暗律の戦乙女は盤上を覆すが故、己が未来を選ぶ   作:カミッシー

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第90話 選択肢を奪い、選択を尊ぶ

 

ピアソラが目を開いた時、最初に認識したのは、視界いっぱいに広がる無数の柱だった。

 

 白灰色の石柱が規則性もなく林立し、その一本一本が人の胴よりも遥かに太い。天井まで届くほど高く伸びているせいで、数十メートル先を見通すことさえ難しかった。足元には浅い水が張られており、僅かに動くだけでも波紋が広がり、靴音とは別に水を踏む音が周囲へ反響する。

 

「……なるほど」

 

 ピアソラはすぐには動かず、視線だけで柱の間隔や足場、水面へ映る影、わずかな空気の揺らぎを確認した。空間全体の広さは分からない。出口も見えず、敵の姿も確認できない。

 

 それでも、何もいないとは思わなかった。

 

「わたくしだけ、随分と性格の悪い場所へ送ってくださいましたわね」

 

 呟いた直後、水面が小さく揺れた。

 

 右。

 

 ピアソラは迷わずセルヴィトラを構える。直後、柱の影から放たれた光弾が真正面から飛び込んできた。

 

 甲高い衝突音とともに、光弾はセルヴィトラの刀身へ弾かれる。腕へ伝わった衝撃は重かったが、防御そのものは崩れない。

 

 続いて左から三発、さらに背後から二発。どれも直撃すれば無傷では済まない威力だったが、攻撃そのものよりも、どこか意図的な配置の方が気になった。

 

「射撃型……いえ」

 

 ピアソラは柱の陰へ身体を滑らせながら、飛来した光弾の軌道を脳裏で結んでいく。

 

 右を避ければ左へ追い込み、左へ動けば背後から撃つ。まるでこちらの動きを最初から知っているかのように、攻撃が次の逃げ道へ先回りしている。

 

 いや。

 

 違う。

 

 知っているのではない。

 

 選ばせている。

 

「……嫌なところまで似ていますわ」

 

 その瞬間、ピアソラの脳裏に、少し前の光景が蘇った。

 

     ◇

 

「これ読んでみて」

 

 そう言ってハイセが差し出したのは、武器でも研究資料でもなかった。

 

 漫画だった。

 

 ピアソラはしばらく表紙を見つめたあと、無言でハイセへ視線を戻した。

 

「何ですの、これは」

 

「漫画」

 

「それは見れば分かりますわ」

 

「面白いよ」

 

「そういうことを聞いているのではありません」

 

 ハイセは少しだけ考え、それから隣に積んであった数冊を手に取った。

 

「エルネスタから借りた」

 

「何故わたくしが読む必要がありますの?」

 

「ピアソラと相性が良さそうな戦術があるから」

 

「……漫画の中に?」

 

「うん」

 

 あまりにも当然のように答えるので、ピアソラはしばらく言葉を失った。

 

 その作品――『ワールドトリガー』の中で、ハイセが特に注目したのは二人の人物だった。

 

 二宮匡貴。

 

 そして、那須玲。

 

「この二人の戦い方を、そのまま真似しろってことじゃないよ」

 

 机の上へ漫画を開きながら、ハイセは説明を始めた。

 

「二宮の強みは火力だけじゃない。攻撃を置くことで、相手に嫌な選択をさせること」

 

 そう言って、ページの一角を指先で示す。

 

「広く守れば重い攻撃が通る。重い攻撃に意識を寄せれば、別の弾が通る。避ければ、その逃げた先に次がある」

 

「つまり、攻撃そのものではなく」

 

「相手の行動を設計する」

 

 ピアソラが続きを言うと、ハイセは頷いた。

 

「そう。それで那須の方はもっと分かりやすい。バイパーの軌道そのものを使って、戦場の形を変える」

 

「真正面へ撃つ必要はない、と」

 

「うん。後ろでも上でも、柱の裏でもいい。敵が『そこへ行きたくない』と思う場所に弾を置けばいい」

 

 ハイセは机の上に三つの小物を置いた。一つが敵、一つがピアソラ、もう一つが障害物らしい。

 

「ピアソラの場合、さらにセルヴィトラがある」

 

「防御力、ですわね」

 

「そう」

 

 ハイセは小物の一つを指で動かして、ピアソラ役へ近づけた。

 

「普通の射手なら、相手に接近されるのは嫌でしょ?」

 

「当然でしょう」

 

「でもピアソラは違う」

 

 ハイセは笑った。

 

「近づいてきてもいい」

 

「…………」

 

「むしろ、近づかせればいい」

 

 その一言に、ピアソラは僅かに目を細めた。

 

「ハウンドで動かす。バイパーで逃げ道を作り替える。それでも前へ来るなら、最後はセルヴィトラで受ける」

 

「つまり……」

 

「ピアソラ自身を、最後の壁にする」

 

 ハイセはそこで一度説明を止めたあと、机の上の小物を元の位置へ戻した。

 

「でも、そのまま使わなくていいよ」

 

「ここまで説明しておいて?」

 

「俺が考えたのは材料だけだから」

 

 そう言って椅子の背へ身体を預ける。

 

「最後はピアソラが決めればいい」

 

 その時の言葉を、今のピアソラは不思議なほど鮮明に覚えていた。

 

     ◇

 

「……本当に」

 

 現在へ意識を戻し、柱の向こうに複数の光弾が浮かぶのを見ながら、ピアソラは小さく息を吐いた。

 

「妙な方ですわ」

 

 デミルークスを展開し、複数の光弾を生成する。

 

「ハウンド」

 

 敵の姿はまだ見えない。それでも撃つ。

 

 柱の左右へ弾を散らし、あえて敵そのものを狙わない。狙うのは、敵が隠れている場所から出たくなる方向だ。

 

 着弾。

 

 爆音。

 

 石片。

 

 直後、一つの影が柱の裏から飛び出した。

 

「そこですわね」

 

 ピアソラはすぐには追撃せず、まず相手を見る。

 

 黒い装甲。細身の体躯。両腕には射撃機構。動きは速いが、防御力はそれほど高くない。代わりに、こちらとの距離を一定に保とうとしている。

 

「なるほど」

 

 再びハウンドを展開する。

 

 今度は弾数を増やし、正面、右、上と三方向から圧力をかける。敵は左へ動いた。

 

 想定通り。

 

 だが、そこへは撃たない。

 

「バイパー」

 

 新たな光弾が正面へ飛び、柱を回り込み、さらに軌道を変えて敵の背後へ回る。逃げ道そのものを塞ぐ軌道だった。

 

 敵が止まる。

 

 ほんの一瞬。

 

 それだけで十分だった。

 

 後方からハウンドが追いつき、爆発が起こる。

 

 敵は被弾直前に横へ飛び、直撃は避けた。浅い。まだ倒れない。

 

「まだですわね」

 

 ピアソラは追わなかった。

 

 追えば、自分が相手の動きに合わせることになる。

 

 それでは駄目だ。

 

 戦場を、こちらへ合わせる。

 

 次のハウンドは数を増やし、その代わり威力を落とした。目的は倒すことではなく、動かすこと。

 

 右へ弾を置けば、敵が避ける。

 

 左へさらに置けば、また避ける。

 

 後ろへ下がろうとした先には、既にバイパーが回り込んでいる。

 

 逃げ道を潰された敵は、前へ出るしかない。

 

「そうですわ」

 

 ピアソラは僅かに笑った。

 

「こちらへいらっしゃいな」

 

 敵は一気に距離を詰める。

 

 射撃では埒が明かないと判断したのだろう。両腕の機構を変形させ、光の刃を形成して真っ直ぐ突っ込んでくる。

 

「射手だと思ったのなら」

 

 ピアソラはセルヴィトラを構える。

 

「残念でしたわね」

 

 衝突。

 

 重い。

 

 足元の水が大きく弾け、衝撃が腕から肩、身体全体へ伝わる。それでもセルヴィトラは受け止めた。

 

 敵は、一瞬だけ動きを止める。

 

 そこで。

 

 ピアソラは思い出す。

 

 ハイセの、もう一つの顔を。

 

 研究者。

 

 戦闘者。

 

 冒険者。

 

 そして。

 

 アイドル。

 

     ◇

 

 最初に聞いた時、正直なところ理解できなかった。

 

 何故。

 

 そう思った。

 

 女性になった。

 

 それだけでも、普通なら人生が大きく揺らぐ。

 

 それなのにハイセは、あまりにも自然に言った。

 

 後悔していない。

 

 今の自分の方が好きだ。

 

 最初は強がりかとも思った。

 

 けれど、違った。

 

 ピアソラは知っている。

 

 ステージの上で歌うハイセを見たことがある。

 

 照明を浴び、客席へ手を振り、リューネハイムと並んで笑っている姿を。

 

 そこに無理はなかった。

 

 誰かに押しつけられた役割を演じている顔でもない。

 

 誰かに命じられて立っている顔でもない。

 

 ただ、楽しそうだった。

 

 自分で選んだ場所に、自分の足で立っている人間の顔だった。

 

 そして、その事実を思い出すたびに、ピアソラの中で一つの結論がはっきりしていく。

 

 サーシャが取り戻したかった「昔のハイセ」。

 

 けれど、その昔へ戻りたいと、ハイセ本人は望んでいない。

 

 むしろ今、歌って、研究して、冒険して、女性として生きている現在の自分を、本人が気に入っている。

 

 なら。

 

 昔へ戻そうとすることは、救いではない。

 

 本人が選び取った今を否定することになる。

 

 そこまでサーシャは、最初は分かっていなかった。

 

 だから壊れた。

 

 だから衝突した。

 

 そして。

 

 あの事件まで行ってしまった。

 

「……本当に」

 

 敵の刃をセルヴィトラで受け止めながら、ピアソラは僅かに目を細める。

 

「不器用ですわね」

 

 それがサーシャへ向けた言葉なのか、ハイセへ向けた言葉なのか、自分でも分からない。

 

 でも、分かることは一つあった。

 

 今のハイセを、昔へ戻す必要はない。

 

 今のハイセを、そのまま見るべきなのだ。

 

 そしてサーシャも、ようやくそれを始めた。

 

「……なら」

 

 敵がさらに力を込める。

 

 セルヴィトラが軋む。

 

 それでも、ピアソラは退かなかった。

 

「わたくしも」

 

 自分の思い込みだけで、ハイセという人間を決めつけるべきではない。

 

 サーシャを泣かせる男。

 

 それだけではない。

 

 技術を人へ渡す。

 

 戦術を人へ渡す。

 

 選択肢を人へ渡す。

 

 そして最後は、自分で決めろと言う。

 

「……腹立たしいですわ」

 

 ピアソラは小さく笑った。

 

 何故なら。

 

 分かってしまう。

 

 その考え方が。

 

 嫌いではない。

 

「それでも」

 

 敵の刃を横へ流す。

 

 姿勢が崩れた。

 

 その背後。

 

 そこには、先ほど外れたはずのバイパーがまだ飛んでいる。

 

 大きく回り、柱の裏を抜け、今まさにここへ戻ってくる。

 

「サーシャへの態度まで許した覚えはございませんけれど」

 

 背後と左右にはバイパー。

 

 上空にはハウンド。

 

 そして正面には、セルヴィトラを構えたピアソラ自身。

 

 敵が動きを止める。

 

 逃げ道はない。

 

「チェックメイトですわ」

 

 一斉に光が収束した。

 

 爆音。

 

 水面が大きく波打ち、柱の間を衝撃波が走る。

 

 やがて光が消えた時、敵は膝をつき、そのまま崩れ落ちた。

 

 ピアソラはしばらく動かず、呼吸を一度、二度と整えてから、ゆっくりセルヴィトラを下ろした。

 

「……なるほど」

 

 今なら分かる。

 

 ハイセが何を言いたかったのか。

 

 ハウンド。

 

 バイパー。

 

 セルヴィトラ。

 

 どれか一つが主役なのではない。

 

 相手の選択肢を一つずつ減らし、最後に残した場所へ自分が立つ。

 

 それがピアソラの戦い方。

 

 借り物ではない。

 

 二宮でも、那須でも、ハイセでもない。

 

 ピアソラ自身の戦術。

 

「……ありがとうございます」

 

 誰もいない空間で、彼女は小さく呟く。

 

「ハイセ」

 

 だが。

 

 すぐに少しだけ眉を寄せた。

 

 本当に。

 

 扱いに困る。

 

 サーシャはハイセが好き。

 

 けれど、ハイセは絶対に振り向かない。

 

 そして。

 

 ハイセには、もう別の人がいる。

 

 本人だけが、それを理解していない。

 

「よくわからない、ですものね」

 

 リューネハイムのことを聞いた時、ハイセはそう言った。

 

 よくわからない。

 

 でも嫌ではない。

 

 離れたいとも思わない。

 

 心も、身体も許せる。

 

 そんなもの。

 

 ピアソラからすれば、答えはほとんど出ている。

 

「……喜ぶべきなのか」

 

 サーシャがハイセに振り向いてもらえない。

 

 それは自分にとって有利。

 

 でも。

 

 サーシャが傷つく。

 

 それは嫌だ。

 

「困惑していますわ」

 

 ピアソラは深く溜息を吐いた。

 

 その時。

 

 足元に帰還の魔法陣が浮かび上がる。

 

「……やっとですのね」

 

 遅くなった。

 

 皆、待っている。

 

 特に。

 

 サーシャ。

 

 そう思うと、胸の奥が少しだけ温かくなった。

 

「戻りましょう」

 

 光が、身体を包んだ。

 

     ◇

 

 第三領域。

 

 サーシャは、ずっと同じ場所に立っていた。

 

「……まだか」

 

 何度目か分からない同じ言葉を呟く。

 

「大丈夫だよ」

 

 壁へ寄りかかっていたハイセが言う。

 

「ピアソラなら」

 

「分かっている」

 

「じゃあ座れば?」

 

「うるさい」

 

「はい」

 

 シルヴィアは、そんな二人を少し離れた場所から眺めていた。アーネストも何も言わない。ただ待つ。

 

 その時。

 

 床に光が生まれた。

 

「!」

 

 サーシャが一番に振り向く。

 

 魔法陣の輝きが大きくなり、その中央からピアソラが姿を現した。

 

「ピアソラ!」

 

 サーシャが駆け寄る。

 

「遅いぞ!」

 

「申し訳ありませんわ」

 

 ピアソラは少しだけ驚いたあと、笑った。

 

「少々、考え事をしておりましたの」

 

「怪我は?」

 

「ありません」

 

「本当だな?」

 

「ええ」

 

 サーシャは肩、腕、顔と順番に確認していく。

 

 ピアソラはされるがままになりながら、少しだけ嬉しそうに目を細めた。

 

 そこへハイセが近づく。

 

「どうだった?」

 

 ピアソラは、そちらを見た。

 

 今、改めて見る。

 

 女性になったハイセ。

 

 研究者。

 

 冒険者。

 

 アイドル。

 

 歌姫。

 

 昔とはまるで違う。

 

 でも。

 

 それでいい。

 

 本人が今を気に入っているなら。

 

 それが答え。

 

「非常に」

 

 ピアソラは静かに微笑む。

 

「参考になりましたわ」

 

「そっか」

 

「それと」

 

「なに?」

 

「あなたという方が」

 

 一瞬、言葉を選ぶ。

 

「以前より、少し理解できました」

 

「褒めてる?」

 

「半分ほどは」

 

「半分なんだ」

 

「残り半分は、やはり腹立たしいですわ」

 

「なんで?」

 

「ご自分でお考えください」

 

「理不尽」

 

「あなたにだけは言われたくありませんわ」

 

 ピアソラは、ぷいと顔を逸らす。

 

 その先には、サーシャが心配そうにこちらを見ていた。

 

 胸の奥が、少しだけ痛い。

 

 でも。

 

 それでいい。

 

 サーシャが誰を好きか。

 

 それを自分が変える権利はない。

 

 ハイセが誰を好きになるか。

 

 それも同じ。

 

 戦場では、相手の選択肢を奪う。

 

 けれど。

 

 人の心まで奪ってはいけない。

 

 自分が好きなのは、誰かに選ばされたサーシャではない。

 

 自分で選ぶサーシャ。

 

 だから。

 

「……行きましょうか」

 

 ピアソラが言う。

 

「皆様」

 

 声は、いつもと変わらない。

 

 けれど。

 

 少しだけ軽かった。

 

 試練を越えたのは、戦術だけではない。

 

 自分の中にあったいくつもの感情を、無理に一つへ決めつけることをやめた。

 

 好き。

 

 嫌い。

 

 羨ましい。

 

 腹立たしい。

 

 尊敬。

 

 困惑。

 

 全部あっていい。

 

 その上で。

 

 自分が何を選ぶかを決めればいい。

 

 ハイセが、いつもそうするように。

 

 ピアソラもようやく、自分の答えを選び始めていた。

 

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