「ここか?」
志岐が紙と目の前の建物を見比べた。
「場所は合っています」
桃が答える。
「やっと着いた」
「途中で買い物したから遅くなったんですよ」
「必要な買い物だっただろ」
「胸まで揉む必要はありません」
「あれはサービスだし」
「胸を張って言わないでください!」
「揉んだのも胸だけどな」
「兄様!」
「うまいだろ?」
「うまくありません!」
沙耶に睨まれながら、志岐が扉を叩く。
「誰かいるー?」
しばらくすると扉が開いた。
「ん? なんだ? あぁ、来たか!」
出てきたのは体格のいい中年男だった。
声も大きい。
威勢もいい。
「レイドから聞いてるぞ。 宝石を持ってきた連中だな?」
「そうだぞ!」
志岐が答える。
「君が志岐か?」
「ああ」
「そっちの二人も一緒か」
「沙耶です」
「桃と申します」
「よし、入ってくれ! 話は通ってる!」
男に案内され、中へ入る。
何人かの人間が忙しそうに働いていた。
机の上には道具や鉱石らしきものが並び、志岐には何に使うのか分からない器具もいくつも置かれている。
「で、見本は?」
「桃」
「はい」
桃が背中の刻印へ手を伸ばすと、赤い宝石が現れた。
「こちらです」
「おお」
男が受け取り、光へかざす。
「壊すなよ」
「分かってるよ、君。 こいつを見ながら同じものを作ればいいんだろ?」
「そう聞いてる」
「任せな! こっちはそういう仕事が得意なんだ。 きっちり仕上げてやるよ」
「どれくらい?」
「すぐってわけにはいかんが……まあ、しばらく待ってくれ」
そう言うと男は、近くにいた作業員に宝石を持たせて奥へ引っ込ませた。
どうやら志岐たちは、しばらくここで待機しなければならないらしい。
「暇だなぁ」
「兄様、依頼中です」
「待つだけだろ?」
「待つのも仕事です」
「寝てていい?」
「駄目です」
「理不尽だなぁ!」
男が豪快に笑う。
「元気な兄妹だな、君たち」
「こいつがうるさいだけ」
「兄様です!」
「まあ、好きにしててくれ。 終わったら声かけるからよ」
「おう」
男が作業へ向かう。
志岐たちには、待つ時間だけが残された。
三十分後――
「暇だー……」
志岐が天井を見上げながら声を張り上げる。
「聞こえてますよ」
「沙耶」
「なんです?」
「暇」
「知りません!」
すげなく言い捨てられた志岐は、今度は隣の桃へ視線を向けた。
「桃」
「はい?」
「暇」
「何かいたしましょうか」
「桃さん、相手にしなくていいです!」
「しかし……」
「兄様なんて放っておいてください」
「ひどい妹だ」
「大人しく待てない兄様が悪いんですから!」
志岐は辺りを見回す。
だからといって、仕事の邪魔をするほど子供ではない。
しかし何もしないのは性に合わない。
そんなときだった。
「おっ」
作業の合間に、先ほどの男が何かを眺めているのが見えた。
妙な模様が描かれた布だ。
「何だそれ?」
「ん?」
男が振り返る。
「これか?」
「ああ」
「ヤーパンの品だよ!」
急に声が弾んだ。
「へえ」
「俺はな、ヤーパンの文化が好きでな!」
「そうなのか?」
「ああ! 面白いんだよ。 こっちじゃ見ねえもんが多いだろ?」
「まあな」
「君は詳しいか?」
「…………」
志岐が男を見る。
期待に満ちた顔をしていた。
少し考えて――志岐の口元が、にやりと歪む。
「とっても詳しいぞ!」
「本当か!」
「兄様?」
沙耶が早くも何かを察した。
「なあ、おっちゃん」
「なんだ?」
「ヤーパン好きなんだよな?」
「もちろんだ!」
「だったらさ」
志岐が笑う。
「今一番流行ってる格好、教えてやろうじゃないか?」
「今の流行!?」
「ああ」
男の目が輝いた。
「ぜひ教えてくれ!」
「兄様」
沙耶の声が低くなる。
「なんだよ」
「本当に流行ってるものを教えるんですよね?」
「当たり前だろ」
「今、一瞬笑いましたよね?」
「笑ってねえなぁ」
「笑いました」
「気のせいだろ」
「志岐様」
桃が首を傾げる。
「現在のヤーパンでは、どのような装いが流行しているのでしょうか」
「桃さんまで興味持っちゃった……」
沙耶が頭を抱える。
志岐はまず自分の顔を指した。
「歌舞伎化粧」
「カブキ?」
「そうだ。 顔にこう、派手に化粧する」
「ほう!」
「兄様」
「黙ってろ沙耶」
「なんでですか!」
「文化交流中だぞ?」
「嘘の文化を交流させないでください!」
「嘘?」
男が沙耶を見る。
志岐が即座に遮った。
「妹は古いものしか興味がなくてな!」
「古い!?」
「流行についてこれてねえ」
「兄様!」
「なるほど!」
「納得しないでください!」
男はすでに志岐しか見ていない。
「それで? カブキ化粧だったな!」
「そうだぞ! しかし、それだけじゃ足りねえ」
「まだあるのか!」
「髪だ!」
志岐が自分の頭を指す。
「ちょんまげ」
「チョンマゲ……!」
「頭の上をこうする」
「なるほど……!」
二人のやり取りを、桃も真剣に聞いている。
何気にメモまで取っていた。
「桃さん」
「はい」
「覚えなくていいですからね」
「なぜでしょうか?」
「嘘だからです!」
「沙耶!」
「嘘なのですか?」
桃がわずかにしょぼくれる。
「……一部の地域では本当にある」
「一部でしょう!」
「つまり嘘じゃねえってことだ!」
「『今一番流行ってる』が嘘です!」
「細けえなあ」
「細かくありません!」
男は二人の言い争いなど聞いていなかった。
「カブーキ化粧……チョンマーゲ……!」
すでに夢中である。
「最後」
志岐が言った。
「まだあるのか!」
「ああ」
少し間を置く。
「まわしだ!」
「マワシ……!」
沙耶が額を押さえた。
「もう嫌……」
「まわしとは何でしょうか」
桃が尋ねる。
志岐が簡単に説明すると、桃は興味深そうに頷いた。
「では、衣服は?」
「まわし」
「上半身は?」
「そのまま」
「なるほど」
「納得しないでください、桃さん!」
男は感動で震えていた。
「なんて……なんて大胆な……!」
「だろ?」
「これが今のヤーパン……!」
「しかも最先端!」
「兄様ぁ……」
沙耶の声には、もう力がない。
「そうだ」
志岐はさらに思いついた。
「格好だけじゃ駄目だな」
「なんだと!?」
「喋り方も真似するしかない!」
「喋り方まであるのか!」
「当然だ!」
「どんなだ!?」
「もっとこう、芝居がかって喋るんだ。 声を張って、間を取って、大げさに」
「なるほど……!」
「兄様」
「なんだよ」
「もう止めません」
「お、諦めた?」
「後でレイドさんに全部言います」
「なんで!?」
「私は止めましたからね!」
「レイド関係ねえだろ!」
「仕事先で何をしてきたか報告します!」
「告げ口じゃねえか!」
その横で、男は早速練習を始めていた。
「よぉぉぉし!」
「違う違う。 もっと腹からだしてー」
「よぉぉぉぉぉぉし!」
「いいね」
「こうか!」
「最後に間を取る」
「よぉぉぉぉぉし……!」
「いいぞ、おっちゃん!」
「分かってきたぞ、君!」
桃が感心したように見ている。
「短時間で習得されています」
「褒めないでください!」
「しかし沙耶様」
「はい?」
「文化を学ぶことは良いことでは?」
「これは文化じゃありません!」
「そうなのですか?」
「兄様が面白がってるだけです!」
志岐が吹き出した。
「お前、よく分かってんな」
「何年妹やってると思ってるんです!」
「じゃあ桃」
「はい」
「俺が今どんな気持ちか分かる?」
「…………」
桃が志岐を見る。
男を見る。
もう一度、志岐を見る。
「楽しそうです」
「正解」
「そんなことから覚えなくていいんですよ、桃さん!」
男が志岐の前へ戻ってくる。
「志岐君!」
「おう」
「どうだ!」
声に立ち方。
妙に芝居がかった動き。
さっきまで威勢のいい普通のおっちゃんだったものが、短時間で何かおかしな方向へ進化しつつある。
志岐は親指を立てた。
「完璧だぜ!」
「本当か!」
「あとは格好だな」
「よし! 必ず揃えるぞ!」
「歌舞伎化粧」
「カブーキ!」
「ちょんまげ」
「チョンマーゲ!」
「まわし」
「マワシ!」
志岐は大きく頷いた。
「この三つを揃えて完成だ。天下の三種の神器と呼ばれるほどのもんなんだぜ!」
「おおおお!」
「兄様、それはもう完全に嘘でしょう!」
男が拳を握り締める。
「俺は……ヤーパンの最先端を手に入れる!」
「頑張れ! 応援してやる!」
「兄様ぁ……」
「君!」
男が志岐の肩を掴む。
「感謝する!」
「おう」
「いつかこの格好で君の前に立ってみせる!」
「楽しみにしてる」
志岐は笑いを堪えていた。
沙耶はもう諦めたように天井を見ている。
「志岐様」
「ん?」
「私も歌舞伎化粧をした方がよろしいでしょうか」
「やめとけ」
「なぜでしょう?」
「お前は今のままの方がかわいい」
「…………」
桃が止まった。
「そうですか」
「ああ」
「承知いたしました」
「ちょっと待って」
沙耶が志岐を見る。
「私には?」
「何が?」
「……なんでもありません!」
「なんで怒るんだ?」
「知りません!」
そのとき、奥から声が飛んだ。
「できたぞ!」
男が振り返る。
「おっ!」
途端に仕事の顔へ戻った。
「行くぞ、君たち!」
「切り替え早えなおっちゃん」
三人も、その後に続いた。