【暗律の戦乙女(ヤミキューレ)】は盤上を覆すが故、己が未来を選ぶ 作:カミッシー
《神の箱庭》を完全踏破し、【セイレーン計画】を完成へ導く最後の技術体系まで手に入れたことで、一連の禁忌迷宮攻略はようやく終わりを迎えた――少なくとも、ハイセはそう思っていた。
しかし、迷宮を攻略することと、その成果を現実社会へ持ち帰って処理することは、まったく別の話だった。
採取された未知素材。
迷宮内部で確認された技術。
研究利用が可能な魔力資源。
攻略者個人に認められる報酬。
各学園に帰属する研究成果。
異世界側国家との共同利用権。
そして、それらをフェアトレード市場へ流通させる場合の配分。
戦場では敵を倒せば終わる。しかし社会では、一つの資源を手に入れれば、そこから新しい問題が十個ほど生えてくる。
広い会議室の中央に据えられた巨大な円卓を前に、ハイセは積み上げられた資料を見ながら、心底うんざりしたように頬杖をついた。
「……コルナディオ・ミノタウルス倒すより面倒じゃない?」
「当然だろう」
対面に座っていたディルクが、資料から顔も上げずに答えた。
「怪物は殴れば黙る。金と権利は殴っても黙らねえ」
「説得力あるなぁ」
「褒めてねえなら黙ってろ」
「褒めてるよ?」
「ならもっと腹が立つ」
そんな二人のやり取りを横目に、アーネストは手元の資料へ丁寧に目を通していた。綾斗や星露、リューネハイムたち《神の箱庭》攻略参加者も同席しており、攻略によって得られた成果そのものについては、大部分の配分案が既にまとまっている。
問題は。
そこへ至るまでに行われた、別の禁忌迷宮攻略だった。
「では」
進行役が静かに資料を切り替える。
卓上の大型ディスプレイへ二つの名称が表示された。
――《狂乱磁空大森林》。
――《空中城》。
室内の空気が、ほんの僅かに変わった。
《狂乱磁空大森林》と《空中城》は、どちらもフェアトレード制度が正式に整備される以前に攻略された禁忌迷宮である。
攻略を実行したのはユリス、綾斗、紗夜、麒麟。
その裏で計画を動かしていたのは。
「ご説明をお願いできますでしょうか、クローディア・エンフィールド?」
皆の視線が、一人の少女へ集まる。
クローディアはいつもの柔らかな笑みを浮かべたまま、優雅に両手を膝の上で重ねていた。
「もちろんですわ」
まるで追及を受けているとは思えない余裕だった。
「まず、大前提から申し上げます。当時、禁忌迷宮の攻略権および攻略後の資源利用について、各学園間で定められた統一規則は存在しておりませんでした」
「まあ、そうだよね」
ハイセが頷く。
当時はまだ、禁忌迷宮という存在そのものについて、それが単なる危険区域なのか、攻略可能な資源地帯なのか、それとも国家規模の価値を持つ遺産なのかすら正確に理解されていなかった。
ましてや、異世界とアスタリスクの間で資源を継続的に取引する市場など存在していない。
「したがいまして」
クローディアは笑顔のまま続けた。
「《狂乱磁空大森林》および《空中城》の攻略は、当時の規則に照らせば何ら問題のない行為ですわ」
「つまり、早い者勝ちだったというわけじゃな」
星露が腕を組む。
「身も蓋もない言い方をすれば、そうなりますわね」
「そして一番早かったのが星導館だった、と」
アーネストが言うと、クローディアは微笑みを崩さずに頷いた。
「正確には、“一番早く価値へ気付いた者が動いた”というところでしょうか」
その一言に、ハイセがぴくりと反応した。
「……やっぱりさ」
クローディアを見る。
「何でしょう?」
「最初から、俺たちにダンジョンの価値を意識させるつもりだった?」
会議室が少し静かになった。
クローディアは、一度だけ瞬きをする。
それから。
「さて」
楽しそうに微笑んだ。
「どうでしょう?」
「ほらぁ!」
ハイセが机を指差した。
「絶対なんか企んでた顔じゃん!」
「人の顔を証拠にしないでいただけます?」
「じゃあ否定してよ!」
「否定する必要もございませんもの」
「そういうとこだよ!」
綾斗が苦笑し、リューネハイムは楽しそうに二人を見比べる。
結局。
クローディアが本当にどこまで読んでいたのかは、本人以外には分からない。
リーゼルタニア王国の慢性的な財政難を少しでも改善するため、未知資源を先行して確保したかっただけなのか。
ハイセたちへ、禁忌迷宮が持つ経済的価値を認識させたかったのか。
あるいは、ハイセが資源争奪そのものではなく、それを管理する新しい仕組みを作る人間なのかを試したかったのか。
もしかすると、そのすべてだったのかもしれない。
クローディア・エンフィールドという少女は、一つの目的だけで動くには少々賢すぎる。
しかし、彼女の真意がどうであれ、事実は変わらなかった。
星導館側は、制度が成立する以前に二つの禁忌迷宮から大きな先行利益を得ている。
《狂乱磁空大森林》からは未知の研究資源。
《空中城》からは建造物、魔力循環設備、宿泊施設として転用可能な空間、そして現在ではリゾート事業へ発展しつつある巨大な観光資産。
違法ではない。
返還義務もない。
だが。
「問題は、これを“違反ではありませんでした”だけで終わらせていいのか、ということでしょうね」
アーネストが静かに言った。
クローディアが彼を見る。
「現在はフェアトレード市場が存在する。各学園と異世界側が一定の規則に従い、資源を共有し、購入し、利益を分配する仕組みも整い始めている。ならば制度成立前の行為だったとしても、星導館だけが大きな先行利益を保持し続ければ、不満が生まれる可能性はある」
「その通りですわ」
意外にも、クローディアはあっさり認めた。
「ですので、星導館側から一つ提案がございます」
操作端末へ手を伸ばす。
新しい配分表が表示された。
ハイセは最初、何が変わったのか分からなかった。
数秒ほど数字を追い。
「あ」
気付く。
「星導館の取り分、減ってる」
「正確には、《神の箱庭》攻略によって星導館側へ帰属する利益の一部を、今回まで先行利益の少なかった学園へ振り分けます」
配分先には界龍第七学院と聖ガラードワース学園を中心に、他の関係組織の名前も並んでいる。
「返還するの?」
綾斗が尋ねる。
「いいえ」
クローディアは即答した。
「返還義務はございませんもの」
「じゃあ、これは?」
「投資ですわ」
クローディアは淡々と言った。
「フェアトレード市場そのものへの」
その場にいた何人かが納得したように目を細める。
「市場というものは、参加者が規則を信用して初めて成立します。“結局、先に動いた者だけが得をする”“規則ができる前に奪った者勝ちだった”という感情が残ったままでは、今後どれだけ公平な制度を作っても信用されません」
「だから、自分たちから少し渡す?」
「そうです」
「善意で?」
ハイセが訊ねる。
クローディアは。
「まさか」
満面の笑みで否定した。
「市場が壊れれば、最も損をするのは既に利益を得ている側ですもの」
「うわぁ」
「何ですの、その反応は」
「いや、クローディアだなぁって」
「褒め言葉として受け取っておきますわ」
星露が喉を鳴らして笑った。
「大した女じゃのう。謝罪ではなく、将来の利益のために自分から金を出すか」
「謝罪する理由がございませんので」
「そこは頑として譲らぬのじゃな」
「事実は事実ですもの」
クローディアは悪びれない。
だが、それで良かった。
ここで過去を無理やり罪へ変えてしまえば、今度は逆の不公平が生まれる。
ルールが存在しなかった時代の行為を、後から作ったルールで裁く。
それを許せば、今後どんな制度を整えても、「いつ過去を遡って責任を問われるか分からない」という新しい不信が生まれる。
だから。
過去は合法だったと認める。
得た利益も奪わない。
その上で、これからの制度を安定させるために自主的な調整を行う。
処罰ではない。
補償でもない。
未来への投資。
それが最も現実的な落としどころだった。
「……なんかさ」
ハイセは配分表を眺めながら呟いた。
「最初は本当に、何も考えてなかったよね」
「禁忌迷宮について?」
リューネハイムが尋ねる。
「うん」
ハイセは椅子へ深く腰を下ろした。
「攻略できるなら攻略する。面白い素材があったら持って帰る。それくらいだった」
そこから始まった。
クローディアが先に二つの迷宮を攻略させた。
資源が流れた。
研究が進んだ。
利益が生まれた。
すると、当然誰かが気付く。
これは冒険だけではない。
社会を変えるだけの価値を持っている。
そして価値があるものは、放置すれば奪い合いになる。
「だからフェアトレード、か」
綾斗が言う。
「そう」
ハイセは頷いた。
「欲しい奴が奪いに行くんじゃなくて、持ってる奴から買えるようにする。攻略した側にはちゃんと利益が出る。研究したい側は、攻略そのものに参加できなくても資源を手に入れられる」
「異世界側にも利益が残る」
アーネストが続ける。
「一方的にアスタリスクへ資源を持ち出すわけではなく、その対価として技術や資金も向こうへ流れる」
「そういうこと」
ハイセは小さく笑った。
セイレーン計画。
小規模フェスタ。
新エネルギー技術。
迷宮資源研究。
空中城のリゾート化。
そのどれも。
片方の世界だけが得をする形では続かない。
誰かが一方的に奪う仕組みは、いつか必ず破綻する。
だから。
利益を循環させる。
価値を交換する。
選択肢を分け合う。
「……懐かしいね」
リューネハイムが不意に言った。
「何が?」
「【フェアステージ】」
ハイセが少し目を見開いた。
五十九話。
あの頃は、もっと小さな話だった。
誰かだけが有利にならないように。
それぞれが持つ力を、正当な条件の中でぶつけ合えるように。
公平な舞台を作る。
それが【フェアステージ】だった。
しかし。
公平であるべきなのは、戦う場所だけではなかった。
「フェアステージから」
ハイセが、目の前の資料を見る。
「フェアトレード、か」
「随分大きくなったわね♪」
「俺が考えた時、ここまで行く予定なかったんだけど」
「世の中とは、往々にしてそういうものだよ」
アーネストが穏やかに笑う。
「一つの考え方が、その人の手を離れて広がっていく。それもまた、思想が社会へ根付くということなのかもしれないね」
「なんか大袈裟だなぁ」
「実際、大袈裟なことになっているからね」
その言葉に、ハイセは反論できなかった。
研究資源の供給が安定し始めた。
異世界側でも新しい産業が生まれ始めた。
ハイベルグではフェスタによる経済循環が始まっている。
空中城は観光地へ姿を変えようとしている。
そしてセイレーン計画が本格化すれば、六花学園へ入学できる人間そのものが増える。
ほんの数年前まで。
ハイセ自身は、自分が弱いというだけで選択肢を奪われた側だった。
今は。
そのハイセを中心に生まれた制度が、見知らぬ誰かへ選択肢を配ろうとしている。
皮肉な話だ。
そして。
少しだけ嬉しい。
「では」
進行役が最後の確認へ入る。
「《神の箱庭》攻略成果については、修正された配分案を採択。《狂乱磁空大森林》《空中城》については、当時の攻略および資源取得を正式に合法と再確認し、返還義務なし。今後の禁忌迷宮攻略については、フェアトレード規定を適用する。以上でよろしいでしょうか」
反対意見は出なかった。
一人ずつ承認が示される。
そして。
最後の確認が完了した。
「これをもって、《神の箱庭》攻略に関する一連の処理を終了します」
「終わったぁ……」
ハイセが机へ突っ伏した。
「攻略より後片付けの方が長く感じた」
「当たり前だ」
ディルクが吐き捨てる。
「攻略して終わりならガキでもできる。取ってきたものをどう使って利益に変えるかまで考えて、初めて仕事だ」
ハイセがゆっくり顔を上げる。
「……言い方!」
「間違ってるか?」
「間違ってないのが腹立つ!」
「だったら黙って覚えろ」
リューネハイムがくすくす笑い、綾斗も苦笑する。
クローディアは、そんな彼らを眺めながら優雅に紅茶のカップへ口をつけた。
その横顔を見て。
ハイセはやはり思う。
この人。
本当に。
最初からどこまで考えていたのだろう。
「クローディア」
「はい?」
「やっぱり、俺たちがこういう制度作るところまで読んでた?」
クローディアは少しだけ目を細めた。
「ハイセさん」
「うん」
「世の中には、知らない方が楽しいこともございますのよ?」
「うわ、絶対なんかやってる!」
「さあ、どうでしょう?」
最後まで。
答えは返ってこなかった。
けれど。
それでいいのかもしれない。
始まりが誰の策略だったとしても。
今、この仕組みを選んで動かしているのは、自分たちなのだから。
公平な舞台を作るために生まれた【フェアステージ】。
それはやがて。
公平に価値を交換し、二つの世界の利益を循環させる【フェアトレード】へと姿を変えた。
奪った者が勝つ時代から。
価値を持つ者と、それを必要とする者が互いに利益を得る時代へ。
まだ始まったばかりだ。
問題も起きるだろう。
新しい利権も生まれる。
悪用しようとする者も現れるかもしれない。
それでも。
一度作った仕組みが完璧ではないからといって、作らない理由にはならない。
問題が出れば直せばいい。
足りなければ増やせばいい。
誰かだけが得をするなら、もう一度配分を考えればいい。
それもまた。
ハイセがカミラから受け継いだ【究極の汎用性】という思想が、社会へ広がった一つの形だった。
完成した答えを押し付けるのではなく。
状況に合わせて。
人に合わせて。
世界に合わせて。
何度でも、選び直せる仕組みを作る。
《神の箱庭》攻略。
その最後の後始末は。
誰かを裁くことでも。
誰かから成果を奪うことでもなく。
これから先。
二つの世界が同じ卓上で取引を続けていくための、新しい約束を作ることで幕を閉じた。
――【フェアトレード】。
五十九話で生まれた小さな「公平」は。
九十四話にして。
ようやく。
世界と世界を繋ぐ仕組みになった。