吾輩は本である。 ~狐耳少女と行く、コミュニケーション縛りの冒険譚~ 作:鏡路の一般兵(喰い断Ⅸ)
「グゥルルルル……」
とある遺跡一帯の山々を縄張りとする牙剣大虎にとって、ここ数か月の出来事は苦難の連続であった。まず最初にケチが付いたのは、近場を縄張りとする同族が突如として消息を断ったことである。
当初、その出来事は牙剣大虎にとってはむしろ幸運だと考えていた。
己より強く、頼もしい番を得て、子を成し、群れを作った彼女にとって縄張りを相争う仲である同族の消失は自身の縄張りを広げる大チャンス。
人間から「災害級」とも呼ばれる圧倒的な個が2匹もいれば、治めるものの居なくなった空白地帯など、簡単に制圧できると考えていた。
しかし、現実は違った。
空白地帯と化した地域とその周辺一帯は強力な魔物が進出する草刈り場となったのである。結果として、彼女とその番は新たな縄張りを広げるどころか自身の縄張りを守ることを優先せざるを得なかった。
ここまでならば良かった。
彼女の番である火剣大虎は「災害級」の魔物の中でも上位の存在であり、既存の縄張りを守るだけならばかなりの余裕があった。
縄張りを広げるのは落ち着いてからでもよいかと考えることができたのである。
そうして激化する縄張り争いの中で彼女の想定を上回る出来事が起こる。
自分と番が力を合わせても勝てないほどに強力な魔物――
2匹は勇敢に戦ったが結局は敵わず、番である火剣大虎は群れを逃がすために殿を務めて行方知れず。
元々彼女たちが縄張りとしたエリアまで半ば空白地帯と化し、ソウダイショウを始めとした人間が災害級と呼ぶ他の強大な魔物の侵攻を受け入れざるを得なかったのである。
結果として、彼女は広大な縄張りを有する山々の王者から転落。
事態が落ち着くまで息を潜める立場に甘んじざるを得なかった。
その過程で「今の自分たちでも勝てそうな獲物」が現れたのであれば、それを執拗に狙って憂さ晴らしを行うことになったのもやむを得ない事だろう。
「ウウウウゥウウウウウ……ウウウウウウァアアアアアアア!!!!」
だが、そんな憂さ晴らしを行ってしまったが故に、彼女は狐耳の亜人という新たな強敵を呼び込んでしまう。
勝てそうな獲物に対する憂さ晴らしは一転、全てを失う悲劇と化し、これまでの苦難で唯一無事であった己の身すら、右目の欠損という取り返しのつかないダメージを受けてしまったのだ。
肉体と精神、その両方が限界に達した牙剣大虎は一人慟哭する。
何故こんなことになってしまったのか。ついこの間までは満足できる生活を送っていたのにという無念を乗せ、天に吠える。
災害級の魔物。
牙剣大虎という、本来であれば生態圏の頂点に座する存在のその姿はとても惨めで、人間が見たのであれば哀れに思うものだった。
「ぐぅるるるるる……」
しかし、そんな彼女の姿を見ていたのは人間ではなかった。
爬虫類のような頭部と、矢じりのような外骨格が付いた二本の巨大な触腕。
そして、巨大な皮膜のある羽を持ち、サイクロプスより一回りも二回りも大きな巨体の怪物が、彼女を見ていた。
「ウウウゥウウ……」
自分と番でも勝てなかった相手よりもより強大な魔物を相手に、牙剣大虎は知らず知らずのうちに膝を折る。
それはさながら、自分よりも大きな相手との喧嘩で身体を縮める野良猫の如く。
だが、それでも牙剣大虎はこの山の主だった。
全てを失おうともそれは変わらない。自慢の剣のような牙を振るい、なけなしのプライドを振り絞って怪物へと向かっていく。
だが、その剣のような牙は怪物へと通らない。
するりと、その攻撃は怪物に透過されたのだ。
怪物は学んでいた。
自分よりも強い亜人からの斬撃を。
斬撃に対して耐性を得た怪物は切られた場所を即座に再生することで、透過するように攻撃を無効化したのだ。
牙剣大虎が如何に戦おうともその攻撃は通らない。
牙剣大虎の剣はその亜人よりも弱く、既に敗れたものであるから。
故に、決着は必然。
如何に攻撃をしようとも有効打を与える事が出来ない牙剣大虎では触腕の怪物に勝つことはできない。
無駄な攻撃を繰り返して疲れ果て、動きが鈍ったその時。
哀れな牙剣大虎はついに怪物の触腕に絡めとられた。
「ギャアアアアアアア!!!!!」
ミシミシ、ゴキゴキとい音と共に触手に締めあげられ、あっという間に骨と翼を砕かれる。もはや抵抗すらもままならないこの状況、これまでの度重なる不運に牙剣大虎の心は完全に折れた。
人間から災害と恐れられる力、圧倒的な生命力を以て、骨と翼を砕かれながらも牙剣大虎は一度、触手の拘束を振り払う。
仮に心がまだ折れていないなら、今一度敗北を甘受してでも逃げ伸びる選択肢はあっただろう。
しかし、心の折れた牙剣大虎が選んだのは降伏。
災害とも呼ばれる魔物は拘束を振り払った後、触腕の怪物に対して腹を見せ、完全なる服従を選んだ。
「ぐううううるううううう」
触腕の怪物は機嫌よく唸り声……いや、笑い声を上げる。
それはまるで、新しい手駒が手に入ったことを喜ぶかの如く。