キャラクターの見た目はご想像にお任せします
背負ったリュックの重さが、いつもより五百グラムほど軽い。
計算すると、非常食を一食分削った分だけ軽くなっている。九条蒼はそのことに気づいて、少しだけ舌打ちをした。三層の通路はここ数日で妙に長く感じる。整備が行き届いていないせいか、それとも単に自分の足が鈍っているだけか。
壁に貼りついた誘導灯の緑色が、等間隔に流れていく。百メートルにひとつ。数えながら歩くのが癖になっていた。かつて先輩に「距離感を数字で持っておけ、勘だけで潜ると死ぬ」と言われたのを、律儀に守り続けている。もう五年になる。
この世界は、地面の下にもうひとつ別の世界を隠し持っている。生まれたときから知っている当たり前で、今さら誰もそれを不思議がらない。信号は青から黄色に変わるし、夕方になれば商店街の魚屋が半額シールを貼り出す。冷蔵庫には保冷の魔石が仕込まれ、電車の遅延はいつも人身事故か、たまに三層で氾濫の予兆が出たときの緊急停止だ。
便利で、平和で、その平和の真下に、常に牙を剥いた暗闇が横たわっている。それだけの話だった。
誘導灯が四十七個目を数えたところで、前方の闇に光の膜が滲んだ。境界だ。抜ければ空気の味が変わる。淀んだ土と鉄の匂いから、油と出汁と、誰かの煙草の匂いへ。
九条は結界をくぐった。
頭上に星が出た。もちろん本物ではない。天井いっぱいに投影された疑似の夜空で、子供の頃に父親から「あれは魔導灯の演算で描いてる作り物だ」と教わったとき、ひどくがっかりした記憶がある。今はもう、がっかりもしない。作り物でも星は星の形をしているし、疲れた体には十分すぎるくらい効いた。
「――蒼、生きてたか」
屋台の奥から剛田が顔を出す。フライパンを振る音と、香ばしい脂の匂い。
「おかげさまで」
「今日はなに、鶏か豚か」
「安いほうで」
「豚な。座ってろ、五分」
剛田は言うだけ言って、また鍋のほうへ向き直った。九条はベンチに腰を下ろし、リュックを足元に置く。背中から重みが抜けると、それだけで体温が一段階下がったような気がした。
サービスエリア。層と層のあいだにぽつんと開けた、休める場所。正式には「第七中継保護区」とかいう役所じみた名前がついているらしいが、そんな呼び方をする者に会ったことがない。高速道路の休憩所のようだという発想は、誰が最初に言い出したのか知らないが、今では案内標識にまで小さく「S.A.」の文字が刷られている。
探索者の多くは、事務所やパーティーに属して潜る。連携がなければ切り抜けられない局面が多いからだ。九条のようにひとりで潜り続けている人間は、界隈でも数えるほどしかいない。「変わり者」で片づけられることに、もう慣れた。慣れたというより、否定する気力がない。
「豚、お待ち」
湯気の立つ丼が目の前に置かれる。脂の甘さと味噌の匂いが鼻をくすぐった。
「南、聞いたか」
「南回りですか」
「下層の連中がやけに騒がしいって話だ。氾濫の前兆かは知らんが、ギルドの掲示は上がってる」
「見ておきます」
氾濫、という単語を聞くと、誰でも一瞬だけ肩に力が入る。数か月から数年周期でやってくる、避けようのない天災だ。台風の進路予想と似たようなもので、噂の九割は空振りに終わる。だが残りの一割に当たれば、話は違ってくる。
丼の中身を半分ほど片づけたところで、広場の入口が急に騒がしくなった。
「――『暁の刃』だ」
誰かが小声でそう言うのが聞こえた。九条は箸を止めることなく、視線だけをそちらへ向ける。
揃いのエンブレムをつけた一団が、広場を横切っていく。統率の取れた足並みで、道行く人間が自然と半歩ずつ端に寄っていくのが分かった。有名な事務所というのは、こういうところで存在感が違う。
先頭を歩いていたのは、思ったより小柄な人影だった。黒髪を項のあたりでひとつに結び、他のメンバーと同じ装備を着けているのに、なぜかそこだけ空気の密度が違って見える。
九条は特に感想も持たず、丼に視線を戻した。豚汁の味噌が少し濃い。剛田の手癖だろう。
その日は、それだけだった。ただの、通りすがりだった。
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次に東のSAに立ち寄ったのは、それから十日ほど経ってからだった。
三層と四層のあいだにある中継拠点で、正式名称はやはり誰も覚えていない。剛田の店より少し洒落た――といっても自販機が二台多いだけだが――そういう場所だ。
到着したとき、広場の隅にちょっとした人だかりができていた。九条は最初、無視してベンチに向かおうとした。関わらないのが一番安全だ、という判断は、ソロで潜り続ける中で身についた習性のようなものだった。
「――どいて」
声がして、人垣が割れる。
膝をついていたのは、探索者らしい若い男だった。防具の胸元が裂け、覗いた皮膚に黒っぽい痣が広がっている。息が荒い。周りの誰かが「毒だ、《影喰らい》にやられた」と言っているのが聞こえた。
割って入ったのは、あの日、広場を横切っていった一団の先頭にいた人物だった。
迷いのない手つきでポーチから小瓶を取り出し、匂いを確認する。それだけで、この人がこの手の毒に何度も対処したことがあるのだと分かった。手が覚えている動きというのは、見ていればすぐ分かる。
「腕、押さえて。暴れます」
短い指示に、周りが素直に従う。栓を開け、傷口に垂らし、短く詠唱。淡い光が指先から滲んで、男の呼吸が少しずつ落ち着いていくのが、離れた場所からでも分かった。
「峠は越えたと思います。一応、しばらくは安静にしておいてください」
立ち上がった彼女に、誰かが礼を言っている。九条はそれを横目に見ながら、丼――ではなく今日はおにぎりだったか――を頬張り続けていた。関わる理由はない。
「――あなた」
声をかけられたのは、視線を戻した直後だった。
「さっき、目が合いましたよね」
「……手際が良かったので、見てました」
「そう」
彼女は九条の頭からつま先まで、値踏みするように一瞥した。装備、武器の型、荷物の量。おそらく、それで「格」を測っている。探索者にはよくある癖だ。九条もされたことがあるし、自分もやる。
「事務所は」
「無所属です」
「パーティーは」
「組んでません」
彼女の眉が、ほんの少しだけ動いた。驚いたというより、面白いものを見つけたような動き方だった。
「珍しいですね、この層まで単独って」
「よく言われます」
「怖くないんですか」
「頼らら必要がない、が正しいです。合わせるより、自分のペースで動くほうが向いてる」
彼女はしばらく黙って、九条を見ていた。値踏みの視線とは、少し違う色だった。
「面白い人ですね」
「よく分からない感想だ」
「これでも褒めてるんですよ?」
小さく笑う。さっきまでの、指示を出していたときの張り詰めた空気が、その一瞬だけふっと抜けた。
「風間です。また機会があれば」
それだけ言って、彼女は去っていった。名字だけ。名乗るというより、置いていく、という感じの言い方だった。
九条は、その響きに聞き覚えがあった。『暁の刃』のエース。氾濫の鎮圧作戦で、単独で上位個体三体を退けたという話は、酒の席でも何度か耳にしたことがある。
ふうん、と思っただけで、それ以上の感想はなかった。少なくとも、そのときは。
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妙な話だが、それから何度も顔を合わせることになった。
層を移動する探索者が同じ拠点で鉢合わせるのは、そう珍しいことではない。だが、九条の巡回ルートと、大手事務所のエースである風間の作戦範囲が重なる頻度にしては、いくらなんでも多すぎた。月に二度、三度。しかも決まって似たような時間帯に。
最初のうちは、挨拶を交わす程度だった。それが次第に、どちらからともなく隣に座るようになり、いつの間にか東のSAの自販機横のベンチが、暗黙のうちに「その場所」になっていた。
「今日はホットのやつなんですね」
風間はそう言って、缶コーヒーのボタンを押した。無糖のブラック。九条はそれを見て、少し意外に思う。
「甘いの飲むと思ってました」
「なんでですか」
「なんとなく」
「失礼ですね。私、コーヒーは絶対ブラック派です」
むっとしたように言いながら、彼女はプルタブを開けて一口飲んだ。九条は自分の分の緑茶を開けながら、その横顔を眺める。装備を脱いだ普段着姿は、事務所の広場で見る「エース」の顔とは少し違って見えた。
「今日はどこの層から」
「三層の北。風間さんは?」
「五層の西。厄介な階層主がいて、削るだけで精一杯でした」
「五層の……《棘の女王》か。あれ、初動の突進が読みにくいんですよね」
「知ってるんですか」
「討伐記録、資料室で読みました」
風間が目を丸くする。
「意外と勉強家ですね」
「ソロだと、情報だけが命綱なので」
「……なるほど」
彼女は缶を両手で包むように持ちながら、疑似の夜空を見上げた。九条もつられて視線を上げる。今日の星は、いつもより青みが強い気がした。演算の設定を変えたのか、それとも気のせいか。
「これ、作り物だって知ったとき、かなり落ち込んだのを覚えてます」
「俺も似たようなもんです」
「でしょうね。……なんとなく分かる気がします、あなたのそういうところ」
「どういうところですか」
「なんでも本物かどうかで測ろうとするところ。本物じゃなきゃ意味がない、みたいな」
図星を指されたわけではなかったが、九条は少し黙った。反論する言葉が、すぐには出てこなかった。
「今は、そうでもないです」
「へえ」
「作り物でも、綺麗なものは綺麗なんで」
「……ふうん」
風間はそれ以上追及せず、ただ小さく笑って缶コーヒーを飲んだ。
この手の会話が、何度も何度も、少しずつ違う話題で繰り返された。互いの装備の話、装備を選んだ理由、事務所の人間関係、九条が探索者になった経緯。特別なことを話しているつもりはなかったが、気がつけば九条は、この時間を心待ちにするようになっていた。
あるとき、風間の右手の甲に古い傷痕があるのに気づいた。
「これですか?駆け出しの頃に失敗した名残です」
「聞いても?」
「無茶な突撃をして、パーティーのみんなに助けてもらいました。今思うと、恥ずかしい話です」
彼女は笑いながらそう言ったが、その笑い方には、どこか苦さのようなものが混じっていた。九条はそれ以上、踏み込まなかった。踏み込まれたくない話というものは、誰にでもある。それはお互い様だった。
九条自身の過去も、聞かれれば話した。ぽつぽつと、順序も整えずに。
「駆け出しの頃、五人でパーティーを組んでたんです。」
「意外ですね」
「氾濫のとき、一瞬だけ判断が割れて。俺は撤退だと思った、リーダーは救助が先だと言った。結局リーダーの判断で動いて、それ自体は間違ってなかったんですけど、その一瞬の迷いのぶんだけ、後衛のひとりが逃げ遅れた」
「……無事だったんですか」
「無事でした。運が良かっただけです」
九条はそこで一度言葉を切った。あの瞬間の、通路の奥から響いた悲鳴のような声を、今でもたまに思い出す。自分の判断が正しかったのか、間違っていたのか、答えの出ない問いを何度も反芻した夜のことも。
「それから、誰かの判断に自分の命を預けるのも、誰かに自分の判断を預けさせるのも、少し怖くなったんです。ひとりで完結してるほうが、性に合ってると思うようになった」
「――」
風間は何も言わず、しばらく缶コーヒーを見つめていた。慰めの言葉を探しているようにも見えたし、ただ黙っているだけのようにも見えた。
「怖いのは、当然だと思います」
結局、彼女はそれだけを言った。慰めでも励ましでもない、ただの相槌のような一言。それが、九条には妙にありがたかった。誰かに「乗り越えろ」と言われるより、「怖くて当然だ」と言われるほうが、よほど楽になれることがある。
サービスエリアという場所は、不思議な均衡の上に成り立っている。誰も詮索してこない。誰も無理に踏み込んでこない。それでいて、決まった時間に、決まった顔ぶれが集まる。まるで、高速道路の休憩所でいつも同じ時間に居合わせる誰かと、次第に会釈を交わすようになるような、そんな種類の縁だった。
九条と風間の距離は、そうやってゆっくりと縮まっていった。
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ある日、九条が東のSAに着くと、いつものベンチに風間の姿がなかった。
珍しいこともあるものだと思いながら丼を取り出し、半分ほど食べ終えたところで、彼女はようやく姿を見せた。装備の右腕部分が半分焼け焦げていて、頬に薄く煤がついている。
「遅かったですね」
「四層で小競り合いがあって。……別に、たいしたことじゃないです」
言うわりに、座り方がぎこちなかった。九条は黙って自分の丼を差し出す。
「食べます? まだ手つけてないんで」
「いいんですか」
「見ての通り、腹はもう膨れてるんで、風間さんが来なければ捨てる予定でした」
嘘だったが、風間はそれ以上聞かず、丼を受け取って箸をつけた。しばらく無言で、湯気の匂いだけが二人のあいだにあった。
「……美味しい」
「剛田の味付け、濃いめですけど」
「濃いくらいが、今日はちょうどいいです」
彼女はそう言って、ゆっくり食べ進めた。九条は隣で、彼女の右腕の焦げ跡を見るともなく見ていた。深追いはしなかった。聞けば話すだろうが、今は聞くべきタイミングではない気がした。
丼が空になる頃、風間の顔色は少しだけ戻っていた。
「――ありがとうございます」
「別に。作ったのは剛田なんで、礼ならあっちに」
「あなたにも、です」
その一言で終わった。それ以上の説明はなかったし、九条もそれ以上を求めなかった。
別の日は、逆のことが起きた。
九条が浅い切り傷を作って戻ってきたとき、風間は何も言わずに救急セットを取り出し、慣れた手つきで消毒を始めた。
「自分でできます」
「利き手側でしょう、それ。黙って出してください」
有無を言わさぬ調子に、九条は諦めて腕を差し出した。傷口に薬液がしみて、思わず顔をしかめる。
「情けない顔」
「痛いんですよ」
「探索者のくせに」
「探索者だって痛いものは痛いです」
軽口を叩き合いながら、包帯が巻かれていく。彼女の手つきは丁寧で、無駄がなかった。こういう場面での彼女は、事務所のエースとしての顔でも、サービスエリアでくつろぐいつもの顔でもない、また別の顔をしているように見えた。
「――ありがとうございます」
九条がそう言うと、風間は包帯の端を結びながら、少しだけ笑った。
「たまには、私にもお礼をさせてください」
「?」
「この前の丼のお礼です。ちゃんとできなかったので」
九条は何も答えず、ただ結ばれたばかりの包帯を見ていた。腕の痛みとは別に、胸のあたりが妙に落ち着かなかった。名前のつけようのない感覚だった。
こうしたやり取りが、飾り気もなく、特別な演出もなく、ただ積み重なっていった。互いの傷を見て見ぬふりせず、互いの空腹を見過ごさず。それだけのことだったが、九条にとってそれは、ソロで潜り続けてきた五年間で、初めて経験する種類の「支え」だった。
南回りのルートに、正式に警戒レベル4の掲示が出た。第三層から第五層にかけて、モンスターの活動が急激に活発化しているという。緊急放送の合成音声が、疑似天球の空に間延びして響いた。
東のSAでその報せを受けたとき、風間はすでに端末を握りしめていた。
「討伐部隊、招集がかかりました」
いつもの、ブラックコーヒーを飲みながら軽口を叩く声とは違う。硬い声だった。
「私、行きます」
「ですよね」
「九条さんは」
「このSA、経路上に入ってると思います。逃げ遅れる人が出るなら、放っておけない」
風間は少しの間、九条を見ていた。それから、何か言いかけて、結局「無理しないでください」とだけ言って立ち上がった。
「そっちこそ」
九条がそう返すと、彼女はふっと肩の力を抜いて、小さく頷いた。
三日のあいだ、九条は東のSAに留まった。避難誘導の応援と、拠点周りの補強作業に駆り出されていたからだ。剛田の屋台も店じまいし、代わりに簡易の炊き出し所になった。誰もが口数少なく、手だけを動かしていた。
二日目の夜、九条は補強用の資材を運びながら、ふと空を見上げた。疑似天球の演算が氾濫の影響で乱れているのか、星の一部がちらついて消えかけている。作り物の星が消えていく様は、思っていたより見ていて落ち着かないものだった。
「――こんな時に、何見てるんですか」
風間が資材の束を抱えたまま、隣に並んだ。装備の下は疲労で汗ばんでいて、いつもの余裕はもうほとんど残っていない。
「星、消えかけてます」
「作り物なんだから、消えても困らないでしょう」
「そういう問題じゃないんですけど」
「分かってます、それくらい」
風間は小さく笑って、また資材を運び始めた。九条もそれに続く。会話らしい会話はそれだけだったが、それで十分だった。
三日後、氾濫が本格化した。
層の境界が軋む、という表現を、九条はそれまで比喩だと思っていた。だが本当に、壁そのものが呻くような低い音を立てた。下層から溢れた瘴気が通路を這い上がり、天井の照明が明滅しはじめる。
『繰り返します。第三層より氾濫が発生。該当区域の探索者は避難経路の確保、または迎撃配置に――』
東のSAは、たちまち混乱に包まれた。剛田は屋台を畳む間もなく、避難民の誘導に走り回っている。九条は迷わず迎撃側に回った。
南門への避難経路のひとつが、瘴気の影響で塞がったという報せが入る。逃げ遅れている者が、まだ何人かいるらしい。
九条は瓦礫を退け、道を塞ぐ小型の個体を斬り伏せながら進んだ。息が上がる。腕にも足にも、浅い傷がいくつも増えていく。老齢の探索者をひとり、背負って走った。
――視界の端で、崩れた瓦礫の隙間から、大きな影が這い出してきたのは、その直後だった。
巨大な蜘蛛のような輪郭。通称《瘴蜘蛛》。単独接敵禁止の警戒対象だと、頭の隅で誰かの声が警告した。だが、背負った老人を安全な場所へ下ろすことに気を取られ、初撃を避けきれなかった。
左肩に、焼けるような痛みが走る。
「――離れて!」
声が届くのと、閃光のような一撃が《瘴蜘蛛》の側面を貫くのは、ほぼ同時だった。
「南門は」
「みんなに任せてきました」
風間は、答えになっていない答えを返しながら、九条の前に立った。その背中を見ながら、九条は妙に冷静な自分に気づく。痛みで思考が霞んでいるはずなのに、なぜか頭の芯だけが静かだった。
「動けますか」
「なんとか」
「なら、二人で。ひとりじゃなくていい」
その一言に、九条は左肩を押さえたまま、武器を握り直した。
「合わせます。指示、出してください」
「はい」
連携は、拍子抜けするほど滑らかだった。風間が注意を引きつけ、九条が側面から入る。彼女の魔法が動きを封じ、九条の一撃が急所を捉える。誰も指示を出していないのに、次にどう動くかが分かる瞬間が、何度かあった。
「――今」
最後の一撃は九条が振るった。体勢を崩された《瘴蜘蛛》の急所に、渾身の力を叩き込む。咆哮とともに、黒い塵となって崩れ落ちていく。
静寂が戻ってくる。
九条はその場に座り込んだ。左肩の痛みが、今さらのように全身に広がってくる。
「九条さん」
風間が駆け寄って、傷口に手をかざす。淡い光が滲んで、痛みが少しずつ引いていった。
「無理するなって、言ったのに」
「そっちも、南門を離れましたよね」
「……あなたのほうが」
言いかけて、彼女は途中で言葉を止めた。それ以上は言わなかった。九条もそれ以上は聞かなかった。
遠くで、鎮圧完了を告げる鐘が鳴っていた。
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鎮圧から一週間後、東のSAは何食わぬ顔で日常に戻っていた。
崩れた瓦礫はきれいに片づけられ、剛田の屋台からはいつも通りの湯気が上がっている。九条が顔を出すと、剛田はにやにやしながら丼を差し出してきた。
「肩、平気か」
「もうすっかり」
「界隈で噂になってるぞ、お前さんの話。風間の嬢ちゃんと連携して《瘴蜘蛛》を仕留めたって」
「大したことじゃないです」
「へえ、そういうことにしとくか」
適当にあしらいながら、九条は丼を受け取ってベンチに向かった。いつもの場所に、風間の姿がある。
「お疲れ様です」
「お疲れ様です。……その、大丈夫でしたか?事務所でもだいぶ噂になっちゃって」
「こっちも似たようなもんです」
二人は少しの間、無言で座っていた。気まずいわけではなく、どこか心地よい沈黙だった。
「九条さん」
「はい」
「あの時、合わせますって言いましたよね」
「言いました」
風間は缶コーヒーのプルタブをいじりながら、少し視線を落とした。
「私、事務所でも周りに合わせるの、正直そんなに得意じゃないんです。エースだからって、いつも一番前に立って、みんなを引っ張って。それが役目だって分かってても、たまに息が詰まる」
「……そうですか」
「だから、あの時のあなたが、私に合わせようとしてくれたのが、なんていうか」
言葉を探しているのが、こちらにも伝わってくる。どこか落ち着かない様子の風間を見ながら、それでも九条は急かさず、丼の中身をつつきながら待った。
「――嬉しかった、んだと思います。多分」
「多分、って」
「自分の気持ちなのに、うまく言葉にならないんですよ、これが」
照れ隠しのように、彼女は缶コーヒーを一気に飲み干した。九条はそれを見て、少し笑う。
「パーティーに誘う気はないですよね」
「ないです。あなた、絶対嫌がるので」
「正解です」
「でも」
風間は空になった缶を握りつぶしながら、こちらを向いた。
「たまに、こうやって顔を合わせるくらいなら、いいですよね」
九条は少し考えて、頷いた。
「いいですよ」
「約束、してくれますか?」
「大げさな」
「大げさでいいんです、これは」
その言い方が妙におかしくて、九条は思わず笑ってしまった。風間も釣られたように笑う。
「じゃあ、決まりです。氾濫があってもなくても、定期的にここに」
「サービスエリアで」
「――また会いましょう」
その一言に、九条は小さく頷いただけだった。多くを言葉にする必要はなかった。
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それから九条は、相変わらずソロで層に潜り続けている。
パーティーに入ることも、事務所に籍を置くこともなかった。それでも、月に何度か、決まって東のSAで、風間と顔を合わせる。他愛のない話をすることもあれば、情報を交換することもあり、たまに、あの日のように武器を取って肩を並べることもある。
この関係に、名前はまだない。パーティーでもなく、それ以上の何かでもなく、ただの探索者仲間と呼ぶには、少しだけ特別な距離感。九条は、その名前のない関係を、案外気に入っている。
「――九条さん、お疲れ様です」
「お疲れ様です」
今日も、いつものベンチで剛田の飯を受け取りながら、九条は小さく頷く。
この世界は、地面の下にもうひとつの世界を隠し持っている。定期的に災害が来て、命の危険はいつも隣にある。それでも――星の見えないはずの場所に、待ち合わせる場所がある。
サービスエリアで、また会いましょう。
その約束だけが、まだ名前のない関係を、静かにつないでいる。
続きが気になるようであれば、感想欄で一人でも言ってくれれば書くつもりです。