巨大な壁がその全貌を現し始めたのは、街道を進み始めてからしばらく経ってからだった。
「……でけえな」
志岐は思わず足を止め、大きく仰ぎ見る。
グランバードと隣国チェン民国とを隔てる、長大な壁。
『バンリーの長城』
遠くから見れば地平線に引かれた一本の黒い線のようだったものが、近づくにつれて圧倒的な存在感を放つ巨大な建造物へと変わっていく。
左右を見渡しても、その果ては見えない。
壁の上では一定間隔に兵士が立ち、弓や槍を手に周囲へ目を光らせている。
当然、国境を越えられる場所は限られている。
三人が通行口の一つへ近づいていくと、関所を抜けようとする長い列が見えてきた。
旅人に行商人。
荷物を満載した荷馬車。
しかも、単に通行証を確認するだけではないらしい。
荷台を覆っていた布を剥がされ、積まれた箱まで一つひとつ開けさせられている。
その光景を眺めながら、志岐は隣の桃へ視線を向けた。
「なあ桃」
「はい」
「その刻印、調べられたら中に入ってるもんまでバレるのか?」
「私の収納領域は、外部からの探知を受けにくい構造になっております」
「絶対にバレない?」
「絶対とは申し上げられません」
「見つかったら一発で終わりだな」
「その場合、どういたしますか?」
「レイドの名前出す」
「それでも駄目だった場合は?」
「走って逃げるか」
「兄様――」
沙耶が冷ややかな視線を向ける。
「冗談だって」
「今の、絶対に半分くらい本気でしたよね」
列が少しずつ進んでいく。
やがて、志岐たちのすぐ前にいた商人が兵士に呼び止められた。
「これは何だ!?」
「ひっ……香辛料の袋でございます!」
「全部開けろ!」
「ぜ、全部ですか!? 売り物にならなくなってしまいます!」
「うるさい! 怪しいものを隠していないか改める!」
兵士たちが容赦なく荷を調べ始める。
袋を開け、箱を開け、荷台の隅まで覗き込む。
志岐はその様子を見て、小さく息を吐いた。
「これ、本当に通れんのか?」
「レイド様は問題ないとおっしゃっていました」
「お前、あいつのこと信用してるもんなあ」
「はい」
「俺は最近、ちょっと怪しく思えてきたぞ」
「最近なんですね……」
沙耶が呆れたように呟く。
「最初から怪しいと思ってください……」
やがて、三人の番が回ってきた。
「次!」
鎧を鳴らしながら、強面の兵士が志岐を睨む。
「通行目的は?」
「仕事」
「チェン民国でか?」
「そう」
「荷物は?」
「あるけど、その前にこれ」
志岐が桃を見る。
「桃」
「はい」
桃が収納領域から、レイドに預けられた書類を取り出した。
志岐はそれを受け取り、兵士へ差し出す。
「これ見せろって言われてる」
「……貸せ」
兵士が疑わしげに書類を開く。
目を通し――
ぴたりと動きが止まった。
「……ここで待っていろ」
それだけ言うと、書類を持ったまま奥の詰所へ消えていく。
「効いたのか?」
「まだ分かりませんよ」
沙耶が声を潜める。
「別室に連れていかれるかもしれません」
「そしたら走るか」
「走りません!」
しばらくして、詰所から別の男が現れた。
先ほどの兵士よりも身なりがいい。
装備にも違いがあり、どうやら上役らしい。
男は手元の書類を確認する。
次に志岐。
沙耶。
最後に桃へ目を向け――
「……通れ」
「え?」
「通っていい。行け」
志岐が目を瞬かせる。
「荷物は?」
「確認の必要はない」
「本当に?」
「速やかに通れ」
「……じゃあ、行くけど」
あまりにあっさりしている。
三人は顔を見合わせながらも、そのまま巨大な門をくぐった。
背後では、次の商人が早くも兵士に怒鳴られている。
「箱を全部開けろ!」
「そ、そんな! さっき詰めたばかりで――」
「早くしろ!」
その声を背中に聞きながら、三人はチェン側へと抜けた。
しばらく歩いたところで、沙耶が振り返る。
「……兄様」
「うん」
「今の、絶対に普通じゃありませんよね?」
「だな」
志岐も今度は即答した。
他の連中は荷物をひっくり返されるほど調べられていた。
それなのに、自分たちは書類一枚。
荷物がどこにあるのかさえ確認されていない。
「レイドさん、一体何をしたんでしょう……」
「金か、でかいコネか」
「やっぱりそう思います?」
「じゃなきゃ、あそこまで露骨に俺たちだけ素通りさせねえだろ」
志岐は振り返り、高くそびえる門を見上げた。
「楽なのはいいけどな」
「はい」
「楽すぎると、逆に気持ち悪い」
沙耶も否定しなかった。
「引き返しますか?」
桃が尋ねる。
「いや」
志岐はすぐに前を向いた。
「ここまで来たんだ。『龍』ってやつの顔くらい見てからでいいだろ」
「……そういうところですよ、兄様」
「何が?」
「自分から危ないところへ行くところです!」
「まだ危ないって決まってねえだろ」
「怪しいとは自分で言ったじゃないですか!」
「怪しいのと危ないのは別だろ?」
「だいたい一緒です!」
「そうか?」
「そうです!」
沙耶が言い切る。
志岐は納得していない顔のまま、チェンへ続く道を歩き出した。
その後ろを桃が追い、沙耶も何度目か分からないため息をつきながら二人についていった。