吾輩は本である。 ~狐耳少女と行く、コミュニケーション縛りの冒険譚~ 作:鏡路の一般兵(喰い断Ⅸ)
吾輩は本である。
名前はまだないが、タイトルは『
ここ数週間か、数か月はただ只管に洞窟内の移動手段を確立するため、吾輩は脳内(?)で源影を動かすための魔術式をあーでもないこーでもないと弄り倒し、連日連夜試行錯誤を繰り返している。
さて、現段階では自分を移動させるための手段はまっっっっったくと言っていい程成果が出ていないが、その一方で只管に魔術式を弄り続けた源影への理解度は跳ね上がっている。
もっとも、理解度とはいっても魔術式という名の魔法のソースコードを全てコピペと数値設定の増減だけで組み替えるようなものなので、具体的にコピーした内容や弄った数値が源影の運用にどう関係しているのかは未だに何も分かっていない。
しかし、単純にこの場所は弄ってはいけない。
ここを弄るとそもそも魔法が発動しなくなる。
そう言ったことは魔術式を一切理解できない中でも経験則で少しずつ試す前から予想が付くようになっており、魔術式を弄った後に源影を出す事すらできずに魔法が不発に終わるという事態が起こる頻度は明らかに減少。
本来は吾輩の魔力が続く限り無限に出し続けることができる源影の維持時間を減らす代わりに強度を高めてみたり、強度に関わる部分をコピペして二重にしてみたり。
吾輩の著者が見たら憤死しかねない所業を繰り返すことで、多少は用途に合わせた源影を生み出せるようになったのだ。
勿論、これそのものはゲームでステータス設定を弄って遊んでいる改造キッズも同然で源影の強度……防御の値を99999等のあり得ない値にして無敵になった!最強!!などとキャッキャしているのと何ら変わらない。
故に、今の現状は用途に合わせた源影を生み出せるようになったと言っても、目標に向かって前進しているとは言い難い。
あくまでも、新しいことができるようになったという成果を上げているだけで、洞窟からの脱出が難しいことには変わりがないからだ。
そういった意味で、この試行錯誤の中で得られた理解。
洞窟からの脱出に寄与しそうな成果といえるのは「攻撃魔法」の発見ぐらいであった。
自分の影から源影を生み出す召喚魔法でどうやって攻撃魔法を?と思うかもしれないが、発見の経緯は単純。
本来は「召喚」を行うため、魔術式にプラスの値を設定するところを、マイナスの値をぶち込んだだけである。
するとどうだろうか、本来は源影が現れるはずの場所が突如として消滅。地面ごと周囲に転がっていた小石を跡形もなく消し去るという事象が発生し、攻撃魔法であるとしか表現できない挙動を示したのだ。
なお、吸い込んだ物体がどこに消滅したのかは不明である。
正直普通に理屈が分からない上、見るからに殺傷力がヤバ過ぎるので積極的に使いたくないというのが本音だ。
忘れた頃に消滅させたものが現れたりしかねないのが怖いというのもあり、現時点での実用性は皆無なのだが、この発見は吾輩のモチベーションに大きな影響を与えた。
最悪、ゴブリンに襲われて破り捨てられる脅威にさらされたとしても、この謎の攻撃魔法……仮称「
今はまだ検証を繰り返す余裕があるが、仮に今後この検証にも飽きてしまった時。
再び考えるのを止めそうになったとしても、強度に特化した源影に吾輩を持たせたながら消滅魔法を連打して脱出を図るという選択があるのは精神的にとても楽だ。
更に言えば、理屈が分からないのも現段階での話であり、試行錯誤の中でなんとなくでも理屈が分かる可能性もある。
そうすれば気兼ねなく使うことができるようになるかもしれないし、これからの研究に期待したい分野である。
★
などと考えていた吾輩の姿はお笑いだったぜ。
仮称「消滅魔法」を研究するということは、その過程で消滅魔法に巻き込まれる危険性があるということ。
消滅魔法の発見から更に時がたち、慎重に慎重を重ねて検証を進めていたとはいえ技術の発展に事故は付き物。
現在の吾輩は研究の過程で見事に消滅魔法に巻き込まれ、薄汚れた洞窟から世界の裏側というべき謎の空間に居を移すことになっていた。
幸いなのは、消滅魔法に巻き込まれたのは吾輩(全部)であり、一部ではなかったことだ。
もし、範囲設定を誤っていれば吾輩が吾/輩になってしまっていたのは想像に難くない。
また、消滅魔法はあくまでも吾輩視点で消滅しているように見えただけで、実際には召喚魔法の値が入れ替わっただけであり、正しくは「影魔法」とでも呼ぶべきもの。影から源影を生み出していたのが、対象を影の中に取り込むという形に反転していただけ。
実際、吾輩が仮称「消滅魔法」の実験で消していた小石などはこの謎空間……仮称「影空間」の中に残っていたし、所謂能力バトルでたまに出てくる、「対象を影の中に落とす」タイプの魔法だというのが正しいようだった。
しかし、そうなると今度はまた別の問題が持ち上がってくる。
吾輩がこの影空間から元の洞窟内へと帰還できるかどうかである。
当たり前だが、魔術式というのは単純にプラスとマイナスを逆にするだけで機能するというようなものではない。
更に言えば、吾輩は記載されていた魔術式を必死にコピー&ペーストを行いながら数値を変えているだけなので、単純にプラスとマイナスを逆にしたとしても、元の魔術式の逆には戻らない。
答えがあらぬ方向に飛んでいくのは最初から分かり切っている話であり、こうして仮称「消滅魔法」を発見するまでに数か月、そこから「影空間」に巻き込まれるまで更に数か月、吾輩が本になってからとんでもない勢いで時間が過ぎ去っている点からもそれは明らかである。
だが、ここで吾輩は改めて覚悟を決める。
戻れるのかどうかではなく、必ずこの影空間を脱出すると心に決める。
何故ならば、この「影空間」は事実上の安全地帯、検証の失敗による自爆という形での突入だったが、逆に言えば、既にこの空間に入る方法は見つけているのだ。
ここから出る方法を確立できれば、ゴブリンと遭遇する度に仮称「消滅魔法」を使ってこの空間に退避。
タイミングを見計らって戻るの流れを繰り返せば、ゴブリンに吾輩を破かれるというリスクなくこの洞窟を脱出することができる。
しかも、本当に都合の良いことに、通常の空間から影空間は認識できないらしいというのに、影空間から通常の空間を認識することが可能という事実付き。
こちらが気が付かないうちにゴブリンに接敵されるという事態が起きない限り、どうにでも対応することができるとくれば、もはや戻らないという選択肢はない。
だが、ここで試行錯誤を始めようとしたところで新たな事実が判明する。
とりえずはこの影空間の探索を行おうと源影を出そうとしても、どうやっても源影が出てこないのだ。
魔法自体は成立している手応え、自身の体力、恐らくは魔力の消費を感じるだけに、どういうことなのだと考えて、一つの可能性に思い至る。
―― 吾輩に書かれている内容、実はデタラメなんじゃないか?
吾輩に記されているのは源影の召喚を行う方法とそれに伴う理論だ。
それには源影について色々と小難しいことが書いてあるのだが、実は、それが正しい事を証明する内容は記載されていないのである。
吾輩に記載されているのは、この魔術式は自身の影を用いて源影を生み出すものであるということだが、これはあくまでも著者の認知によってそうなっているだけである。
しかし、この認識は改めて考えてみると、源影を召喚する魔術式の数値を入れ替え、この影空間に吾輩がやってきた時点で破綻している。
この魔法の挙動を考えれば、どう考えても源影は吾輩の影から生み出されているわけではないのだ。
故に吾輩は源影という魔法の正しい効果は自らの影を用いて源影を生み出すのではなく、実際にはこの影空間を用いて源影を生み出しているという挙動が正しいのではないかと考える。
この影空間で源影を呼び出そうとしたとしても、周囲が源影そのものである影空間である以上、いくら源影を成型をしたとしても即座に影空間から塗りつぶされてしまうと考えれば、魔法自体は成立しているのに源影が出てこないことの説明はつく。
吾輩の著者は恐らく……いや、ほぼ確実に魔術式をコピー&ペーストをしながら設定を弄るということはしていないだろうから、この影空間のことを認識していなくともおかしくはない。
著者が立てた理論を著者の知識内で説明しようとした結果として、微妙に正確ではない表現が混ざるというのは現代社会でも珍しい事ではないのだから。
つまり、ここからが本番ということ。
吾輩は改めて、覚悟を決める。
ここまでの試行錯誤はなんだかんだいっても、あくまで『源影』という本に書いてある範囲での話であり、生み出した源影を動かしたり、設定を変えたりしていただけだった。
しかし、ここから始まるのは源影を動かす行為ではない。
吾輩自身に働きかけ、吾輩自身を影空間から脱出させるというまったく別の行為。
勿論、『源影』が吾輩の推測の通り、影空間を利用して源影を召喚しているのだとすれば、この「召喚」を行う部分が参考になることは間違いない。
だが、逆に言えば参考になるのはそれだけであり、如何に自分を召喚の対象にするのか。
どうやって通常の空間に召喚先の座標を設定するのかは完全に未知の世界。
失敗すればゴブリンの手に係るまでもなく、自分の手にかかってバラバラになるかもしれないし、通常の空間に戻れたとしても「石の中にいる」という状態になるかもしれない。
だが、それでも。
この洞窟からの脱出を果たすのであれば、吾輩はこの難題を何としても解決しなければならないのだ。
★
影空間に囚われてから体感時間にしてどれほどたっただろうか。
少なくとも、数か月。下手をすれば数年に渡って魔術式の検証を続けていた先。
今日、この日こそがまさにその成果が試される日である。
単純にコピーペーストをするだけではなく、具体的に魔術式のどこが何を表しているのかを把握し、一定の法則性を導き出す。
そういった作業を行った吾輩は魔法として最低限効果を発揮する式とは何なのかの検証を終え、影空間からの脱出に向けた最終調整を行っている所である。
勿論、最終調整とはいうが、調整が万全なわけがない。
一応、吾輩が「消滅魔法」を発見してから「影空間」に入るまでに取り込んでいた小石などを利用して、何度も影空間から通常空間に戻れることを確認をしているが、検証前に消滅させていた小物類は既に尽きた。
ここから先は如何に改善を行おうともその内容を確認することはできないし、魔法の効果がどう変わったかも知ることはできない。
故に、どう足掻いても次が本番だ。
思えば長く、遠い旅路だった。
吾輩本人(?)としてはその場から動けないので実際に旅をしていたわけではないが、源影すら出せない状態での検証に次ぐ検証は先が見えず、ただ苦行でしかなかった。
只管に脳内で魔術式を組み替えてイメージをして、コピー&ペーストを繰り返すという絶望的な試行錯誤。
途中で考えるのを止めようかと何度も考えた。
だが、それでもやはりゴールが見えているというのは大きかった。
成功すれば影空間、そして洞窟からも出ることができ、失敗してバラバラになったり、石の中にいる状態になったとしても、人事は尽くしたとして諦めることができる。
それだけ努力をしてきたという自負がある。
思えば、そもそも何故こんなに努力をしたのかとすら思う。
訳の分からないうちに本に転生、あるいは憑依をして汚い洞窟に野ざらしで放置。
本として考えることを止める方が楽だっただろう。
だが、それでも吾輩はこの場所から出たいという一心で、何もわからないまま自身に記された魔術式をヒントに魔法の研究を行ってきた。
その原動力は果たして何だったのか、洞窟から出たいというだけでここまで頑張れるかというと、絶対に違う。
きっと、吾輩自身が自覚していない何か、ここまで努力する理由があったのだと考えて。
今はそんな事は関係ない。
余計な事を考えている余裕などないのだと気持ちを切り替え、脳内(?)に魔法陣をイメージし、魔術式へと魔力を通す。
長い年月の間に日常となったルーチンワーク。
既に呼吸を行うようにできるようになったそれを行うのに僅かばかりではあるが久しぶりの緊張感を覚えながら、吾輩は躊躇う事無く影空間から通常空間へと戻るために魔法を起動する。
違うのは、対象が小石か、自分かという違いだけ。
厳密には自分を対象にする式が最後まで分からなかったので、マニュアルで自分から魔法の発動する座標を指定する形で発動しているのだが、こればかりは仕方がない。
無事に外に出れたら改めてなんとかして魔術式を勉強するぞ。
こんなクソ以下の独学をやってられるかと心に決めた次の瞬間。
ピシュンという音と共に、吾輩は影空間から通常空間へと帰還した。
それまでの苦悩も苦労など無かったかのように、吾輩はあっさりと影空間の脱出に成功したのである。
だが、まだだ。
まだコレだけでは、片手落ち。
影空間と通常空間を自由自在に移動できてこそ、実験は成功だと言えるのだ。
気分だけは深く、深く深呼吸をして今度は影空間へと入るための魔術式をイメージしてそれを発動。
すると、吾輩は再びピシュンという音を立て、即座に忌まわしき影空間の中へと舞い戻ったのだ。
そこから更に、二度、三度とピシュン、ピシュンという音を立て、吾輩は通常空間から影空間、影空間から通常空間へと何度も転移を繰り返す。何度も、何度も。
完璧だった。
未だに魔術式というものがどんなものなのかは全く分かっていない。
しかし、それでも、吾輩は通常の空間と影空間を自由に行き来するための魔法を監査制させたのである。
そして、飽きる程に転移を繰り返した末、体(?)に僅かな倦怠感。
魔力を消耗した時に現れる特有の疲れ……本である吾輩がどうやって疲れているかは分からないが、ともかく、倦怠感を感じるまで空間を反復横跳びして、ようやく吾輩は感慨にふける。
影空間からの脱出に成功した今、この洞窟から安全に脱出するための道筋が立ったのだと。
★
その後は、特に苦戦をすることもなく。
吾輩が影空間に長い間いたことが原因なのか、いつのまにかゴブリンすらも消えていた洞窟内を源影に持ち上げられながら、えっちらおっちらと進んでいく。
移動速度は源影が物理的に小さいこともあって遅々たるもので、どの程度進んでいるかの感覚も分からない。
ゴブリンがいなくなるならこんなに苦労することもなかったんじゃという徒労感を、影空間への退避は無駄にならないと自分で自分を慰めて押し込める。
そもそも、よく考えれば洞窟から出てどうするのかすら考えていなかったのだ。
この世界に人間がいるのか、いないのか。
人間がいるとして、世界観はファンタジーなのか、現実よりなのか。
どの程度文明が発展しているのかもわからなければ、世界で本がどのように扱われるかも分からないのが現状なのだ。
ただ洞窟の中を歩いているだけなのに、どんどん思考がネガティブになっていくと自覚した所で、吾輩は進行方向から僅かに光を感じた。
足元を見ると苔が見られるようになっていて、砂と土、岩ばかりだった今までとは明らかに様子が変わっている。
そういえば、今までは洞窟の中だったから暗かったのか。
当たり前のようで、今の吾輩は本だからこそ。
目で周囲の様子を見ていなかったという事実に今さら気が付く。
本当に一体どうやって周囲の様子を考えているのかと考えて。
まあ、目があっても角膜がどうとか、水晶体がどうとか、視神経への伝達がどうとか考えているわけじゃないしな。
五感などその程度のものだろうと考えて思考を打ち切る。
現状、吾輩が「本」であるという事実は何度確認しても動かないことであるし、その「本」がどういう生態をしているとしても、それを考える事に意味はない。
考察を行うことで弄れたり、イメージ上で組み替えられる「魔術式」とは異なり、「本」そのものはあくまで物体である以上、目もなしに周囲の様子が見えている理屈を解明したとしても何も変わらない。
ともかく、重要なのは外だ。
そして何より、今はそんなことを考えるよりも洞窟の外の世界。
吾輩が「本」になってから初めて知る世界の方が、何倍も重要なのだから。