「――どうなってるザンス!」
大臣の怒声が廊下に響いた。
物陰に身を潜めたティルは、動かずに様子を窺う。
大臣の前には兵士が一人緊張した面持ちで立っていた。
「申し上げます!! 拘束していたアマランスが逃走しました」
「なっ……!」
大臣の顔が引きつる。
「どういうことザンス!?」
「塔を警備していた者たちが何者かに襲撃され、気を失っているところを発見しました。 侵入者の姿は確認できておりません」
「何をやってるザンスか!」
大臣が地団駄を踏む。
だが、その報告を聞いて。
(……よし)
胸の内で、ほんの少しだけ息を吐くティル。
アマランスが自力で逃げ出したとは考えにくい。
上手くやったなクレティス。
少なくとも、あちらは予想どおり動けているようだ。
自分もさっさと合流をする前に、もう少しだけここで情報を拾っておきたいが……
「それだけではありません」
「まだあるザンスか!?」
「先ほど爆発のあった館ですが――襲撃を受けたものと思われます」
「それは見ればわかるザンス!」
「ですが、あそこは……」
兵士が言葉を濁した。
大臣の顔色が変わる。
「わかってるザンス!」
声を潜めることすら忘れ、大臣が怒鳴った。
「あそこまでやられたら、ミーの計画が――」
「大臣」
「……!」
兵士の前で口を滑らせかけたことに気づいたらしい。
「もういいザンス! お前は下がるザンス!」
「はっ」
兵士が頭を下げ、足早に去っていく。
(やっぱり、あの館と繋がっていたか)
あの場所が襲われることで、自分の計画に支障が出る立場にいる。
間違いない。
それを見ていた女が――笑った。
「ふふっ」
「何がおかしいザンス!」
「いえ」
女は口元に手を添えた。
「ずいぶん大変そうだと思いまして」
「他人事みたいに言うんじゃないザンス!」
「だって他人事ですから」
「ミスト!」
女は大臣の激高した姿を見てもひるむことなく笑みを崩さない。
物陰で聞いていたティルが目を細める。
(ミスト……)
どうやら、それが女の名前らしい。
「あっちは襲われる! 兵まで減らされる! これじゃ計画が滅茶苦茶ザンス!」
「そうですね」
「そうですね、じゃないザンス!」
大臣が詰め寄るが、対するミストは一歩も動かない。
「お前なら何とかできるんじゃないザンスか!? 今までだって色々教えてくれたザンス! 何とかするザンス!」
ヒステリックに捲し立てる大臣。
「何とかですか?」
「そうザンス!」
「この状況を?」
「そうザンス!」
「打開したいと?」
「当たり前ザンス!」
大臣が叫ぶ。
「このまま全部失敗なんて御免ザンス! ミーはここまで来たザンスよ!」
髪を引っ張るように頭を抱える大臣。
「何でもいいから、この状況をひっくり返す力が欲しいザンス!」
「…………」
ミストの笑みがわずかに深くなった。
「そうですか」
ティルはなにか違和感を感じて眉をひそめる。
(大臣は気づいていないようだが)
ミストの声音が――妙に楽しそうだった。
「では」
ミストが手を差し出した。
「例の宝石を――」
「宝石ザンス?」
大臣が一瞬きょとんとするが懐へ手を入れた。
取り出したものを見て、ティルの目が鋭くなる。
(……あれは)
宝石。
先ほどループの部屋で見たものと同じものだった。
「これをどうするザンス?」
「少々、お借りしますね」
「数は少ない宝石なんだから大切に扱うザンスよ」
ミストが受け取り、指先でつまみ上げる。
そしてそれを魅せるように光を透かす。
その仕草はあまりにも自然だった。
だからこそ――
次の動きに大臣は反応できなかった。
「――え?」
ミストが宝石を、大臣の額へ押し込んだ。
「な――」
皮膚をするっと通り肉など感じさせない。
まるで最初から、そこが宝石の収まる場所だったかのように沈んでいく。
「な、何を――」
大臣が額を押さえた。
「何をするザンスか!?」
「何も」
ミストは微笑んでいる。
「私は、きっかけを差し上げただけですよ」
「う……」
大臣の身体が震えた。
「ぐっ……ううっ……!」
異変はすぐに始まった。
腕が膨らむ。
腹が膨らむ。
いや――膨らんでいるのではない。
輪郭が崩れている。
「な……」
ティルが思わず目を見開いた。
大臣の身体が溶けるように形を失っていく。
衣服ごと呑み込みながら、肉体が粘ついた塊へ変わっていく。
「ぐ、ぐぐ……!」
床へ広がる。
だが、潰れたわけではない。
広がりながら――大きくなっている。
ぶくり。
ぶくり。
ぶくりと――粘液めいた塊が重なり合う。
そこから一本。
細長い触手が伸びた。
続いて二本三本目と。
次々と生えてくる。
「なんだよこれは……」
ティルの口から、思わず声が漏れた。
その瞬間――
「小ネズミさん」
「!」
ティルがミストを見る。
彼女はこちらを見ていた。
どうやら気が付いていたようだ。
「早くここから脱出しないと、大変なことになりますよ?」
「…………」
いつからだ。
そう聞きそうになって……やめた。
驚きを顔から消し、ティルは物陰から出た。
「そりゃどうも」
できるだけ普段どおりの声を出す。
目の前では、大臣だったものがまだ膨張を続けている。
「でさ」
ティルはそれを見ながら尋ねた。
「これは一体何だ?」
「これ、ですか?」
ミストが怪物を見る。
「彼はずっと考えていたでしょう?」
「何を」
「打開策が欲しい、と」
ティルがミストを見る。
「この状況をどうにかしたい。 自分の計画を成功させたい。 そのための力が欲しい」
ミストは楽しそうに語る。
「ですから――宝石が願いを叶えてくださったんですよ」
「…………は?」
ティルの表情が初めて固まった。
願いを叶える?
宝石が?
「そんな宝石が――」
その先を言うことはできなかった。
――ぐしゃ。
「!」
壁際にあった棚が消えた。
倒れたのではない。
怪物から伸びた触手に絡め取られ、そのまま粘つく身体の中へ引きずり込まれた。
棚が沈み形を失う。
そしてそのまま呑み込まれていく。
「おいおい……」
床まで軋み始めた。
怪物の身体が触れた場所から、次々と物が取り込まれていく。
椅子や絨毯。
壁に柱など。
何も選んでいない。
ただ、触れたものを呑み込んでいる。
そして呑み込めば呑み込むほどにその身体がさらに膨れ上がる。
膨大な粘液の中央。
赤く透けた核のような部分が脈打っていた。
その内側に。
「……大臣?」
いる。
大臣が。
そして、その額ような部分には宝石が埋まっている。
「…………」
ティルは一歩下がった。
聞きたいことはいくらでもある。
宝石とは何なのか。
なぜ願いを叶えた結果がこれなのか。
ミストは何者なのか。
だが。
――バキッ!
大臣のいたところの壁が砕けた。
「こりゃ駄目だ」
判断は早かった。
踵を返すティル。
走る。
背後で触手が壁を叩き壊す。
館そのものが揺れ始める。
「クレティスたちもまだ中か……?」
足を速める。
さっきまで人目を避けていたのが馬鹿らしくなるほど、全力で廊下を駆け抜けた。
その背後に崩れ始めた部屋の中で。
ミストだけが逃げようともせず怪物を眺めていた。
「ふふっ」
楽しそうに笑う。
そして、もう遠くへ走り去ったティルへ向けて。
「人間がどこまでやれるのか、見せてくださいね」
その声はティルの耳には届かなかった。