【暗律の戦乙女(ヤミキューレ)】は盤上を覆すが故、己が未来を選ぶ 作:カミッシー
《神の箱庭》から帰還した九人を待っていたのは、歓声でも盛大な出迎えでもなく、まず徹底した検査と報告だった。
禁忌迷宮を、それも九つの試練を有する《神の箱庭》を完全踏破した以上、誰もが無傷のまま帰還したという事実だけで十分に異常なのだが、その「異常」を感想だけで済ませるほど周囲も呑気ではない。身体への未知の影響、精神干渉、持ち帰った物質や魔力の残留、さらには迷宮そのものから付与された何らかの情報汚染まで想定され、九人は帰還直後から別々の区画へ回されることになった。
もっとも。
「……暇」
検査台の上で仰向けになったハイセは、天井を見ながら露骨に退屈そうな声を漏らしていた。
「十分前にも同じことを仰っていましたわよ」
隣の簡易ベッドでは、ピアソラが魔力波形の測定を受けながら呆れた視線を向けている。
「だって何もすることないんだもん」
「先ほどまで禁忌迷宮で七大災厄を消し飛ばしていた人間の台詞とは思えませんわね」
「消し飛ばしたのはみんなだよ。俺だけじゃないし」
「その“みんな”を歌で底上げしていたでしょうが」
「でもオーフェリアの最後の一撃、絶対やりすぎだったよね」
話を振られたオーフェリアは、少し離れた場所で測定用の魔導端末に片手を乗せながら、何でもないことのように首を傾げた。
「倒したから問題ない」
「地形ごと消えかけてたんだけど」
「倒したから問題ない」
「二回言った!?」
結局、最後までこの調子だった。
身体検査も精神検査も、九人全員に重大な異常は見られなかった。むしろ長時間の迷宮攻略を終えた直後とは思えないほど状態は安定しており、担当者たちの方が結果を見て困惑する始末だった。
だが。
ハイセが《神の箱庭》から持ち帰ったものだけは、誰も笑って済ませることができなかった。
【セイレーン計画】。
もともとは、星辰力を持たない人間へ人工的に星脈世代としての適性を与えるという、従来の医療技術の常識からすればほとんど暴論に近い計画だった。ハイセ自身という明確な成功例はあるものの、成功例が一人存在することと、それを社会全体へ普及できることはまるで違う。
カミラ・パレートも。
ディルク・エーベルヴァインも。
そこで慎重になっていた。
成功率は年々上昇していた。
副作用も減っていた。
だが、「ほぼ安全」と「絶対に安全」の間には、研究者にとって途方もなく大きな溝がある。
一万人に一人でも重篤な後遺症が発生するなら。
十万人に一人でも死亡する可能性が残るなら。
その技術を、健康な子供や若者へ広く施していいのか。
ましてや、星脈世代になることを目的とする処置である以上、それは本来、病気を治すためにどうしても必要な医療ではない。
だからこそ、最後の一線を越えるには、ただ成功率を上げるだけでは足りなかった。
《神の箱庭》が与えた知識は、その最後の一線を飛び越えるためのものだった。
ハイセ自身を成功例として蓄積された膨大な臨床データ。
カミラが築き上げてきた人体制御技術。
エルネスタ由来の補助演算系。
さらに、異世界側で得られた魔力循環理論。
それらを全部つなぎ合わせる。
しかも単に安全性を高めるのではない。
術者の技量差を吸収する自動補正。
拒絶反応の事前検知。
星辰力の発現量に応じた自律制御。
発育期にある子供の身体へ合わせて変化する長期補正。
設備そのものの小型化。
使用素材の代替規格。
地方施設でも実施できる簡略化された工程。
ハイセが得た技術体系は、【セイレーン計画】を「ごく一部の研究施設でのみ可能な特殊処置」から、「一定の資格と設備さえあればどこでも行える医療」へ変えるものだった。
検査を終えたハイセは、ほとんど休む間もなく研究用端末へ座っていた。
ディスプレイの上では、《神の箱庭》から持ち帰った知識がカミラの既存データと照合され、次々と統合されていく。
「……これならいける」
独り言のような声だった。
それでも近くにいた綾斗には聞こえたらしい。
「本格的に?」
「うん」
ハイセは画面から目を離さないまま頷いた。
「今までは“成功例があるから研究を続けられる”だった。でも、ここからは“安全だから広げられる”になる」
その違いは大きい。
新規入学者の不足は、六花学園側にとって以前から無視できない問題だった。
どれほど優秀な教育設備や教員を揃えても、そもそも星脈世代としての適性を持つ人間そのものが限られている。世界を跨いで門戸を広げたところで、異世界出身者の大半は星辰力を持たない以上、参加できる人間の数にはどうしても上限があった。
しかし。
安全な星脈世代化が一般化すれば、その前提そのものが変わる。
出生。
血統。
生まれ育った世界。
それらに未来を決められなくなる。
「例えば、ハイベルグの小さな村に住んでる子供が六花学園に入りたいって思ったとするじゃん」
ハイセは統合処理を進めながら言った。
「今までは、そもそも適性がなかったらそこで終わりだった。でも、これからは違う。本人が望んで、ちゃんと説明を受けて、それでも受けたいって言うなら――選択肢ができる」
「……“なれる者を探す”学園から、“なりたい者も受け入れる”学園になるわけか」
アーネストが感心したように呟く。
「そういうこと」
ハイセはそこでようやく画面から顔を上げた。
「もちろん、誰でも片っ端から手術するつもりはないけどね。本人の意思確認とか、年齢に合わせた説明とか、そっちは別でルール作らないと」
「そこをちゃんと考えているなら安心したよ」
「俺を何だと思ってるの?」
「勢いで新技術を完成させてから、後で周囲に怒られる研究者」
「……否定しにくい」
結局、そこは本人にも自覚があった。
そんなやり取りをしている間にも、別の端末では帰還後の成果報告が整理されていた。
《神の箱庭》だけではない。
これまで攻略された禁忌迷宮から持ち帰られた資源。
未知の鉱石。
植物。
魔力結晶。
ウルム=マナダイト。
そして、迷宮そのもの。
かつては「攻略して終わり」だったものが、今では社会や経済へ組み込まれ始めている。
その代表例が。
《空中城》だった。
報告資料を眺めていたアーネストが、不意に画面を止めた。
「ところで」
「ん?」
「空中城をリゾートスパに改装するなんて、よく考えたね」
それを聞いたハイセは、何でもないように答えた。
「ディルクの提案だよ」
「なるほど、彼らしい」
アーネストが妙に納得した。
《空中城》。
本来は禁忌迷宮として存在していた、文字通り空を漂う巨大構造物。
攻略後も高濃度の魔力が安定して循環しており、内部には天然の温泉に近い性質を持つ水脈まで存在していた。景観も極めて良く、高高度から見下ろす異世界の大地は、それだけでも観光資源として成立する。
それを確認したディルクが出した答えは、実に彼らしかった。
維持費が掛かる。
なら稼がせる。
研究施設として必要な区画だけを残し、それ以外を宿泊施設、温浴設備、飲食区画、展望施設へ改装する。
新しい資源を研究する場所。
観光客が金を落とす場所。
両方を同じ施設にまとめる。
しかも浮遊機構そのものは迷宮由来の技術であるため、通常の巨大建築物ほど維持エネルギーを必要としない。
数字を見れば、理にかなっていた。
「他に案はあったの?」
綾斗が尋ねる。
ハイセは少しだけ視線を逸らした。
「俺の提案した『ラピュタパーク』は速攻でボツった」
一拍。
アーネストは何とも言えない顔になった。
「……子供向けテーマパークアトラクションは維持コストが大きいからね」
「違う、そこ!?」
「他にどこがあるんだい?」
「名前とか!」
「名前も問題だったと思うよ」
「夢がないなぁ」
「禁忌迷宮を遊園地へ改装しようとする君に言われたくないと思う」
そこで、少し離れたところで話を聞いていたリューネハイムが突然、楽しそうに両手を広げた。
「『見せてあげよう、ラピュタの雷を!』」
アーネストが即座に続く。
「『旧約聖書にあるソドムとゴモラを滅ぼした天の火だよ』」
ハイセも乗った。
「『ラーマ・ヤーナでは、インドラの矢とも呼ばれているがね』」
「さっきから何の話だ!?」
サーシャの怒声が響いた。
三人が振り返る。
「有名なやつ」
「何が有名なんだ!」
「サーシャ、映画とか見ないの?」
「そんなものを見る暇があれば剣を振る!」
「ほら、そういうとこだよ」
「どういう意味だ!!」
サーシャが詰め寄ろうとしたところで。
今まで無言だったオーフェリアが、ぼそりと口を開いた。
「『見ろ、人がゴミのようだ』」
「黙れ!!!!」
室内にサーシャの絶叫が響き渡った。
数秒の静寂。
そして。
リューネハイムが耐え切れず吹き出した。
ハイセも机へ突っ伏して笑い始め、綾斗は顔を背けながら肩を震わせ、アーネストですら口元を押さえている。
ピアソラだけは額に手を当てた。
「……お願いですから、帰還直後くらい静かになさいませ」
「ピアソラ! 私は悪くないぞ!」
「一番大きな声を出しているのはあなたですわ」
「原因はこいつらだ!」
「えー」
「えー、ではない!」
そんな騒ぎを横目に、研究端末は淡々と処理を続けていた。
その画面の端には。
【セイレーン計画――安全規格統合率 八七・四%】
という表示がある。
まだ完成ではない。
《神の箱庭》から得た知識を現実の技術へ落とし込むには、カミラたちによる再検証が必要になる。
人体へ適用する以上、「神が与えたから正しい」で済ませるつもりもない。
だが。
以前までとは違う。
進むべき道が見えていた。
足りないものが何なのかすら分からない状態ではない。
最後のピースは、もう手の中にある。
あとは。
自分たちの技術へ変えるだけ。
ハイセは笑い声を収めながら、再び画面を見る。
「……カミラ、寝なくなりそうだな」
「あなたもでしょう?」
ピアソラが即座に返す。
「俺は寝るよ」
「信用できませんわ」
「失礼な」
「前科がありますもの」
ハイセは唇を尖らせたが、反論はしなかった。
やがて視線の先で、安全規格統合率が八八%へ上がる。
その数字を見て。
ハイセはほんの少しだけ目を細めた。
自分は、偶然生き残った成功例だった。
成功する保証なんてなかった。
何が起きるかも分からなかった。
それでも。
今度は違う。
自分の後に続く人間へ、同じ賭けを強いる必要はない。
星脈世代になりたい者が。
冒険者になりたい者が。
六花学園へ入りたい者が。
力を得たいと願った時。
その願いに対して、命を差し出せとは言わなくて済む。
それこそが。
ハイセにとっては何より大きかった。
「……やっとだな」
小さく呟く。
「ん?」
綾斗が聞き返した。
「なんでもない」
ハイセはそう答えて、椅子へ深く座り直した。
《神の箱庭》は終わった。
けれど。
そこで手に入れたものが世界へ届くのは、これからだった。
【セイレーン計画】。
異世界とアスタリスク。
二つの世界で生まれた場所も、血筋も、才能も異なる人々へ、新しい選択肢を与える計画。
その本格始動は。
もうすぐそこまで来ていた。
そして同じ頃。
かつて攻略された《空中城》では。
建物入口に、新たな看板が掲げられていた。
――《天空温泉リゾート グランドオープン予定》。
その片隅には、ハイセが最後まで諦め切れず提出した企画書。
【ラピュタパーク構想】
が。
大きな赤字で。
却下
と書かれたまま、ひっそりとファイルされていた。