「兄様?」
ゆっくり振り返る。
金髪の少女――いや、若い女が立っていた。
肩口で切り揃えられた髪に、赤いリボン。
可愛らしい容姿。
しかし今、その顔には笑みがなかった。
「よ、よう! 沙耶!」
「よう、ではありません!」
妹の沙耶だった。
「探しましたよ」
「俺を?」
「他に誰がいるんですか」
「いや、ほら。 俺みたいないい男なら探してる女が何人か――」
「兄様」
「はい」
沙耶が志岐の向かいへ視線を向ける。
そこには、見覚えのない男が座っていた。
「そちらの方は?」
「今会った男」
「レイドと申します」
レイドは席を立ち、丁寧に頭を下げた。
「あなたは?」
「沙耶です。 こちらの――」
「恋人?」
レイドが聞いた。
「妹です!」
「残念。 外れましたか」
「何が残念なんだよ」
「兄様も何で残念そうなんですか!」
「いや、俺は別に」
レイドは沙耶を見つめる。
ほんの一瞬――
表情は変わらない。
だが、白い魔術師の視線が、沙耶の姿を静かになぞる。
それから、何事もなかったように志岐へ戻った。
「仲がよろしいんですね」
「どこを見たらそう思うんですか!?」
「兄様と呼んでいるので」
「そこだけですか?」
「沙耶、なんでお前怒ってんの?」
「兄様が真面目に働かないから苦労してるんです!!」
酒場中に声が響きわたる。
思わず志岐が耳を押さえる。
「声でけえよ」
「大きくもなります!!」
沙耶は志岐の前に仕事の紙を叩きつけた。
「宿の方から聞きました! 仕事を紹介しても全部断っているそうですね!」
「まともな仕事がねえんだよ」
「あります!」
「ねえって」
「荷運び!」
「腰が痛くなる」
「倉庫整理!」
「埃っぽい」
「店番!」
「退屈」
「農園!」
「朝早い」
「全部兄様の都合じゃないですか!」
「俺にも仕事を選ぶ権利はあるからな!」
「選んだ結果、お金がないんでしょう!」
「…………」
「どうなんです?」
「金はないな!」
「威張って胸を張らないでください!」
レイドが静かに二人を眺めている。
「なるほど」
「何がなるほどだ」
「あなたが仕事を探しているという話が、より信憑性を増しました」
「こいつの話は半分くらいで聞いとけ」
沙耶を見ながら志岐はそんなことを言う。
「全部本当の事です!」
「ほら、すぐこういうこと言うだろ?」
「兄様!」
レイドが小さく笑った。
「それで……兄様に何のご用でしょうか?」
「仕事のお誘いをと思い話をしておりました」
「仕事?」
「私の護衛です」
沙耶の表情が変わった。
先ほどまでの兄への呆れではない。
レイドを見る目に警戒が混じる。
「兄様を?」
「はい、ちょうど護衛が一人いなくなりまして」
「どうしていなくなったんです?」
志岐が親指で酒場の入口を指した。
「俺がぶっ飛ばした!」
えっへん、と胸を張る志岐。
「…………」
沙耶が目を閉じた。
「兄様」
「なんだ」
「また喧嘩したんですか?」
「向こうが俺の刀を馬鹿にしたからな!」
「…………それは確かに向こうが悪いですね」
「だろ?」
「でも喧嘩は駄目です」
「どっちだよ」
「それとこれとは別なんです」
沙耶はそう言ってからレイドへ向き直る。
「その護衛を兄様が倒したので、代わりに兄様をという事ですか?」
「ええ」
沙耶は再び考える。
「……怪しい」
「おい」
「だって怪しいじゃないですか」
沙耶はレイドから目を逸らさない。
「会ったばかりの人間を、いきなり雇うんですよね?」
「腕前は見ましたから」
「それだけで信用できますか?」
「信用?」
レイドが少しだけ首を傾けた。
「初めからしていませんよ?」
「…………」
「彼の人格を信用しているわけではありません。 護衛として使える腕を持っていると評価しただけです」
「お前、本人の前でよく言えるな」
「嘘を言うよりいいでしょう?」
「まあな」
妙に取り繕われるより話が早いが、沙耶はそうではないらしい。
「兄様」
「ん?」
「私は反対です」
「なんで」
「怪しいからです」
「金払いはいいぞ」
「お金だけで決めないでください」
「宿もつく」
「だから!」
「食事も出るらしい」
「兄様!」
そこに、レイドが静かに付け加えた。
「三食でますよ」
志岐が止まる。
「……三食?」
「はい」
「毎日?」
「当然です」
レイドは考えるように顎へ手を添えた。
「そうですね。 長旅になる可能性もありますし……おやつも付けましょうか」
「おやつ」
「兄様!」
「いや待て沙耶。 これは大事な話だぞ」
「どこがです!」
「三食だけでも相当だぞ。 それにおやつだ」
「私が作ります!」
「それだと材料費が俺たち持ちになるだろ」
「働けばいいんです!」
「だから、今働こうとしてんだろ!」
「さっきまで全部断ってきたじゃないですか!」
「人間は成長するんだよ」
「数分で!?」
「先ほども同じことを言っていましたよ」
レイドが口を挟んだ。
「ほら見ろ」
「その方は絶対に褒めてませんよ!」
沙耶は頭を抱え、志岐は腕を組む。
高額報酬で宿付き。
三食付いてさらにおやつまで!
悪くない、むしろ相当にいい。
だがまだ一つ、重大な問題が残っている。
「レイド」
「はい」
「一個だけ聞いていいか?」
「どうぞ」
「かわいい子はそこにいるか?」
「兄様!」
沙耶の拳がテーブルを叩いた。
レイドは少し考える風に顎に手を置き、それから微笑んだ。
「いますよ」
「やる!!」
「兄様ぁ!」
即決だった。
志岐が立ち上がる。
「決まりだな!」
「何が決まりなんですか!」
「仕事だよ」
「三食とおやつと女の人で決めましたよね!?」
「金もある!」
「余計悪いです!」
「何が不満なんだ? 俺に働けって言ったのはお前だろ?」
「もっとまともな仕事をしてくださいと言ってるんです!」
「護衛だぞ? まともじゃねえか」
「依頼人が怪しいんです!」
「本人の前で言うなよ」
「私は気にしませんよ」
「ほら見ろ。 いい奴じゃねえか」
「そこじゃありません!」
沙耶の説教が続く。
しかし、志岐は半分も聞いていなかった。
やがて沙耶が深く息を吐いた。
「……分かりました」
「お、納得したのか?」
「してません」
「じゃあ何が分かったんだ?」
「兄様が一度こうなったら、何を言っても聞かないということがです」
「よく分かってるじゃねえか」
「なので私も行きます」
「あ?」
志岐が眉を上げた。
「なんでだよ」
「兄様一人で行かせられるわけないでしょう!」
「俺は子供じゃねえぞ?」
「子供より心配です!」
「ひでえ」
「放っておいたら、知らない女の人について行くじゃないですか!」
レイドが沙耶を見る。
「私は構いませんよ?」
「……いいのか?」
「なにか特技……回復魔法は使えますか?」
「はい」
沙耶が答える。
「それなりには」
「それは助かります。 護衛に回復役まで得られるなら、こちらとしても歓迎です」
「沙耶の分の報酬は?」
「兄様!」
「重要だろ」
「もちろんお支払いしますよ」
「飯は?」
「同じく」
「おやつは?」
「同じく」
「よし!」
「何がよしなんですか!」
志岐は刀を腰へ差し直した。
さっきまでテーブルの上にあった仕事一覧を掴む。
少し眺めてから、くしゃりと丸めた。
「つまらん仕事よりは面白そうだ」
ゴミ箱に投げ入れる。
「いやまて、もしかして朝早い?」
「場合によっては」
レイドの返答に、志岐の顔が曇った。
「やっぱやめようかな――」
「兄様!!」
「冗談だよ」
「絶対半分本気でしたよね?」
「四割」
「ほとんどじゃないですか!」
沙耶の声が酒場に響く。
周囲の客たちも、飽きたのかいつの間にか普通の酒場の雰囲気に戻っている。
志岐は残っていた果物のジュースを一気に飲み干す。
「じゃ、いつからだ?」
「早い方がいいですね」
「今日?」
「できれば」
「マジかよ」
「何か予定でも?」
志岐は先ほどのウェイトレスを見る。
目が合ったので手を振る。
ウェイトレスは苦笑しながら小さく手を振り返した。
「夜にちょっとな!」
「ありません!」
沙耶が断言した。
「お前に聞いてねえよ」
「ありません!」
「二回言うな」
「では問題ありませんね」
「お前も勝手に決めんな」
志岐はため息をついた。
とはいえ、断る気はもうなかった。
金が入るし飯も出る。
しかも、かわいい女がいるらしい。
これ以上、何を求めるというのか。
「よし」
志岐は立ち上がった。
「それじゃあ案内しろ!」
「ええ」
レイドも立つ。
沙耶だけが、まだ納得していない顔をしていた。
「本当に大丈夫なんでしょうか……」
「大丈夫だって」
「兄様の『大丈夫』ほど信用できない言葉もありません」
「失礼な奴だな」
「これまでの実績です」
志岐は笑った。
腰の刀が、歩き出す動きに合わせて小さく揺れる。
その後ろを沙耶が追う。
レイドは二人より少し遅れて歩き出した。
酒場の扉へ向かう途中。
一度だけ白い魔術師の視線が、志岐ではなく沙耶へ向いた。
「…………」
ほんの一瞬。
何かを確かめるような目だった。
「レイド?」
志岐が振り返る。
「どうした?」
「いいえ」
いつもの穏やかな笑みが戻る。
「何でもありませんよ」
「なら早く行こうぜ。 で、かわいい子ってどんな奴だ?」
「兄様!」
「仕事の情報収集だぞ!」
「どこがですか!」
「重要だろ? 職場環境ってのは!」
「ついさっきまで安定した職場を全部断っていた人が何を言ってるんですか!」
「それとこれとは――」
「別じゃありません!」
酒場の扉が開いた。
昼のキーリルの喧騒が流れ込んでくる。
志岐はまだ知らない。
この仕事の先に何があるのか。
自分の隣を歩いている妹を、白い魔術師が何者として見たのかも。
そんなことは何一つ知らないまま。
「で、かわいいんだよな?」
「兄様!」
志岐は仕事へ向かうのだった。
理由は金。
そしてかわいい女。
少なくともこのときの本人にとっては――それで十分だった。