「……あかね。これから話すことは、誰にも、ルビーにも絶対に言うな」
放課後、ハウスの図書室の最奥。
アクアは、フルスコアの天才であり、誰よりも高い「共感・分析能力」を持つ黒川あかねを呼び出していた。
「どうしたの、アクア? そんな怖い顔して……」
「これを見てくれ」
アクアが差し出したのは、昨夜、アイの部屋で暗記し、今朝ノートに書き殴った『管理記録』の写しだった。
そこには自分たちのスコア、そして「出荷」「特級品」という不気味な単語が並んでいる。
あかねはノートを受け取り、一文字ずつ目を走らせた。
最初は怪訝そうな顔をしていた彼女の表情が、次第に凍りついていく。
「出荷……12歳……。ねえ、アクア、これって……」
「ああ。ここは孤児院じゃない。俺たちは、何者かの『食料』として育てられている家畜だ。そして、俺たちのママは、それを管理する飼育官だ」
常人なら狂い出すような絶望の真実。
しかし、あかねの天才たる所以はここからだった。
彼女はノートを抱きしめたまま、信じられない速度で思考を回転させ始める。
(待って。もしこれが本当なら、ママのこれまでの『行動』の辻褄が全部合う……!)
あかねの脳内で、アイの「これまでの笑顔」「子供たちへの接し方」が1コマずつ再生され、分解され、再構築されていく。
「……あかね?」アクアが声をかけると、あかねは瞳の焦点を恐ろしく鋭く尖らせ、独り言のように呟き始めた。
「ママは……ママは、私たちのことを本当に愛してる。それは演技じゃない。でも、ママにとっての『愛』は、私たちが思うものと決定的に違っているんだわ。彼女は、家畜を『最高に美味しく、幸福に育てること』こそが、最高の愛情表現だと思い込んでる……狂ってる、本物の狂気よ……!」
あかねのプロファイリング能力が、アイの本質を完璧に見抜いていた。
「アクア。ママは昨日、あなたの嘘に気づきかけてる。今、ハウスの周囲の警備網が静かに変わってるのを感じない? 私たちの発言、視線、すべてが見張られてる。……でも、逆に言えば、ママが『私たちがまだ何も気づいていない』と信じ込んでいる間は、私たちが死ぬことはない」
あかねはアクアの手を強く握った。
その手は恐怖で震えていたが、瞳には強い意志の光が宿っていた。
「演技をしましょう、アクア。ママを完全に騙し通す、完璧な子供の演技を。……そして、ここを抜け出すのよ」
アクアは息を呑み、そして深く頷いた。
第2プラントの脱獄計画は、この2人の天才の密談から、静かに産声を上げた。
同日(第3プラント)
一方、第2プラントから高い壁を隔てた、すぐ隣の「第3プラント」。
ここでもまた、ひとつの日常が終わりを告げようとしていた。
「エマ、ノーマン! 早く早く! コニーの出発に遅れちゃうよ!」
11歳の少年、レイが本から目を離し、騒がしい食堂の様子を冷ややかに見つめていた。
今日、第3プラントからは6歳の少女・コニーが「里親」に引き取られることになっていた。
「コニー、元気でね! お手紙絶対書いてね!」
オレンジ色の髪をなびかせたエマが、涙目でコニーを抱きしめる。
その隣では、白い髪の天才少年・ノーマンが穏やかに微笑んでいた。
「ありがとう、エマ。私、ママみたいに素敵なお母さんになるね」
コニーは、お気に入りのうさぎのぬいぐるみ(リトルバーニー)を抱きしめ、第3プラントのママ――イザベラの手を引いて門へと向かっていった。
……それが、彼らにとっての「日常」の最後だった。
その日の夜遅く。
エマとノーマンは、コニーが忘れていったリトルバーニーを届けるため、規則を破って「門」へと向かった。
そこで二人が目撃したのは、巨大な吸血植物を胸に突き刺されたコニーの遺体。
そして、それを「商品」と呼ぶ、おぞましき異形の怪物――鬼の姿だった。
「逃げよう……! ここにいたら、殺される……!」
門から命からがら逃げ帰ってきたエマとノーマンは、激しい呼吸のまま、ハウスの暗闇に立ち尽くしていた。
自分たちは家畜だ。信じていたママは敵だ。
「どうだった? 二人とも」
暗闇から声をかけたのは、すべてを察している少年、レイだった。
「間に合わなかった…!」
西暦2045年10月13日。
第2プラントのアクアとあかね、そして第3プラントのエマとノーマン。
お互いの存在も、お互いが真実に辿り着いたことも知らぬまま、二つのプラントの天才たちは、全く同じ「絶望」を抱えて夜を明かすのだった。