「お金がないよぉ……」
黄金の雄鹿亭。
キーリルまで戻ってきたクレティスは、酒場のテーブルに突っ伏していた。
遠くまで旅をすれば宿代がかかる。
食事だって無料ではない。
クレティスは顔だけを横へ向け、自分の財布を見る。
「もう一回数えてみようかな」
身体を起こして、中身を確認する。
「…………」
閉じた後でもう一度開く。
増えてない。
「マスター、聞いてよ!」
この怒りはマスターに聞いてもらうしかない。
「あぁ、聞いてる聞いてる。 遺跡の調査に行ったら、洞窟の入口が崩れて塞がっちゃってびっくりして帰ってきたっていう話だろ」
「そう、そうなんだよ!」
クレティスは不機嫌顔で答える。
「それでね、その事を兵士さんに伝えに行ったら『崩れて調べられなかったのでしたら、調査の報奨金は無いですね』って言うんだよ」
クレティスは不貞腐れながらマスターの作ってくれたミックスジュースを飲む。
「だからと言っても、そこの調査のための移動費用とかは実費で払えって……うぅ……」
マスターはうんうんと適当に頷きながら夜の仕込みを始めている。
「あー、どっかに今回の代わりになるような依頼とかが舞い込んで来ないかなぁ」
クレティスはテーブルにもたれかけながらそんなことを言う。
すると、それまで適当な返事を返していたマスターが顔を上げ言った。
「それなら、うちの店でアルバイトでもするかい」
アルバイト……確かにここの酒場の制服は可愛いのが売りなのだが……
見るのは良いけど自分が着るのはなぁ……クレティスは悩みながら首を横に振った。
「確かに、それも悪くない話なんだけどねぇ……」
自分がやりたいのはあくまで冒険者の仕事なのだ。
あ〜う〜と呟くとクレティスはテーブルに顔を埋める。
マスターはやれやれといった感じで調理の仕込みを終え奥の厨房へと向かう。
周囲からは酒場らしい賑やかな声が聞こえてきて、料理の匂いも漂ってくる。
今のクレティスには、その匂いがやたらと魅力的だった。
「何か仕事ないかなぁ……」
「あるぞ」
返事が来た。
クレティスは顔を上げた。
「ほんと!?」
そして、目を瞬く。
いつの間にか、向かいの席に男が座っている。
「……誰?」
「仕事を探してるんじゃなかったのか?」
「探してるけど」
「なら、ちょうどいい」
「いや、よくないよ。 君が誰なのか全然わかんないもん」
金髪の男はわずかに眉を動かした。
「俺が誰かより、仕事があるかどうかのほうが重要じゃないのか?」
「それは……」
重要である。
非常に重要である。
クレティスは少し考えてから頷いた。
「……まあ、聞くだけ聞く」
「現金な奴だな」
「お金ないからね」
「それを堂々と言えるのは大したものだ」
「褒められた?」
「褒めてない」
なんだか少し偉そうな男だ。
クレティスはそう思ったが、仕事を持ってきた相手をいきなり追い払うほど余裕はない。
「それで、仕事って?」
「探し物だ」
「探し物?」
「ああ、宝石を探している」
宝石?
思っていたより冒険者らしい単語が出てきた。
「どんな宝石?」
「かなりの魔力を持ったものらしい」
「へえ」
クレティスは身体を起こす。
「それをボクが探せばいいの?」
「簡単に言えばそうなる」
「報酬は?」
男が大体の金額を両手で示す。
「やるよ!」
「早いな」
「やるやる!」
「さっきまで俺が誰なのかわからないと言ってなかったか?」
「細かいことは後でいいよ」
「お前……」
「クレティス」
「ん?」
「ボクの名前はクレティスだよ」
自分を指差してから、今度は向かいの男を指す。
「君は?」
「……ティルだ」
「ティルね」
ようやく名前を知ったクレティスは、にっこり笑って右手を差し出した。
「じゃ、仲良くやろうよ!」
ティルはその手を見る。
それからクレティスを見る。
「断る」
「なんで!?」
「仕事をするだけだ。 別に仲良くする必要はないだろ」
「仲良いほうが楽しいじゃん!」
「遊びじゃないんだぞ」
「仕事だって楽しいほうがいいよ」
「……大丈夫なのか、クレティス」
「何が?」
「いや、もういい」
ティルは軽く息を吐いた。
クレティスは差し出したままだった手を引っ込める。
「それで、宝石はどこにあるの?」
「それがわかっていたら、探す必要はないだろ」
「そっか、それもそうだね」
「ただ、手がかりはある」
ティルの声音が少し変わり顔を近づける。
クレティスも自然と聞く姿勢になり寄った。
「首都の近くに最近盗賊団がいるらしく、そいつらが怪しい」
「盗賊団?」
「ああ、まずはそこを調べてもらいたい」
「なるほど」
クレティスは頷いた。
「じゃあ、ティルも一緒に行くんだね」
「いや?」
「え?」
「俺は行かないぞ?」
「なんで?」
「力仕事は向いてないからな」
ティルは自分のカップの中身を飲みながらそう答えた。
クレティスはじっとティルを見た。
「……もしかして、ボク一人ってこと?」
「そうだ」
「仲良くやろうって言ったのに!」
「言ったのはお前だけだ」
「そうだけど!」
ティルは取り合わない。
「嫌なら断ってもいいぞ」
「う」
言われて、クレティスは黙った。
断ることは確かに可能だ。
しかし、そうすれば当然――報酬もない。
財布の中身が脳裏をよぎる。
◇冒険者心得・その2 【冒険とは血沸き肉が踊るそういうものだ】
◇冒険者心得・その3 【そして、冒険とは浪漫である。 浪漫なくして冒険はありえない】
幼い頃、大好きだった叔父のミゲルから教わった言葉だ。
裕福な実家を飛び出し冒険者となり、仲間を助けて行方不明になった叔父。
両親は彼を『一族の恥』と罵ったが、クレティスにとって叔父は憧れの英雄だった。
届いた折れた槍を手入れして直し、ひび割れたゴーグルとともに家を抜け出した日のことを思う。
『――危険かもしれない怪しいかもしれない。 けれど、これこそがボクの求めていた冒険だ!』
「……行く」
「そうか」
「行けばいいんでしょ!」
「別に怒ることじゃないだろ」
「ちょっとくらい申し訳なさそうにしてよ!」
クレティスは頬を膨らませあっかんべーをする。
「で、どこ?」
「何がだ?」
「盗賊団の場所」
「……切り替えが早いな」
「だって、盗賊団のアジトでしょ?」
クレティスは楽しそうに笑う。
「ちょっと面白そうじゃん」
ティルが一瞬だけ黙ったがクレティスは気づかない。
「場所教えてよ。 すぐ行ってくるから」
「待て」
「何?」
「話は最後まで聞け」
「あ、ごめん」
素直に座り直す。
ティルはそんなクレティスを見ながら、盗賊団について知っていることを話し始めた。
クレティスには知る由もない。
ティルが宝石探しについて、すべてを話しているわけではないことを。
今のクレティスが知っているのは、仕事を持ってきた少し偉そうな男の名前がティル。
探すものが大きな魔力を持つ宝石で、その手がかりを盗賊団が握っているかもしれない――それだけだ。
「よし!」
話を聞き終えたクレティスは槍を手に立ち上がった。
「じゃあ行ってくるよ!」
クレティスは黄金の雄鹿亭を飛び出した。
宝石が何なのかも知らない。
ティルが何者なのかも知らない。
その男が自分を盗賊団へ向かわせた理由さえ知らない。
ただ、仕事を受けた。
それだけだった。
こうしてクレティスは、後に一国を揺るがすことになる事件。
――本人だけはそんなことなど考えもせず、最初の一歩を踏み出したのだった。