【暗律の戦乙女(ヤミキューレ)】は盤上を覆すが故、己が未来を選ぶ 作:カミッシー
《神の箱庭》から持ち帰った最後の技術体系を組み込み、【セイレーン計画】に残されていた最大の課題――施術そのものに由来する死亡、拒絶反応、能力暴走、重篤な後遺症を排除するための安全規格は、理論上ついに完成した。
だが。
だからといって、明日から誰にでも使っていい技術になるわけではない。
むしろ、本当の意味で厄介なのはここからだった。
アルルカント・アカデミー。
研究院の中でも限られた者しか立ち入ることのできない中央審査室には、普段なら同じ卓につくことさえ珍しい顔ぶれが集まっていた。
カミラ・パレート。
エルネスタ・キューネ。
ハイセ。
ディルク。
そしてヒルダ・ジェーン・ローランズ。
いつしか周囲から【悪巧み五人集】などという不名誉極まりない呼び名で括られるようになった五人に加え、最近では何故かその集まりへ自然に居座ることが増えてきたシルヴィア・リューネハイムも、今日は少し離れた席に腰掛けている。
「一応聞いておくけど」
ディルクが露骨に嫌そうな顔で室内を見渡した。
「なんで俺まで呼ばれてんだ?」
「中央【雛形】の標準管理者権限を持っているからだよ」
ハイセが何でもないことのように答える。
「返上していいか?」
「駄目」
「即答すんな」
「だって必要だし」
「何にだよ」
「悪巧みに?」
「ぶっ殺すぞ」
「ほら、もう悪巧みっぽい」
「あなたたち、本当に仲がいいわよね♪」
リューネハイムが楽しげに笑うと、ディルクは舌打ちを返した。
「で、なんでお前までいんだ」
「私はオブザーバーよ?」
「最近それを免罪符みたいに使ってねえか?」
「気のせいじゃないかしら♪」
「絶対気のせいじゃねえ」
そんなやり取りの向こう、中央席では左近洲馬が大量の資料を前にして、既に疲れた顔をしていた。
アルルカント・アカデミー生徒会長。
研究者ではない。
しかし、研究者ばかりのこの学園において、研究成果を外の社会へ通すための交渉と調整を担うという意味では、今この場に最も必要な人間でもあった。
その背後に展開された複数のモニターには、アルルカントの運営母体である統合企業財体《フラウエンロープ》の審査担当者たちが接続している。
今日は研究発表会ではない。
そして、完成披露でもない。
【セイレーン計画】を、ヒルダ個人の研究でも、ハイセたちの共同実験でもなく、社会に提供可能な正式技術として認可するための最終審査だった。
「では、始めます」
洲馬が一度息を整える。
「《神の箱庭》から提供された技術体系について、アルルカント側で再検証を行った結果から確認します。理論値の転用ではなく、こちらで再構築した条件下において、施術時の生体拒絶、星辰力暴走、循環不全、術後の能力不安定化について、安全規格内での制御を確認しました」
表示されていたグラフが切り替わる。
年齢。
体格。
基礎星辰力。
既往の疾患。
肉体成長段階。
術後の能力発現形式。
これまでヒルダのような一部の天才研究者にしか扱えなかった複雑な人体改造過程が、膨大な条件分岐へ落とし込まれ、自動制御可能な手順へ変わっていた。
その根底には、《神の箱庭》から得た安全技術だけではなく、長年【雛形】が蓄積してきた人間と能力、武装、星辰力運用に関する膨大な育成過程情報がある。
かつてハイセが自らの中で極限まで成長させた【武器マスター】。
それを自分だけの力として抱え込むのではなく、抽出し、譲渡し、【雛形】の中央演算核として組み込んだことで、システムの処理能力はそれまでとは異なる次元へ引き上げられた。
そして成長した【雛形】から生まれた【王冠】が市場へ巣立った時点で、その思想もまた中央一極集中から解放されている。
中央の【雛形】が存在しなくなったとしても。
ハイセがいなくなったとしても。
既に社会へ広がった支援技術と育成思想まで消滅することはない。
それは偶然ではなかった。
一人の天才だけが使えるものを、技術とは呼ばない。
一人が死ねば失われる仕組みを、制度とは呼ばない。
ハイセたちはこれまで、その考え方を武装開発で何度も繰り返してきた。
そして今度は。
人間そのものを変える技術に、その思想を適用しようとしている。
「施術者による技能差も?」
洲馬が確認する。
「限りなく排除した」
カミラが答えた。
「というより、そこを排除できなければ一般化とは呼べない。今まではヒルダのような馬鹿げた処理能力を持つ研究者が、被験者ごとに調整する必要があった。しかし新しい規格では、生体情報を入力した段階で適合範囲と必要処置を自動算出する。危険域へ入ればシステム側が停止する」
「地方設備でも?」
「最低規格を満たす医療設備があれば運用可能だ」
ハイセが続きを引き取った。
「もちろん、いきなり本当に村の診療所へ一台置くとかはしないよ。最初は認定施設から。でも、最終的にはそこまで下げられる。設備規模とか担当者の肩書きで安全性が変わる技術にはしない」
ヒルダが腕を組み、少し不満そうに鼻を鳴らした。
「随分と面白味のない技術になったものだ」
「人体改造に面白味を求めるな!」
カミラの怒声が即座に飛んだ。
「私は研究者としての感想を述べただけだよ」
「だからお前は権限を下げられたんだ!」
その言葉に反応したように、室内の端末へ小さな表示が浮かぶ。
――【HILDA JANE ROWLANDS:ADMINISTRATOR AUTHORITY/RESTRICTED-1】
ヒルダが無言でそれを見る。
他の四人――カミラ、エルネスタ、ハイセ、ディルクは標準管理者権限を維持している。
ヒルダだけ。
一段階下。
「……いつまで表示するつもりかね」
「永久でいいんじゃない?」
エルネスタが笑う。
「君たちは随分楽しそうだな?」
「うん♪」
「否定したまえ」
洲馬は額へ手を当てた。
「話を戻してもいいですか……?」
「どうぞどうぞ」
「誰のせいだと思ってるんですか……」
小さく呟いてから、洲馬は次の資料へ進んだ。
「技術的安全性については、現時点で一般運用を開始するための基準を満たしていると判断します。ただし」
そこで声の調子が変わる。
「今回、フラウエンロープ側から最も強く指摘されているのは技術ではありません」
ヒルダが僅かに目を細めた。
画面へ表示された文字。
【SIREN-Δ】
それを目にした瞬間、室内にあった軽い空気が薄れた。
今では【セイレーン計画】と呼ばれる巨大な研究。
その源流。
ヒルダ・ジェーン・ローランズが、オーフェリアへ人体実験を行う以前から秘密裏に保有していた、人体改造シミュレーター型量子AIシステム。
人為的に人間を《星脈世代》へ進化させる。
そんな研究を成立させるための揺り籠。
「SIREN-Δは当時、正式な許可も倫理審査も受けず、《フラウエンロープ》へ届け出られることもなく運用されていました」
「事実だね」
ヒルダは否定しなかった。
「隠していたことも?」
「当然だ。申請すれば止められる可能性があった」
あまりにも堂々と言うものだから、洲馬が一瞬だけ言葉を失った。
「……そこ、反省するところだと思うんですけど」
「研究成果については反省していないよ」
「そういうところです!」
洲馬の声が裏返る。
だが、誰も笑わなかった。
笑える話ではないからだ。
ヒルダの研究がなければ、現在の【セイレーン計画】は存在しなかった。
人間は後天的に《星脈世代》へ到達できる。
その可能性を最初に理論化し、実際に証明したのはヒルダだ。
オーフェリアという存在が、その証明だった。
そして後にハイセ自身も、その研究体系の中へ足を踏み入れている。
彼の場合は自ら望んで被験者となった。
ヒルダによる人体改造を受け、その過程で肉体は大きく変化し、やがてリューネハイムの能力をラーニングするという、本来ならあり得ない成果にまで到達した。
研究者の目から見れば。
ヒルダが残した成果は疑いようもなく偉大だ。
だが。
人間の人生は。
研究成果のグラフではない。
「私からも、一ついいかしら」
静かな声がした。
オーフェリアだった。
今日、この場へ招かれた理由は明白だった。
彼女以上に、この研究の始まりを語る資格を持つ人間はいない。
かつてヒルダの手によって《魔女》となった少女。
強大すぎる能力と生命を結びつけられ、その力を使うたび未来を削っていた存在。
今は違う。
ハイセによって能力と生命を強制的に連結していた仕組みは切り離され、出力こそ以前より落ちたものの、オーフェリアは能力を失うことなく、生きる時間を取り戻している。
だから。
この場にいる。
未来について語る側として。
「私は今さら、ヒルダを追放しろとも、研究をやめろとも思っていないわ」
オーフェリアは淡々と言った。
怒りも。
恨みも。
少なくとも表面には見えない。
「今の私は死なない。以前のように、力を使うたび自分の命が削れていくわけでもない。ハイセがそうしてくれたから」
ハイセは何も言わなかった。
「だからといって、昔のことが正しくなるわけでもないけれど」
ヒルダを見る。
「それを今さら裁くことにも、私は興味がないの」
「オーフェリア……」
「でも」
続ける。
「これから誰かに使うなら、私の時と同じでは駄目よ」
短い言葉だった。
それだけで十分だった。
洲馬がゆっくり頷いた。
「フラウエンロープ側も同意見です。過去の研究成果と、その手続き上・倫理上の問題は別々に評価します」
モニターへ新しい文書が表示される。
SIREN-Δおよび、それに由来する【セイレーン計画】の管理主体変更。
これまでヒルダ個人が始めた研究だったものを、正式にアルルカントと《フラウエンロープ》の共同管理下へ移す。
ヒルダは研究から排除されない。
むしろ、人為的《星脈世代》化に関する最上位研究者の一人として、今後も中核に置かれる。
しかし。
単独での施術承認権は持たない。
安全規格を単独で変更することもできない。
人体に関する実験には複数の管理者と独立審査を必要とし、操作履歴はすべて保存される。
「つまり」
ヒルダが資料を眺めながら言った。
「私の研究なのに、私一人では自由に弄れなくなるわけかね?」
「はい」
洲馬は今度こそ迷わず答えた。
「研究者としてのアクセス権限は維持されます。ただし、管理者としての最終決定権は認められません」
「ふむ」
しばらく。
ヒルダは黙っていた。
「まあ、いいだろう」
「軽っ」
ハイセが思わず声を漏らす。
「研究が続けられるのであれば、私としては大きな問題ではない」
「もっと揉めると思ってた」
「私を何だと思っている?」
「安全マージン上書きしようとして【雛形】に拒否された人」
「…………」
「事実だよ?」
「ハイセ君」
「はい?」
「後で研究室へ来たまえ」
「絶対行かない」
重くなりかけた空気が少しだけ緩む。
だが。
「待て」
その声で、再び止まった。
サーシャだった。
彼女は最初から、ほとんど口を開いていなかった。
ヒルダを見る目だけが。
ずっと冷たかった。
「安全なら一般化していい。オーフェリアがそう言うなら、昔の件を今さら私がどうこう言うつもりもない」
「サーシャ?」
「でも」
拳が僅かに握られる。
「私はこいつが嫌いだ」
「随分率直だね」
ヒルダが面白そうに笑う。
「笑うな!」
サーシャの声が鋭く響いた。
「私は今でも、お前がハイセの身体を変えたことを許していない!」
室内の空気が完全に止まった。
ハイセが僅かに眉を上げる。
昔なら。
この続きは決まっていた。
男に戻せ。
昔のハイセを返せ。
サーシャは何度もそう言ってきた。
だが。
「サーシャ」
「分かっている!」
ハイセが口を開く前に、サーシャが遮った。
「あいつが自分から実験に参加したことくらい知っている!」
その言葉に。
今度はハイセの方が黙った。
「今の自分を気に入っていることも! 男に戻りたいと思っていないことも! もう知っている!」
声は荒い。
だが。
言っていることは、以前とはまるで違っていた。
「だから私は、ハイセを男に戻せとは言わない」
リューネハイムが静かにサーシャを見る。
オーフェリアも。
カミラも。
誰も口を挟まない。
「今の身体を選ぶのはハイセだ。私じゃない」
サーシャは一度だけ歯を食いしばった。
それを認めるまで。
どれだけ時間がかかったのだろう。
「だからこそ」
ヒルダへ視線を戻す。
「この技術を一般化するなら、絶対に本人以外に決めさせるな」
誰も動かなかった。
「親が望んだから。学園に入りたいから。強くなりたいから。冒険者として有利だから。企業が欲しがったから。そんな理由で、本人が嫌だと言っている人間まで《星脈世代》にする制度にはするな」
言葉を重ねるほど。
怒りの向きが変わっていく。
昔のサーシャなら、ハイセの過去へ向けていた感情。
それが今は。
まだ見ぬ誰かの未来へ向いている。
「《星脈世代》になれることを選択肢にするのは構わない」
そこで一度息を吸う。
「だが、《星脈世代》にならないことも、同じだけ選べるようにしろ」
ハイセは。
何も言えなかった。
少し前まで。
サーシャは、自分の選択を理解しようとしなかった。
昔の自分へ戻そうとしていた。
それが今。
自分の気持ちとは違う結論であっても。
ハイセ自身が選ぶなら、それを認めようとしている。
「……サーシャ」
「何だ」
「いや」
ハイセは小さく笑った。
「そういうこと言えるようになったんだなって」
「うるさい!」
「褒めてるのに」
「お前に褒められると腹が立つ!」
「なんで!?」
「知らん!」
思わず笑いが漏れた。
ほんの少しだけ。
しかし、その場にいる誰も。
サーシャの言葉そのものを軽く扱うことはなかった。
「採用しましょう」
洲馬が言った。
「一般化条件に、施術希望者本人の意思決定権を明文化します」
新しい条項が追加されていく。
施術は本人の明確な意思に基づくこと。
十分な情報提供の後、再確認期間を設けること。
未成年の場合でも、保護者の意思を本人の意思の代替とはしないこと。
学校への入学。
奨学制度。
雇用。
冒険者登録。
その他の利益と引き換えに、施術を事実上強制することを禁止する。
そして。
施術を受けない選択によって、不当な不利益を受けさせてはならない。
「……ここまでやるの?」
エルネスタが表示を眺めながら尋ねる。
「やる」
ハイセが即答した。
「じゃないと意味ない」
自分自身が。
弱かったから。
ダークストーカーだったから。
選択肢を失った。
だからこそ分かる。
新しい力を与えることだけが、選択肢を増やすことではない。
力を受け取らない自由も。
変わらない自由も。
立ち止まる自由も。
同じように守らなければならない。
「俺、最初はさ」
ハイセが画面を見上げた。
「星脈世代になれる人が増えれば、六花学園の新入生不足も解決できるって思ってた」
「間違いではない」
カミラが言う。
「うん。でも、それを理由に『六花学園へ入りたければ星脈世代になれ』ってなったら、結局同じなんだよね」
選択肢を与える技術が。
いつの間にか。
新しい強制になる。
それでは意味がない。
「だから」
ハイセはゆっくりと言った。
「六花学園は、“星脈世代になれる奴を探す場所”から、“なりたい奴にも道を開ける場所”になる」
少しだけ間を置く。
「でも、ならない奴を否定する場所にはしない」
洲馬が頷いた。
「それを正式な制度理念として提出しましょう」
「そんな大層な話になる?」
「もうなっていますよ!」
「怒られた」
「誰のせいだと思ってるんですか!」
洲馬がとうとう机を叩いた。
「【雛形】! 【王冠】! 強化型煌式武装! 煌式複装! 禁忌迷宮資源! 新エネルギー! セイレーン計画! ハイセ君の研究、大体途中から社会制度になるんですよ!」
「俺のせい?」
「かなり!」
「カミラもいるよ?」
「巻き込むな!」
カミラが即座に返した。
「エルネスタも」
「私は面白いもの作ってるだけだよ?」
「一番駄目な答えじゃない?」
「ディルク」
「俺を見るな」
「ヒルダ」
「私は元凶だね」
「自覚あるんだ!?」
リューネハイムは肩を震わせて笑っている。
「やっぱり私、ここに来ると退屈しないわ♪」
「もう正式メンバーでいいんじゃない?」
「嫌よ!」
「即答された」
「当たり前でしょう!?」
笑いが起きた。
そして。
その笑いが収まるのを待って。
洲馬は最後の資料を開いた。
《フラウエンロープ》最終審査結果。
室内にいた全員の視線が集まる。
「【セイレーン計画】について」
洲馬の声が、今度は静かに響いた。
「技術的安全性、運用規格、倫理規定、意思決定保護、管理主体の移管、すべての条件が確認されました」
短い沈黙。
「本日をもって、研究段階を終了します」
ハイセが目を見開く。
「正式な社会実装準備段階への移行を、《フラウエンロープ》は承認しました」
画面に。
【APPROVED】
その文字が浮かぶ。
「……終わった?」
ハイセが呟いた。
「まだです」
洲馬が即答する。
「え」
「これから認定施設選定、医療スタッフ教育、設備規格策定、ライセンス制度、長期追跡調査、各学園との協議、異世界側との運用基準統一――」
「待って待って待って!」
「社会実装ってそういうものです!」
「神の箱庭より面倒じゃん!」
「今さら気付いたんですか!?」
ディルクが鼻で笑った。
「だから言っただろ。作るより回す方が面倒なんだよ」
「またそれ言う!」
「事実だ」
だが。
ハイセの口元には笑みが浮かんでいた。
面倒だ。
死ぬほど面倒だ。
研究だけしていた方が、きっと楽だった。
自分が使える技術を作るだけなら。
気に入った誰かだけを救うなら。
ここまで考える必要はない。
だが。
それでは。
意味がない。
かつて。
【武器マスター】は、ハイセ一人の可能性だった。
やがて【雛形】へ渡り。
【王冠】へ分かれ。
誰か一人がいなくても残る仕組みになった。
そして今。
ヒルダが秘密裏に抱えていたSIREN-Δもまた。
一人の天才だけが扱う危険な人体改造技術ではなくなろうとしている。
オーフェリアという犠牲を生み。
ハイセという成功例を経て。
カミラたちが安全性を積み上げ。
《神の箱庭》から最後の欠片を持ち帰り。
ようやく。
誰かが望んだ時。
生まれ持ったものだけで未来を決められなくても済む技術になる。
だが同時に。
望まない者へ押し付けることも許されない。
星脈世代になる。
星脈世代にならない。
どちらかが正しいのではない。
選べること。
それ自体が。
この計画の完成だった。
「ねえ、ヒルダ」
ハイセが不意に呼んだ。
「何かね?」
「最初にSIREN-Δ作った時、ここまでなると思ってた?」
ヒルダは一度。
本気で考えるように目を細めた。
「いや」
珍しく、即答ではなかった。
「私はただ、人間が人工的に次の段階へ到達できるかを知りたかっただけだ」
「だよね」
「それが何故」
目の前に並ぶ制度案。
医療規格。
教育制度。
本人意思の保護条項。
異世界展開案。
それらを眺め。
ヒルダは僅かに眉を寄せた。
「社会保障制度になっているのだ?」
「知らないよ」
「君たちがやったのだろう」
「元凶ヒルダじゃん」
「私は技術を作っただけだ」
「俺も大体それ言って洲馬に怒られた」
「同類ですね」
洲馬が疲れ切った声で言う。
「やめてくれないかね」
「こっちの台詞です……」
また。
少し笑いが起きる。
その向こう。
オーフェリアが静かに画面を見つめていた。
サーシャも。
何も言わない。
けれど。
昔とは違う。
誰かの研究成果として人生を決められる時代から。
自分の未来を、自分で選べる時代へ。
技術は。
ようやくそこまで来た。
そして、その成果は間もなく。
六花学園と七大冒険者たちが一堂に会する合同会合で、正式に報告されることになる。
ヒルダが秘密裏に始めた研究は。
長い遠回りの果てに。
誰かを勝手に変えるための技術ではなく。
変わりたいと願った者へ。
新しい未来を差し出すための技術となった。
――【セイレーン計画】。
その最後に必要だったのは。
神から授かった技術でも。
世界最高峰の研究者でも。
万能の演算装置でもなかった。
最後に必要だったものは。
ただ一つ。
本人へ問いかけることだった。
――あなたは、どう生きたいのか。
星を持って生まれなかった者にも。
星を望まない者にも。
同じ問いを。
同じ重さで。
だから。
誰もが星を選べるように。
そして。
星を選ばないことさえ、自分で選べるように。