【暗律の戦乙女(ヤミキューレ)】は盤上を覆すが故、己が未来を選ぶ 作:カミッシー
「では、お前たちは――これから何を選ぶ?」
バルバロスが投げかけた問いは、それまで会場を満たしていた技術や制度、経済や市場といった巨大な話題とは違い、ひどく個人的で、それゆえに誰も簡単には答えられない重さを持っていた。
二つの世界が交わったことで、冒険者社会も六花学園も、それまでとは比べものにならないほど多くの選択肢を手に入れた。
装備は進歩し、教育の仕組みは整い、医療も、資源流通も、研究環境も変わった。生まれ持った素質や出身地だけで閉ざされていた道さえ、少しずつではあるが開き始めている。
けれど、道が増えたからといって、人間が永遠にその入口へ立ち続けていられるわけではない。
いつかは、自分で選ばなければならない。何を続け、何を手放し、どこで生き、誰と未来を歩くのか。どれほど多くの可能性を手にしたとしても、最後にそのどれを自分の人生へ迎え入れるかを決めるのは、自分自身なのだから。
バルバロスは誰かを急かすことなく、中央に並ぶ七大冒険者たちの答えを待った。
やがて、一人が口を開く。それをきっかけに、それぞれが自分の未来を語り始めた。
冒険を続ける者もいれば、いつか第一線を退くつもりだと話す者もいた。クランを後進へ譲りたいと考える者、家庭を持ちたい者、店を開きたい者、道場を構えて自分の技術を次の世代へ渡したい者。空を飛び続けることそのものを自分の生き方として選ぶ者もいる。
どの答えにも、正解や不正解などなかった。
ウルは、いつか冒険者としての第一線を退いた後、自分の店を持ちたいと笑った。旅先で出会った酒や料理を集め、依頼帰りの冒険者が気軽に立ち寄れる場所を作りたいのだという。
シグムントは、剣そのものを置くつもりはないと前置きしながらも、いつの日か家族と穏やかに暮らし、自分が死線の中で身につけてきたものを若者へ教えたいと語った。敵を倒すためだけの剣ではなく、生きて帰るための剣を残したい――その言葉には、長く戦場を歩いてきた者だけが持つ重みが宿っていた。
エアリアは、誰かに止められるまで空を飛び続けるつもりだと屈託なく笑った。彼女にとって飛ぶことは仕事でも義務でもなく、生きることそのものなのだろう。ならば、無理に別の未来を選ぶ必要などない。
エクリプスもまた、満足するまで冒険者を続けた後は静かな場所で暮らすつもりだと淡々と語った。その声には未練も執着もなく、いつか訪れる終わりさえ人生の一部として自然に受け入れている落ち着きがあった。
そして、サーシャの番が来る。
彼女はすぐには答えず、ほんの僅かな時間だけ考えたあと、セイクリッドをいつか後継者へ渡したいと口にした。
「私は、ずっと冒険者として生きるつもりだった」
以前なら、その一言で話は終わっていただろう。
強くなる。クランを率いる。七大冒険者として戦い続ける。それが自分の人生であり、それ以外の道を考える必要などない。かつてのサーシャは、本気でそう思っていた。
けれど今は、少し違う。
「セイクリッドは、私がいなくなれば終わるようなクランにはしたくない。だから、いつか私より上手くまとめられる奴が出てきたら、そいつに任せる」
「その後は?」
バルバロスに問われ、サーシャはそこで僅かに言葉を詰まらせた。
「……まだ分からない」
それでも誤魔化そうとはしなかった。
「でも、それでいいと思っている」
かつての彼女なら、「分からない」という状態そのものに不安を覚えていたかもしれない。自分は何者なのか。何をするべきなのか。何を失い、何を取り戻したいのか。その答えを、ずっと過去のハイセへ求め続けていた。
だが未来は、誰かに決めてもらうものではない。
今すぐ決められなくてもいい。それもまた、自分で選べる未来の一つなのだと、少しずつ理解し始めていた。
「……そうか」
バルバロスはそれ以上何も言わず、ただ静かに頷いた。
そして最後に、その視線がハイセへ向けられる。
「では、ハイセ」
「俺?」
「お前以外に誰がいる」
「いや、なんか最後なの嫌だな」
「一番面倒な答えをしそうだから最後にした」
「酷くない?」
会場に小さな笑いが広がる。
ハイセは困ったように頭を掻きながら、しばらく何も言わなかった。答えが決まっていないわけではない。むしろ、もう決まっているからこそ、その事実が少しだけ不思議だった。
かつての自分には、未来を選ぶ余裕などなかった。
弱かった。
誰よりも、どうしようもなく。
【ダークストーカー】として強大な力を得る以前のハイセにとって、冒険者とは夢や憧れというより、失えば自分そのものがなくなってしまうような、生きるためにしがみつく場所だった。セイクリッドから追放され、自分が何者なのかさえ分からなくなり、ようやく強さだけを手に入れても、その力を何のために使えばいいのかは分からなかった。
そんな自分が今では、選択肢が多すぎて困っている。
「……冒険者は、辞めないよ」
ゆっくりと口にすると、サーシャが僅かに顔を上げた。
「でも、もう冒険者を生活の中心にはしないかな」
会場が静まり返る。
そしてハイセは、思っていた以上に自然な声で続けた。
「俺、アスタリスクに残るよ」
その言葉が驚くほどすんなり口から出たことで、ハイセ自身もようやく理解した。これはもう、迷って選ぶ答えではない。ずっと前から、自分の中では決まっていたのだ。
「アルルカントで、カミラと一緒に研究を続ける」
カミラが僅かに目を見開く。
「新しい煌式武装も作りたいし、まだ試したいことも山ほどある。強化型も、デミルークスも、王冠も、今のままで完成じゃないと思ってる」
技術に終わりはない。一つの答えが出れば、次の問題が見つかる。誰かが使えば、それまで気付かなかった欠点が見える。改良し、再び使い、また新しい問題が見つかる。その繰り返しこそが、今では楽しくて仕方がなかった。
「それに」
ハイセの視線は、意識するより先にリューネハイムへ向いていた。
「アイドルも続けたい」
彼女は一瞬驚いたように瞬きをしたあと、すぐに嬉しそうな笑みを浮かべる。
「リューネハイムと一緒にステージ立つの、俺、結構好きなんだよね」
「結構、なの?」
「かなり?」
「よろしい♪」
「基準厳しいなぁ」
再び小さな笑いが生まれる。
だが、ハイセはその空気に紛れて話を終わらせることはしなかった。冒険者側の面々へ視線を向け、今度は少しだけ真面目な声で続ける。
「だから、これからは冒険者として依頼を受けまくる生活はしないと思う」
その言葉を聞いて、何人かが僅かに寂しそうな顔をした。サーシャも何も言わず、ただハイセを見ている。
「でも、研究で必要な素材があったら取りに来るよ」
「……は?」
ガイストが眉を寄せた。
「いや、だって禁忌迷宮とかにしかない素材あるじゃん」
「お前、冒険者を採取業者か何かだと思ってないか?」
「俺の場合、自分で取りに行った方が早いし」
「そういう問題ではない」
「研究者が禁忌迷宮へ素材採取に行くな!」
今度はカミラまで頭を抱える。
「でも、必要になったら行くでしょ?」
「普通は行かん!」
「俺S級だよ?」
「研究者としての常識の話をしている!」
「便利じゃん」
「便利で済ますな!」
そこでエルネスタだけが堪えきれずに笑い出した。
「最高じゃん! 研究者本人が現地採取までできるんだよ? コスト削減!」
「お前まで煽るな!」
カミラの怒声が飛び、リューネハイムもとうとう笑いを堪えられなくなる。
そんなやり取りを眺めながら、ガイストは小さく息を吐いた。
「……まあ、お前らしいと言えば、お前らしいか」
呆れたような声だったが、その表情にはどこか安堵が滲んでいた。
ハイセは冒険者を捨てるわけではない。ただ、もう冒険者という肩書きだけへ人生を縛りつける必要がなくなっただけだ。必要になれば戻ってくる。剣を取り、迷宮へ入り、素材を持ち帰り、誰かを助けることもあるだろう。
けれど、帰る場所はもう別にある。
「……アスタリスクか」
サーシャが小さく呟く。
「うん」
ハイセは迷わなかった。
その返事を聞き、サーシャはほんの少しだけ視線を伏せた。
自分たちと過ごした場所ではない。
セイクリッドでも、故郷でも、冒険者ギルドでもない。
ハイセが誰かに決められたわけでもなく、自分自身で選んだ場所。それがアスタリスクだった。
胸の奥が、僅かに痛む。
けれど、その痛みが何なのかを、今のサーシャはまだ正確に言葉へ変えることができなかった。
その時だった。
「ハイセ」
バルバロスが静かに呼びかける。
「何?」
「一つ、聞いてもいいか」
「いいけど」
王の視線が、今度はカミラへ向いた。
「其方にとって、カミラ・パレートとは何者なのだ?」
その問いに、ハイセは一瞬だけ言葉を失った。
研究者。
師匠。
仲間。
友人。
上司。
どれも間違ってはいない。けれど、どれも少しだけ足りない。
「難しいな」
ハイセは困ったように笑った。
「研究者としては先生みたいなものだし」
「お前に先生扱いされた覚えはない」
「酷い」
「勝手に弟子入りしてきただけだろう」
「それ先生じゃん」
「違う!」
いつもの調子で言い合う二人を見ても、バルバロスは笑わなかった。
「其方は、かつて【究極の汎用性】という思想を掲げたそうだな」
その言葉に、カミラの表情が僅かに変わる。
「ああ」
「誰でも使える武器。才能がなくとも、特別な適性がなくとも、使える者を選ばぬ武器」
それは単なる兵器開発思想ではない。
カミラ自身が、どうしても作らなければならないと考えたものだった。
武器を手に取っても、それを使うことができなかった人間がいた。もし誰にでも使える武器があったなら、助かったかもしれない命があった。だからこそ、誰か一人だけに選ばれた力ではなく、誰にでも可能性を与えられる武器を作りたかった。
その思想は長い時間をかけて形を変え、やがて一人の少年へ届いた。
「其方の掲げた思想が」
バルバロスはゆっくりとハイセへ視線を戻す。
「ダークストーカーとして苦しんでいた、この者を救ったのだな」
会場から音が消えた。
ハイセも何も言わない。
カミラだけが、少し驚いたように目を見開いていた。
自分が誰かを救ったなどと、考えたことがなかったのだろう。
「そして、その救われた一人が――今度は、我が国の民を救った」
セイレーン計画。
【雛形】。
【王冠】。
強化型煌式武装。
煌式複装。
フェアステージ。
フェアトレード。
新エネルギー。
もちろん、その全てをハイセ一人が作ったわけではない。カミラがいて、エルネスタがいて、ヒルダがいて、ディルクがいて、リューネハイムがいて、アスタリスクの仲間たちがいて、冒険者側の人間たちがいた。数え切れないほどの人間が互いに影響し合い、その積み重ねの中で現在の形が生まれた。
それでも。
その流れの中心に、かつて選択肢を失っていた一人の人間がいたことだけは確かだった。
カミラは黙ったままハイセを見た。
ハイセもまた、彼女を見返す。
初めて出会った時には、こんな未来になることなど、どちらも想像していなかった。
ハイセにとって【究極の汎用性】は、最初はただ格好いい研究思想だった。
誰でも使える武器。
自分のように何も持っていなかった人間でも、戦えるようになる武器。
だから惹かれた。
けれど、いつの間にかそれは武器だけの話ではなくなっていた。
使える人間を増やす。
選べる人間を増やす。
生まれや才能、金や場所によって、最初から未来を決められなくても済むようにする。
カミラから受け取った思想は、ハイセの中でそこまで広がっていた。
「……カミラ」
「何だ」
ハイセは少しだけ困ったように笑った。
「俺さ」
こういう時に限って、うまい言葉が出てこない。
研究発表ならいくらでも話せる。武器の構造なら何時間でも説明できる。
けれど。
こういうことだけは、難しい。
「俺、カミラに会えてよかったよ」
結局、出てきたのはそれだけだった。
飾り気もなく、長くもない。
でも、それで十分だった。
カミラはしばらく何も言わず、やがて顔を少しだけ背けた。
「……馬鹿か、お前は」
「なんで!?」
「こんな大勢の前で言うことか!」
「いや、今の流れなら言うでしょ!」
「言わん!」
「感動するところじゃないの!?」
「うるさい!」
顔を背けたままの耳が、ほんの僅かに赤い。
「照れてる?」
「黙れ!」
「照れてるじゃん!」
「ハイセ!」
「はい!」
その瞬間、エルネスタがとうとう耐えられないとばかりに大笑いした。
「いやぁ、よかったねカミラ! ついに弟子から告白されたじゃん!」
「告白じゃない!」
「言い方!」
「そっちじゃないって!」
リューネハイムまで笑い出し、張りつめていた会場の空気は一気に柔らかくなった。
けれど、七大冒険者たちは笑いながらも、それぞれ違う思いを抱いてその光景を見つめていた。
ガイストは目を細める。
昔のハイセが、こんなふうに自然に笑う姿を想像できただろうか。
怒りや憎しみ、孤独ばかりを抱えていた少年が、今では自分で居場所を選び、誰かへ「会えてよかった」と言えるようになった。
「……変わったな」
誰にも届かないほど小さな声で、ガイストは呟いた。
エクリプスは何も言わず、ただ静かにハイセを見ていた。その選択を否定する理由など、どこにもないと思っているようだった。シグムントは穏やかな笑みを浮かべながら、人は戦い続けるためだけに強くなるのではなく、いつか戦わなくてもいい場所を自分で選べるようになるために強くなることもあるのだと、そんなふうに受け止めていた。
ウルは少し寂しそうに、それでも嬉しそうに笑う。
「研究者かぁ。……たまには飲みに来いよ」
「店できたらね」
「絶対だぞ」
「分かった」
エアリアの反応はもっと単純だった。
「楽しそうなら、それでいいじゃん」
「軽いなぁ」
「だって人生でしょ? 自分が楽しいとこにいればいいんじゃない?」
その一言に、ハイセは少しだけ驚き、やがて小さく頷いた。
「……うん」
それでいいのかもしれない。
そしてサーシャだけは、何も言えなかった。
ハイセが笑っている。
カミラやエルネスタ、リューネハイムといったアスタリスクの人間たちに囲まれながら、ごく自然に自分の未来を語っている。
それは、自分の知らないハイセだった。
いや。
違う。
知らなかったのではない。
見ようとしなかったのだ。
今のハイセではなく、昔のハイセばかりを追い続けていた。その間にも彼は立ち止まらず、自分の人生をずっと先へ進めていた。
胸が痛い。
羨ましい。
寂しい。
悔しい。
そして、少しだけ怖い。
このまま本当に、自分の知らない場所へ行ってしまうのではないか。
そんな感情が胸の奥で複雑に絡まり合い、まだ名前を持たないまま沈んでいく。
「サーシャ?」
隣にいたピアソラが小さく声をかける。
「何でもない」
サーシャは即座に答えた。
けれどピアソラは追及せず、ただその横顔を少しだけ心配そうに見つめた。
やがて笑いが落ち着き、バルバロスは会場全体を見渡す。
「未来を決めるというのは、一つだけを選ぶことではないのかもしれんな」
冒険者を続ける者もいる。引退する者もいる。教える者、家庭を作る者、店を持つ者、研究する者、歌う者、必要な時だけ再び剣を取る者もいる。
それぞれ違っていい。
「だが、誰かに決められた道ではなく、自分で選んだ道を歩け」
その言葉が、静かに会場へ広がっていく。
ハイセは自分の手を見た。
かつて、何も持っていなかった手。
弱くて、選べなくて、追い出され、それでも生き残った手。
今ではその手で武器を作れる。
研究ができる。
歌える。
誰かを助けることもできる。
そして何より、どこで生きるのかを自分自身で決められる。
ならば、それで十分だった。
冒険者として得たものも、失ったものも、捨てる必要はない。ただ、これから帰る場所を変えるだけだ。
アルルカントでカミラと研究を続け、新しい煌式武装を作る。必要な素材があるなら、自分で取りに行けばいい。そしてステージでは、リューネハイムと歌う。
それが、ハイセが自ら選んだこれからの人生だった。
七大冒険者会合は、世界がどう変わったのかを確認するための場として始まり、最後には一人ひとりがこれからどこへ向かうのかを確かめる場へと変わっていた。
そして、その中で。
誰よりも長く未来を選べなかった人間が、今では誰よりも自然に自分の未来を選んでいた。
ただし。
その決断が、同じ場所へ立ち止まり続けていた一人の少女の心に、どれほど大きな影を落としたのか。
この時のハイセは、まだ知らなかった。