吾輩は本である。 ~狐耳少女と行く、コミュニケーション縛りの冒険譚~ 作:鏡路の一般兵(喰い断Ⅸ)
魔物たちの威力偵察をサファイアが撃退してから数日、ノーザンヒルの街には定期的に爆発音が響くようになった。
勿論、ノーザンヒルの中で何かが起こっているわけではない。ノーザンヒルに対して近づこうとする魔物が現れるたび、ダイヤが砲撃魔法で蹴散らしているのだ。
最初に子爵婦人が既に援軍に来ているという事を知らしめ、人々の士気を上げたからにはもはや街に魔物を近づける必要はない。
細々とした嫌がらせや工作活動を行うチャンスなど絶対に与えないという、一流の冒険者にして、現役のギルド長の面目躍如と言わんばかりの活躍である。
こうなると魔物たちは安易にノーザンヒルに近づくことはできず、城壁から距離を取り、射線の通らない森の中で戦力の集結を待ち始めたようなのだが……。魔物たちが「待ち」を選択したという事実は吾輩にとって中々に衝撃的なものだった。
吾輩は何となく、魔物のことを前世に存在した野生動物。
良い所で獣の群れ程度の知能しかない烏合の衆だと思い込んでいたのだ。
しかし、現実の魔物たちは明確に統率され、作戦に従って行動を起こしている。
これは魔物には一般的にイメージされる動物以上の社会性が存在していることに他ならない。
きっと令和日本であれば、このような有事でも愛護団体あたりから「魔物の中には話が通じるものはいる」「人間の都合で命を奪うのは如何なものか」等と苦情が入っていただろう。
「で、タマモちゃんの持ち場でありますか……」
「ゆっくりしておいて欲しいというのはあの場での話ですよね? それ以外にどうするべきかとかはまったく聞いてなくて……」
「不安になったわけですか。ダイヤちゃんはしっかりしているようで、そういう説明は省きがちですからな」
そんな風に吾輩が嘗ての故郷に思いを馳せている中。
タマモが何を行っているのかと言えば、改めて自分が何をすればよいかの確認であった。
周りの皆が忙しく働いている中で自分だけ仕事がない。
持ち場が無いというのは思いのほか精神にくるものだ。
如何にタマモが直接的な戦闘要員であるとはいっても、自分よりも年上の人間が積極的に働いているのであれば、何か自分に出来ることはないのか。
任される仕事がないのかと思ってしまうのも当然のことである。
「でもまぁ、正直に言うと、我々亜人というのはよほどの大物が出てこない限りはゆっくりしているのが仕事であります」
「そうなんですか?」
「小さな襲撃のたびに我々が出陣していては、我々がそれを捌いている間に大物が現れてしまった時に大惨事だと思いませんかな?」
サファイアの表情が真剣なものになる。
「我々がゴブリンを倒している間にオーガが現れる。それだけで何人もの人が死ぬのであります」
「オーガぐらいで……?」
「ノーザンヒルでどうなのかはダイヤちゃんに聞く必要がありますが、コーリャマだとそうでありますよ。オーガが人里近くにまでやってくることなんて、数年に1度ですからな。経験を積むのも難しいのでありますよ」
魔物相手には常に余裕を持たなければならない。
人々が魔物と戦うための経験を積ませなければならない。
亜人の力を持ってすれば1人で街を襲う脅威を排除できるかもしれないが、それで魔物による被害を最小にできるとは限らない。
人々に失敗しても何とかなると思わせるためにも、亜人は常に余裕を見せ続けなければならないのだと、サファイアは言った。
「だから、タマモちゃんは気兼ねなくゆっくりしておくといいでありますよ」
「うーん……」
「納得いかないのは分かるでありますが、そういうものでありますからな」
もっとも、そんな風に余裕を見せておけばよい。
ゆっくりとしておけばよいという言葉はタマモにはあんまり響かなかったようだったが……。
★
そんなことがあってからさらに数日。
魔物たちとノーザンヒルの睨み合いで時が過ぎる中、街の外では明らかな異変が起こっていた。
物理的に森が近づいてきているのだ。
遠目で見てもこの間までは畑だったよな?
黄土色がそこにあったよなという場所が1日たつたびに緑に覆われ、視界が通らなくなっていくのだ。
そしてその中でも特に異様なのは、森の中には遠目で見ても分かる紅い何かがもぞもぞと動いていることである。
それは明らかに自然現象ではなく、何らかの魔物がそこにいることを示していた。
「
そんな紅い何かを見て、タマモが呟いた。
どうやらあれは先日発見報告のあった魔物、吾輩の前世知識ではイメージできない災害級の姿であったらしい。
なるほど確かに。
とんでもない勢いで世界を緑に染める力はまさしく山界の王と言わざるを得ない。
現代人的には砂漠化が進んだ土地に放り込めば緑化が進んで良さそう。
生態を研究して共生が模索されていそうだ等と平和ボケしたことを考えてしまうが、人間が長い時をかけて切り開いた山林をあの速度で森に戻されてしまうのは確かに災害という他ない。
再び森を切り開くのに莫大なリソースが要求されるのは勿論のことだが、今の状況においては視界が奪われるのもまずい。
魔物の大軍勢が近づいてきてもそれを城壁から視認できなくなってしまうし、弓矢で狙うようなこともできなくなってしまう。
やがては城壁すら森に飲み込まれてしまい、籠城する事すらままならなくなるのではないかと思ったが……。
「炎よ」
そこは流石にこの世界に生きる人間たちである。
吾輩が心配するようなことは既に対策済みらしく、キミアを始めとした魔法使いが遠距離から盛大に炎の魔法で燃やしにかかったのである。
え、それやっていいの?
森林火災とか大丈夫? 最悪この辺りの山全部燃えない?
時期が時期だから多分わりと乾燥してるよ???
思わず素でそんな心配をしてしまう衝撃的な光景であったというか、実際に炎の魔法で燃やしにかかった直後はとんでもない勢いで火が燃え広がり、完全に森林火災としかいえない地獄が発生したのだが……。
どうやら魔物たちの中にも魔法が使える種族、所謂「ゴブリンメイジ」や「ゴブリンシャーマン」のような存在がいたらしく、ノーザンヒル側が放った火はしばらくするとわりとあっさりと鎮火させられることになる。
良くも悪くも「魔法」という化学を超越した攻防であったが、この攻防で先に音を上げたのは魔物側だった。
森が近づいてきたら城内から雑に放火を行えばよい人間側に対し、魔物側はどこに放火されるのか分からない状態で消火を行わなくてはならない。
魔法を使える魔物がどれだけいるのかは分からないが、彼らの肉体的・精神的な消耗は無視できなかったようで、木々の浸食はある一定の距離、即ち、炎魔法の射程距離外を保って止まることになる。
だが、こうなると人間側も苦しい。
自分たちの攻撃が届かない場所で森という自然の要塞を作り上げられているようなもの。
それに建材という概念が必要ないのは勿論だが、それがそのまま補給線も兼ねているという事実も拍車をかける。
森の成長速度に対する魔物の密集度という限界はあるだろうが、草食性の魔物にとって森はそのまま食料になる。
魔法の射程外に居座られるという事は、補給の必要のない魔物たちが森へと集結するのを自由に許すということに他ならなかったのだ。
そうして日に日に不気味さを増していく森にタマモが本当に大丈夫なのか。
自分はゆっくりとしているだけでよいのかと焦燥感を抱き、ついには単独行動も辞さないと考え始めたある日の夕暮れ。
遠目に見える森――魔物側の陣地が不気味に蠢き、俄かに慌ただしくなる。
とはいっても勿論、細かい魔物側の動きが見えているわけではない。
タマモやダイヤ、サファイアといった亜人組はともかく、吾輩やこの世界の一般的な人間が森の中まで見通すのは不可能だ。
では、それなのに何故、慌ただしいのかを確認できているのかと言えば……。
これは至極単純、細かい動きが見えないだけで、「何かやっている」程度の動きは遠くからでも容易に確認できるからだ。
例としては――花火大会の河川敷。
それを遠くから見たら、例え本来は視界が通らない夜でも何か沢山の人がいることが分かるというのが近いだろうか。
花火大会が行われるという事を知らなければ、何か巨大な化け物がざわざわと音を立てて蠢いているようにしかみえない異常な光景。
それが遠目に見える森の中いっぱいで起こっているのだ。
花火大会であれば、「沢山の人が集まっている」「賑わっている」ぐらいにしか思わないそれ全てが魔物。数万、数十万という規模であると考えれば、それはもはや筆舌にし難い脅威でしかなかった。
「おいおいおい……」
「なんだよあれ、やべえだろ……」
城壁から森を監視していた人たちから、街に残った人々へと動揺が広まる。
なんだなんだと城壁の上、森が見える位置へと人々が集まってくる。
逃げた方がいいんじゃないか。
亜人がいるからってこれは大丈夫じゃないだろう。
だけど、こんな夜にどうすればいいんだという不安が都市全体に伝播し始めた時、がらんがらんと、街の中央の広場から大きな鐘の音が響く。
「諸君!落ち着け!このノーザンヒルの城壁は数万の魔物を想定して建てられている!」
動揺に冷や水をかけられた人々の合間を縫うように、カツカツとわざとらしく足音を立てて現れたのは言わずと知れた冒険者ギルドの長であるダイヤと複数の騎士を伴った、豪奢な弓を持った、吾輩が始めて見る初老の男である。
その男性は若い時はさぞかし浮名を轟かせたのであろう、一目見ただけでルシアンの父親であると分かってしまう、所謂「イケおじ」という奴だった。
「男爵様……」
「男爵さまだ……」
そんなイケおじ、そしてこの街の大将が現れたのだ。
ついに本格的な動きを始めた魔物の軍勢に怯えていた人々はほんの少しだけではあるが、冷静さを取り戻す。
何をやるのかは分からないが、何かをやってくれるはずだという、そういう期待感に一同の視線が集まる。
ノーザンヒルの城壁に手をかけ――完全にゆっくりしておくだけで良いと言われた指示を無視しようとしていたタマモを含め、ノーザンヒル男爵の動きに世界の注目が集まる。
「これより、男爵様にはノーザンヒル男爵家に伝わる極限魔法を使っていただく! 兵士・冒険者諸君は刮目して見るが良い!」
「……男爵様、頼めますか?」
「うむ」
騎士たちに促され、ノーザンヒル男爵は弓を構えた。
一目見て堂に入っている。熟練の射手であることが分かる動作に思わず周囲の人々が息を飲む。
「行くぞ」
小さく呟かれた。
だが、その場にいる全ての人間の耳に届いたであろう言葉と同時に、男爵の体から炎が立ち昇った。
いや、正確に言えば、立ち昇ったのは魔力である。
炎と見紛うばかりに実体化したどこまでも濃密な魔力の塊。
それが亜人でもなんでもない、一人の人間の体から溢れ出していた。
「――
ビュンという風切り音、そして矢と共に光の奔流が放たれる。
放たれた光は一筋の軌跡を描き、放物線となって魔物の蠢く森へと突き刺さった。
刹那の沈黙の後、世界は光に照らされる。
夜であるはずなのに、青空が見えた。
隕石が火球となって落ちてくる時のそれと酷似した現象が起こった後、轟音と呼ぶにも烏滸がましい音の波が吾輩の体を、人々の鼓膜を揺らす。
再び世界が暗闇と静寂に包まれた今、魔物の群れにどの程度の損害を与えたのかは分からない。しかし、尋常ならざる被害を与えたことだけは、誰の目にも明らかであった。
「見たか!これがこのノーザンヒルの地を治める男爵様の力! スタンピードなど恐れるに足りず!!」
『お……おおおおおおっ!!!!』
これがこの世界の貴族。
タマモやサファイアが戦術兵器、戦場で無双する戦車のようなものだとすれば、ノーザンヒル男爵はまさしく戦略兵器、行き過ぎた火力を持つ個人。
人知を越えた身体能力を誇る亜人がいる中、人間が貴族という特権階級として存在する理由かと吾輩は驚嘆させられた。