プレアデスストーリー   作:八束祐

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志岐編 20

 

 ――チェン民国を命からがら脱出して、早四日。

 

 志岐たちは、ようやく本拠地であるキーリルのケルベロスへ戻ってきた。

 

 逃亡劇のあとの帰路そのものには、大きな問題はなかった。

 警備隊の追跡や検問を避けるため、かなり遠回りする羽目にはなったものの、国境まで辿り着いてしまえば、行きと同じくレイドから預かっていた書類が威力を発揮した。

 

 あれだけ厳重だった関所を、帰りもほとんど調べられることなく通された。

 

 便利ではある。

 だが今となっては、その便利さがかえって不気味だった。

 

 そして歩きづめだった数日間、志岐の頭を占めていたのは一つ。

 

 ――帰ったらレイドの野郎を殴ろう。

 

 いや、まずは話を聞くべきだ。

 そのうえで腹が立ったら、一発くらいなら許されるんじゃないか。

 

 そんな結論とも呼べない結論を抱えたまま、志岐はケルベロスの扉をくぐった。

 

「レイドはどこだ?」

 

 受付の男を捕まえ、真っ先に尋ねる。

 

「奥の執務室にいらっしゃいますが……」

 

「よし」

 

「……兄様」

 

「何だよ」

 

「絶対に殴ってはいけませんよ」

 

「俺はまだ一言も言ってねえだろ」

 

「この四日間、ずっと人を殴りそうな顔をしていました」

 

「俺、そんな顔してた?」

 

 隣の桃を見る。

 

「はい」

 

「マジで?」

 

「はい」

 

「そっか……」

 

「納得しないでください!」

 

 沙耶を連れ、三人で廊下の奥へ進む。

 

 途中、何人かの荒くれ者風の男たちとすれ違った。

 その視線が、志岐の隣を歩く桃へ向く。

 

 妙に馴れ馴れしい。

 値踏みするような、下卑た視線。

 

 以前にも感じたものと同じだった。

 

 志岐は足を止め、去っていく男の一人を睨む。

 

「……何か文句でもあんのか?」

 

「いやあ? 別に」

 

 男はニヤニヤと笑い、そのまま廊下の向こうへ消えていった。

 

「……なんだあいつら」

 

「兄様?」

 

「なんでもねえ」

 

 今はそちらを相手にしている場合ではない。

 

 志岐は最奥の部屋まで進むと、勢いよく扉を開け放った。

 

 室内ではバルタザールが相変わらず偉そうにふんぞり返り、レイドは何事もなかったかのように机へ向かっている。

 

「おや」

 

 書類から顔を上げたレイドが、三人を見た。

 

「お帰りなさい。 予定より少々遅かったですね」

 

「お帰りなさいじゃねえんだよ!」

 

「何か問題でも生じましたか?」

 

「問題しかなかったわ!」

 

 志岐は机まで歩み寄り、両手を叩きつけた。

 

「あの荷物の届け先!」

 

「はい」

 

「武装したテロリストの組織だったぞ!」

 

「ええ、そうですよ?」

 

「…………」

 

 志岐の動きが止まった。

 沙耶も絶句する。

 

 レイドだけが不思議そうに首を傾げた。

 

「……お伝えしていませんでしたっけ?」

 

 志岐の拳が固く握られる。

 

「……兄様」

 

「分かってる」

 

 まだ殴らない。

 

「お前……一言も聞いてねえぞ」

 

「そうでしたか。 それは大変失礼いたしました」

 

「謝り方が軽いんだよ!」

 

「では今後は、事前にお伝えするようにいたしましょう」

 

「……ちょっと待て」

 

 志岐は眉間を押さえた。

 

「今後?」

 

「はい」

 

「他にもあんのか? 犯罪者からの依頼」

 

「もちろん」

 

 あまりにも清々しい即答だった。

 

「あの……レイドさん」

 

 沙耶が恐る恐る口を挟む。

 

「ケルベロスって……本当はどういう組織なんですか?」

 

「各種仕事を斡旋する組織ですよ」

 

「それは聞きました! そうではなくて……どういう仕事を扱っているんですか!?」

 

「なるほど。 そこからの説明が必要でしたか」

 

「そこからって何なんだよ!」

 

 レイドは穏やかな笑みを崩さない。

 

「ケルベロスは、世界各地の犯罪者や、それに類する裏社会の組織を影から支援するネットワークでもあります」

 

「…………」

 

 沙耶の表情が凍りつく。

 志岐も一瞬、自分の耳を疑った。

 

「必要とする人材の斡旋、違法物資の調達や輸送、危険な情報の仲介など、事業内容は多岐にわたります。 今回の武器輸送も、その一環ですね」

 

「それを最初に言えってんだよ!」

 

「ですから、事前にお伝えしたつもりだったのですが」

 

「言ってねえ!」

 

「そうでしたか」

 

「その平然とした顔をやめろ!」

 

「どの顔でしょう」

 

「あからさまに殴りたくなる顔だ!」

 

「兄様っ!」

 

「まだ殴ってねえ!」

 

 実際、腹の中は煮えくり返っている。

 

 それでも志岐は奥歯を噛み締め、握った拳をゆっくり開いた。

 

「……くそが」

 

 荒々しく椅子を引き、ドカリと腰を下ろす。

 

 代わって沙耶が一歩前へ出た。

 

「私たち……犯罪者の手助けをさせられていたんですか?」

 

「依頼内容によっては、そうなりますね」

 

「私は普通のお仕事を取り扱う場所だと思っていました!」

 

「表のお仕事も扱っておりますよ」

 

「そういう問題ではありません!」

 

「なるほど」

 

「『なるほど』でもありません!」

 

 珍しく声を荒らげる沙耶を見ながら、志岐は頬杖をついた。

 

「沙耶」

 

「なんですか!」

 

「こいつに怒鳴っても効かねえよ」

 

「だからって黙っていられません!」

 

「俺だって腹は立ってる。だから今後のことを考えてんだ」

 

 沙耶が口を閉じる。

 

 志岐はレイドをまっすぐ見据えた。

 

「……俺たち、ここを辞められるか?」

 

「もちろん」

 

「引き止めねえの?」

 

「無理に縛り付けて働かせる趣味はございませんので」

 

「犯罪者を裏で支援してる奴が言うと、何ひとつ信用できねえな」

 

「それは残念です」

 

「全然残念そうじゃねえ」

 

 辞めること自体は簡単だった。

 

 こんな胡散臭い組織に居続ける理由はない。

 金が必要なら別の仕事を探せばいい。何より、沙耶を危険な仕事へ巻き込み続ける理由などなかった。

 

 だから、本来ならここで話は終わる。

 

 志岐はふと、部屋の隅へ視線を向けた。

 

 桃――

 

 いつものように、レイドの傍らに静かに立っている。

 命じられたことに従うのが当たり前で、自分が何を好きで、何をしたいのかさえ満足に分からなかった少女。

 

 けれど最近は、ほんの少しずつ変わってきた。

 

 チェンでは、自分の生まれた場所を「知りたいのかもしれない」と、自分の意思で口にした。

 ここで自分たちだけ辞めれば、桃はどうする?

 

「……桃」

 

「はい」

 

「俺たちがここを辞めたら、お前はどうする?」

 

「私はレイド様の弟子です。レイド様の指示に従い、ここに残ります」

 

「……だよなあ」

 

 予想通りの答えだった。

 志岐は頭をガリガリと掻く。

 

「……兄様」

 

 沙耶も気づいたらしい。

 桃を見つめ、困ったように眉を下げた。

 

 しばらく考えてから、志岐はレイドへ向き直った。

 

「……しばらく、ここに残る」

 

「兄様!?」

 

「ただし」

 

 志岐は人差し指をレイドの鼻先へ突きつける。

 

「次からは、依頼について知ってることを事前に全部話せ」

 

「全部、ですか」

 

「依頼主が誰で、何をするのか。 何をどこへ運ぶのか。 知ってることを隠すな。 その上で、仕事を受けるかどうかはこっちで決める」

 

 レイドが興味深そうに目を細めた。

 

「つまり、ケルベロスからの依頼を選別なさると?」

 

「そうだ」

 

「犯罪者の支援に繋がる依頼でも?」

 

「内容次第だ」

 

「……全部断る、ではないのですか?」

 

 沙耶が驚いて志岐を見る。

 

「犯罪者って言っても事情はいろいろあるだろ」

 

 志岐は淡々と答えた。

 

「何をした奴なのかも知らねえで、『犯罪者だから』ってだけで全部切り捨てるのは違う気がする」

 

「それは……」

 

「でも今回みてえに、何も知らされずテロリストへ武器を運ばされるのは二度と御免だ」

 

 志岐はレイドを睨む。

 

「だから俺たちが決める」

 

「沙耶様や桃は?」

 

「三人で決めるんだよ」

 

「……兄様?」

 

「沙耶、お前もだ」

 

「私はもちろんそのつもりです!」

 

「なら問題ねえ」

 

 そして桃を見る。

 

「桃」

 

「……私ですか?」

 

「お前も」

 

 志岐は当然のように言った。

 

「その仕事をやりたいか、やりたくないか。 お前自身で決めろ」

 

「ですが、私はレイド様からのご指示であれば――」

 

「それとは別だ」

 

「別……なのでしょうか」

 

「嫌なら嫌って言っていいってことだよ」

 

「…………」

 

 桃は考え込んだ。

 

 すぐには答えない。

 

 やがて、ゆっくり口を開く。

 

「……分かりません」

 

「じゃあ今はそれでいい」

 

「よろしいのですか?」

 

「分からねえのに無理やり決めてもしょうがねえだろ。 そのうち自分で決めろ」

 

 桃はしばらく志岐を見つめていた。

 

「……はい」

 

 ほんの僅かな間を置いて返された言葉だった。

 

 その様子を、レイドが面白そうに眺めている。

 

「……何だよ」

 

「いえ、楽しそうだと思いまして」

 

「どこがだよ」

 

「桃がですよ」

 

 志岐が桃を見る。

 

 桃も見返してくる。

 表情だけなら、いつもとほとんど変わらない。

 

「そうか……?」

 

「私自身には、よく分かりません」

 

「ほら、本人も分かってねえじゃねえか」

 

「そのうち、ご本人にも理解できるようになるでしょう」

 

「……お前に言われると無性に腹立つな」

 

「それは大変残念です」

 

「やっぱ一発だけ殴っていいか?」

 

「兄様っ!」

 

 沙耶の鋭い声が飛び、志岐は渋々拳を下ろした。

 

「……帰るぞ」

 

「はい」

 

「もう……兄様ったら」

 

 三人が部屋を出ていく。

 

 扉が閉じ、足音が遠ざかってから、それまで黙っていたバルタザールが鼻を鳴らした。

 

「フン、生意気な小僧どもだ。 レイド、あんな条件を呑んでいいのか?」

 

「ええ」

 

 レイドは閉じた扉へ目を向けたまま、穏やかに笑った。

 

「本当に、いい成長を見せてくれますね」

 

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