吾輩は本である。 ~狐耳少女と行く、コミュニケーション縛りの冒険譚~ 作:鏡路の一般兵(喰い断Ⅸ)
「まーそれはそうだよね。別に魔力も何も感じないもん」
「読めぬ本が魔本になっているとあれば一大事だが、読めぬ本はただの本じゃからな」
話が頭に入ってこない。
吾輩は本である。
この世界にやってきてから、吾輩はそう信じていた。
実際、自分の意識は本を主体として存在しているし、それは間違いではない。
しかし、この世界における「魔本」にはどうやら須らく魔力が宿っているものらしく、話を聞く限り、そこに例外はない。
アルケミーの発言に同意するタマモの様子がその証拠であるし、そもそもの事を考えれば、元々はタマモの祖母であり、熟練の冒険者であるパール。
彼女をして、「読めないから分からないものである」という認識を持たれているのが吾輩だったのだ。
ルシアンも、ダイヤも、遠目にこちらを眺めている冒険者ギルドの職員も。
誰一人としてこの話を否定しない以上、「吾輩が魔本ではない」というのはこれまで誰も口にする必要もない程の一般常識だったのだ。
ならば吾輩は一体何者なのか、この自意識は何処に存在しているのか。
きっと吾輩に体があれば思わず頭を抱え、大きな声で叫んでいた事だろう。
幸いだったのは、吾輩……本にはそのようなことをする機能など存在しなかったことだ。表面上は話に飽きたふりをして、分からないならそれでいいとばかりにタマモのポシェットに戻ればこの動揺は悟られない。
とにかく、今大事なのは落ち着くことだ。
吾輩が所謂「魔本」ではなかったとしても、吾輩が「本」であることはなにも変わらない。元々理解できなかった自分の自己認識がもっと分からなくなっただけであり、自分のアイデンティティが揺るがされたわけではない。
吾輩は吾輩。
異常事態に巻き込まれた、平成日本と令和日本を知る元人間。
それだけを覚えておけば、問題無いのだ。
★
「タマモちゃんの話は終わった?じゃあ、こっちの話をしていいー?」
「いいよ。ちなみにあーしは聴いてていい奴?」
「勿論よー。タマモちゃんはこの間の怪物と直接戦ってる当事者だからね」
吾輩の精神が落ち着きを取り戻した時。
その頃には話題の中心はスタンピードに移っていた。
タマモはちょっと皮肉交じりというか、さっきは気を使われたから今度は自分が気を使っているんだといった感じのことを言う。
恐らくは本気で言ったわけではなく、ダイヤが返した通り、当事者だから勿論聞いていても構わないという解答を前提としたささやかな反抗だ。
タマモは一度剣を振り始めると何処か超然とした、強者特有の振舞いを見せることもあって、なんだかちょっとほっこりとする。
彼女は冒険者ギルドでもランク上はウッド、未成年は昇格できないという規定に引っ掛かって不満気にしていたりと、意外と子供っぽい面も多いのかもしれない。
「それに、タマモちゃんは絵が上手いでしょう? 怪物の絵を書いて欲しいのよ」
「む。何か絵を書くときはラルドさんを通すようにって言われてるんだけど、大丈夫?」
「大丈夫よー。あくまでもスタンピード対策のためで別にそれを売りに出すわけでもないからね。心配ならラルドを呼んできて確認しましょうか?」
「いや、そこまではしなくてもいいよ。もしかしたら問題あるかもって思っただけだから」
渡された紙と硬筆でタマモはさらさらと描き出す。
爬虫類のような頭部と筋肉質の胴体、腕の代わりに生えた日本の巨大な触腕。
それに反して異様に貧弱な二本の脚を補うかの如く、スカートのように生えた細い触手の数々を持つ漆黒の巨体。
それはまさしく先日出会った触腕の怪物の姿であり、タマモはそれを前面、側面、背面と様々な視点から書き上げていく。
その様子をダイヤは「いつ見ても上手ね」と感心して、ルシアンは思わず「これ、タマモに全部書き直して貰った方が良いんじゃないか」と言わんばかりに先ほどの図鑑をチラ見する。
仮に吾輩が今も机の上にいたならきっと、ルシアンの方を見て「分かる」とばかりに頷いていたほどだ。それほどまでに、タマモが描く絵は資料性が高く、見たものをそのまま描き出している。
そして、この中で唯一触腕の怪物を一度もその目で見たことのないアルケミーの反応はというと……これは……どういう表情だ?
タマモの描く絵に心当たりがあるかのごとく、書きあがりを真剣に待っているが……。
吾輩には単純に真面目な表情というよりも強張っている。
あるいは絶句しているという方が正しいように見えた。
「心当たりが?」
「まだ、何とも言えんが」
そんな様子に気が付いたのか、アルケミーにルシアンが声をかける。
彼は今はまだそれ以上離すことはないと口を噤む。
絵の完成を待つつもりなのだろう。
冒険者ギルドの中に不穏な空気感、緊張感が流れ始めた。
「まーとりあえずこんなもんかな。思い出しながらだから細部は自信ないけど許して。」
約30分ほどかけて、作業を終えたタマモは「むー」と伸びをする。
吾輩が意識を向けてみると、若干の細部の違い……触腕の先についていた外骨格の形状に多少の相違は見られたが、概ねこの間みた通りの化け物の姿が描き出されている。
「色はどんな感じだった?」
「色? 色はこのまんま。殆ど真っ黒だよ。」
アルケミーが深く息を吸い込み、そしてそれを吐き出す。
明らかに心当たりがある。存在を知っているという反応。
誰も急かさない。彼の口から、その正体が語られるのを待つ。
「コイツは
神話の怪物。
災害すらも越えるその魔物の正体に、この場にいる全ての人間が息を飲んだ。