街へ戻るには、まだ少し距離があったので、露店で買った非常食を食べながら帰途についていた。
「もう一個くれ」
「駄目です」
「なんでだよ」
「さっき食べたでしょう」
「歩いたから腹減った」
「行きも同じこと言ってましたよね?」
沙耶が呆れた声を出す。
志岐たちは宝石の複製を終え、来た道を引き返している。
「俺、何も持ってねえんだから食うくらいいいだろ」
「何も持ってないから疲れてないでしょう!」
「刀を持ってる」
「それは兄様が好きで持ってるんです!」
「美鈴を荷物みたいに言うんじゃない!」
腰の刀を庇う志岐の少し前を、桃が歩いている。
そんな三人の周囲には、行きと変わらない穏やかな道が続いていた。
突然、志岐が突然足を止めたとき、沙耶は首を傾げた。
「兄様?」
「桃!」
「はい」
「沙耶と一緒に下がれ!」
「――はい」
桃が迷わず一歩退く。
沙耶も遅れて周囲を見回した。
「何かいるんですか?」
「いる」
志岐は美鈴へ手を伸ばさない。
ただ、道の脇にある木々へ目を向けた。
「さっきからついてきてんだろ? お前、用があるなら出てこいよ」
返事はない。
「出てこねえなら帰るぞ」
「…………」
「三、二――」
風を切る音。
志岐が首を傾けた。
直前まで顔のあった場所を、小さな刃が通り過ぎる。
「――一」
「数え終わる前に投げたぞー!」
頭上から声がした。
黒装束が枝から飛び降りる。
声からして女だなと志岐は思う。
着地と同時に低く身を沈め、そのまま桃へ一直線に駆けた。
「宝石をもらうぞー!」
「お断りいたします」
桃が杖を構える。
だが魔術を放つより早く、女の眼前へ志岐が割り込んだ。
「お前邪魔!」
「盗ろうとしてんだから邪魔するだろ」
「だったら――」
女が横へ跳ぶ。
速い――
志岐の脇を抜け、桃へ手を伸ばそうとする。
その襟首を志岐が掴んだ。
「ほい」
「うぎゃっ!?」
勢いをそのまま利用され、女の身体が地面を転がる。
すぐに起き上がった。
「今のなしだぞ!」
「なんで?」
「まだ本気じゃなかったからだ!」
「じゃあ本気出せよ」
「言われなくても!」
両手から小さな刃が飛ばす。
志岐は半歩下がり。
一つ二つ三つと全て交わす。
「なっ」
「狙うの下手だなお前」
「避けるのはずるいぞー!」
「当たれって?」
「そうだ! 当たれー!」
「やーだよ」
べろべろばーと相手を挑発する志岐。
「このー!」
女が地面を蹴る。
今度は志岐へ向かってきた。
逆手に握った短刀が喉を狙う。
「兄様!」
「大丈夫」
志岐は抜刀をせず手首を掴む。
「え」
そのまま腕を捻る。
「あいたたたたた!」
短刀を落とした女の足を払う。
「わっ!」
背中から落ちる寸前で襟を掴み、今度はそのまま地面へ押さえ込んだ。
「終わりっと」
「まだだぞ!」
諦めが悪い奴だ。
「終わってるって」
「終わってない!」
「じゃあ立ってみろよ」
「ぐぬぬぬ……!」
女が身体を捻るが、志岐の片手すらも振りほどけない。
「離せー!」
「離したらまた来るだろ」
「来るぞ!」
「正直だな、お前」
「忍者は嘘をつかないんだぞ!」
どんな忍者だ。
「忍者向いてねえんじゃねえの?」
「向いてる!」
「兄様」
沙耶が近づいてくる。
「怪我は?」
「ない」
「桃さんは?」
「問題ありません」
桃も答える。
「では、この方をどうしますか?」
三人の視線が集まった。
「…………」
女が急に静かになる。
「なんだよ」
「こ、殺すのか?」
「は?」
「口封じとかするんだろ……?」
「なんで襲ってきた方が怯えてんだよ」
「忍者だから覚悟はしてるぞ」
「声震えてんぞ」
「震えてない!」
震えていた。
志岐は女の腰にある縄を見つける。
「これ借りるぞ」
「何する気だ!?」
「逃げるから縛る」
「や、やめろー!」
「暴れんな」
あっという間だった。
両腕を後ろへ回し、手首を縛る。
足も逃げられない程度にまとめ、道端に転がされた女は芋虫のようにもぞもぞした。
「卑怯だぞ!」
「三人で歩いてるところ襲った奴に言われたくねえ」
「忍者は卑怯でいいんだぞ!」
「じゃあ俺もいいだろ」
同じように威張ってみる。
「それは駄目!」
「お前、無敵かよ……」
志岐が呆れる中、沙耶がしゃがみ込んだ。
「どうして宝石を狙ったんですか?」
「言わないぞ!」
「誰かに頼まれたんですか?」
「言わない!」
「私たちが宝石を持っていることはどうして知ったんです?」
「絶対言わないぞー!」
「兄様」
「ん?」
「何も喋ってくれません」
「だろうな」
「どうしましょう?」
「別にいいんじゃね」
「いいんですか?」
「宝石取られてねえし」
志岐は立ち上がる。
「じゃ、帰るか」
「待てー!」
女が叫んだ。
「縛ったまま置いていくな!」
「自分でなんとかしろ、忍者だろ」
「できないぞ!」
「本当にお前……忍者向いてねえって」
「向いてる!」
「兄様」
「分かってるよ」
志岐も本気で放置するつもりはなかった。
とはいえ、縄を解いてそのまま「じゃあな」では、また宝石を狙いそうである。
志岐は女を見下ろした。
「何もなしってのもなあ」
志岐はニヤニヤしながら近づく。
「な、なんだ?」
「罰」
「いらないぞ」
「お前が決めんな」
「殺すのは駄目だぞ!」
「殺さねえよ」
「腕を折るのも駄目!」
「しねえって」
「じゃあ何するんだ?」
「そうだな」
志岐が少し考える振りをして。
「これでいいか」
「何が――」
女の顔が引きつった。
「ま、待て」
「ん?」
「なんで服を下ろすんだ!?」
「尻叩くから」
「なんでだぞー!?」
「お仕置き」
「子供じゃないんだぞ!」
「知ってる」
「だったらやめろー!」
志岐は聞かなかった。
真っ白な尻が露わになる。
「やだー! やめろー!」
「うるさい」
ぺしっ。
「いったぁー!」
女が跳ねる。
「痛いぞ! 痛いー!」
「盗みの罰」
ぺしっ。
「やだー!」
ぺしっ。
「痛いー!」
「うるさい」
ぺしぺし。
「兄様……」
沙耶がなんとも言えない顔をしていた。
「他にもっと何かありません?」
「殺すよりいいだろ」
「比較対象が極端なんですよ!」
「桃は?」
「…………」
桃は真剣な顔で観察していた。
「桃さん、そんなに真面目に見なくていいんですよ」
「これは、お仕置きなのですね?」
「覚えなくていいですからね!?」
「はい」
「ほんとに! これは覚えなくていいです!」
「承知いたしました」
「わーん! 痛いぞー!」
ぺし。
「もうやだー!」
ぺし、ぺし。
「ごめんなさいするか?」
「しないぞ!」
「じゃ続き!」
「横暴だぞー!」
ぺし。
「痛っ……!」
女が身体を強張らせる。
ところが――
「…………あれ?」
急に声が小さくなった。
志岐の手が止まる。
「なんだよ」
「…………」
「もう降参?」
「いや」
女が妙な顔をしている。
「なんか……」
「なんか?」
「…………気持ちいいかも」
「…………」
沙耶が固まった。
桃が首を傾げた。
志岐は無言で女を見下ろす。
「…………」
ぺしっと一発叩く。
「んっ」
ぺし。
「…………」
さっきまで泣き叫んでいた女が、妙に大人しくなった。
「…………」
志岐の顔から、だんだんお仕置きをしていた勢いが消えていく。
女が頬を赤くしたまま振り返ろうとする。
「なあ」
「……何だ?」
「もうちょっと強くしてもいいんだぞ……」
「いや……」
志岐は手を引いた。
「なんかすまん」
「なんで謝るんだ!?」
「分かんねえけど、俺が悪いことした気がしてきた」
「兄様」
「何だよ」
「私もそんな気がします」
「だよな」
「な、なんで終わるんだ!」
「お前、さっきまでやめろって泣いてただろ!」
「それはそれだぞ!」
「知らねえよ!」
志岐は女の服を戻す。
「もういいからお前帰れ」
「えー」
「なんで不満そうなんだよ!」
縄を解いてやる。
自由になった女は立ち上がり、叩かれた尻をさすった。
「うう……痛いぞ」
「そりゃ叩いたからな」
「でも……」
「続き言うな」
「なんでだ?」
「なんか嫌だ」
「変な奴~!」
「お前にだけは言われたくねえ!」
女は少し離れる。
「宝石は諦めろよ」
「…………」
「また来たら次は知らねえぞ」
「分かったぞ」
「ほんとか?」
「たぶん!」
「信用できねえ」
女は木々の方へ走り出す。
途中で振り返った。
「でも、逃がしてくれた恩は忘れないぞー!」
「おう。 じゃあな」
「ソナタ、いつかこの借りは返すからなー!」
「…………」
女――ソナタが手を振る。
志岐も手を上げかけた。
「…………お前さぁ」
「なんだ?」
「せっかく正体隠してたのに名乗るなよ……」
「…………あ」
ソナタの顔が固まった。
「い、今のなしだぞ!」
「無理だろ」
「忘れろ!」
「ソナター」
「呼ぶなー!」
真っ赤になったソナタは、そのまま木々の奥へ消えていった。
「……本当に忍者に向いてねえだろ、あいつ」
「不思議な方でしたね」
桃が言う。
「桃さん」
沙耶がそっと言った。
「世の中には、あまり参考にしない方がいい人もいるんです」
「はい」
「兄様も含めて」
「俺も?」
「含めます」
「なんでだよ」
三人は再び歩き始めるが日が傾き始めていた。