自我持つ兵器の英雄譚“Prequel” 1945 to 2000 作:Nyappy-
遺産と共に再出発。
1950年
日本国防海軍は、間違いなく海軍だった。
国防陸軍や国防空軍と並ぶ正規軍の一軍種であり、日本近海の防衛を担い、必要とあれば敵艦艇とも戦う。そのための人員も組織も、軍艦もある。
ただ、「艦隊は?」と聞かれると、少し困った。
艦はある。
掃海艇、警備艦、哨戒艇、旧海防艦を手直しした艦、輸送艦、補助艦。
戦争中に日本近海へ撒かれた機雷は、敗戦したからといって消えてくれなかった。航路を開き、港を使えるようにし、漁船や商船を守る。それだけでも掃海部隊はいくらあっても足りない。
そこへ、朝鮮半島の戦争が加わった。
輸送船団の護衛、沿岸警戒、海難救助、港湾警備、陸軍部隊の輸送支援。仕事はいくらでもあり、海軍は毎日働いていた。
ただし、敵の水上戦闘艦と砲火を交えられる軍艦を並べてみれば、途端に数が減った。
横須賀の岸壁に、一隻の駆逐艦が停泊していた。
日本で生まれた艦ではない。アメリカ生まれのフレッチャー級駆逐艦である。
数年前まで太平洋の向こう側から旧日本海軍と戦っていた艦が、今は日本国防海軍で使われていた。
甲板では、日本人水兵たちが慌ただしく動いている。
「三番区画、確認終わりました!」
「通信機器は?」
「まだ調整中です!」
「なら、出港までに間に合わせろ!」
旧海軍出身の下士官が怒鳴り、若い水兵が甲板を走っていった。
その様子を見ていた若い士官が、隣の男へ声を掛ける。
「アメリカの艦なのに、随分馴染みましたね」
「人間の方が?」
「艦の方です」
「人間も似たようなもんだ」
旧海軍出身の男は笑った。
最初は何もかも違った。艦内配置、機器、用語、射撃指揮、通信、損害対処。日本の駆逐艦とは、思想そのものが違うところも多かった。
だが、海へ出し、使い、壊し、直すうちに、良いところが見えてきた。
「ここの配置は良いな」
「この配管は直しやすい」
「このレーダーは使える」
「この損害対処は覚えておいた方がいい」
旧海軍の方法がすべて悪かったわけではない。アメリカ式がすべて正しいわけでもない。
良いものを取り、合わないものは変える。
国防海軍の戦後は、そんなところから始まっていた。
その日の任務も、華々しいものではなかった。
輸送船団の護衛、航路の確認、近海警戒。戦艦も航空母艦もなく、敵艦隊へ突入するわけでもない。
だが、今の日本に必要なのは、むしろこういう仕事だった。
船団の横を走りながら、艦橋の若い士官が双眼鏡を覗く。
「昔の海軍なら、駆逐艦ってもっと違う仕事の印象でした」
「魚雷持って突っ込む、とかか?」
「はい」
「それも仕事だ。だが、それだけやってる海軍は、平時には暇になるぞ」
男が海を見ながら続ける。
「今、平時ですかね」
若い士官が朝鮮半島の方角を見る。
少し間が空いた。
「……微妙だな」
二人とも苦笑した。
少なくとも、日本そのものが戦場になっているわけではない。だからこそ、船を守り、港を守り、航路を守り、人を助ける。
戦争中には目立たなかった仕事が、今では海軍の仕事の大部分を占めていた。
旧海軍出身者の中には物足りなさを感じる者もいたが、こう言う者もいる。
「こういう海軍でも、いいかもしれんな」
日本国防海軍にいたのは、アメリカ生まれの駆逐艦だけではなかった。
港を回れば、奇妙な光景を見ることができた。
古い日本の駆逐艦。ただし、戦争中の姿そのままではない。
一度は解体されるはずだった艦、防波堤になるはずだった艦、損傷したまま港の隅に置かれていた艦。国防海軍は、まだ日本に残り、処分の終わっていない艦を拾い始めた。
秋月型、松型、橘型。
戦後、本来ならそこで終わるはずだった艦を見て、国防海軍の人間は別のことを考えた。
「これ、防波堤にするのか?」
「その予定ですが」
「勿体ない。直せるか?」
「金を掛ければ」
「じゃあ直せ」
松型や橘型になると、さらに節操がない。
「これは?」
「解体待ちです」
「浮く?」
「一応は」
「持ってこい」
「こっちは損傷しています」
「直せる?」
「時間は掛かりますが」
「なら残せ」
しまいには、沈んでいる艦の位置まで記録し始めた。
「これ、沈んでますよ」
「知ってる」
「上げるんですか?」
「今じゃない。後で上げるかもしれないだろ」
敗戦後の港と海底を、日本国防海軍だけが兵器の在庫表でも見るような目で眺めていた。
もっとも、古い軍艦が好きだから集めていたわけではない。
新造艦が足りず、今すぐ大量の新型駆逐艦を建造する金もなかった。そして、新しい駆逐艦を一から設計しようにも、戦後の日本の駆逐艦とは何か、その答えを誰も持っていなかった。
だから、使った。
まずは秋月型。大きな船体、強力な対空火力、防空艦としての余裕。悪くない。
だが、戦後の技術者はすぐに足りないものを見つけた。
「対潜装備は、もっと欲しいな」
「レーダーも変える」
「通信設備も」
「対空火器も、戦争中のままでは足りない」
直して使う。すると、また足りないものが見えてくる。
次は松型と橘型だった。簡素で丈夫、護衛任務には使いやすい。
「船団護衛なら、こっちの方が扱いやすいですね」
「だが、艦隊について遠くまで出るなら?」
「余裕が欲しいです。速力も、対空能力も」
また答えが変わる。
そして、フレッチャー級。航洋性、兵装配置、レーダー、射撃指揮、対潜装備、損害対処。学ぶものはいくらでもあった。
会議で若い技師が言った。
「そのまま同じ艦を日本で作ればいいんじゃないですか?」
古参の造船技師は首を振った。
「それなら、アメリカから買えばいい。俺たちが作るなら、日本が何を必要としているかを考えろ」
防空、対潜、対水上、船団護衛、哨戒、艦隊随伴、海難救助。戦時にも平時にも使い、日本近海を走り、必要なら外洋へも出る。
若手が笑った。
「欲張りですね」
「海軍なんて、昔からそんなもんだ」
最初から明確な答えがあったわけではない。
秋月型、松型、橘型、フレッチャー級。それぞれの長所と不足を確かめ、次はできるだけ多くを備えた艦を作る。
その考えが新造艦として形になるのは、まだ先だった。今は、港に並ぶ駆逐艦そのものが教科書だった。
呉には、別の意味で奇妙な軍艦がいた。
巡洋艦、利根。
日本国防海軍の軍籍にある、唯一の巡洋艦である。
名前だけ聞けば立派だが、実物を見た若い技師は思わず聞いた。
「……これ、本当に巡洋艦なんですか?」
「失礼な奴だな」
無理もなかった。
砲塔の多くはなく、上部構造物も失われている。配管、電装、機関など、あちこちに手を入れなければならない。
戦争末期に損傷し、着底。敗戦後には解体まで始まったが、1948年7月1日、日本国防軍創設の日に処分が止められた。
だから巡洋艦ではある。軍籍にもそう載っている。
ただ、今の戦力だけを比べれば、アメリカから来た駆逐艦の方が遥かに頼りになった。
「こいつを直して、昔の姿へ戻すんですか?」
「いや」
「では?」
「調べる」
男は半ば裸になった船体を見上げた。
図面も設計資料も、造船技術者も造船所も残っている。だが、実物には紙だけでは分からないものがある。
鋼材、構造、配管、区画、重量物の配置、補強、機関区画、弾薬庫。乗員の動線や、損傷時にどこが持ち、どこが壊れるのか。
しかも利根は解体途中だった。だからこそ、普通なら見えない部分まで露出していた。
「中まで全部見られる。巡洋艦をこんな状態までばらして調べる機会なんか、普通はない」
「解体されかけたことが、役に立ってるんですね」
「皮肉だろ」
「かなり」
二人で笑った。
もちろん、利根をそのままコピーするつもりはない。
戦争は終わり、レーダーも射撃指揮装置も通信設備も変わった。対空戦、対潜戦、必要な電力も違う。
利根を調べ、旧海軍の設計資料を読み、アメリカ艦やイギリス艦を見る。そこから、次の日本の巡洋艦を考える。
「主砲はどうします?」
「まだ決める段階じゃない」
「船体規模は?」
「だから早い」
「配置は」
「お前、何でも今日決める気か?」
叱られながら、若い技師は笑った。
机の上には、もう真っ白ではない紙が置かれていた。
後に戦後日本初の新造巡洋艦が姿を現すまで、巡洋艦は利根ただ一隻だった。
強いから残ったわけではない。最新鋭だからでもない。
むしろ、半分壊されていたから間に合った。そして、壊されかけていたからこそ、次へ渡せるものがあった。
水上だけではない。
国防海軍が拾ったものは、海の下にもあった。
伊204、伊205、そして伊404。
伊204と伊205は、潜高型だった。戦争末期、日本が水中高速を重視して作ろうとした潜水艦である。
流線形の船体、大容量の蓄電池、強力な電動機。浮上航行ではなく、水中そのものを主な活動場所として考えた艦だった。
国防海軍の技術者たちは、そこに次の時代へ繋がるものを見た。
伊204は、まず潜高型として完成させる方向へ進められた。戦争末期に何を作ろうとし、どこまでできていたのかを、実際に海へ出して確かめる。
一方、伊205は少し扱いが違った。
「同じように仕上げる必要、ないんじゃないか?」
「せっかく途中なんだ」
「せっかく?」
「好きに弄れる」
若い技師が目を丸くする。
「それ、造船屋が言っていい言葉ですか?」
「戦争中なら怒られたな」
笑いが起こった。
未完成であることは欠点でもある。だが、研究用としては都合がよかった。
まだ決まっていない部分に、戦後の装備を入れられる。
新しいソナー、電装、蓄電池、通信設備、居住性、機関。試せるものを試し、直せるものを直す。
伊204が潜高型を完成させるための艦なら、伊205は、その先を試すための艦になっていった。
そして、伊404。
こちらはもっと厄介だった。
大型で、長大な航続力と大きな内部容積を持ち、複雑な圧力船殻を備えた、特殊任務用の潜水艦だった。
それをすぐ実用艦として復旧するほど、国防海軍には金も人も設備も余裕もない。
「なら、どうします?」
「残せ」
「使うんですか?」
「今すぐじゃない」
「では、何のために?」
年上の技師は少し考えた。
「巨大な潜水艦を一から作りたくなった時、実物が一隻あるのと、何もないのとじゃ全然違う」
全部を今すぐ使う必要はない。ただ、消してしまえば二度と実物を見ることはできない。
「何でも残しますね」
「残せる時に残しとかないと。無くなるからな」
「全部、役に立つんですか?」
「知らん。今、使い道が分からないものが、後で一番役に立つこともある」
男は伊404の資料を閉じた。
それで十分だった。
1950年、日本国防海軍は、まだ強大な海軍ではなかった。
戦艦も航空母艦もいない。巡洋艦は、半ば教材となった利根だけである。
有力な水上戦闘艦の多くはアメリカから供与された駆逐艦に頼り、国産駆逐艦も戦争中に作られた艦を直して使っている。潜水艦も同じだった。
戦争中に作りかけたもの、戦後へ残ったもの。そこへ新しい装備を入れ、試し、比較する。
寄せ集めと言われれば、否定はできなかった。
だが、寄せ集めだからこそ見えるものもあった。
秋月型からは防空艦を、松型と橘型からは護衛艦を学ぶ。フレッチャー級からは、レーダー、射撃指揮、対潜戦、損害対処、航洋駆逐艦の作り方を学ぶ。
利根からは大艦の構造を学び、伊204から水中高速潜水艦の到達点を知り、伊205でその先を試す。伊404からは、大型潜水艦に何を持たせられるのかを学ぶ。
古いものを、古いまま守っているのではない。
測り、壊し、直し、比べ、改造し、失敗し、また直す。そして、次へ渡す。
その繰り返しの中で、「戦後日本の軍艦」が少しずつ形になり始めていた。
ある日、設計会議で若い造船技師が言った。
「次の駆逐艦なんですが」
年長の技師が顔を上げる。
「まだ作る金はないぞ」
「知ってます」
「じゃあ何だ」
若手は紙を広げた。
「今まで使った艦の、良かったところを全部入れたらどうなります?」
年長者は紙を見た。
「……でかくなるぞ」
「でしょうね」
「高くなる」
「でしょうね」
「欲張りすぎだ」
若手が笑う。
「海軍は昔から、そうなんでしょう?」
男は苦笑した。
「そうだったな」
紙の上には、まだ名前のない駆逐艦が描かれていた。
防空、対潜、対水上、船団護衛、哨戒、艦隊随伴。戦時も平時も、できるだけ一隻で。
後の時代、日本国防海軍が当たり前のように使う汎用駆逐艦。その最初の輪郭は、最新鋭艦の並ぶ立派な艦隊の中で生まれたのではない。
アメリカから来た駆逐艦、戦争を生き残った日本の駆逐艦、半分解体された巡洋艦、戦争に間に合わなかった潜水艦。
そうした艦がばらばらに並ぶ、寄せ集めの海軍。その中で、静かに描かれ始めていた。
日本国防海軍には、まだ艦隊らしい艦隊はなかった。
だからこそ、次に作る艦隊が何であるべきかを、一から考えることができた。
続く
あ と が き
まだまだ海軍は再建途上。
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