机の上には、複数の宝石が並べられていた。
見本として預けた本物を含む、寸分違わぬ複製品の数々。
志岐は目を細めて覗き込んでみたものの、結局のところ違いはさっぱり分からなかった。
「どれが本物?」
「こちらです」
志岐が首を傾げるより早く、桃が迷いのない手つきでひとつの宝石を手に取った。
「分かるのか?」
「預けた際に、魔力の特徴を詳細に記憶しておりましたので」
「へえ」
「兄様と違って、桃さんはちゃんとしてますね」
沙耶が誇らしげに胸を張り、志岐をちらりと横目で見る。
「俺だって、それくらいの見分けはついてたさ」
「へえ? じゃあどれです?」
「桃が持ってるやつ」
「今教えてもらったでしょう!」
「結果として合ってるんだからいいだろ」
「そういう問題じゃありません!」
不毛な兄妹喧嘩を見かねて、男が腹を揺らして豪快に笑い飛ばした。
「はっはっは! 面白いな、君たちは!」
「よく人から言われる!」
「全部兄様のせいなんです!」
「まあまあ、複製品はこれで全部だ。 しっかりと確認してくれ」
男の言葉を受け、桃が残りの宝石を一つずつ手に取り、慎重に魔力を確かめていく。
「問題ないかと」
「じゃあ帰るか」
志岐がくるりと背を向けようとした瞬間、ぐいっと首元が引っ張られた。
「待ってください」
沙耶が志岐の襟首をがっしりと掴んで引き留めている。
「ぐえっ」
「受領証」
「あ!」
「……完全に忘れてたでしょう」
「今ちょうど思い出そうとしてたところだ!」
「嘘ですね」
「本当」
「はは、受領証ならちゃんと用意してあるぞ」
男が苦笑しながら、一枚の紙を取り出した。
「ほらよ」
「桃」
「はい」
志岐が手を伸ばすより早く、桃がすっと前に出て受領証を受け取る。
「お預かりいたします」
桃が背中に手をかざすと、吸い込まれるように受領証が収納されていった。
そして受領の確認書を向こうに手渡す。
「これでなくさねえな」
「最初から兄様に持たせるつもりはありませんでしたから」
「相変わらず信用ねえなあ……」
続いて、複製された宝石たちも桃の刻印の向こうへと消えていった。
「よし」
志岐は両手を頭の上に突き出し、ぐっと大きな伸びをする。
「初仕事、これにて終了!」
「まだ戻ってレイドさんに報告するまでが仕事です」
「真面目だなあ、沙耶は」
「兄様が不真面目すぎるんです! だいたい、今日の兄様は何をしたんですか?」
「俺だってちゃんと仕事しただろ」
「宝石を運んだのは桃さんです」
「俺は二人を護衛してるぞ?」
「道中、敵なんて一匹も出ませんでした」
「工房のおっちゃんにヤーパンの最先端を教えた!」
「それが一番余計で害悪です!」
「志岐君!」
突然、男が腹の底から響く大声で志岐を呼び止めた。
「おう」
「今日は本当に感謝する!」
「宝石の件か?」
「それはこっちの仕事だ! 俺が言いたいのはヤーパンのことだ!」
「そっちか」
「教えてもらったものは必ず揃えるぞ! カブキ化粧、チョンマゲ、マワシ! 喋り方も忘れん!」
「おう。 完璧に決めてくれ」
「任せろ!」
「任せないでください!」
耐えかねた沙耶が叫んだ。
「じゃあな、おっちゃん」
「ああ! またな!」
志岐が適当に手を振り、男も満足そうに手を振り返す。
その横で、沙耶だけが申し訳なさそうに深々と頭を下げていた。
「……本当にすみません」
「ん? 何を謝ってるんだ、お嬢ちゃん?」
「いえ……いつか理由が分かると思います」
「沙耶様」
「桃さん?」
「なぜ謝罪をしているのでしょうか?」
「桃さんも……いつか分かります」
「そうなのですか?」
「はい……切実に……」
桃はまだ理解できていないようだったが、沙耶につられるようにぺこりと頭を下げた。
「ありがとうございました」
「おう! またいつでも来てくれ、君たち!」
男の威勢のいい見送りを受けながら、三人は工房を後にした。
帰り道を歩く志岐の足取りは軽い。
「いい仕事だったな」
「どこがですか」
「全体的に楽だった」
「まあ……それは認めますけど」
「買い物もできたし、面白いおっちゃんにも会えた」
「兄様が勝手に面白い格好の被害者にしようとしてるだけです!」
「本人、めちゃくちゃ喜んでただろ」
「後で真相を知ったときのことも考えてください!」
「気に入ってんなら別にいいじゃん」
「よくありません!」
いつものように言い合いながら歩いていた志岐が、ふと桃を振り返った。
「そういや桃」
「はい」
「どうだった? 記念すべき俺たちとの初仕事は」
「問題なく、指示通りに完了したと思います」
「いや、そうじゃなくてさ」
志岐は笑いながら、桃の顔を覗き込んだ。
「楽しかった?」
「…………」
桃の足が止まる。
隣を歩いていた沙耶も足を止め、桃を見る。
「仕事に……楽しさという要素は、必要なのでしょうか」
「いや? 別に」
「では――」
「ただ、気になったから聞いただけ」
「…………」
桃は視線を落とした。
楽しかったか。
そんなことを考えながら仕事をしたことなどなかった。
命じられたことを行い、必要な結果を出す。
それで終わりだった。
今日だって、仕事そのものは同じはずだ。
宝石を運び、複製品を受け取り、持ち帰る。
それなのに――
「……分かりません」
「そっか」
志岐はそれ以上追及しなかった。
「じゃ、次だな」
「次、ですか?」
「何回か仕事やってりゃ、そのうち分かるだろ」
そう言って、また歩き出す。
「ちなみに俺は楽しかったぞ」
ケラケラと笑う志岐。
桃はその背中を見つめてから、静かについていった。
しばらく歩いたところで、桃が口を開く。
「志岐様」
「ん?」
「一つ、お伺いしてもよろしいでしょうか」
「おう、なんだ?」
「先ほど、あの方に教えられていたヤーパンの流行についてですが」
「ああ」
「……虚偽、なのですね?」
「…………」
志岐がちらりと横を見る。
沙耶が般若のような顔で、無言の圧をかけていた。
どうやら逃げ道はなさそうだ。
「まあ……嘘だな」
「やはり」
「悪かったか?」
桃は少し考える。
「あの方は、とても楽しそうでした」
「だろ?」
「はい」
「ならいいんじゃねえかな」
「よくありません!」
すかさず沙耶が割って入る。
「明らかな嘘を教えたんですよ!? 後で真相を知ったら、どれだけ恥をかくか分かってるんですか!」
「本人が気に入って着てりゃ、それでいいじゃん」
「兄様は本当に適当すぎます!」
「人生なんて、それくらい適当でちょうどいいんだよ」
「そんな適当にしないでください!」
また始まった兄妹の言い争いを、桃は静かな瞳で見つめていた。
「…………」
「どうした、桃?」
「いえ」
桃は小さく首を横に振った。
「少し、不思議だと思いましたので」
「何が?」
「志岐様です」
「俺?」
「はい」
「俺のどこが不思議なんだ?」
桃は答えようとして――やめた。
まだ、それを言葉にすることはできなかった。
「……上手く説明できません」
「そっか」
「申し訳ありません」
「だから謝んなって」
「はい」
志岐はそれ以上聞かなかった。
沙耶がその隣を歩き、桃も二人についていく。
こうして志岐たちの初仕事は、何事もなく無事に終わった。
少なくとも――志岐にとっては、そういう平和な仕事だった。