大臣邸を遠くから窺える場所で、二人は夜もずいぶん深くなるまでひたすら待っていた。
「まだ?」
「まだだ」
クレティスが子供のように聞いてくる。
「もう暗いんだよ~」
「見張りがまだ起きてる」
「じゃあ、もうちょっとかな?」
「もうちょっと」
そして少し経つ。
「まだ?」
「……クレ」
「なに?」
「お前、三分前にも聞いたぞ」
「だって心配なんだよ!」
「俺だってそうだ!」
思わず強く返してから、ロックは黙った。
クレティスも思わず自分の口を閉じる。
アマランスとティルがあそこにいる。
場所がわかっているのに今は助けに行けない。
だからこそ、ロックはタイミングを待っていた。
やがて屋敷の灯りが一つ、また一つと消えていく。
巡回する人間も減った。
「……行く」
ロックが立ち上がった。
「ボクも――」
「ダメだ」
「まだ何も言ってない!」
「一緒に行くって顔してた」
「そりゃするよ!」
「潜入だぞ? お前は待ってろ」
不満そうに頬を膨らませるが相手は潜入のプロ。
確かに今回はロックに任せるしかない。
「わかったよ」
「ああ」
「あ、待って」
「今度はなんだ」
クレティスが小さな包みを差し出した。
「これ」
「何だよ」
「おにぎり」
「…………」
ロックが包みを見る。
「さっき隠れ家で作ってたの」
クレティスを見る。
「俺、今から敵の屋敷に忍び込むんだけど」
「知ってるよ?」
「なんでおにぎり持ってくんだよ」
「ティルがお腹空いてたらいけないじゃん?」
「…………」
ロックは頭を抱えた。
「お前、こういうとき妙なところ気にするよな」
「大事なことだよ!」
「会えたら渡すってことなら」
「絶対ね」
「会えたらだぞ?」
包みを外套へしまう。
「潰さないでよ!」
「注文多いな……」
そう言い残し、ロックは夜の街へ消えた。
―――――――――――――――――――――
大臣邸への侵入そのものは難しくなかった。
少なくとも、ロックにとっては。
警備の巡回を読んで、視線の隙間を縫う。
壁を越え屋根へ上がり、明かりのない場所を選んで進む。
問題は――その先だった。
「……二つかよ」
敷地の離れた場所に塔が二本ある。
来る途中で兵士から聞き出した情報では、捕らえられた者は塔へ入れられたらしい。
アマランスとティルが別々なら、それぞれ一人ずつ。
つまり、どちらへ入るか。
「…………」
右か左か?
男か女か?
「俺はこういう時の運がない方なんだが……」
頭を悩ますことだが仕方がない。
「こっちだ」
根拠などはなかった。
片方を選んだロックは壁を蹴り上げ登る。
窓から入り、警備を避けながら上階へ進む。
やがて、人のいる部屋を見つけ――
「アマランス?」
小声で呼びながら中を覗く。
「…………」
男がいた。
「…………」
男もロックを見ている。
「…………ハズレた」
露骨に嫌な顔をしたのが自分でもわかる
「人の顔を見るなりハズレとは失礼だな」
そこにいたのはクレティスの相方だった。
「なんでお前なんだよ!」
「俺に聞くな」
「アマランスは!?」
「ここへ来た時点で別々だったぞ」
「クソッ!」
ロックは頭を掻いた。
本当に二択を外したのだ。
「もう片方かぁ……」
「たぶんな」
「じゃあ行くわ」
ロックはさっさと行こうとする。
「待て」
「何だよ」
「クレティスは?」
一瞬だけ、ティルの声が変わった。
「ああ、あいつなら無事だ」
「そうか」
ティルはほっと息をついた。
「俺と一緒にいる」
「ならよかった」
「よくねえんだよ。 お前ら捕まってんだぞ」
「俺は別に困ってないが?」
「その台詞は、今現在捕まってる奴が言うことか?」
ロックは扉や窓を確認する。
「ここからお前を出せばいいのか?」
「いや」
「は?」
「俺は残る」
「……なんで?」
「残っていた方がいい事もある」
牢の中からキメ顔で言うティル。
「牢の中で?」
「ああ」
「お前、本当に何なんだよ」
「宝石を探している一般人」
「一般人は好き好んで捕まったままにならねえ!」
ティルは肩をすくめる。
「まだこっちで見ておきたいものがあるんでね」
「…………」
ロックは疑わしそうに睨んだ。
「お前って絶対なんか隠してるだろ」
「秘密の一つや二つ、誰にでもあるものだろ?」
「二つで済む顔してねえんだよお前さんは」
ロックはため息をついた。
「ああ、そうだ」
「なんだ?」
外套から包みを出す。
ティルへ投げた。
「ほら」
「?」
「クレから」
開けば、おにぎりだった。
「『ティルがお腹空いてたらいけない』だとよ」
「…………」
ティルがそれを見る。
しばらくして、小さく笑った。
「そうか」
「なんだよ」
「いや」
包みを丁寧に開く。
「ありがたくいただく」
「俺はおにぎり配達に来たんじゃねえからな」
「しかし、ちゃんと届けてくれたじゃないか」
「うるせえ」
ティルがおにぎりを一口食べた、そのときだった。
「ティル様」
廊下から聞こえた女の声に、ロックは即座に振り返りナイフへ手を伸ばす。
「誰だ!」
「落ち着け」
対するティルは、おにぎりを片手にしたまま平然としていた。
足音が近づいて姿を現したのは、一人のメイドだった。
背筋を伸ばし、乱れのない歩調で廊下を進んでくる。
警備された塔の中とは思えない。
まるで主人の部屋へ朝の紅茶でも運びに来たかのよう。
それはすべての所作が完璧であった。
「お待たせいたしました、ティル様」
「おう、首尾はどうだ?」
「滞りなく――」
「……おい」
ロックはティルを見る。
「あれ誰だ?」
「俺のとこのメイド長」
「メイド長?」
メイド長はロックへ向き直ると、スカートを翻しながら優雅に一礼した。
「ロック様でございますね」
「……なんで俺を知ってんだ?」
「ティル様より伺っております」
「いつ!?」
「今ではございませんとだけ」
「そりゃそうだろうがなぁ!」
ロックは警戒を解かない。
「どうやってここまで入ってきた?」
「入口から参りました」
ロックは目が点になる。
「正面?」
「はい」
「見張りの騎士がいただろ?」
「いらっしゃいましたね」
「止められなかったのか?」
「いいえ」
「なんでだよ!」
メイド長はほんの僅かに首を傾けた。
「メイドですので」
「メイドってすげえな!?」
「うちのは特にな!」
いつの間にかメイドが用意したお茶を飲みながらティルが平然と付け加える。
「お前は黙ってろ!」
メイド長は二人のやり取りを優雅に見守ってから、本題へ戻った。
「ティル様。 外の様子を確認いたしました」
「どうだった?」
「明日の警備の交代に伴い、大臣邸内の警戒が薄くなる時間がございます」
「どのくらい?」
「長くはございません。 しかし、外から入るには十分かと」
ロックが反応する。
「その時間なら、もう片方の塔にも入れるか?」
「今夜よりは、はるかに容易でしょうね」
「…………」
アマランスは、おそらくもう一方。
今すぐ向かいたい。
だが今夜、無理をして見つかれば全部終わる。
ロックは奥歯を噛んだ。
「……わかった」
「クレティスにも伝えてくれ」
ティルが言った。
「明日まで待てってな」
「ああ」
ロックはティルを見る。
「お前は、本当にここに残るんだな?」
「残っていた方がいい事もある」
「それで何かあったら知らねえぞ」
「そのときは助けてくれよ?」
「図々しいんだよ!」
「頼りにしてるぜ」
「チッ」
背を向け帰ろうとするロック。
「じゃあ、俺は来たところから戻るぞ」
「その必要はございませんよ」
ロックを止めたのはメイド長だった。
「は?」
「私とご一緒にどうぞ」
「……正面から?」
「もちろんでございます」
「俺、侵入者だぞ?」
「存じております」
「捕まるだろ!」
メイド長は優雅に微笑んだ。
「大丈夫でございますよ」
「何を根拠に!?」
「私はメイドですので」
自信満々に答えるメイド長。
「だからそれ何なんだよ!」
ティルもこれには思わず苦笑いをするしかなかった