吾輩は本である。 ~狐耳少女と行く、コミュニケーション縛りの冒険譚~ 作:鏡路の一般兵(喰い断Ⅸ)
「いやー。ごめん。流石に仕留めきれなくて逃がしちゃったよ」
わしゃわしゃと頭を掻きながら、あの巨大な魔物――牙剣大虎を「圧倒」したタマモがこちらに戻ってくる。
あの凄まじい速度で動く巨体を相手に一度も攻撃を受けることなく、大敵を相手にするには頼りない武器。
まともに打ち合い始めてからは僅か五合で砕けた剣を使って片目を奪い、撤退に追い込んでなお、自然体を保つ彼女には思わず身が竦んでしまう。
いや、吾輩は竦んだり、震えたりする事のできない身体なので、あくまでも比喩表現ではあるのだが……。
思わず、そんな風に感じてしまった自分が少し嫌になる。
人間ではない自分は何かあれば彼女の討伐対象になるのだろうと、遺跡で向けられた怯えの目を思い出して恐怖心を感じてしまう。
更に言えば、本来、彼女は一人で牙剣大虎という、災害級とも呼ばれる魔物を相手に戦う必要などなかったのだ。
彼女がこの場にいるのは吾輩という存在がブレトンに現れたが故。
お偉い先生に吾輩が何者なのかを確認したいというのがそもそもの原因である。
それにも関わらず、その原因である吾輩がタマモの強さに身を竦ませるというのはあまりにも失礼。文字通りに身勝手な思考であり、あってはならないことだ。
幸いなのは、吾輩が本であり表情というものを出す余地がない点。
源影に手を振らせておけば、それだけで自然なコミュニケーションを取れることだろう。
「それは逃がしたのではなく、撃退したというのじゃよ」
「そうですよ。タマモさんが撃退してくれなければ、私たちはどうなっていたことか……」
そういった意味で、吾輩の文字通りに見た目だけのコミュニケーションとは異なり、素直に賞賛の言葉を送ることができる冒険者二人。
タマモの言葉を謙遜だと捉え、即座に賞賛する彼らの姿は吾輩にとってとても眩しいものになっていた。
「ですが、喜ぶのはまだ早いですよ。冒険者は帰り道が一番危険なのは先生たちもご存じのはずでしょう?」
「おおう。そうだったな。流石にわしも気が抜けてしまった。気を付けて帰らんとな!」
遭難して以降、気を貼り続けていたのだろう。
その元凶を撃退できたことに思わず気が抜けたアルケミーをルシアンが戒める。
そう、帰るまでが遠足なのはこの世界でも、どの世界でも同じことだ。
★
あれから、吾輩たちは幸いにも特に強大な魔物と遭遇することなくノーザンヒルに戻ることができた。
アルケミー曰く、あれだけ派手に亜人と牙剣大虎が戦ったのなら並の魔物が出てくることはないだろうとのこと。
確かに先ほど行われていたのは事実上の怪獣バトル。
少しでも思考能力がある生き物であればそれを制したタマモにちょっかいをかけるなどもっての他。
縄張りを荒らされたと認識しても、台風が過ぎるのを待つかの如く、大人しくしていることしかできなかったはずだ。
「ダイヤさん、ただいま戻りました」
「ああ、よかったー。無事に戻ってきてくれたのね」
そしてノーザンヒルへの帰還後。
タマモたちは負傷中のキミアを病院に送り届けてから報告のためにギルドに戻ったのだが、何やらダイヤはとんでもなく物々しい恰好になっていた。
なんだろうか、カッチカチのドレスコートになんか良く分からない宝石のついた杖。兎耳があるからか帽子こそかぶっていないが、その姿はファンタジー世界の魔法使いが完全武装をしたらそうなるという姿である。
「え。何その恰好」
「タマモちゃんたちが救援に出かけた後、戻って来た冒険者から災害級の魔物との遭遇報告が複数あってね……。あの怪物に加えて
総大将と牙剣大虎は先ほど見たばかりなので吾輩も知っている。
大鬼大将も見たことはないがなんとなく想像がつく、多分、その名の通りに分かり易くデカい鬼だ。
しかし、山界王華は聞いたことないというか、前世知識込みでもいまいち想像ができない。
その名前から考えられるのは植物系、滅茶苦茶でかい食虫植物をイメージするが……まあ、今は関係のないことだ。
今重要なのはそんな遭遇報告があって、冒険者ギルドの長であるダイヤが完全武装で戦闘準備を整えている事なのだが……。
「ああ。それでか。総大将と牙剣大虎はあーしたちも遭遇したよ。ソウダイショウは仕留めて、牙剣大虎の片目も潰しといた」
ふらりと、ダイヤが思わずといったようによろめいた。
そうだよな……よろめくよな……。
彼女が完全武装することになった原因の半数、触腕の怪物も含めたら過半数をタマモが単騎で撃退しているんだもんな……。
そもそも、災害級の魔物という区分からして、そんなほいほい倒せるものではないのは明らかなのだ。
災害級の被害を出さないのであれば、災害級などという区分けを行う必要がない。
そのような区分けがなされているという事は、過去に災害として別個に扱われる程の何かがあったということの証明に他ならない。
「流石はタマモちゃんというかなんというか……」
「運が良かっただけだよ。特にソウダイショウはたまたま閉所で自分から頭を突っ込んできてくれただけだし」
「災害級の魔物を倒して運がよかったというんじゃ、色々な意味で私たちの立つ瀬がないのよー」
色々な意味でというのはやはり、ギルド長故に気にしなければならない政治的な意味でということだろう。
冒険者ギルドは今朝の段階では災害級の魔物がノーザンヒル近郊に多数出現していることを知らなかった。
アルケミーの救援はルシアンがノーザンヒル男爵家として行った事とはいえ、それを冒険者ギルドが黙認できたのは各地に災害級の魔物が出現したという情報を持っていなかったからというのが大きい。
周囲に災害級の魔物が多数出現している状態だと知って送り出したなら、先のようなやむを得ない黙認でも十分に問題になるし、逆に知らなかったのであれば、何故魔物を対策するための組織である冒険者ギルドが知らなかったのかという話になってしまうのだ。
結果としてタマモがその問題の多くを単騎で解決することができたとはいえ、ギルド長としては現在の状況は頭が痛いという他ないだろう。
「それより、それだけ災害級の魔物との遭遇報告があるとは、やはり……?」
「ええ。スタンピードについては発生したものとして、男爵様との連名でコーリャマ子爵家に救援の依頼を出したり、冒険者の動員を始めているわ」
「仕事が早い。流石です。ダイヤさん」
そして、そんなギルド長の窮状を察してフォローに入ったのがルシアンだ。
彼は男爵家の人間として、ダイヤがそういったギルドの失態を隠しているはずがない。父であるノーザンヒル男爵にも既に連絡を取っているという確信があったのだろう。
速やかにダイヤの対応を賞賛し、ギルドの失態という面倒な話題からの転換を計っている。見た目は物凄くチャラいが、本当にできる男である。
「で、アルケミー先生。このスタンピードの件について、色々と相談をしたいのだけど……」
「む。儂も男爵様から禄を貰っておる身。相談とあらば勿論お答えするが……。なんじゃ。その含みのある言い方は……?」
「いや。元々アルケミー先生に用事があったのはタマモちゃんなのよね。緊急時とはいえ、それを飛ばすのはちょっとねー……」
あー……。
この人、本当に苦労人だなと。
吾輩は内心で手を合わせるしかなかった。
タマモがノーザンヒルを訪れてからの極短期間で借りは積み重なり、挙句に有事である。今直ぐにでもアルケミーを含めての対策会議を行いたい所だろうが、ここでタマモの頭越しに進めてしまうのは信義に悖る。
なんなら、スタンピードの対応で各地から冒険者を動員するのであれば、タマモを動員しない理由も存在しない。
結果として、こういう言い方をして「有事ではあるけれど、私は道理を理解して順番を優先しているのですよ」と、配慮を示さなくてはならなくなってしまっているのだ。
「うん。サクっとこっちの用件を終わらせろってことね。了解了解」
そしてそんな配慮を見せられたタマモは……なんというか、半眼で最高に面倒くさそうであった。
内心を想像すると、「いや、スタンピードが起きてるならそっちを優先すればいいのに」「あーしもクロちゃんもそこまで急いでないし」と言った所だろうか。
タマモぐらいの年の子だとここら辺の配慮の重要性はあんまり分からないというか、さっさと話を進めろとしかならないのは吾輩にも良く分かる。
色々配慮したりして最速で行動しないのは時間の無駄だと考えてしまうのだろう。
だが、これが意外と無駄ではないというか、それなりに立場のある人間が名目や配慮というのを形にするのはとても重要なんだよな……。
冒険者ギルドの長であるダイヤさんが有事だからとこういった配慮を怠れば、ギルドの職員もそれを真似して雑な仕事を行い、結果として取引先の不興を買って余計な手間が掛かってしまうというのが分かり易いだろうか。
勿論、それを防ぐために冒険者ギルドの長から「配慮」をされる若者という構図になってしまうタマモとしては本当に溜まったものではないわけだが。
「すまんの。嬢ちゃん。それで、儂への用事とはなんじゃ?」
そんなギルド長とタマモの言葉の裏をしっかりと読んだのだろう。
アルケミーは至って軽く、だが、苦笑いをしながら面倒なことはさっさと終わらせようとばかりに言葉を発した。
「ええと、この子……クロちゃんについてなんだけど……」
タマモはまだ少し不満げだったが、ここで押し問答をしてもどうしようもないと思ったのか、ポシェットから吾輩(本体)を取り出す。
吾輩(源影)はその本の上、現在の空気がちょっと重いのもあるので、無意味にカッコいいポーズを決めての登場だ。
「この本に何が書いてあるのか。この子に危険はないのかを知りたいなって」
「……この黒いの、お前さんの使い魔じゃないのか?」
「違うんだよねコレが」
嘘じゃろ。
アルケミーのぽかんと開いた口からは、そんな言葉が聞こえてくるようだった。
★
「率直に言うが、この黒いのがお前さんの使い魔じゃないというのなら……正直、殆どなんも分からんぞ」
「やっぱり?」
そして、やはりというべきか。
なんとか言葉を絞り出したアルケミーの答えは吾輩のことなど何もわからないというものだった。
それはそうである。
皆が吾輩の本体だと思っている方はあくまでも吾輩の生み出した源影、ラジコン端末のようなもの。
それを誤解したままで吾輩が何者なのかなど、天地がひっくり返っても分かるわけがない。「クロちゃんは源影が本体なのか?」という質問をされるわけがない以上、Yes/No方式でも答えを絞れない恐るべき罠が此処にある。
「一応軽くは調べてはみるが……。ギルド長、この辺りに出る生き物についての図鑑を預けて居ったろ、出してくれ」
「はーい、ただいま」
それでも、アルケミーはタマモが命の恩人ということもあってか何もわからないで切り捨てることはしなかった。
冒険者ギルドに預けてあったらしい分厚い図鑑のページを捲り、吾輩に似た魔物の情報が無いかを調べてくれている。
吾輩は吾輩の情報というよりもこの世界にどんな生き物がいるのか。
こちらに興味があったので源影を動かして覗き込む様子を見せているのだが……なんというか……うーん……。
率直に言って、アルケミーが持つ図鑑は吾輩の期待したものではなかった。
そう、アニメや小説でいう中世のファンタジー世界であるココには「写真」という技術が存在していないか、普及していない。つまりは、イラストや文章を始めとして、記載された情報は全て手書きで書かれているのである。
これはなんとなくゴブリンやその近縁種だろうな。
あれは多分イヌ科の生き物なんだろうなといった、なんとなくの繋がりは分かるのだが、その内容を吾輩の拙い語彙力で表現すると……多分「鳥獣戯画」のようなタッチであるというのが最も正確な表現になる。
芸術的な価値は高そうというか、後世に残ればそれこそ鳥獣戯画のように国宝になってもおかしくないのだろうが……。
「なにこれ、あーしが書いた方がマシじゃない?」
本音を言えば、吾輩はタマモと同意見だった。
なんで図鑑に芸術性を求めてんねん。写実的に書けやと言いたくなる。
特にタマモは現代日本を知る吾輩をして「上手い」と思えるほどの腕前なのだ。
「魔物図鑑」として「
「嬢ちゃんの言いたいことは分かる。だが、これは何年か前に王家に献上された図鑑の写本の写本の写本でだな……」
「しゃほんのしゃほんのしゃほん」
「現物の方は大層できがよく、生き物をそのまま鏡に映したかのような絵が書かれていたそうなのだが……、何分、写本を作る人間は実物を見たことが無かったのだ」
「ああ。それでこんな感じになったのか」
「王都で見れるもの……犬や猫のような身近な動物に加え、強大な魔物でも牙剣大虎や大鬼大将のような剥製があるものの項目はよく書かれているのだがなぁ」
そういうと、アルケミーは「良く書かれた」らしいページを開く。
うわ。本当だ。
大半のページは鳥獣戯画的な絵なのに、牙剣大虎の虎というよりもキメラだろお前という容姿はやたらと写実的に描かれている。
ちょっと緩急が凄すぎるというか、余りの温度差に風邪を引きそうになるレベルなのだが……。
こうして見比べてみると、写本を書いた人の頑張りがよく分かる。
写本を重ねた場合、多少の誤植はあれど書いてある内容をそのまま映せばよい文章とは違い、イラストというのはどうしても書き手の癖が出てしまう。
写本を行う人にとっては本物を確認するというのも難しく、単純に書き写すだけでは著しく劣化してしまうため、それを誤魔化すべく「生物の特徴を省略したり、抽象的に表現する」という手段を取らざるを得なかった。
結果として、鳥獣戯画のようなタッチにならざるを得なかったというわけだ。
「やっぱり載っとらんのう」
「というか、この図鑑の出来だと載ってても分からなさそう」
「むしろ分かり易いのでは? ただの黒い人型の影ですし、絵心で出来が左右されなさそうです」
そんな写本家の苦労はともかく、アルケミーがパラパラと一通りのページを確認するが、残念ながら吾輩が何者かについて分かりそうな情報は何一つ載っていなかった。
タマモとルシアンが無慈悲な事実を述べているが、まあ、これは最初から分かっていた事である。本体が「本」なのに黒い人形で探しても正しい情報が出てくるわけがないのだから。
そういった意味で、本命は「吾輩(本体)」に何が書かれているかの方なのだが……。
「で、後はこっちの本じゃが……」
「読めます?」
「読めんが、なんとなく意味は分かる部分もある。内容は召喚魔法に関わる事でまず間違いなかろう」
残念ながら、こちらの方面でもあまり成果は無いようだった。
読めないが、なんとなく意味は分かる。
学識のある日本人が古英語を読んだり、英語圏の人間が古文や漢文を読むイメージだろうか?
良く出てくる単語の中に知っているものがあればなんとなく何が書かれているかの想像はつくが、内容自体は殆ど分からない。
これは料理について書かれた本ではあるだろうけど、何を作っているかは分かんないんだよなとか、そういう感じ。
「だが、このクロちゃんとやらが安全かどうかでいえば……そう大きな危険はないといえるはずじゃ」
「読めないのに分かるもんなの?」
だが、アルケミーは吾輩(本体)が特に危険なものではないという。
おいおい、読めないのにそんなことを言っていいのかよ。
確かに吾輩はそんな人間に危害を与える意思はないとはいえ、流石に無責任だろうと思ったのだが……。
次の瞬間、彼はとんでもないことを口走ったのだった。
「無いとも。
!?!?!?
吾輩、魔本じゃないの!?!!?!?!?!?
吾輩は本であるはずだし、自意識もこっちにあるんだけど!?!?!?!?!