グランバードには、ロックとアマランスが使っているセーフハウスがいくつもあるらしい。
その一つがキーリルの街外れにある古びた家だった。
外壁はくすみ、窓も汚れて軒先には雑草まで伸びている。
一見すれば長いこと放置された空き家にしか見えない。
けれど、中に入ってみれば事情は違う簡素な寝台に机や椅子。
それに保存食に水と薬がそれなりに置いてあり。
壁際の棚には武器の手入れに使うらしい道具まで並んでいる。
「へえー」
クレティスは物珍しそうに部屋を見回した。
「こういう場所って、他にもあるんだー?」
「ああ」
ロックは窓から外を確認すると、カーテンを閉めた。
「何かあったときに逃げ込めるようにな。 グランバードのあちこちにある」
「秘密基地だ」
「せめて隠れ家といえ」
「秘密基地のほうが格好いいじゃん」
クレティスはぶーと頬っぺたを膨らませて反抗する。
「ガキの遊びじゃねえんだぞ」
「わかってるよ」
そう言って椅子へ座った。
ロックはもう一度外の気配を確かめてから、ようやく向かいの椅子に腰を下ろす。
「……しばらくここで様子を見る」
「ティルたちを追わないの?」
「追ってどうすんだ。 連れてかれた先がわかってからだ」
「王都の方じゃないの?」
「だからって、真正面から騎士団に聞きに行く気かよ」
「ダメかな?」
「ダメに決まってんだろ!」
クレティスは頬を膨らませた。
「じゃあ、どうするのさ」
「まず情報を集める。 アマランスがどこに連れていかれたのか確認してそしたら助ける」
「ティルも!」
「……わかってるよ」
不承不承といった顔だった。
「よし」
クレティスはロックを指さしながら言う。
「何が『よし』だ」
クレティスは少し笑った。
その視線が、ふとロックの手へ落ちる。
掌には傷が残っている。
アマランスが連れていかれるのを黙って見ていたときの傷。
自分で握り締め、自分で作ったものだ。
「ロック」
「あ?」
「手、見せて」
「平気だ」
「見せて」
「だから――」
「化膿したら困るでしょ」
「…………」
ロックは嫌そうな顔をしながらも、結局手を差し出した。
クレティスは棚から見つけた薬と布を持ってくる。
「染みるかも」
「待て」
「えい」
ぴゅーと薬をかける。
何とも言えない大味なやり方だ。
「痛ってえ!」
「だから言ったじゃん」
「言ってすぐやる奴があるか!」
「いるよ! ここにな!」
自分を指さしながらクレティスは答える。
「お前な……!」
文句を言うロックを無視して傷を拭っていく。
その手を見ながらふと思った。
ナイフを扱う手。
何本もの刃を同時に投げて、自分と渡り合った手だ。
「……ねえ」
「今度はなんだよ」
「ロックって、アサシンだって言ってたよね?」
「そうだけど」
「やっぱりそうなんだ」
「何を今さら確認してんだよ」
「いやさ」
クレティスは傷へ布を巻きながら首を傾げた。
「ちょっと変だな~と思って」
ロックの目が細くなる。
「何がだ」
「最初に会ったとき」
首筋に触れた冷たい刃を思い出す。
「ボクにナイフ突きつけたでしょ」
「ああ」
「でも、あれてさ?……本気で殺すつもりじゃなかったよね?」
ロックの表情が消えた。
「…………」
ロックは答えないのでそのまま続ける。
「二回目も」
公園での戦い。
何本ものナイフが飛んできて激しい戦いだった。
それでも――
「ロック、強いんだよ」
「急に褒めても何も出ねえぞ」
「そうじゃなくて」
クレティスはロックを見る。
「強いのに、なんか変だった」
「…………」
「ボクを倒そうとはしてた。 でも――」
そこで言葉を選ぶ。
「殺そうとはしてなかった気がする」
ロックは答えない。
最後まで布を巻いて結び目を作った。
結構動かしやすく、でもほどけないくらいにはできたはずだ。
「はい」
手を離す。
「……終わったよ」
「ああ」
ロックは包帯の巻かれた掌を見つめていた。
沈黙が続く。
いいたくないなら、別にそれでいい。
そう思い始めたころ。
「……殺せねえんだよ」
ロックが言った。
「え?」
「俺は、人を――」
クレティスは黙る。
「……ダメなんだ」
ロックは椅子の背にもたれた。
「俺の家、アサシンの一族でさ」
「家族みんな?」
「ああ」
「へえ……」
「代々そういう家だった。 変な言い方だが腕はよかったんだぜ」
少しだけ誇らしげだった。
だからこそ――
次の言葉が出てくるまで間があった。
「……だった」
クレティスは顔を上げた。
ロックはもう笑っていない。
「ある日、仕事が来たんだ」
「仕事?」
「とある村で、悪魔祓いをやることになった」
悪魔。
その言葉にクレティスの表情も自然と引き締まる。
「俺らだけじゃねえ。 神官も一緒だった。 一族の奴等もみんな総出で向かった」
「ロックも?」
「ああ」
短い返事。
「それで……どうなったの?」
ロックは答えず指先が包帯の端を弄ってばかり。
しばらくして。
「そこにいた奴等全滅した」
クレティスの目が見開かれた。
「…………え?」
「神官や俺の一族も」
淡々とした声だった。
だからこそ、その言葉の重さが消えない。
「生き残ったのは俺だけだ」
「…………」
クレティスは何も言えなかった。
一族総出で向かった。
そして帰ってきたのは一人だけ。
目の前にいる少年だけ。
「そのときからだ」
ロックが自分の手を見る。
「夢でいつもあのときのことを思い出す」
ナイフを握り。
相手へ向ける。
あと少し力を入れれば殺せる。
そういう瞬間になると。
「身体が止まるんだ」
ロックは掌を閉じる。
「だから、お前に最初に突きつけたナイフも……ハッタリだった」
ロックはほらよといってナイフを渡す。
持ってみると刃がついてなかった。
「やっぱり」
「やっぱりって言うなよ。 結構頑張ったんだぞ、あれ」
「頑張るところってそこなの?」
「うるせえよ」
ほんの少しだけ、いつものロックに戻った。
だがクレティスには、まだ引っかかることがあった。
「じゃあ、アマランスも?」
「あ?」
「あの人も、その事件と関係あるの?」
ロックが黙った。
一瞬だけ――
ほんの一瞬だけだったが。
クレティスには、その沈黙が妙に長く感じられた。
「……いたんだよ」
ロックが答える。
「あいつの兄貴も」
「アマランスの、お兄さん?」
「ああ」
「神官だったの?」
ロックは頷いた。
「あいつの兄貴も、あの日あの村にいた」
それ以上は語らない。
クレティスも、すぐには次を聞かなかった。
けれどロックは、自分から続けた。
「死んだよ」
「…………」
「俺の家族と一緒にな」
ロックの目が伏せられる。
「それで俺とアマランスは、あいつの兄貴を殺した男を探してる」
「その人が、みんなを?」
「…………」
ロックは答えなかった。
クレティスを見ることもしない。
その沈黙を前にして。
クレティスはそれ以上踏み込まなかった。
「……そっか」
それだけ言った。
ロックがわずかに顔を上げる。
「聞かねえのか?」
「何を?」
「もっと色々」
「話したくなったら話してよ」
「…………」
「ボク、そういうの無理やり聞く趣味ないから」
「お前って、遠慮って言葉知ってたんだな」
「失礼だな!」
「さっき俺の傷にいきなり薬ぶっかけた奴が何言ってんだ」
「それとこれとは別!」
「同じだろ」
「違う!」
言い合ってから二人とも黙った。
少しだけ空気が軽くなった。
クレティスは槍を手に取る。
「じゃあさ」
「ん?」
「アマランスを絶対助けなきゃね」
「…………」
ロックの顔から、また笑みが消えた。
「ああ」
「ティルも」
「わかってるって」
「二人とも助ける」
「しつこい」
「大事なことだから」
「二回言いましたって奴か?」
クレティスは立ち上がった。
「それで、そのお兄さんを殺した奴も見つけよう」
「……クレ」
「なに?」
ロックは何かを言いかけた。
けれど。
「…………」
結局、その言葉を飲み込んだ。
「いや」
立ち上がる。
「まずはアマランスだ」
「うん」
クレティスが頷く。
ロックは壁に置いていたナイフを取った。
助けたい人間が自分にはいる。
「行くぞ、クレ」
「うん!」