走っても走っても、館の中から異様な音が消えない。
ずるり。
ぐしゃり。
何かが這いずり呑み込まれて何かが壊れていく。
「こっちだ!」
ティルを先頭にクレティスたちは廊下を駆けていた。
ループがいた部屋まではもう遠くない。
だが、大臣だったものが広がっていく速度は明らかに増している。
「また来るぞ!」
ロックの声にあわせて、壁を覆っていた粘体が膨れ上がり触手が飛び出す。
「邪魔!」
クレティスが槍を振るう。
穂先ではなく柄で叩きつけて軌道を逸らす。
その横をフォルテが駆け抜けた。
「進め」
「うん!」
倒せない。
さっきから何度攻撃しても同じだ。
怯ませ押し返す。
だが止まりはしない。
それどころか、館の奥から次々と新しい粘体が広がってきている。
「ティル、まだなの!?」
「もうすぐだ!」
角を曲がるが、その先の廊下にも粘液が滲み出していた。
「こいつは、いったいどこまで広がる気なんだよ……!」
ロックが吐き捨てる。
「わかりません。 ですがこのままでは館全体が――」
アマランスがいいかけたその時――
「どっしぇぇぇぇぇぇぇ――――っ!?」
遠くから悲鳴が響く。
「!」
全員が止まった。
真っ先に声の方向を見るクレティスとフォルテ。
「今の!」
「ループだ!」
フォルテが走り出した。
「こっちだ!」
ティルも進路を変え、彼女がいたはずの部屋とは違う部屋。
もっと奥の悲鳴の聞こえた方へ向かうと――
「ループー!」
クレティスも急いで後を追う。
「ちょっ、待つですよ! ループちゃんは食べても美味しくないですよー!」
「いた! ループ!!」
部屋の中で粘液に取り込までないように逃げ回っている。
そこを目掛けてフォルテが真っ先に部屋へと飛び込んだ。
「…………なに、これ」
クレティスも急いで入るが周りの光景に驚き足を止めた。
部屋の中を、巨大なものが占領しているではないか。
粘っこいゼリーのような生き物。
そうとしか呼びようがない。
だが、クレティスの知るような魔物とは比較にもならない大きさだった。
巨大な粘体が幾重にも膨れ上がり、床や壁に家具を呑み込みながら蠢いている。
表面からは無数の触手が暴れるように猛り狂って伸びていた。
その中央には赤く輝き透けた部分の中に人影がある。
「……あれが」
クレティスが呟く。
「ああ」
ティルが答える。
「大臣だ」
人だったものがあの中にいる。
「そんな……」
アマランスも絶句する。
そして、その怪物のすぐそばに……
「どっしぇー!」
ループが走っていた。
両腕にバックの中に詰めた荷物を抱えたまま、伸びてくる触手から必死に逃げている。
「ループ!」
「クレちゃん!?」
ループの顔が明るくなる。
「助かったですよー!」
「今行くから!」
クレティスが踏み出す。
「危ねぇ!」
ロックの声。
横から触手が襲いかかってきた。
「っ!」
槍で受けるが重い!!
クレティスの身体が横へ弾かれた。
「クレ!」
「大丈夫!」
すぐに立つ。
その間にも、別の触手がループへ迫る。
「あやややや――」
ループにはもう逃げ場がない。
じわじわと彼女の周囲に粘体が広がっている。
「ループ!」
フォルテが飛び出した。
「フォルテちゃん!?」
真正面から触手が来るが、フォルテはガントレットで触れる。
力を受け止めるのではなく受け流す。
触手がフォルテの横を滑っていき床を叩いた。
次は二本の触手。
片方を左腕で外へ。
もう片方を右腕で受けて身体を回す。
粘体の勢いそのものを利用して軌道を逸らした。
止まらない。
ループまで一直線に進む。
「すご……」
クレティスが思わず見入った。
また一本来てもフォルテが受け流す。
さらに一本かわしループまであと少しであった。
「フォルテちゃん、後ろですよ!」
「!」
背後からの触手を避け!
その先からもう一本をいなし。
フォルテが振り向くが間に合わない。
別の触手がループを狙って伸びていた。
「――っ」
右腕を突き出すフォルテ。
触手がガントレットへ食らいついた。
あまりの衝撃に金属が軋む。
「フォルテ!」
クレティスが叫んだ。
粘体が右腕を這い上がろうとするがフォルテは動じなかった。
たんたんと左手を右腕へ伸ばし留め具を外した。
するりと腕を引くと、右腕だけがガントレットから抜けでた。
直後取り外したガントレットが潰れて粘体の中へと沈んでいく。
形を失い糧にするためなのか喰われていった。
「……!」
その一瞬で、フォルテはループへ到達した。
「……来い」
「はい! ですよ!」
左腕でループを抱え振り返る。
だが、そこでフォルテの動きが止まった。
退路が塞がっているのだ。
「ちっ――」
ガントレットを喰うような相手に生身で触れればどうなるかなど試す必要もない。
ループを抱く腕に思わず力が入る。
「フォルテ!」
クレティスが触手を弾く。
「こっち!」
ロックのナイフが別の一本へ突き刺さる。
「早く来い!」
アマランスも道を示す。
フォルテはループを抱えたまま走った。
「フォルテちゃん!」
ループが彼の右腕を見る。
「腕は大丈夫ですか!?」
「ついている」
「そういう問題じゃないですよ!」
「あるならいい」
「よくないですよ!」
フォルテはループを下ろした。
腕そのものは無事だが。
右腕では攻撃を受けることはできない。
フォルテが忌々しそうに怪物を見る。
「俺はもうまともに触れない」
短い言葉だった。
それだけで全員が理解した。
クレティスが槍を構える。
「じゃあボクたちが――」
「違う」
ティルが遮った。
「戦うな」
「え?」
「こいつを倒す必要はない。 もう全員揃ったんだ」
ティルが出口を見る。
「逃げるぞ!」
「……うん!」
その判断に異論はなかった。
ならばと、クレティスが殿へ回る。
「みんな先に!」
「クレティスさん!」
アマランスが叫ぶ。
「大丈夫! すぐに追いつくから!」
迫る触手を払いのけクレティスは言う。
「それはたいていが生き残らないフラグなんだよ!」
クレティスの死角から迫ってきた触手をロックが撃ち落としながら答える。
負けじとクレティスも迫る触手を槍で弾く。
「このっ!」
一本二本と触手を押し戻す。
その間に扉へ向かうみんな。
「クレ! お前も早くしろ!」
「今行く!」
クレティスも走った。
出口へ。
あと少し。
――ぐしゃっという奇妙な音。
扉の脇から、粘体が溢れた。
「みんな止まるな!」
ロックが叫ぶが止まらざるを得なかった。
上からも下からも粘体が押し寄せる。
「嘘……」
扉が粘体に覆われて消える。
「ちっ!」
ロックがナイフを投げ突き刺さる。
一瞬、粘体が震えたがそれだけだった。
「くそっ!」
クレティスが槍を突き込む。
「どいて!」
押しこむと粘体がへこむ。
さらに押す。
「開けぇぇぇっ!」
一瞬だけ扉の一部が見えた。
「今!」
だが次の瞬間には別の粘体が流れ込んだ。
「そんな……!」
「別の出口を!」
アマランスが周囲を見る。
「ないな」
ティルが答えた。
「ここから出るなら、あの扉しかない」
「窓は!?」
「見ろ」
ロックが指した窓もすでに半分以上が粘体に覆われている。
外へ出られる幅ではない。
「じゃあ壊す!」
クレティスが壁へ向かおうとする。
「無理だ!」
ティルが叫ぶ。
「壁の向こうももう呑まれてる!」
――ズズン。
部屋が揺れて化け物は止まらない。
少しずつ確実に彼らのいる場所へ近づいてくる。
「……なんなんだよ、こいつ」
ロックがナイフを握った。
「何やっても止まらねえじゃねえか」
攻撃すれば怯む。
だが、それだけだ。
どんなに押し返してもすぐにまた広がってくる。
誰も何も見つけられないのだ。
フォルテも片方のガントレットしか残っていない。
ループは抱えていた荷物を胸元へ引き寄せ、周囲を見回している。
アマランスとティルも何かないかと部屋中へ視線を走らせていた。
赤い核の中で、大臣だったものが揺れている。
その周囲で粘体がまた一つ膨れ大きくなる。
部屋が狭くなっていく。
このままではこの粘液の化け物に食われてしまう。
「…………」
誰も喋らなくなった。
もう逃げ道がない。
攻撃も通じない。
相手は広がり続けている。
このまま部屋全部があれに呑み込まれる。
全員仲良く粘体の中へ消える。
「……参ったな」
ティルが呟くがいつもの軽さがなかった。
ロックも何も返さない。
アマランスが思わず目を伏せる。
フォルテは残った左のガントレットを握りこむ。
だが、それでも前へ出られない。
ループも黙っていた。
死。
その言葉を誰も口にはしなかった。
全員が同じものを見ていた。
逃げ場のない部屋に迫る怪物。
尽きた手段に対し――
人生の終わりを感じクレティスは、仲間たちを見た。
誰も諦めたいわけじゃない。
それでもどうすればいいのかわからない。
死が目の前まで来てしまえば、立ち向かうための理由だけでは身体は動かない。
『怖い』
クレティスだって怖かった。
死にたくない!
こんなところで終わりたくない!
まだ冒険したいし見たことのない場所へ行きたい!
知らない人に会いたい。
美味しいものだって食べたい。
やりたいことなんていくらでもある。
だから――
クレティスは槍を握った。
ぎゅっと手が震えていた。
それでも離さない。
いや離してはいけない!
「……クレ?」
ロックが気づいた。
クレティスは一歩、前へ出た。
「まだだよ」
「何がだ」
「まだ終わってない」
ティルがクレティスを見る。
「クレティス」
「だって」
勝てる方法なんて知らない。
逃げ道だってわからない。
何をすればいいのかも、まだ見えていない。
それでも――
「諦めたら終わりなんだ!」