黄金の雄鹿亭を出ると、空はすでに茜色に染まっていた。
「盗賊退治かぁ」
肩に担いだ槍を揺らしながら、クレティスは歩き出す。
「うん、今度こそ冒険者らしくなってきたね」
これから盗賊団のところへ乗り込み、宝石の手がかりを探して報酬も出る。
上手くいけば、当面の宿代と食事代を心配する必要もなくなるだろう。
「よーし!」
俄然やる気が湧いてきた。
夕方の街はまだ人通りが多い。
店じまいを始める商人がいる一方で、これから酒場へ向かう者たちもいる。
家路を急ぐ者、呼び込みの声を上げる者、道端で立ち話をしている者。
そんな人々の間を縫って、クレティスは進んでいく。
しばらく歩いたところで、大通りを外れた。
その瞬間だった。
「動くな」
背中に、硬いものが触れた。
クレティスの足が止まる。
声は後ろからだった。
ちらりと視線だけを動かす……背後に誰かいる。
フードを深く被った男。
そして背中へ突きつけられているのは――どうやらナイフらしい。
「……何のようですか?」
「いいから歩け」
「どこに?」
「そこの路地だ」
声は自分と変わらないくらい若い。
だが、態度は随分と生意気だった。
クレティスは肩越しに振り返ろうとする。
背中へ当たるナイフの感触が強くなった。
「前向いてろ」
「はいはい」
「一回で聞けよ」
「怒りっぽいなぁ」
「うるせえ」
言われるまま、クレティスは裏路地へ入った。
大通りの喧騒が少し遠ざかる。
建物に挟まれた狭い路地には人気がない。
背後の男は十分に奥まで入ったところで足を止めた。
「ここでいい」
クレティスも止まる。
「それで?」
「さっきの男」
「さっきの?」
「酒場で話してただろ」
クレティスは少し考えた。
「ああ」
ティルのことだ。
「アイツと何を話してた?」
「何って……」
「誤魔化すな。 何を話した」
どうやら強盗ではないらしい。
狙いは自分ではなく、さっきまで酒場で話していたティルのほうらしい。
クレティスは目だけを動かして、背後の気配を探る。ナイフはまだ背中にある。
下手に動けば刺される距離だ。
「答えろ」
「そんなに気になるの?」
「早くしろ」
「仕方ないなぁ」
クレティスはわざと溜めてから、何でもないことのように言った。
「男女二人で話すことっていったら、大人の話に決まってるだろ?」
「なっ――」
一瞬。 背後の男が明らかに動揺した。
クレティスは、その隙を逃さない。
「よっと!」
「うおっ!?」
身体を捻り、そのまま足を払う。
男の身体が宙へ浮き、背中から石畳へ落ちた。
「ぐっ!」
ナイフが手を離れる。
クレティスはすぐさま男へ飛びかかると、そのフードを掴んだ。
「顔くらい見せなよ!」
一気に引き剥がして顔を拝む。
夕暮れの光の中へ、白い髪がこぼれた。
赤い瞳が、クレティスを睨む。
「…………」
「…………」
クレティスは目を瞬かせた。
「……君、思ったより若いんだね」
「うるせえ!」
白髪の男は跳ねるように起き上がった。
「だったら一つだけ覚えとけ」
「何?」
「この依頼から手を引け」
男の赤い目が、まっすぐクレティスを射抜く。
「次は警告じゃ済まさねえぞ」
それだけ言い残すと、男は身を翻した。
「あ、ちょっと!」
クレティスが呼び止める。
だが男は振り返らない。
白い髪を再びフードの下へ隠し、夕暮れの裏路地から姿を消していった。
「…………」
一人残されたクレティスは、その方向をしばらく眺める。
「依頼から手を引け、か」
腕を組む。
『ただ宝石を探すだけ』
ティルから聞いた話では、そういう仕事だった。
それなのに、いきなり正体不明の男からナイフを突きつけられた。
「……やっぱり何か隠してるなぁ」
クレティスは呟いた。
けれど。
「まあ、いっか」
考えるのをやめた。
今は盗賊団だ。
そちらを調べれば、宝石についても何かわかるかもしれない。
クレティスは槍を担ぎ直す。
「さて」
今度こそ盗賊団のもとへ向かう。
ただ一つ言えることがある。
考えても答えが出ないなら、自分の目で確かめればいい。
それに、仕事を引き受けた以上は途中で放り出したくなかった。
何より。
「盗賊団のアジトかぁ」
口元が緩む。
「ちょっと楽しみなんだよね」
謎の男に脅されたことより、これから始まる冒険への好奇心のほうが勝っていた。
その時点では、クレティスはまだ知らなかった。
先ほど自分へナイフを突きつけた白髪の男が何者なのか。
何を誤解して自分を脅したのか。
ましてや――この先、彼と肩を並べることになるなど、想像しているはずもなかった。