プレアデスストーリー   作:八束祐

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志岐編 6

 

 その日の夜――

 

 志岐は与えられた部屋の寝台に転がっていた。

 

「悪くねえな」

 

 天井を眺めながら呟く。

 

 宿代はいらない飯も出る。

 部屋だって寝るには十分だ。

 

 仕事の内容と、ギルド周りが胡散臭いことを除けば、かなりいい環境だった。

 

「……除くもん多いな」

 

 自分で言って、少し笑う。

 

 それでも今すぐ辞める理由はない。

 

『危なければ、そのとき考えればいい』

 

 師匠もそう言っていた。

 そして志岐自身、昔からそういう男だった。

 

「桃……か」

 

 今日一日、一緒にいた女を思い出す。

 

 可愛いし強い。

 素直な子なのに、ちょっとHな格好をしているのもポイントが高い。

 

 少なくとも、女好きの志岐が気に入る条件はかなり揃っている。

 

「……もうちょい愛想ありゃなあ」

 

 何を聞いても、似たような答えが返ってくる。

 二言目には命令、命令。

 

 食べるものも、戦うことも、自分がどうしたいかより誰かに言われたことを優先する。

 

 それではまるで――

 

「人形じゃねえんだから」

 

 呟いた、そのときだった。

 

 扉が叩かれる。

 

「ん?」

 

 志岐が身体を起こした。

 

「沙耶か?」

 

 部屋は隣だ。

 見知らぬ場所で心細くなったのかもしれない。

 

「桃です」

 

「…………」

 

 動きが止まった。

 

「桃?」

 

「はい」

 

 志岐は跳ね起きた。

 服を確認し、髪を手で整える。

 

「ちょっと待て」

 

「はい」

 

「…………よし」

 

 扉を開ける。

 

 本当に桃がいた。

 昼間と何ひとつ変わらない静かな顔で、廊下に立っている。

 

「どうした?」

 

「少しお邪魔してもよろしいでしょうか?」

 

「そりゃもちろん!」

 

 即座に道を空ける。

 

 桃が部屋へ入り、志岐は静かに扉を閉めた。

 

「何か用?」

 

「はい」

 

「明日の仕事?」

 

「いいえ」

 

「じゃあ俺?」

 

「はい」

 

 志岐は桃を見る。

 

「……なるほど」

 

「何がでしょうか」

 

「いや」

 

 思わず笑ってしまう。

 

「俺も男だからな」

 

「はい」

 

「夜に女が一人で部屋まで来たら、都合よく考えるんだぞ?」

 

「構いません」

 

「…………」

 

 志岐の口が開いたまま止まった。

 

 予想以上に真正面から返された。

 

「本当にいいのか?」

 

「はい」

 

「嫌なら帰れよ?」

 

「帰りません」

 

「途中でやっぱなし、でもいいからな?」

 

「承知しております」

 

「そっかぁ……そっかぁ……」

 

 志岐は桃へ手を伸ばした。

 桃は拒まなかった。

 

 

 

 しばらくして――

 

 静かになった部屋で、志岐は寝台に横になっていた。

 隣には、何も身につけていない桃がいる。

 

「…………」

 

 志岐は天井を見上げた。

 

「なあ、桃」

 

「はい」

 

「お前さ」

 

「何でしょうか」

 

「もうちょっと何かねえの?」

 

「何か?」

 

「いや……」

 

 志岐は頭を掻いた。

 

「楽しかった?」

 

「はい」

 

「本当に?」

 

「はい」

 

「…………」

 

 分からない。

 

 嫌がっていたようには見えなかった。

 だからといって、桃自身が何を感じていたのかも見えてこない。

 

 昼間と同じだった。

 

「ところでさ」

 

「はい」

 

 志岐は何気なく尋ねた。

 

「ここには命令で?」

 

「はい」

 

「…………」

 

 志岐の目が止まった。

 

「え?」

 

「レイド様のご命令です」

 

 部屋の空気が変わった。

 

 少なくとも、志岐にとっては。

 

「ちょっと待て。 命令?」

 

「はい」

 

「レイドの?」

 

「はい」

 

「何て?」

 

「志岐様のお部屋へ伺い、『今夜のお相手をするように』と」

 

「…………」

 

 志岐が勢いよく起き上がった。

 

 桃を見る。

 冗談を言っている顔ではない。

 

 そもそも、桃が冗談を言うところなど一度も見ていない。

 

「お前は?」

 

「はい?」

 

「お前は来たかったの?」

 

「レイド様のご命令ですので」

 

「それは聞いた。 お前がどうだったか聞いてんだよ」

 

「…………」

 

 桃が黙る。

 

「来たかったのか、来たくなかったのか」

 

「それは重要でしょうか?」

 

「重要だろ」

 

「レイド様が必要だと判断されたのであれば、私はそれに従います」

 

「レイドは関係ねえ」

 

 思わず声が低くなった。

 

 桃が志岐を見る。

 

「関係ないとは?」

 

「俺はレイドと寝たわけじゃねえだろ?」

 

「それはそうですが」

 

「なら、俺が聞いてんのはお前の話だ」

 

「……私の」

 

「ああ」

 

 桃は考える。

 

 けれど、出てきた答えは――

 

「命令でしたので」

 

「またそれかよ」

 

「何か問題がありましたでしょうか」

 

「あった」

 

「どこに?」

 

「俺は、お前が自分で来たんだと思ってた」

 

「はい」

 

「だから受け入れた。 でも違った」

 

「命令ではありました。 ですが、私は拒否しておりません」

 

「そこじゃねえんだよ」

 

 志岐は舌打ちしかけて、やめた。

 

 桃に腹を立てているわけではない。

 腹が立つのはレイドだ。

 

 そして少しだけ、自分にも腹が立った。

 

 もっと聞けばよかった。

 

 桃は拒まなかった。

 帰らないとも言った。

 

 だから自分に都合よく、桃自身が望んでいるのだと思い込んだ。

 

「……あの野郎」

 

「レイド様でしょうか」

 

「他に誰がいる」

 

「何か問題が?」

 

「女をこんなことに使うんじゃねえよ」

 

「私は構いません」

 

「俺が構う」

 

「ですが、志岐様は私をお気に召したのでは?」

 

「気に入ったよ」

 

「でしたら問題はないのでは?」

 

「ある」

 

「なぜです?」

 

 志岐は桃を見た。

 

「確かに俺はお前を抱きたかった」

 

「はい」

 

「お前も俺と寝たかったなら、それでいい。 でも、レイドに行けって言われたから来たってんなら、話が違う」

 

「違う?」

 

「ああ」

 

 桃には本当に分からないらしい。

 

 志岐は乱暴に髪を掻いた。

 

「お前、何でも『はい』だよな」

 

「はい」

 

「ほら」

 

「…………」

 

「俺たちと組むのも、世話するのも、俺の部屋に来るのも、全部あいつの命令だ」

 

「はい」

 

「で、お前は?」

 

「私?」

 

「お前自身はどうしたいんだ?」

 

「…………」

 

 返事がない。

 

「分かんねえなら、分かんねえでいい。 でもな、レイドがどうとかじゃなくて、お前がどう思ってるかを聞いてんだ」

 

 長い沈黙のあと、桃は答えた。

 

「分かりません」

 

「そっか」

 

 志岐も少し黙った。

 

 そして、今日一日ずっと引っかかっていたものを口にする。

 

「……お前って、人形みてえだな」

 

 桃の目が、わずかに動いた。

 

「人形、ですか?」

 

「ああ」

 

「私が?」

 

「そうだ」

 

「レイド様の命令に従うからでしょうか」

 

「それだけじゃねえよ」

 

 志岐は桃を指差した。

 

「お前自身が全然見えねえんだ。 好きも嫌いもねえ。 やりたいも、やりたくないもねえ」

 

「……」

 

 桃は黙り込む。

 

 「何を聞いても誰かの命令だ」

 

「…………」

 

「そういう女は、俺は好きじゃねえ」

 

 桃はさらに黙った。

 

 ほんのわずかに、その顔へ何かが浮かんだ気がした。

 

 志岐にも、それが何なのかまでは分からない。

 

「……私がお嫌いですか?」

 

「今はな」

 

「今は?」

 

「ああ」

 

「それは、今後変わるということでしょうか」

 

「変わる」

 

 即答した。

 

 桃が首を傾げる。

 

「なぜです?」

 

「決めたから」

 

「何をでしょうか?」

 

 志岐は、にやりと笑った。

 

「お前が俺のこと好きでたまらなくなるようにしてやるよ」

 

「…………」

 

 桃が瞬きをした。

 

「私が?」

 

「ああ」

 

「志岐様を?」

 

「そうだよ」

 

「好きでたまらなく?」

 

「おう」

 

「なぜでしょうか」

 

「俺がそうしたいから」

 

「レイド様のご命令ではなく?」

 

「当たり前だろ!」

 

 志岐は思わず笑った。

 

「なんで俺がお前を口説くのに、あいつの命令がいるんだよ」

 

「では、バルタザール様の?」

 

「もっといらねえよ!」

 

「そうですか」

 

「そうだよ」

 

 志岐は桃をまっすぐ見る。

 

「レイドに言われたから俺のところに来るんじゃねえ。 お前が来たくて来るようにしてやる」

 

「私が」

 

「ああ」

 

「自分で?」

 

「そうだ」

 

 志岐は得意げに胸を張った。

 

 桃はしばらく考えていたが、やがて小さく首を傾げた。

 

「……よく分かりません」

 

「いいよ」

 

「よろしいのですか?」

 

「今分かんねえなら、これから分かりゃいい」

 

「これから」

 

「おう。 その代わり覚悟しとけ」

 

「何をでしょう?」

 

「俺に惚れる覚悟」

 

「…………」

 

「そのうち俺の顔見ただけで嬉しくなるくらいにしてやる」

 

「それは病気では?」

 

「違えよ!」

 

「顔を見ることによって身体に何らかの異常が生じるのであれば――」

 

「そういう意味じゃねえ!」

 

「では、どういう意味でしょうか」

 

「惚れりゃ分かる!」

 

「志岐様は経験がおありで?」

 

「女に惚れられた経験ならいっぱいあるぞ?」

 

「そうなのですか」

 

「おう!」

 

「沙耶様に確認しても?」

 

「やめろ」

 

「なぜでしょう」

 

「話がややこしくなるからな」

 

「虚偽なのですか?」

 

「違う!」

 

「では、なぜ?」

 

「お前、意外と面倒くせえな!」

 

「申し訳ありません」

 

「謝るなって」

 

「はい」

 

 志岐はため息をついた。

 

 けれど、先ほどまで腹の底に溜まっていた苛立ちは、少しだけ薄れていた。

 

「まあ、それはいいとして」

 

「はい」

 

「帰る?」

 

「はい?」

 

「もう命令は済んだんだろ」

 

「はい」

 

「なら、ここからはレイドは関係ねえ。帰りたいなら帰れ。ここにいたいならいろ」

 

「…………」

 

「今度は、お前が決めろ」

 

 桃が止まった。

 

「レイド様へ確認を――」

 

「するな」

 

「では、どのように決めれば?」

 

「自分で考えろ」

 

「自分で」

 

「ああ。時間がかかっても待ってやるよ」

 

「…………」

 

 桃は黙った。

 

 志岐も黙って待った。

 

 思っていたより長い。

 それでも、急かさなかった。

 

 やがて桃が口を開く。

 

「分かりません」

 

「じゃあ、どっちでもいい」

 

「どちらでも?」

 

「そうだ! 帰るか残るか、適当に決めろ」

 

「適当に」

 

「好きな方」

 

「好きな方……」

 

 また、桃が考える。

 

 それから――

 

「では……」

 

「おう」

 

「もう少し、ここにおります」

 

 志岐の眉が上がった。

 

「なんで?」

 

「…………」

 

 桃は少し考えた。

 

「分かりません」

 

「そっか」

 

「はい」

 

「じゃあ、好きなだけいろ」

 

「はい」

 

 志岐は笑って寝台へ横になり、目を閉じた。

 

 桃も帰らなかった。

 やがて隣で静かな寝息を立て始める。

 

 命令された時間がどこまでだったのかなんて、もう聞く気はない。

 

 ここへ来たことは命令だった。

 

 けれど、今ここに残っていることだけは違う。

 

 理由さえまだ分からない、小さな選択。

 それでも桃が自分で決めた。

 

 今は、それでいい。

 

 そう思いながら、志岐も眠りについた。

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