大きく後ろへ跳び、ようやく四体との距離を取った。

 

 肺へ空気を入れる。

 

 一度。

 

 二度。

 

 呼吸を整えながら、敵を見る。

 

 速い。

 

 しかも、単純に四体が独立して襲っているのではない。互いの攻撃を邪魔しないように立ち位置をずらし、こちらの退路を削るように連携している。

 

 いつもの武装があれば。

 

 いつもの出力があれば。

 

 もっと簡単に崩せる。

 

 だが、今の手にあるのは。

 

 セルヴィトラ一本。

 

「……いいね」

 

 ハイセは、小さく笑った。

 

 怖くないわけではない。

 

 余裕があるわけでもない。

 

 それでも、胸の奥に僅かな熱が灯る。

 

 この感覚を、知っている。

 

 ステージへ上がる直前。

 

 照明が落ち、客席が暗くなり、まだ誰にも見られていない数秒間。

 

 心臓が速くなる。

 

 呼吸が浅くなる。

 

 それでも、幕が上がればもう逃げられない。

 

 そして。

 

 逃げる必要もない。

 

 ――最初の一音で、空気を掴むの。

 

 記憶の中で。

 

 リューネハイムの声がした。

 

 楽しそうで。

 

 それでいて、誰より真剣に歌と向き合う人の声。

 

 ――歌うだけじゃ駄目よ。

 

 ――観客は耳だけで聴いているわけじゃない。

 

 ――目も、呼吸も、心臓も。

 

 ――全部であなたを見るの。

 

「……知ってる」

 

 ハイセが呟く。

 

 敵が来る。

 

 今度は、すぐには動かなかった。

 

 一歩。

 

 前へ出る。

 

「――♪」

 

 小さな声が、円形空間へ落ちた。

 

 歌ですらない。

 

 ほんの一音。

 

 それでも。

 

 四体の動きに、僅かな揺れが生まれた。

 

 ハイセはそれを見逃さない。

 

 ここに観客はいない。

 

 いるのは敵だけ。

 

 でも。

 

 見る者がいるなら。

 

 そこはステージになる。

 

 ハイセは歩く。

 

 ただ移動するのではない。

 

 正面へ視線を向け、肩を開き、剣を見せ、相手の注意を自分へ集める。

 

 意図的に。

 

 少しだけ、動作を遅くする。

 

 誘う。

 

 一体が踏み込んだ。

 

 その瞬間、ハイセの身体が沈む。

 

 一閃。

 

 セルヴィトラが装甲の継ぎ目へ滑り込み、腕を斬り落とした。

 

「一人」

 

 しかし、残りは三体。

 

 背後から迫る気配。

 

 ハイセは振り返らない。

 

 足音だけで距離を測る。

 

 三歩。

 

 二歩。

 

 一歩。

 

「――そこ」

 

 身体を横へ滑らせる。

 

 直後、二体の敵が互いの進路を塞ぐようにぶつかった。

 

 重い金属音が、舞台全体へ響く。

 

「……昔なら」

 

 ハイセは、僅かに笑う。

 

「多分、もっと力で押してたな」

 

 息を吸う。

 

 今度は。

 

 はっきりと歌った。

 

 声が伸びる。

 

 音程。

 

 呼吸。

 

 姿勢。

 

 足の置き方。

 

 胸の開き方。

 

 息をどこへ通し、声をどこへ飛ばすのか。

 

 全て。

 

 リューネハイムから叩き込まれた、歌手としての基本。

 

 しかし。

 

 彼女が教えたのは技術だけではなかった。

 

 ――上手く歌うことだけを考えないで。

 

 ――届かせるの。

 

 ――自分が何を感じているか。

 

 ――それを隠したら、歌は空っぽになる。

 

「……面倒なこと言うんだよな」

 

 ハイセの声が、少しだけ柔らかくなる。

 

 二体が左右から挟み込む。

 

 歌を止めない。

 

 右足を一歩。

 

 次に左。

 

 身体を滑らせるように旋回する。

 

 一体目の斬撃を避け、その勢いのまま二体目の側面へ回り込む。

 

 セルヴィトラが弧を描く。

 

 光が。

 

 一本の線になる。

 

 まるで。

 

 ステージ上の振付。

 

 一つの動作が、次の動作へ切れ目なく繋がる。

 

 呼吸を乱さない。

 

 声を切らさない。

 

 足元を止めない。

 

 そして。

 

 最後に一歩。

 

 前へ。

 

「――ッ!」

 

 斬撃。

 

 敵の胴へ深く食い込む。

 

 二体目が崩れ落ちた。

 

 残り。

 

 二体。

 

 だが、その二体の様子が変わる。

 

 頭部の赤い発光部が強く輝き、全身の駆動音が一段高くなる。

 

「第二段階?」

 

 片方が。

 

 視界から消えた。

 

「――っ!」

 

 背後。

 

 速い。

 

 セルヴィトラを上げる。

 

 間に合わない。

 

 刃が肩へ迫る。

 

 その瞬間。

 

 ――迷った時は、胸の歌を信じなさい。

 

 また。

 

 リューネハイムの声が聞こえた。

 

 あの日。

 

 最後に。

 

 笑いながら言った言葉。

 

 ――技術は裏切らない。

 

 ――練習も裏切らない。

 

 ――でも、最後の最後に人を動かすのは。

 

 ――胸の歌よ。

 

「…………」

 

 ハイセの中で、一瞬だけ時間が伸びた。

 

 敵の刃は目前。

 

 頭では。

 

 避ける角度。

 

 反撃可能性。

 

 距離。

 

 確率。

 

 いくつもの計算が同時に浮かんでいる。

 

 いつもの自分なら。

 

 その全部から最適解を探した。

 

 だが。

 

 今だけは。

 

 それを捨てた。

 

「……なら」

 

 ハイセは、笑った。

 

「信じてみる」

 

 身体が。

 

 理屈より先に動いた。

 

 床を蹴る。

 

 刃が頬を掠める。

 

 一筋の血。

 

 それでも。

 

 ハイセは敵の懐へ潜り込んでいた。

 

 セルヴィトラを。

 

 両手で握る。

 

 胸の奥に。

 

 歌がある。

 

 誰にも聞こえない。

 

 形もない。

 

 でも。

 

 確かにある。

 

「――これが」

 

 剣を振り抜く。

 

「俺の歌だ」

 

 刃が敵の胴を貫いた。

 

 静寂。

 

 最後の一体が踏み込む。

 

 しかし。

 

 もう迷わない。

 

 歌う。

 

 足を運ぶ。

 

 剣を振るう。

 

 歌と。

 

 身体と。

 

 剣が。

 

 一つになる。

 

 最後の斬撃。

 

 敵が崩れ落ちる。

 

 重い金属音が響き。

 

 やがて。

 

 静寂だけが戻った。

 

「…………」

 

 ハイセはゆっくり息を吐いた。

 

 誰もいないステージ。

 

 拍手はない。

 

 歓声もない。

 

 それでも。

 

 胸の奥だけは。

 

 不思議なくらい熱かった。

 

「……リューネハイム」

 

 小さく。

 

 名前を呼ぶ。

 

 そして。

 

 少しだけ困ったように笑った。

 

「やっぱり」

 

 自分でも。

 

 まだ。

 

 答えは出ない。

 

「よくわかんないな」

 

     ◇

 

 綾斗が降り立った場所は。

 

 森だった。

 

 足元には土。

 

 頭上には枝葉。

 

 微かな風が木々を揺らし、木漏れ日が地面へ淡い斑模様を落としている。

 

「……」

 

 先ほどまでの石造空間とは、あまりにも違う。

 

 もちろん。

 

 本物ではない。

 

 肌に触れる風にも。

 

 土の匂いにも。

 

 僅かな違和感がある。

 

 それでも。

 

 懐かしい。

 

 木々が擦れる音。

 

 足元の感触。

 

 そして。

 

 遠く。

 

 聞こえた気がした。

 

『綾斗!』

 

「……紗夜?」

 

 振り返る。

 

 誰もいない。

 

 けれど。

 

 記憶は。

 

 もう開いていた。

 

 幼い頃。

 

 何度も。

 

 何度も。

 

 剣を振った。

 

 隣には。

 

 沙々宮紗夜。

 

 そして。

 

 前には。

 

 遥。

 

『違う』

 

 厳しい。

 

 でも。

 

 突き放さない声。

 

『足だけで踏み込まない』

 

『腰から』

 

『肩に力を入れるな』

 

『相手を見る』

 

『剣だけを見るな』

 

「…………」

 

 綾斗は、ゆっくりセルヴィトラを握る。

 

 手に馴染む。

 

 だが。

 

 自分専用ではない。

 

 特別な武器でもない。

 

 だからこそ。

 

 今。

 

 自分が何を持っているのか。

 

 よく分かる。

 

 武器ではない。

 

 剣。

 

 ただ。

 

 それだけ。

 

 そして。

 

 自分自身。

 

 それだけ。

 

 森の奥。

 

 気配が一つ。

 

 黒い甲冑を纏った人型の敵が現れる。

 

 手には長剣。

 

 構え。

 

 隙がない。

 

「……一対一か」

 

 綾斗もセルヴィトラを構える。

 

 静か。

 

 敵も。

 

 すぐには動かない。

 

 先に踏み込んだのは、相手だった。

 

 一歩。

 

 速い。

 

 剣が、綾斗の肩口へ斜めに走る。

 

 綾斗は受けなかった。

 

 半歩。

 

 身体をずらす。

 

 刃が胸元すれすれを通り抜ける。

 

 返しの二撃目。

 

 綾斗の剣が。

 

 相手の刀身へ触れる。

 

 弾くのではない。

 

 滑らせる。

 

 流す。

 

 相手の力を。

 

 そのまま。

 

 外へ逃がす。

 

 身体が。

 

 考えるより先に動く。

 

『綾斗、もう一回!』

 

 記憶の中。

 

 紗夜が。

 

 むきになった顔で言う。

 

『今度は私が勝つ』

 

『さっきもそう言ってなかった?』

 

『今度こそ』

 

『二人とも』

 

 遥の声。

 

『遊ぶなら終わってからにしなさい』

 

『遊んでない』

 

『稽古』

 

『同じこと』

 

 思わず。

 

 綾斗の口元が緩む。

 

「懐かしいな」

 

 敵が下段から斬り上げる。

 

 綾斗は足を引く。

 

 そのまま。

 

 踏み込む。

 

 この角度。

 

 昔。

 

 何度も。

 

 遥に直された。

 

『違う』

 

『そこだと遅い』

 

『半歩』

 

『もう半歩前』

 

 今。

 

 身体は。

 

 何も考えず。

 

 その位置へ入る。

 

 敵の死角。

 

 一閃。

 

 装甲を斬る。

 

 浅い。

 

「硬いな」

 

 敵が振り返り。

 

 刺突。

 

 綾斗は。

 

 剣の腹を当て。

 

 僅かに。

 

 軌道を逸らす。

 

 力で止めない。

 

 弾かない。

 

 最小限の動きで。

 

 相手の剣先を。

 

 自分の中心から外す。

 

 腕。

 

 肩。

 

 腰。

 

 足。

 

 全てが。

 

 滑らかに繋がる。

 

 敵の攻撃速度が上がる。

 

 一撃。

 

 二撃。

 

 三撃。

 

 綾斗は。

 

 受け流す。

 

 避ける。

 

 踏み込む。

 

 斬る。

 

 派手な動きではない。

 

 光もない。

 

 爆発もない。

 

 だが。

 

 崩れない。

 

 剣が。

 

 身体の延長。

 

 それ以上に。

 

 身体そのもの。

 

 そんな表現が。

 

 一番近い。

 

 その時。

 

 ふと。

 

 ハイセの顔が浮かんだ。

 

 自分の剣を見る時の。

 

 あの目。

 

 尊敬。

 

 憧れ。

 

 それを隠さない。

 

 真っ直ぐな眼差し。

 

「……ハイセ」

 

 綾斗が。

 

 小さく呟く。

 

 自分も。

 

 昔は。

 

 そうだった。

 

 遥の剣を。

 

 追いかけた。

 

 届きたかった。

 

 隣に立ちたかった。

 

 誰かの剣に憧れるというのは。

 

 ただ真似したいわけじゃない。

 

 そこへ行きたい。

 

 その人が見ている景色を。

 

 自分も見たい。

 

 そういう。

 

 気持ち。

 

「……いつか」

 

 敵が大きく踏み込む。

 

 綾斗も前へ出る。

 

 距離が。

 

 一気に縮まる。

 

「門を」

 

 敵の斬撃。

 

 綾斗は流す。

 

 刀身を滑らせ。

 

 上へ。

 

 相手の剣を逃がす。

 

 懐。

 

 空く。

 

「開いてもいいかもな」

 

 低く。

 

 身体を沈める。

 

 敵の剣は。

 

 既に上へ流れている。

 

 無防備。

 

 綾斗のセルヴィトラが。

 

 下から。

 

 鋭く走る。

 

 装甲へ。

 

 深い傷。

 

 敵が後退した。

 

 だが。

 

 倒れない。

 

「天霧辰明流を」

 

 綾斗の目が細くなる。

 

 遥から。

 

 受け取った剣。

 

 紗夜と。

 

 磨いた剣。

 

 戦いの中で。

 

 何度も。

 

 自分のものへ。

 

 変えてきた剣。

 

 今。

 

 この手にある。

 

 それは。

 

 もう。

 

 遥の剣ではない。

 

 幼い頃の。

 

 未完成な剣でもない。

 

 これは。

 

 天霧綾斗の。

 

 剣。

 

「……見せるよ」

 

 敵が走る。

 

 綾斗も。

 

 前へ。

 

 三メートル。

 

 二。

 

 一。

 

 敵の刃が横薙ぎに走る。

 

 綾斗は身体を沈めた。

 

 頭上。

 

 刃が通る。

 

 そのまま。

 

 足。

 

 腰。

 

 肩。

 

 腕。

 

 全身の力が。

 

 一本へ。

 

 収束する。

 

「これが」

 

 一閃。

 

 ただ。

 

 鋭い。

 

 派手な光もない。

 

 爆発もない。

 

 ただ。

 

 剣が通った。

 

「俺の剣だ」

 

 敵が止まる。

 

 次の瞬間。

 

 黒い甲冑が。

 

 斜めに。

 

 崩れ落ちた。

 

 森。

 

 再び。

 

 静寂。

 

 綾斗はゆっくりセルヴィトラを下ろした。

 

 風が。

 

 頬を撫でる。

 

 木々が。

 

 揺れる。

 

 その音の中に。

 

 もう一度。

 

『綾斗!』

 

 聞こえた気がした。

 

 振り返る。

 

 誰もいない。

 

 それでも。

 

「……うん」

 

 綾斗は。

 

 少し笑った。

 

「ちゃんと覚えてるよ」

 

     ◇

 

 第三領域。

 

 元の回廊。

 

 二つの魔法陣が。

 

 ほぼ同時に光った。

 

「ハイセ!」

 

 最初に駆け寄ったのはサーシャだった。

 

 光の中から姿を現したハイセの頬に、一筋の血が見える。

 

「怪我は?」

 

「頬だけ」

 

「血が出てるじゃないか!」

 

「掠っただけ」

 

「見せろ」

 

「嫌だ」

 

「何故だ!」

 

 いつものやり取りが始まる。

 

 その横で。

 

 もう一つの光が薄れ。

 

 綾斗が戻ってくる。

 

「綾斗!」

 

 誰かの声。

 

 遥ではない。

 

 今。

 

 共に歩いている。

 

 仲間の声。

 

「大丈夫です」

 

 綾斗は。

 

 静かに笑った。

 

 アーネストが二人を見る。

 

「どうだった?」

 

「普通」

 

 ハイセ。

 

「良い試練でした」

 

 綾斗。

 

「温度差がすごいね」

 

 シルヴィアが。

 

 くすりと笑う。

 

 そして。

 

 ハイセを見る。

 

「何か掴めた?」

 

「うん」

 

「何を?」

 

 ハイセは。

 

 少し考える。

 

 それから。

 

 胸へ。

 

 手を置いた。

 

「……歌」

 

 短い。

 

 それだけ。

 

 でも。

 

 シルヴィアは。

 

 それ以上。

 

 聞かなかった。

 

 ただ。

 

 少しだけ。

 

 嬉しそうに。

 

 笑った。

 

 一方。

 

 綾斗は。

 

 手元のセルヴィトラを見る。

 

「僕も」

 

 小さく。

 

 呟く。

 

「剣を」

 

 ずっと。

 

 自分の中に。

 

 あったもの。

 

 受け取ったもの。

 

 教わったもの。

 

 憧れたもの。

 

 全部。

 

 今。

 

 自分の中にある。

 

 誰かから。

 

 受け取る。

 

 でも。

 

 そのまま。

 

 持っているだけではない。

 

 磨く。

 

 考える。

 

 失敗する。

 

 変える。

 

 そして。

 

 いつか。

 

 自分のものになる。

 

 ハイセは。

 

 歌を。

 

 綾斗は。

 

 剣を。

 

 受け継いだ。

 

 そして。

 

 二人とも。

 

 その先へ。

 

 歩き始めていた。

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