自我持つ兵器の英雄譚“Prequel” 1945 to 2000 作:Nyappy-
時代が変わっても、消えないもの。
1950年
その日、基地へやってきた男たちは、見た目だけなら特別な集団には見えなかった。
三十代が多く、中には四十を越えている者もいる。国防空軍の新しい制服を着ている者もいれば、まだ身体に馴染んでいないのか、妙に着られているように見える者もいた。
戦後は軍とは無関係の仕事をしていた者も多い。
工場で働いていた者。
商売を始めていた者。
故郷へ戻っていた者。
もう二度と、戦闘機へ乗ることはないと思っていた者もいた。
そんな彼らが、旧陸軍航空や旧海軍航空を知る者たちからの呼びかけを受け、一人、また一人と基地へ集まってきた。
もっとも、全員が呼ばれて来たわけでもない。
話を聞きつけて、自分からやってきた者もいる。
「若いのを鍛えるらしいな」
受付でそう言った男に、担当者が困った顔をした。
「……どなたからお聞きになりました?」
「昔の仲間だ」
「お名前を」
男が答える。
担当者の手が止まった。
書類を見る。
男を見る。
もう一度、書類を見る。
「少々お待ちください」
慌てて奥へ走っていった。
似たようなことが、その後も何度か起きた。
日本国防空軍は、新しい軍隊だった。
だが、搭乗員教育まで、本当に何もないところから作らなければならない軍隊ではなかった。
むしろ、逆だった。
旧陸軍航空。
旧海軍航空。
二つの航空組織が消えた後にも、そこで戦った人間は残っている。
中国大陸を飛んだ者。
南方を飛んだ者。
ビルマを飛んだ者。
ラバウルを飛んだ者。
空母から飛び立った者。
本土へ押し寄せる爆撃機を迎え撃った者。
何度も敵戦闘機と交戦し、それでも最後まで生き残った者。
戦争末期には、新人搭乗員一人をまともに育てる時間すら足りなくなっていた。
その一方で、生き残った者の中には何年分もの実戦経験が残っていた。
それを失う理由はない。
新しい国防空軍が旧軍から受け継ぐべきものは、飛行機でも、工場でも、図面でもなかった。
人間の中にも、確かに残っていた。
最初に与えられた名称は、ごく普通のものだった。
『戦技教導隊』
敵役を演じる専門部隊として、若手搭乗員を相手に模擬空戦を行い、戦い方を教える。
ただ、それだけなら珍しいものではない。
異常だったのは、その中身だった。
旧陸軍航空と旧海軍航空、その双方から、生存している熟練搭乗員を集められるだけ集めた。
単純な撃墜数だけで選ばれたわけではない。
射撃が上手い。
格闘戦が上手い。
一撃離脱が上手い。
高高度迎撃を知っている。
爆撃機を落とす方法を知っている。
数的不利から生き残る方法を知っている。
雲を使う。
太陽を使う。
地形を使う。
相手の動きを見る。
そして何より、それらを実際の戦場で使い、生き残った。
そんな人間が集められた。
後の時代、彼らは『初代アグレッサー』と呼ばれることになる。
若い搭乗員たちは、その部隊の人間を見るより先に、彼らが要求した飛行機を見て驚いた。
「……零戦?」
格納庫の前で、若い空軍少尉が足を止めた。
見間違いではない。
どう見ても、零式艦上戦闘機。
ただし、戦争中そのままの機体ではなかった。
材料、製造品質、電装、細部設計。そこへ戦後の条件でもう一度手を入れられた、零戦六四型。
その隣には、さらに別の機体がある。
「隼まで……?」
一式戦闘機四型。
こちらも戦後型だった。
少尉は二機を見比べた。
別の格納庫には四式戦闘機五型「疾風」があり、紫電五三型もある。少数とはいえ、アメリカから供与されたF-51Dもあった。
どう考えても、そちらの方が新しい。
「何で今さら、零戦と隼なんです?」
隣にいた整備員へ聞いた。
「俺に聞くな」
「教導隊用なんですよね?」
「らしいな」
「疾風じゃ駄目なんですか?」
「本人たちが、これがいいって言ったそうだ」
少尉は、もう一度零戦を見た。
「……古いでしょう」
その時、背後から声がした。
「そうだな」
少尉が振り返る。
いつの間にいたのか、新しい空軍服を着た男が立っていた。年齢は、少尉より一回り以上は上に見える。
「古い。遅い。防弾も大したことはない。火力だって、今ならもっと上がある」
そこまで言って、男は零戦の翼へ手を置いた。
「だから」
少し笑う。
「お前が勝てると思うなら、それでいい」
少尉は眉を寄せた。
「……教官ですか?」
男は答えなかった。
「明日飛ぶんだろ」
「はい」
「じゃあ、その時に分かる」
翌日、少尉が乗ったのは疾風五型だった。
好きな機体だった。
よく上るし、よく曲がる。
速度も火力も充分にある。
戦時中の四式戦闘機からさらに手が入り、戦後の品質で作られた機体は、少なくとも今の国防空軍が数を揃えられるレシプロ戦闘機としては、文句のない性能だった。
しかも、疾風は単純に隼の後継というわけでもない。
隼が得意とした運動性。
そして、鍾馗が求めた速度、上昇、高速域での戦闘。
その両方を受け継いだ機体だった。
旧陸軍出身の整備員が、以前こう言っていた。
「疾風はな、隼と鍾馗の合いの子だ。文字通り、旧陸軍戦闘機の集大成さ」
少尉は、その言葉を気に入っていた。
だからこそ、相手が零戦なら負ける気はしなかった。
模擬戦開始。
高度差を取り、速度を維持する。
相手は下。
それも零戦。
ならば、わざわざ相手の得意な低速格闘戦へ付き合う必要はない。
少尉は疾風を加速させ、一撃離脱へ入った。
狙う。
相手が動く。
逃げる方向を読む。
そこへ機首を───
そこで零戦が、消えた。
「……っ?」
いや、消えるはずがない。
少尉は首を振る。
いた……後ろに。
───どうして。
考える暇もなく、無線から短い音が入った。
撃墜判定。
───模擬戦終了。
地上へ戻った少尉は、しばらく何も言わなかった。
教官役の男は、既に降りている。
「何で負けたと思う?」
「……見失いました」
「それは結果だ」
「旋回性能で」
「違う」
即答だった。
机の上には、簡単な飛行経路図が広げられている。
男が鉛筆を取った。
「ここ」
疾風の進路を示す。
「お前は俺を見ていた」
「はい」
「俺もお前を見ていた」
別の線を引く。
「ここでお前は、次に自分が撃てると思った」
少尉は黙った。
その通りだった。
あと少し。
もう少しだけ追えば、照準に入る。
そう思っていた。
「だから追った」
「……はい」
「そこで負けた」
男は零戦側の軌道へ線を加えた。
単純な旋回ではない。
機首がずれ、機体が捻れ、上下と横の動きが一度に変わる。
「何です、これ」
「捻り込み」
古い名前だった。
「お前を曲がって振り切ったわけじゃない」
男は線を指した。
「お前が追いたくなる場所へ入った」
次の線を引く。
「追わせた」
さらに続ける。
「それで、お前を動かした」
「でも」
少尉は言う。
「疾風の方が速い」
「だから?」
言葉に詰まる。
教官は鉛筆を置いた。
「速い機体に乗れば、速さを使えると思ったか?」
何も返せなかった。
「飛行機が速いのと」
「お前が、その速さを使えるのは別だ」
そこまで言って、少しだけ表情を和らげる。
「機体は悪くない」
疾風の方角を見る。
「疾風は良い飛行機だ。俺が昔乗ってた連中でも、欲しがる奴は多い」
「じゃあ……」
「お前がまだ」
少し笑った。
「疾風ほど上手くない」
実に容赦がなかった。
別の空域でも、似たようなことが起きていた。
教官は隼四型。
相手は紫電五三型。
性能表だけなら、紫電の方が強い。
速度も火力も出力も、全部揃っている。
ところが、追えば逃げる。
離れれば寄ってくる。
撃てると思えば、その寸前で外される。
ならば無視して距離を取ろうとすれば、今度は隼側が位置を取る。
若い搭乗員が焦り始める。
その瞬間を、相手は待っていた。
最後には、隼が紫電の後ろへ入る。
撃墜判定。
地上へ降りた若手は、心底納得がいかない顔をした。
「何であれで負けるんだ……」
横を歩いていた同期が答える。
「俺に聞くな。俺も昨日負けた」
「何に」
「零戦」
「お前、疾風だろ」
「そうだよ」
二人で黙る。
───少しして。
「……あの人ら、何なんだ?」
「知らん」
知らなくていいし、知ってどうにかなる訳でもなかった。
ただし、教導隊の全員が零戦と隼へ乗ったわけではない。
そこは本人たちも妙に現実的だった。
「俺は疾風でいい」
そう言う旧陸軍出身者もいた。
隼より疾風の方が、自分の戦い方に合う。
なら、疾風へ乗る。
紫電五三型を選ぶ者もいた。
旧海軍出身だから、必ず零戦へ乗る、というような単純な話ではない。
戦争末期に重い戦闘機へ慣れた者、高速域で戦うことを好む者、一撃離脱が身体に染み付いた者。
自分が最も強く使える飛行機を選ぶ。
それだけだった。
双発戦闘機を使い込んだ者たちは、さらに別の場所へ行った。
Ki-83と、その戦後発展型。
そうした経験を持つ人間を、単発戦闘機だけの教導へ押し込めておく理由はない。
試験飛行、機体評価、戦術研究。
新しい空軍は、過去の名人を飾っておくために呼び戻したわけではない。
持っているものを、全部使わせるために呼び戻した。
その中で、一機だけ妙な扱いを受けている戦闘機があった。
雷電。
正確には、戦後型の雷電五五型。
戦争中、本土防空のために作られた迎撃戦闘機を、戦後技術でもう一度徹底的に見直した型だった。
高速性、上昇力、重武装。
零戦や隼とは、明らかに思想が違う。
開発側の書類には、至って真面目な理由が並んでいた。
高速迎撃戦闘機の限界性能確認。
高翼面荷重機による戦技研究。
上昇性能と高高度迎撃の検証。
高速域における機動・射撃試験。
次世代戦闘機へ向けた基礎資料収集。
全部、本当。嘘は一つもない。
ただし、格納庫の整備員たちには別の認識があった。
「今日も五五型?」
「ああ」
「どれ」
「二号機」
「昨日、一号機だったろ」
「何か気に入らなかったらしい」
「……専用機じゃないよな?」
「書類上はな」
整備員が、遠い目をした。
若手が雷電五五型と模擬戦をした時、零戦や隼とはまるで違う負け方をした。
最初、格闘戦へ引きずり込めばいいと考えた。
雷電は迎撃機。格闘戦が得意な機体ではない。
相手のやり方へ付き合わず、自分の得意なところへ持ち込めばいい。
そう思った瞬間、雷電は上へ行った。
速かった。
追えば、こちらの速度が死ぬ。
諦めれば、高度差を取られる。
次に見た時には、太陽を背負って降りてきていた。
一撃離脱。
そして、また上へ。
「追うな!」
無線で僚機が叫ぶ。
だが、もう遅い。
若手が機首を上げた瞬間、速度が落ちた。
そこへ二度目───撃墜判定。
地上へ戻った若手は、零戦に負けた時以上に混乱していた。
「古い飛行機じゃないんですか」
教官役の男が笑った。
「古いぞ」
「じゃあ何で」
「お前が新しい飛行機に乗ってるからって、新しい戦い方をしてるとは限らんだろ」
返す言葉がない。
「何でも旋回すればいいと思うな」
男は空を指した。
「速さがあるなら、速さを使え。高度があるなら、高度を使え。上れるなら、上へ行け」
若手は雷電を見る。
零戦とは違う。
隼とも違う。
疾風とも違う。
だが、教えようとしているものは同じだった。
教官は言った。
「飛行機が出来ることを、お前が勝手に減らすな」
勝つことだけが、教導隊の仕事ではなかった。
むしろ、模擬戦が終わってからの方が長かった。
飛んだ時間より、地上で怒られている時間の方が長い日さえある。
「なぜ、ここで右へ行った」
「敵機が左へ回ったので」
「だから何だ」
「追撃を」
「追撃する理由を聞いている」
「撃てると思ったからです」
「思っただけだろ」
別の席では。
「見えてなかったんじゃない。見てなかったんだ」
さらに向こうでは。
「撃つことばかり考えるな。撃たせることも覚えろ」
「撃たせる?」
「相手が撃ちたくなる場所へ行け」
教官が図へ線を引く。
「撃とうとした瞬間、相手の動きは狭くなる」
旧陸軍出身者が説明した直後、旧海軍出身者が横から口を挟む。
「そのやり方だと高度を捨てすぎる」
「だから状況次第だと言ってるだろ」
「お前たちは昔からそれを言う」
「そっちこそ何でも旋回に持ち込むな」
「俺は持ち込んで勝ってた」
「だから若いのが真似するんだよ」
若手たちは、黙って聞いていた。
昔なら、この二人が同じ教室で、同じ搭乗員を教えることはなかった。
陸軍と海軍。
別々の組織に別々の戦技、別々の教育。
でも今は違う。
片方が教えたことへ、もう片方が反論する。
その反論へ、さらに反論が返る。
どちらが正しいのか。
最初、若手たちは混乱した。
だが、やがて気付いた。
どちらも正しい。
想定する状況が違うだけだった。
だから、教導隊は戦技を一つへ統一しなかった。
むしろ、使えるものを全部残そうとした。
旋回戦と一撃離脱。
高低差、速度差。
編隊戦と単機戦。
射撃と回避。
雲や太陽の使い方。
相手の視線や心理。
逃げ方、追わせ方。
捻り込みも、その中の一つだった。
必殺技ではない。やれば必ず勝てる技ではない。
あくまで一つの戦闘機動。
教範にするにしても、使う人間も機体も状況も違う。
なら、形も変わっていく。
「教範にするなら、どう書きます?」
若い教官候補が聞いた。
古参は少し考えた。
「書けるところまで書け」
「全部は?」
「無理だろ」
「では、残らないじゃないですか」
「残せる」
古参は言った。
「人に残せ」
その答えは、いかにも戦争を経験した世代らしかった。
紙は大切だ。
記録も大切だ。
だが、飛行機の動き、身体で感じる速度、敵との距離、射撃する瞬間。そういうものには、文字にしきれない部分がある。
なら、人から人へ渡す。
教わった者が、次へ教える。
そのための教導隊だった。
ある日、若い搭乗員が聞いた。
「教官たちは、どうして戻ってきたんです?」
相手は少し黙った。
「人による」
それだけ答えた。
「また飛びたかった人も?」
「いるだろうな」
「国を守るため?」
「そういう奴もいる」
「じゃあ、教官は?」
男は滑走路を見た。
遠くで、零戦六四型が離陸する。
その向こうには疾風。
別の方向には紫電。
整備庫には雷電五五型。
しばらくして、男は言った。
「俺たちは、生き残ったからな」
若手は何も言わなかった。
男は続ける。
「生き残った奴が、何で生き残ったのか教えずに死んだら」
少し笑った。
「ちょっと勿体ないだろ」
軽い言い方だった。
だが、若手はそれ以上聞かなかった。
数か月後。
最初は古い戦闘機に負けたことを恥じていた若手たちも、少しずつ変わった。
零戦だから、こう動く。
隼だから、こう戦う。
疾風だから、こうする。
紫電だから、こうする。
そういう覚え方ではなくなっていった。
自分の機体に何が出来るのか。
相手の機体に何が出来るのか。
自分は何が得意なのか。
相手は何を狙っているのか。
それを考え、選び、組み合わせる。
同じ疾風に乗っていても、戦い方は変わる。
速度を好む者。
旋回へ持ち込む者。
高度を使う者。
僚機との連携を得意とする者。
教官たちは、それを無理に一つへ揃えなかった。
「お前は、それでいい」
そう言われる者が増えていく。
ただし、必ずその後に続く言葉があった。
「それしか出来ないのは駄目だ」
やがて、その教導隊を通った搭乗員たちは原隊へ帰っていく。
そして今度は、自分たちが教える。
さらに、その中でも抜きん出た者が教導側へ戻る。
戦技も積み重なっていく。
新しい機体が来れば、古い技をそのまま押し付けるのではない。
その機体で使える形へ変える。
使えないものは捨てる。
使えるものは、変えて残す。
それは、兵器の技術継承とよく似ていた。
零戦六四型。
隼四型。
雷電五五型。
どれも、日本国防空軍の未来の主力ではない。
疾風五型や紫電五三型でさえ、もうジェットの足音を聞いている。
だから、零戦が復活したわけではない。
隼が復活したわけでもない。
戦争へ戻るためでも、古い時代へ戻るためでもなかった。
その中に残っているものを、次へ渡すためだった。
後に、空の戦い方は大きく変わる。
戦闘機からプロペラは消え、ジェットになる。
より優れたレーダーが載り、やがてミサイルが載る。
敵を見るより前から、戦闘が始まるようになる。
それでも、教導隊が残したものまで消えることはなかった。
機体の性能を、一つの数字だけで見ない。
一つの武器を、万能だと思わない。
自分の機体が持つ能力を、最後まで使い切る。
そして、一つの正解へ、すべての搭乗員を押し込まない。
この時代、零戦の中で行われていた捻り込みさえ、形を変え、速度を変え、使う機体を変えながら、ずっと先まで残っていくことになる。
しかし、1950年の若い搭乗員たちは、そんな未来を知らない。
彼らにとって今、一番大切なのは、明日の模擬戦で、今度こそあの古い零戦を撃墜することだった。
滑走路。
疾風五型の操縦席へ乗り込んだ若い少尉は、遠くにいる零戦六四型を睨んだ。
昨日とは違う。
同じ追い方はしない。
速度を捨てない。
相手が誘っているなら、乗らない。
教わった。考えた。
今度はいける。
零戦が動き始める。
少尉も発動機出力を上げた。
───そして、その日の夕方。
教官は、また机の上へ飛行経路図を広げていた。
「……で」
鉛筆の先が、一か所を叩く。
「何で、ここで追った?」
若い少尉は、しばらく何も答えられなかった。
続く
あ と が き
残せていると後々響いてくる理念。
次回 今はただ、貪欲に