プレアデスストーリー   作:八束祐

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志岐編 16

 

 国境の関所を抜け、チェン民国の領内へ足を踏み入れると、周囲の景色は少しずつ変わっていった。

 

 まず感じたのは湿気だった。

 

 雨こそ降っていないものの、空気そのものに濃い水気が含まれているようで、肌にまとわりついてくる。

 街道沿いに群生する植物も、グランバードで見てきたものより色濃く、深い緑に覆われていた。

 

 やがて大きな街へ入ると、気候以上に志岐の目を引く光景が広がっていた。

 

「……どこもかしこも、魔術ばっかだな」

 

 賑わう通りの至るところで、当たり前のように魔術が使われている。

 

 料理屋の軒先では火を起こすために。

 商人は重い木箱を宙に浮かせて運ぶため。

 道端では幼い子供たちまでが、指先に小さな光を灯して浮かせて遊んでいた。

 

「珍しいですか?」

 

 桃が志岐の視線を追う。

 

「ここまでみんな使ってんのはな」

 

 志岐自身は魔術を使えない。

 だからこそ、生活の隅々にまで魔術が入り込んでいる光景が余計に目についた。

 

「俺、ここに住んだら不便でしょうがねえな」

 

「兄様には刀がありますから大丈夫ですよ」

 

「なんでも斬って解決してるみたいに言うな」

 

「違うんですか?」

 

「違う」

 

 沙耶は何も言わず、志岐の腰に差された刀を見る。

 

「……なんだよ」

 

「何でもありません」

 

「絶対言いたいことあるだろ」

 

「ありません」

 

 そのやり取りを見ていた桃が言った。

 

「仲がよろしいのですね」

 

「お前、どこを見てそう思った?」

 

「私と兄様は仲良しですよ!」

 

「そうか?」

 

「そこは間髪入れずに即答してください!」

 

 そんなことを話しながら、三人は指定された場所へ向かった。

 

 街の中心部から離れるにつれ、人通りは少なくなっていく。

 建物も古びたものが目立ち始め、通りを行き交う人々の声も遠ざかっていった。

 

 やがて、一軒の古びた木造建築の前で志岐が足を止める。

 

「ここだな」

 

「はい」

 

 桃が周囲の気配を探る横で、志岐はためらいなく扉を叩いた。

 

「龍ー? いるかー?」

 

「兄様、いきなり大声で名前を呼ばないでください!」

 

「だって龍を探してんだろ」

 

「もう少し警戒というものをしてください!」

 

「じゃあどうすんだよ」

 

 志岐が肩をすくめた、そのときだった。

 

「お前ら、キーリルから来た荷運びか?」

 

 背後から低く通る声がした。

 

 三人が振り返る。

 

「……おぉ」

 

 志岐の目が止まった。

 

 一目見て女だと思った。

 

 艶やかな長い紫色の髪を後ろで束ね、細身ながら引き締まった身体には弓を背負っている。

 整った顔立ちに、すらりとした立ち姿。どこか人を惹きつける色気まであった。

 

「兄様」

 

 沙耶の声が氷のように冷たくなる。

 

「……俺はまだ何も言ってねえだろ!」

 

「顔に全部出ています」

 

「何が?」

 

「全部です」

 

 相手はそんな二人を見て、愉快そうに口元を緩めた。

 

「面白い二人だな」

 

 志岐は一歩前へ出る。

 

「お前が龍か?」

 

「ああ」

 

 相手は親指で自分を指した。

 

「俺が龍だ」

 

「…………」

 

 志岐の動きが止まる。

 

「……俺?」

 

「ああ」

 

「男?」

 

「そうだが?」

 

 数秒の沈黙。

 

 志岐の両肩が、がっくりと露骨に落ちた。

 

「……男はいらねー」

 

「ははははっ!」

 

 龍が腹を抱えて笑う。

 

「なんだ旦那! 俺を女だと思って期待してたのか!」

 

「旦那って呼ぶな」

 

「いいじゃねえか、旦那」

 

「よくねえよ」

 

「ますます気に入ったぜ!」

 

「俺はお前が男だって分かった瞬間、一ミリも興味なくなった」

 

「ひでえ言い草だな!」

 

 そう言いながらも、龍は心底楽しそうだった。

 

「で? 頼んであった武器はどこだ?」

 

「桃」

 

「はい」

 

 桃が前へ出る。

 

 背中の術式が淡く光り、収納されていた木箱が次々と姿を現した。

 

 物音を聞きつけたのか、建物の中から数人の男たちが出てくる。

 龍が顎で木箱を示すと、男たちはすぐに蓋を開け、中身の確認を始めた。

 

「数を見てくれ」

 

「分かった」

 

 検分を仲間に任せた龍が、桃を見る。

 

「嬢ちゃん、名前は?」

 

「桃と申します」

 

「タオねぇ……」

 

 龍はその名前を口の中で転がし、桃の髪へ目を向けた。

 

「嬢ちゃん、もしかしてこっちの生まれか?」

 

「こちら、とは?」

 

「チェン民国さ」

 

 桃が瞬きをする。

 

「分かりません」

 

「自分の生まれが?」

 

「はい。 私は幼い頃にレイド様に拾われました。それ以前の記憶はございません」

 

「へえ……」

 

 龍の目が、少しだけ変わった。

 

「じゃあ、あり得るかもな」

 

「何がでしょうか?」

 

「いや? 名前といい、雰囲気といい、こっちの人間だって言われても俺は驚かねえってだけだ」

 

「私は……チェン民国で生まれた可能性があるのですか?」

 

「可能性ならな」

 

 龍は軽く肩をすくめる。

 

「俺の勘違いかもしれねえ。真に受けんなよ」

 

「……分かりました」

 

 桃は自分の桃色の髪へ、そっと指を触れた。

 

 先ほどまでと変わらない顔だった。

 けれど、その手だけはしばらく髪から離れなかった。

 

「一つ、お伺いしてもよろしいでしょうか」

 

「なんだ?」

 

「この国では、魔術を使える方が多いのですね」

 

「あぁ、見てきただろ?」

 

「はい」

 

 桃は少し考えてから尋ねた。

 

「では、魔術を使えない方は?」

 

「…………」

 

 それまで気楽に話していた龍が黙った。

 

 ほんの一瞬だった。

 

「……まあ、ろくな扱いはされねえよ」

 

「なぜでしょうか?」

 

「そういう国だからさ」

 

「…………」

 

「嬢ちゃんが気にするような話じゃねえよ」

 

 龍はそれ以上話すつもりがないらしいので、桃も追及しなかった。

 

 そのとき、木箱を調べていた男から声が飛んだ。

 

「頭! ちょっとこっちを見てくれ!」

 

「今行く!」

 

 龍が振り返る。

 

「じゃ、ちょっと待ってろ」

 

 そう言い残して、仲間たちの方へ歩いていった。

 

 桃はその背中を見送る。

 

 やがて視線を落とし、もう一度、自分の髪へ触れた。

 

『チェン民国』

 

 それまで桃にとっては、仕事で訪れただけの隣国だった。

 けれど今は、その名前がほんの少しだけ違って聞こえていた。

 

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