吾輩は本である。 ~狐耳少女と行く、コミュニケーション縛りの冒険譚~ 作:鏡路の一般兵(喰い断Ⅸ)
コイツ、
吾輩――タマモが持っている本の方が明確に対象を確認できる距離にまで近づいて、最初に思ったのはそんなことだった。
確かにその全体的な見た目は猫科の生き物に近く、体表の毛の色はオレンジを基調として黒の模様が入っていて、虎を思わせる部分は確かに存在している。
しかし、その顔は哺乳類というよりは爬虫類的でドラゴンを思わせるものだ。
背からは普通に生活するのであればどう考えても不便としか思えない皮膜のない翼……というよりは角が枝のように生えていて、とてもではないが、自然に進化したことで生まれた生き物の様には思えない。
大型トラックと見紛うほどの体格、圧倒的な質量を誇るビッグボアと比べると聊かスマートな体つきではあったが、まさしく「魔物」と呼ぶにふさわしい存在であった。
「悪いけど、ここから先は通さないよ」
「グルルルルル」
そんな生物が斜面を駆け上がって迫る中、タマモが剣を構えたその瞬間。
吾輩(本体)が凄まじい勢いで振り回される。
牙剣大虎に対抗するためか、あるいは狙いを定めさせないようにするためか急加速と急停止を繰り返すという、一瞬一瞬が瞬間移動したようにしか思えない超速度の高速起動。ビュン、ビュンと、近距離を転移するかのように位置を入れ替えながらタマモは剣を振る。
しかし、そのタマモの速度に対して牙剣大虎は当然のようについてくる。
振るわれた剣をその名の通りに巨大な牙と、背に生えた角でいなしながら息詰まる攻防戦を展開する。
先程タマモに言われた通り、これは確かに吾輩では対応できない。
サイクロプスや触腕の怪物は完全なパワーファイターであり、正面からの足止めが機能した。
タマモとしてもパワーファイター相手に攻撃を通すためには速度よりも一撃の重さを重視せざるを得なかったが故に、吾輩も役に立つことができていた。
しかし、このようなスピードを重視した戦いでは吾輩など置物も同然。
牙剣大虎の動きを見てから源影を動かしたところで、不意でも突かない限りは指一本とて触れることができないのは明らかだ。
もし、吾輩が「目」で周囲のことを認識していたならば、そもそもこの攻防を確認することすらできなかったであろう事実が恐ろしい。
ともかく、タマモの言った通り、吾輩は牙剣大虎を相手にするには力不足であることが確認できた。
ならば今やるべきことは己の役割を果たすこと、いつでも源影に魔力を込められるようにして、ルシアンたち3人を守る事である。
本体に残す意識は最小限。
牙剣大虎がタマモとの戦闘を継続しているかだけを確認できるようにして、吾輩は意識の中心をルシアンの肩に乗る源影へと向ける。
3人は既に尾根を越え、少し傾斜が緩やかになった広場とも言えない草地で息を整えていた。
「本当に1人で牙剣大虎の足止めをしておるのか……」
「流石は亜人と言った所でしょうか」
「馬鹿を言え。1人で牙剣大虎を足止めなぞダイヤ様でさえ成しえぬこと。同じことが出来るものなど、かの勇者様だけだろうて」
一瞬、悠長に話をしている暇があるなら早く逃げろよ。
何故足を止めているんだと思ってしまうが、彼らが何も考えていないわけがないと思い直す。
というより、肉の身体を持たない吾輩が唯一疲れていないだけで、3人の疲弊が見た目以上であることは間違いないのだ。
最初に牙剣大虎に襲われた後は負傷した状態で動き続けているキミア。
それを庇って遺跡に籠り、大蛇から逃げ続けていたアルケミー。
そして、朝一で彼らの救援へと向かい、そこから今に至るまで、遺跡の中で少し待機していた以外は常に動きっぱなしだったルシアン。
今、この瞬間に休憩が必要であることは落ち着いて考えてみれば明らかだ。
この窮地に置いて、落ち着いて考えることができるかどうかはまた別の話ではあるのだが……それができるからこそ、彼らはこの世界で冒険者という職業についているということなのだろう。
とはいえ、そうして疲労している3人は現時点で万全の状態ではない。
いつでも吾輩が動けるようにしていなければならないと考えていると、とんでもない速度で動き回る吾輩本体の視界(?)に新たに動く物体が移る。
牙剣大虎の新手、10匹ほどの群れだ。
もっとも、タマモと戦っている牙剣大虎が大型トラックをスマートにしたような大きさを誇っているのに対し、こちらは一番大きな個体でも軽自動車ほどとかなり小さい。平均を取ると自転車やバイク程度の大きさ――、鹿よりもやや大きい程度のサイズ感でまとまっている。
それらはこの世界の人々の身体能力を持ってすれば大した脅威にはなりえない。
流石に一番大きな個体を相手にするのは骨が折れるだろうが、逆に言えばその程度。真っ向勝負をしたとしても不測の事態が起きない限りは勝てずとも負けない相手に思える。
だが、今3人がいる場所は山の斜面である。
尾根を越えて地の利を得た魔物たちが高さを生かして攻めかかれば、勝てずとも負けないだろうという吾輩の認識が容易に覆ることは簡単に想像できた。
「クロくん、どうしたんだ?」
故に、吾輩はちょいちょいとルシアンの服を引っ張り、魔物が迫る地点に指をさす。尾根によって臭いと視界が遮られ、タマモの戦闘音で打ち消された聴覚を補うため、危険が迫っていることを身振り手振りで伝える。
「なるほど。そういうことか。助かった」
「この黒い使い魔は嬢ちゃんのものか? 流石は亜人、大したものじゃ」
すると、多少は困惑した様子はあったものの、ルシアンはここ数日の経験もあってか直ぐに吾輩の意図を察する。
それを見た他の2人もまた遺跡で助けられた経験が大きかったのか、特に怪しむ様子、疑う様子もなく魔物の襲来に備えた。
ルシアンは弓を構え、アルケミーは剣を抜き、キミアは何かをもごもごと呟いたかと思えば、手に何か光球のようなものを生み出す。
三者三様、それぞれが得意とする戦闘スタイルと言った所か。
この中でもっとも目を引くのはやはり見るからに「魔法を使います」という構えを取ったキミア――ではない。
この世界にやってきてから初めて見る魔法であれば流石に注視しただろうが、魔物との戦闘中に使われる魔法はブレトンでも見ているのだ。
今さら魔法を使う構えを取ったぐらいで驚くようなことはない。
吾輩の目を引いたのはやたらと芝居がかったというか、吾輩の常識から考えると明らかに実戦的ではない下段。
これから全力で振り上げますとばかりに、自分よりも後ろに刀身を置く構えを取ったアルケミーの姿である。
え? あなたブロンズ級の冒険者とかいう、なんかすごい人なんだよね?
なんでそんなアニメや漫画の世界でしか見ないような独特構えを取っているんだと、思わず思考が止まる。しかし、そんな吾輩の困惑は知らぬまま、アルケミーは先頭を走っていた新手の中では一番大きな牙剣大虎。
軽自動車ほどの大きさの魔物がとびかかって来たのを見て――。
「―― 神立!!」
一閃。
それはまさしく、飛ぶ斬撃。
雷を伴ったにわか雨の名を冠するに相応しい、ファンタジー世界であれば、確かにあってもおかしくない奇襲攻撃であった。
とはいっても、その攻撃力はアニメや漫画で見るそれと比較すると聊か低い。
一撃で迫る魔物を両断したり、群れを纏めて切り裂くなどという事は出来ておらず、群れの先陣を切るこの群れでもっとも大きな個体の顔を半分断つ程度に留まっていて、まさしく「にわか雨」といった程度の威力だ。
「ギャイン!!!」
しかし、それでも吾輩の常識からすれば、顔の半分も断たれれば殆ど即死。
悲鳴を上げる事すらできずに息を止めるか、そうでなくともほぼ瀕死のダメージを与えられる一撃ではあったのだが……。
そこは相手も剣と魔法の世界に住むファンタジー生物。大ダメージを与えたことは間違いないにしても、今の一撃で仕留められるというわけでもないようだった。
飛ぶ斬撃を受けた牙剣大虎の幼体は思わず叫び声を上げながら退き、顔面からダラダラと血を流しながらも平然と立っているのがその証拠である。
恐らくはある程度の時間は掛かるだろうが、しばらく大人しくしていればこの程度の傷は全回復。何事もなかったように元の姿を取り戻してしまうのだろう。
「追撃を!!」
「任せてください!!」
だが、そんな吾輩でも予想できる未来は訪れない。
流石に飛ぶ斬撃を連発することはできないのか、普通――というにはこちらもやや芝居がかった構えではあるが、中段に構え直したアルケミーに変わって動いたのはキミアだった。
彼女は両手に生み出した光球を身体を捩じり、顔を歪めながらも左右から投げ放つ。
連続で放たれたそれは見事に半分に断たれた顔へと直撃、傷口に着弾すると同時にボンッと小規模に爆発。
見事に頭部の完全破壊に成功する。
これがこの世界の冒険者。
魔物との戦いを生業にするものかと感動させられるが……。
吾輩がこの場でもっとも驚かされたのはルシアンの戦闘技能である。
これまではタマモが一緒だったこともあって彼の戦闘能力を見る機会はなかった。
しかし、この光景を見れば、彼が「貴族だからと冒険者ランクに下駄を履かされている」などと誰が思おうか。
「…… ……」
シュッ……パァン!
シュッ……パァン!!
シュッ……パァン!!!
魔物に襲われるという極限状態にも関わらず、遊園地に作られたアーチェリーコーナーでしか聞かないような景気の良い音を響かせ、一定のリズムを保っての連続狙撃。
ルシアンが使っているのは山林地帯で使うことを想定してか、日本人が真っ先にイメージする弓道で使うような大弓、あるいはファンタジーでお馴染みのロングボウではない。
あくまでも取り回しが最優先、あまり力を入れずとも引けるタイプの弓であり、比較的連射に向いたものを用いているからというのはあるだろう。
だが、それでも一発も外すことなく、一定の間隔で矢を放って獲物の頭を吹き飛ばすというのは尋常ではなく、その姿は一種の芸術品のような美しさがある。
そうして尾根を越えて現れた牙剣大虎の群れは瞬く間に数を減らしていく。
まずい。自分たちは狩る側ではなく、狩られる側である。
コイツらに勝てるのは自分たちではなく、群れの主だけであると彼らが気が付いた時にはもはや全てが遅かった。
尾根を飛び越えた直後、最初の攻撃で懐まで入れていればまた違った結果になったのかもしれないが……。
慌てて自らの不利を悟った牙剣大虎の幼体が逃げ出そうとしたときには既に手遅れ。もう数度ルシアンが規則的な音を響かせ、キミアが光球を輝かせた頃には、彼らを襲う存在は何も残っていなかった。