自我持つ兵器の英雄譚“Prequel” 1945 to 2000 作:Nyappy-
次の世代へ。
1953年
日本国防軍が創設されてから、五年が経った。
五年という歳月は、長いようで短い。
1948年7月1日。
創設式典に並んでいたのは、旧軍の経験者と、戦後になって初めて軍服を着た若者たちだった。
兵器も同じだった。
アメリカから供与されたもの。戦争中に製造されたもの。終戦によって未完成のまま取り残され、戦後になってようやく実用化されたもの。
出自も、規格も、運用思想も違う。
陸軍、海軍、空軍。
三軍とも同じ日本国防軍に属していながら、その内側には旧陸軍、旧海軍、アメリカ軍、それぞれの名残が色濃く残っていた。
装備の名称どころか、用語や手順さえ完全には統一されていない。
何しろ、国防軍という組織自体が生まれたばかりだった。
新しい軍隊を作ると決めたところで、翌日からすべてが新しくなるわけではない。結局は、残された人間と兵器を集め、使えるものを使いながら、一つずつ形を整えていくしかなかった。
それから五年。
創設当時、何も分からず先輩の後を追いかけていた若い兵士は、今や自分の後輩を持つようになっていた。
1948年に入隊した者なら、既に五年分の軍歴がある。
旧陸軍を知らない。
旧海軍を知らない。
帝国軍人として戦場へ出た経験もない。
それでも、戦車を動かし、艦を操り、飛行機を飛ばすことができる。
部隊を率い、装備を整備し、新人を教育することもできる。
そして何より、彼らにとって、自分が所属した軍隊は最初から日本国防軍だった。
そんな人間が、少しずつ増えていた。
国防陸軍の演習場では、四式中戦車改が土煙を巻き上げながら走っていた。
履帯が地面を踏み締め、起伏を越えるたびに車体が大きく揺れる。砲塔が旋回し、砲身が目標へ向けられる。
少し離れた場所で、その様子を二人の男が見ていた。
一人は旧陸軍出身の古参軍人。もう一人は、戦後になって国防軍へ入隊した若い軍人だった。
五年前なら、教官と新人という関係だった。
もっとも、今でも年上の男の方が経験は豊富である。若い方が何かと教えを請うことも少なくなかった。
ただし、五年前と同じ関係ではなくなっていた。
「……遅いな」
双眼鏡を覗いていた古参が呟いた。
「何がです?」
「三号車だ」
若い男も双眼鏡を上げた。
「速度ですか?」
「判断だよ。ほら、見てみろ」
三号車が遮蔽物の陰から姿を現す。
少し遅れて砲塔が旋回し、砲身が目標へ向いた。
その間、車体は敵から見える位置へ出たままだった。
「敵が見えてから考えている。あれじゃ、見つけてくださいと言っているようなもんだ」
「……なるほど」
「次に何が出てくるか。どこから撃たれるか。撃たれたらどこへ隠れるか。見える前から考えておけと、何度も教えただろうに」
古参は呆れたように言った。
「全部ですか?」
「全部だ」
若い男は双眼鏡を覗き直した。
五年前の自分なら、そこで黙っていたかもしれない。
教官が言うことは正しい。まずはそれを覚え、言われた通りに動く。それだけで精一杯だった。
だが、今は違う。
「……ただ、あの位置なら待った方がよくありませんか?」
「何?」
「三号車です」
古参が双眼鏡を下ろした。
「理由は?」
「二号車が先へ出すぎています。今の配置で三号車まで前進したら、右側の警戒が薄くなります」
若い男は地図を広げ、指で位置を示した。
「三号車を残して、二号車が動き直すのを待った方がいいかと。少なくとも、あの場面で無理に前へ出る必要はないと思います」
古参は何も言わなかった。
もう一度双眼鏡を上げ、演習場を見渡す。
二号車は確かに前へ出すぎていた。
その位置からでは、地形に遮られて右側を十分に警戒できない。三号車まで前進すれば、部隊の側面へ隙が生まれる。
「……そうだな」
しばらくして、古参が頷いた。
「俺は三号車だけを見ていた。お前の方が全体を見ていたな」
「いえ、たまたまです」
「たまたまでも気付いたなら結構なことだ」
そう言って、再び演習へ視線を戻した。
昔なら、教官の言うことを覚えるだけでよかった。
だが、実際の部隊は教科書通りには動かない。
地形が変わる。敵が変わる。兵器も変わる。
そして、同じ部隊の中でも、経験してきたものが違う。
チハの時代から戦車を知っている男と、最初からチト改を扱ってきた男。
二人が持つ知識には重なる部分もあれば、そうでない部分もあった。
その違いは、もはや単なる経験不足ではなくなりつつあった。
やがて演習が終了し、各車両が帰還してきた。
三号車の車長が呼び出される。
若い男は走行経路を記した図面を広げ、鉛筆の先を一点へ置いた。
「ここだ。何で止まった?」
「目標を確認してから、射撃位置を取り直そうと……」
「それは分かる。だが、お前が止まっている間、二号車は何をしていた?」
「……前進していました」
「そうだな。じゃあ、あの時点でお前の右側を誰が見ていた?」
車長が口を閉じた。
若い男は怒鳴らなかった。代わりに、地図を回して相手の方へ向ける。
「もう一度考えてみろ。お前があそこにいたら、部隊全体として何が起きる?」
少し離れた場所で、旧陸軍出身の古参がその様子を見ていた。
教えられているのは、さらに若い世代だった。
戦争が終わった頃には、まだ軍人ですらなかった者たちである。
そして、教えている方も戦争を知らない。
それでも、ちゃんと戦車兵を育てている。
古参は、少しだけ笑った。
どうやら、自分が口を挟む必要はなさそうだった。
国防海軍でも、似たような変化が起きていた。
フレッチャー級。
秋月型。
松型、橘型。
創設当初、それらはまったく異なる事情で集められた艦艇だった。
アメリカから供与された駆逐艦。旧日本海軍から引き継いだ艦艇。艦隊防空を重視したものもあれば、護衛任務を重視して設計されたものもある。
艦の大きさも、兵装も、機関も違う。艦内の配置や損害対処の考え方にさえ違いがあった。
それらを同じ海軍が、五年間使い続けた。
すると、若い士官たちの感覚が少しずつ変わり始めていた。
『この艦はアメリカ式だから』
『これは旧海軍式だから』
そうした言葉が、次第に減っていったのである。
代わりに聞こえるようになったのは、もっと実際的な評価だった。
こちらの配置の方が使いやすい。
この損害対処手順は優れている。
この装備は整備が難しい。
この方式は日本の運用環境に合わない。
もちろん、それぞれの技術がどこから来たものなのかは知っている。
知らずに扱っているわけではない。
ただ、出自だけで優劣を決める必要がなくなっていた。
どこの国で生まれた技術であろうと、使えるなら使う。
使いにくい部分があれば直す。
そして、新しい艦を設計する時には、その経験を最初から盛り込めばよかった。
ある日の設計会議。
年配の造船技師が、若手の描いた駆逐艦の図面を眺めていた。
まだ基本設計案に過ぎない。
だが、戦争中の駆逐艦とは明らかに違っていた。
船体は大きく、レーダーや通信設備の配置が最初から考慮されている。対潜戦、対空戦、水上戦、船団護衛、艦隊随伴。それぞれの任務に必要な設備が、一つの艦の中へ組み込まれようとしていた。
もっとも、それだけ要求を詰め込めば、当然ながら問題も増える。
「……随分、欲張ったな」
年配の男が呟いた。
若手は苦笑した。
「前にも言われました」
「誰に?」
「あなたにです」
男が眉を上げる。
「そうだったか?」
「海軍は昔から欲張りだって」
「ああ……」
少し考えてから、思い出したように頷いた。
「言ったな、そんなこと」
そして、改めて図面へ目を落とす。
確かに欲張りだった。
対空火力を増やせば重量が増える。対潜装備を充実させれば、今度は艦内の容積が足りなくなる。電子装備を増やせば電力も必要になり、それを支える機関や補機の配置まで考え直さなければならない。
戦争中にも、散々悩まされた問題だった。
「これ、何型を参考にした?」
年配の男が尋ねた。
若手は少し困った顔をした。
「……全部です」
「全部?」
「秋月も、松も、フレッチャーも。使えるところは全部参考にしています」
「なるほど」
「それと……」
若手は別の資料を取り出した。
「実際に五年間運用して、困ったところも全部です」
そこには、各艦から寄せられた改善要求がまとめられていた。
整備がしにくい。
弾薬の運搬経路が長い。
損傷した区画を封鎖すると、別の区画へ行きにくくなる。
指揮所から必要な場所へ情報を伝えるのに時間がかかる。
どれも、実際に艦を使ったからこそ出てきた意見だった。
年配の技師は、しばらく黙って資料を眺めていた。
そして、ふっと笑った。
「……なら、もう俺の駆逐艦じゃないな」
図面を若手へ返す。
「何です、それ」
「戦争中の俺たちなら、たぶんこうは描かん」
男はもう一度、図面へ目を向けた。
「秋月でもない。松でもない。フレッチャーでもない。それなのに、どれも無関係じゃない」
「……はい」
「いいじゃないか」
そう言って、笑った。
「お前らの艦だ」
若手は、受け取った図面を見下ろした。
まだ完成には程遠い。
要求は多く、解決すべき問題も山ほど残っている。
それでも、その図面は確かに、戦後の国防海軍が自分たちで描き始めたものだった。
呉では、利根の周囲を若い技師たちが歩いていた。
かつての重巡洋艦。
終戦後、解体途中だったところで作業を止められ、国防海軍の研究用資産として残された船体だった。
最初に保存が認められた時点では、既に失われていたものも多い。
そのため、旧海軍時代の姿を一目見ただけで理解できる状態ではなかった。
だが、だからこそ調べるべきことも多かった。
船体の寸法を測る。
残された区画へ入り、配管や配線の経路を追う。
機関区画を調べ、砲塔や弾薬庫が配置されていた場所を確認する。
損傷した部分と、解体作業によって失われた部分を区別し、残された図面と照らし合わせる。
大型巡洋艦の内部で、人間と物資がどのように動いていたのか。
その実物を使って学ぶことができた。
最初の頃は、旧海軍出身者が隣にいなければ分からないことばかりだった。
「これは何のための配管ですか?」
「どうして、ここを通しているんです?」
「この区画は、何に使っていたんですか?」
一つずつ尋ね、一つずつ教えられた。
図面に載っていない部分もあった。
逆に、図面では理解できなくても、実物を見ることで初めて意味が分かる構造もあった。
そして、五年。
質問の内容が、少しずつ変わってきた。
「……ここ、次は変えた方がいいと思うんです」
船体内部を調べていた若い技師が、そう言った。
隣に立つ旧海軍出身の男が振り返る。
「理由は?」
「戦後の装備を入れるなら、電力が足りません。発電設備そのものもそうですが、配電系統から見直す必要があります」
「それで?」
「配線の経路と、機器を置く区画も変えたいです。それから……」
若手は図面を広げた。
「ここです」
指されたのは、複数の通路と区画が接続する場所だった。
「新しい射撃指揮装置を置くなら、この配置は厳しいと思います。機器も人も増えるので、今のままだと動線が詰まります」
旧海軍出身の男は、しばらく図面を眺めていた。
利根が建造された時代と、今では必要な装備が違う。
艦砲を撃つための設備だけではない。レーダー、通信、電力供給、情報処理。今後の艦艇に求められるものを考えれば、従来の配置をそのまま使い続ける理由はなかった。
「……なるほどな」
男は頷いた。
「だが、それをやるなら、こっちの隔壁まで動かす必要があるぞ」
「はい。なので、船体構造から検討し直そうかと」
「……おいおい」
旧海軍出身の男が笑った。
「それじゃ、利根を直す話じゃなくなったな」
若手も笑った。
「はい」
そして、少し嬉しそうに答えた。
「新しい巡洋艦の話です」
それでよかった。
そもそも、利根を残した理由は、利根を永久に使い続けるためではない。
かつて日本が持っていた大型艦の建造技術を、実物から学び直すためだった。
その知識を使って、次の艦を作る。
いつか、利根がなくても新しい巡洋艦を設計できるようになる。
そのために、利根は残されたのである。
国防空軍では、変化がさらに分かりやすかった。
プロペラが、少しずつ姿を消し始めていた。
F-86、橘花、震電。
数年前まで疾風や紫電、零戦、隼、雷電を飛ばしていた者たちが、今度はジェット戦闘機の傍らに立っている。
もちろん、全員がそのまま新しい機体へ乗り換えたわけではない。
転換訓練を受けてジェット機へ移る者もいれば、教官として残る者もいる。
試験飛行に関わる者、地上での教育や運用管理へ移る者、そして軍そのものを離れる者もいた。
時代が変わったからといって、人間まで一斉に入れ替わるわけではない。
むしろ、新しい機体を扱うためにこそ、古い機体を知る者の経験が必要になることもあった。
その変化は、戦技教導隊でも起きていた。
かつて、零戦に負けた者。
隼に翻弄された者。
雷電の機動に振り回され、何が起きたのか分からないまま模擬戦を終えた者。
そうした搭乗員たちが、今度は若い教官として、さらに新しい搭乗員を育てる立場になっていた。
ある日の講評室。
机の上には、模擬空戦の飛行経路図が広げられていた。
「……何で追った?」
若い教官が尋ねた。
向かいに座る搭乗員が、困った顔をする。
「撃てると思ったからです」
「思っただけだろう?」
「……はい」
「追えば撃てると思ったのか? それとも、追わなければ逃げられると思ったのか?」
「それは……」
「そもそも、追い始めた時の速度差は?」
搭乗員は黙った。
若い教官は、鉛筆の先で飛行経路図を叩いた。
「ここで追ったから、次の旋回でお前が不利になったんだ。相手の機体が何をしようとしていたのか、考えていたか?」
「……いえ」
「だったら、まずそこからだ」
少し離れた場所で、旧軍出身の教官が腕を組んで見ていた。
やがて、肩が小さく震え始める。
「……ふっ」
若い教官が振り返った。
「何ですか?」
「いや、すまん」
古参は笑いを堪えようとしたが、上手くいかなかった。
「何か変なことを言いましたか?」
「いやいや、言っていることは正しい。まったく正しいんだが……」
そこで、とうとう吹き出した。
「昔、まったく同じことを言われていたなと思ってな」
「……誰がです?」
「お前がだよ」
講評室に笑いが起きた。
若い教官は嫌そうな顔をした。
「……覚えていたんですか」
「忘れるわけがないだろう。あの時のお前ときたら、撃てると思いましたの一点張りでな」
「もう勘弁してくださいよ……」
ますます笑いが広がる。
当時の本人にとっては、決して笑い事ではなかった。
古いレシプロ戦闘機相手に何度も負け、どこが悪いのかを徹底的に教え込まれた。
悔しかった。
腹が立つこともあった。
しかし、そこで覚えたことが、今になって役に立っている。
若い教官は、改めて飛行経路図を見た。
「……まあ、そういうことだ」
向かいの搭乗員へ言う。
「俺も同じことをやった。だから、次に何を間違えるかも大体分かる」
「……はい」
「次は、相手が何を狙っているかまで考えろ」
教えられたことを、今度は自分が教える。
戦技教導隊でも、その循環が生まれ始めていた。
飛行場の端には、一機の震電三三型があった。
その機体から少し離れた設計室では、既に次の改良案が検討され始めていた。
設計主任は、若い技師が持ってきた図面を眺めている。
一枚目を見て、二枚目へ移る。
途中で手を止め、最初の図面へ戻った。
そして、また黙って考え込む。
若い技師は、その様子をじっと見ていた。
何も言われない。
しばらくして、とうとう我慢できなくなった。
「……どうです?」
「何が?」
「この案です」
主任は顔を上げた。
「お前はどう思う?」
「……え?」
「良いと思ったから持ってきたんだろう?」
「それは、そうですが……」
「なら、説明してみろ」
若い技師は少し戸惑った。
以前なら、主任が考えた構想を聞き、それを図面に落とし込む仕事も多かった。
どこを変えるのか。何を残すのか。どんな性能を目指すのか。
主任が示した方針を、具体的な形にしていく。
だが、今は違う。
自分で描いた図面だった。
何を変えるべきだと考えたのか。その理由も、変更によって生じる問題も、自分で説明しなければならない。
「……三三型のままだと、さらに速度を上げた時に、この辺りが問題になると考えています」
若者は図面の一部を指した。
「うん」
「なので、ここを変更したいんです。機体構造も少し手を入れて……」
「どうして、その形なんだ?」
若者が説明する。
主任は頷いた。
「なるほど。それで、何を失う?」
「……重量が増えます」
「他には?」
「整備性も少し悪くなると思います」
「他は?」
若者は言葉を止めた。
図面を見直す。
改良することばかり考えていたが、確かに失うものもある。
重量が増えれば、それを支える構造も必要になる。構造が変われば、既存部品をそのまま使えなくなるかもしれない。
変更によって得られる性能が、それらの不利益に見合うのか。
そこまで考えなければならなかった。
「……もう一度、計算してみます」
「そうしろ」
主任は、それ以上何も言わなかった。
若者は、少し不満そうな顔をした。
「……前なら、もっと言ってくれましたよね」
「何を?」
「どこを直せとか、こうした方がいいとか」
「ああ」
主任は笑った。
「前は、俺が描いていたからな」
図面を若者の方へ押し返す。
「これは?」
「……自分です」
「なら、お前が描け」
実に簡単な答えだった。
若者は、少し困ったように笑った。
「……間違っていたら?」
「直す」
「飛ばなかったら?」
「原因を調べる」
「それでも駄目だったら?」
「また作る」
主任は、まるで当然のことのように答えた。
若者は、とうとう笑ってしまった。
「……それ、戦争が終わってから、ずっとやってきたことじゃないですか」
「そうだな」
主任も笑った。
「だったら、分かっているだろう?」
戦争中とは違う。
一度失敗したからといって、すべてが終わるわけではない。
時間を使って調べ、考え直し、作り直すことができる。
そして、その作業をするのは、必ずしも主任一人である必要はなかった。
設計主任が、震電から手を引くわけではなかった。
まして、突然いなくなるわけでもない。
戦争中の試製震電から、一一型、二二型、そして三三型まで。
そのすべてを知る人物として、まだ必要とされていた。
だが、設計主任が一本一本の線を自分で引かなければならない時代は、少しずつ終わり始めていた。
若い設計者がいる。
試験を担当する技師がいる。
搭乗員がいる。
整備員がいる。
発動機の専門家もいれば、材料や製造技術を専門とする者もいる。
戦争中の震電をまったく知らない人間まで、開発へ参加するようになっていた。
彼らにとって、震電は敗戦直前に生まれた未完成機ではない。
一一型がある。
二二型がある。
そして、三三型がある。
自分たちの空軍が実際に運用している、現役の戦闘機だった。
そこには、戦時中の震電を知らなかったからこその感覚もあった。
あの頃の苦労を知らない。
試製震電の初飛行に立ち会ったわけでもない。
だが、だからこそ、震電という名前を必要以上に特別扱いしない。
良いところは残す。
悪いところは直す。
必要ならば、思い切って設計を変える。
三三型が完成したのだから、次の震電はそれより優れたものにすればいい。
若い技術者たちにとって、それはごく自然な考え方だった。
ある日、一人の若い技師が、何気なく尋ねた。
「主任」
「何だ?」
「いつまで震電をやるんです?」
主任は、少し考えた。
「俺が?」
「はい」
「知らん」
「……知らないんですか?」
「お前らが追い出すまでじゃないか?」
若者は思わず笑った。
「追い出せる気がしませんけど」
「なら、困ったな」
主任も笑った。
冗談だった。
だが、その言葉には、少しだけ本当の意味もあった。
いつか、主任がいなくても震電を作れるようになる。
そうでなければ、本当に残したことにはならない。
自分が考え、自分が設計し、自分が判断する。
それだけでは、一人の人間がいなくなったところで終わってしまう。
必要なのは、図面だけではなかった。
何を考えてその形にしたのか。
どこで失敗し、何を変えたのか。
どんな問題を解決できずに残しているのか。
それらを理解し、次の設計へ活かせる人間を育てること。
そして、いつか自分とは違う答えを出せるようにすることだった。
主任は、若者が抱えている図面へ目を向けた。
まだ完成していない。
問題も山ほどある。
それでも、その図面は確かに、若い技師自身が描いたものだった。
「……まあ、頑張れ」
主任は、それだけ言った。
若者は少し笑い、図面を抱え直した。
「はい」
震電は、もう一人の人間だけのものではなくなっていた。
工場でも、同じことが起きていた。
戦争中から工作機械を動かし続けてきた職人。
粗悪な材料に悩まされ、必要な部品が届かない工場を知る者。
空襲警報が鳴る中で作業を中断し、被害を片付けた後、また機械を動かした者。
そうした人間の隣に、戦後になって工場へ入った若者が立っていた。
最初は、ただ手元を見ているだけだった。
次に、同じ作業を任される。
失敗する。
怒られる。
原因を調べ、直す。
もう一度作る。
その繰り返しだった。
やがて何年か経つと、今度はその若者が、新しく入ってきた工員へ仕事を教えるようになる。
ある工場でのこと。
「……そこ、違う」
年配の職人が声を掛けた。
若い工員が手を止める。
「何ですか?」
「その順番で組むと、後で合わなくなる」
「でも、図面にはこう書いてありますよ」
職人は図面を覗き込んだ。
しばらく眺めてから、眉をひそめる。
「……こりゃ、図面が間違ってるな」
「え?」
「設計に聞いてこい」
若い工員は困った顔をした。
「勝手に変えちゃ駄目なんですか?」
「当たり前だろう。今ここだけ直しても、次に作るやつが同じところで引っ掛かる」
「……なるほど」
「図面から直さなきゃ、いつまで経っても同じだ」
しばらくして、設計担当の技師が現れた。
職人は問題の箇所を示し、実物と図面を見比べながら説明する。
技師も頷いた。
「……確かに、このままだと作業が難しいですね」
「だろう?」
「ただ、ここの寸法を変えると、別の部品にも影響が出ます」
「じゃあ、そっちも見直そう」
「簡単に言いますね……」
技師が苦笑した。
職人も笑った。
かつてなら、現場が何とかして図面に合わせたかもしれない。
あるいは、設計側が現場の事情を知らないまま、無理な要求を押し通したかもしれない。
しかし今は、現場から設計へ意見が戻る。
設計から製造へ、新しい指示が戻る。
実際に使う部隊からも、整備する者からも、改善要求が届く。
作って使う。壊れたら直す。
原因を調べ、次の製品へ反映する。
戦争中には、それを十分に行う余裕さえなかった。
今は違う。
そして、そのやり方を覚えた若い工員たちは、最初からそうするものだと思って仕事をするようになっていた。
誰か一人が、すべてを知っている必要はない。
それぞれが見つけた問題を持ち寄り、次へ繋げればいい。
兵器を作る技術だけではない。
より良いものを作るための仕事のやり方そのものが、少しずつ日本の工場へ根付き始めていた。
五年前。
日本国防軍には、旧軍経験者が必要だった。
いなければ、何も始められなかった。
戦車の動かし方。
艦の操り方。
飛行機の飛ばし方。
部隊の編成、指揮、教育。
兵器の設計、製造、整備、補給。
軍隊を動かすために必要な知識の多くは、かつて軍人だった者たちが持っていた。
もちろん、それだけでは足りなかった。
戦後の国防軍には、旧軍とは異なる装備も、制度も、要求もあった。
アメリカから学ばなければならないことも多く、戦争中の経験がそのまま通用しない場面もあった。
それでも、旧軍経験者たちが残したものは大きかった。
何しろ、彼らがいなければ、ゼロから覚え直さなければならなかったのだから。
だが、新しい軍隊がいつまでも『昔を知る人間がいなければ動けない軍隊』であるわけにはいかなかった。
それでは、いずれ必ず行き詰まる。
人は年を取る。
退役する者もいれば、病気や怪我で第一線を離れる者もいる。
いつか、戦争を知る人間は軍の中心からいなくなる。
その時、何も残っていなければ、また最初からやり直すことになってしまう。
だからこそ、旧軍世代にはもう一つ、大切な仕事があった。
自分たちがいなくても、軍が動き続けられるようにすること。
もちろん、それは簡単なことではなかった。
教える側にだって、思うところはある。
自分より若い。
戦争を知らない。
本当の実戦を知らない。
そんな人間へ、部隊や兵器を任せる。
危なっかしく見えることもあった。
口を出したくなることもある。
自分でやった方が早いと思うことだって、いくらでもあった。
実際、経験の浅い者が判断を誤り、失敗することもある。
教えたはずのことを忘れている者もいれば、そもそも教えた通りに動かない者もいる。
だが、それでも、任せなければならなかった。
ある陸軍の古参下士官は、若い教官が新兵へ指示を出す様子を見ていた。
少し気になるところがあった。
だが、口は出さなかった。
ある海軍の造船技師は、若手が自分とは違う考え方で描いた設計図を見た。
すぐに直したくなった。
しかし、まずは理由を聞いた。
ある空軍の教官は、若い搭乗員同士の模擬戦を地上から眺めていた。
かつて自分が教えた男が、今度は別の若者を指導している。
その様子を見ても、余計な口は挟まなかった。
ある工場の職人は、若い工員が自分とは違う手順で作業を進めるのを見ていた。
危険がないことを確認すると、そのまま任せた。
あとで、なぜその方法を選んだのか聞いてみるつもりだった。
任せる。
考えさせる。
時には失敗も経験させる。
そして、本当に必要な時には手を貸す。
それも、教えるということだった。
もっとも、放っておくことと任せることは違う。
失敗していい場所と、失敗してはいけない場所もある。
人命に関わる判断なら、経験者が止めなければならない。
だが、すべてを先回りして正解だけ教えてしまえば、若い者が自分で判断する機会は失われる。
その加減を覚えることは、教える側にとっても新しい仕事だった。
そして、若い世代も、過去をそのまま捨てたわけではなかった。
チハで覚えたこと。
チト改で試したこと。
ホリで考えたこと。
秋月型で学んだこと。
フレッチャー級で学んだこと。
利根の船体を調べて知ったこと。
伊204、伊205、伊404。
疾風、紫電、零戦、隼、雷電。
橘花、震電。
その一つ一つに、受け取るべきものがあった。
もちろん、古い兵器だからといって、すべてを残せるわけではない。
新しい戦場に通用しない性能もあれば、技術の進歩によって意味を失う構造もある。
運用する価値がなくなった兵器を、いつまでも第一線へ置いておくわけにもいかない。
だが、兵器が古くなったからといって、そこで得た知識まで古くなるとは限らなかった。
使えるものを抜き出す。
必要なら形を変える。
新しい技術を取り込み、合わない部分は捨てる。
それでも残ったものを、次の設計へ活かす。
この五年間、日本国防軍がずっとやってきたことだった。
そして、その考え方自体が、次の世代へ受け継がれ始めていた。
ある日。
戦技教導隊の格納庫で、若い搭乗員が一機の零戦六四型を眺めていた。
戦争中から続く零戦の、戦後最終発展型。
幾度もの改良を経て、かつての零戦とは性能も性格も大きく変わっていた。
だが、今やその機体さえ、ジェット戦闘機が主力となる時代の中では古い存在になりつつあった。
隣には、旧海軍航空出身の教官が立っていた。
「……これも、いつか飛ばなくなるんですよね」
若い搭乗員が尋ねた。
「そりゃ、そうだろうな」
教官はあっさり答えた。
「寂しくないですか?」
「……寂しいか」
少し考えてから、男は零戦へ視線を向けた。
昔から知っている機体だった。
もっとも、目の前にある六四型は、彼が戦争中に乗っていた零戦とは随分違っている。
発動機も、機体構造も、操縦した時の感覚も、昔のままではない。
それでも、確かに零戦だった。
かつて自分たちが飛ばし、戦い、そして何人もの仲間が帰ってこなかった機体。
その名前が、今も残っている。
だが、だからといって、この機体がいつまでも必要とされるべきだとは思わなかった。
「……飛行機は、いつか飛ばなくなる」
教官はそう言った。
若者が振り返る。
「そりゃ、名残惜しくはあるさ。長い付き合いだからな」
「……はい」
「だが、だから何だ?」
若者は少し戸惑った。
教官は零戦から目を離し、今度は彼の方を向いた。
「お前、捻り込みはできるか?」
「……まだ、上手くは」
「なら練習しろ」
「はい」
「できるようになったら、今度はお前が誰かに教えろ」
若者は黙っていた。
教官は、もう一度零戦を見た。
「俺たちが乗っていた頃の零戦と、今の六四型は、もう随分違う飛行機だ。だが、昔覚えたことが、今でも役に立つ場合はある」
「……そうですね」
「ジェット機になったって同じだろう。飛行機が変われば戦い方も変わる。だが、全部を忘れていいわけじゃない」
若者は、静かに頷いた。
「……それで、残るんですか?」
教官は少し考えた。
それから、肩をすくめる。
「さあな」
「……え?」
「残るかどうかは、お前次第だろう」
そう言って、笑った。
「俺が教えたことも、俺のところで止まっちまったら、それまでだ」
若者は、改めて零戦を見た。
この機体も、いつかは飛ばなくなる。
恐らく、その日はそう遠くない。
しかし、ここで教わったことまで、消えるとは限らなかった。
「……分かりました」
若者が答えた。
教官は頷いた。
「よし。じゃあ、次の訓練で見せてみろ」
「……えっ」
「何だ。今、分かったって言っただろう?」
若者は、思わず苦笑した。
「……厳しいですね」
「今に始まったことじゃないだろう?」
そう言って、教官は笑った。
格納庫の外から、ジェットエンジンの音が聞こえてきた。
新しい時代の音だった。
それでも、格納庫の中にある零戦が教えることは、まだ残っていた。
1953年。
日本国防軍は、創設からまだ五年しか経っていなかった。
歴史の長い軍隊ではない。
伝統と呼べるものも、まだ少なかった。
旧陸軍でもない。
旧海軍でもない。
アメリカ軍でもない。
もちろん、すべてを独力で作り上げた軍隊でもなかった。
その始まりには、敗戦によって残された人間と兵器があり、国外からもたらされた装備や技術があった。
それらを使って、ようやく動き始めた軍隊だった。
だが、五年が経った今、少しずつ変化が現れていた。
1948年に入隊した兵士が、後輩を指導する。
戦後に工場へ入った若者が、次の工員へ技術を教える。
旧海軍を知らない設計者が、新しい軍艦の図面を描く。
戦時中の震電を知らない技師が、次の震電を考える。
彼らが使う知識の中には、旧軍時代から受け継いだものがある。
アメリカから学んだものもある。
この五年間で、自分たちが失敗し、試行錯誤して覚えたものもある。
そのすべてを、また次の人間へ渡していく。
新しい軍隊が、本当に新しい軍隊になり始めた証拠だった。
1948年。
日本国防軍は、過去から残されたものを拾い集めて生まれた。
1953年。
ようやく、拾ったものをそのまま抱えているだけではなくなった。
過去を知る。
使えるものを使う。
必要なものを作り直す。
新しいものを学び、自分たちのものにする。
そして、それを次へ渡す。
古い世代が消えたわけではない。
まだ第一線で働く者もいる。
教官になる者、技術顧問として残る者、管理職へ移る者もいる。
もうしばらく、現場の中心で働き続ける者だっているだろう。
だが、少しずつ中心は移っていく。
旧軍経験者から、戦後に入隊した世代へ。
戦争中の工場を知る職人から、戦後の製造技術を学んだ若者へ。
戦時中の図面を引いた設計者から、その図面を読み、新しいものを描けるようになった技術者へ。
それでよかった。
新しい軍隊を作った世代の、一番大きな仕事。
それは、自分たちがいつまでも必要とされ続けることではない。
いつか、自分たちがいなくなっても、軍が動き続けるようにすることだった。
夕方。
飛行場の格納庫では、整備員たちが一日の作業を終えようとしていた。
開け放たれた扉の向こうから、西日が差し込んでいる。
その光の中に、震電三三型があった。
機体の傍らでは、若い技師が新しい図面を抱えていた。
まだ設計の途中だった。
計算し直さなければならない箇所もある。部品の配置にも問題があり、試験で何を確かめるべきなのかも、すべてが決まっているわけではない。
それでも、少しずつ形になり始めていた。
そこへ、設計主任が通りかかった。
「……出来たか?」
若者が顔を上げる。
「一応、ですけど」
「どれ」
主任は図面を覗き込んだ。
しばらく眺めた後、若者へ視線を移す。
「飛ぶか?」
少し前なら、若者は答えに困っていたかもしれない。
飛ぶかどうかを確かめるために、主任のところへ図面を持っていく。
問題があれば指摘してもらい、直す。
それが当たり前だった。
だが、今は違う。
若者は自分の図面を見下ろした。
まだ完成していない。
分からないこともある。
実際に作れば、きっと新しい問題が出てくる。
それでも。
「……飛ばします」
そう答えた。
主任は、少しだけ目を細めた。
そして、笑った。
「そうか」
それ以上、何も言わなかった。
ただ、若者の肩を軽く叩き、格納庫の出口へ歩いていく。
若者は、その背中を見送った。
やがて、もう一度手元の図面へ視線を落とす。
主任が描いたものではない。
戦争中の震電の図面を、そのまま写したものでもない。
自分で考え、自分で描いた、新しい震電だった。
遠くで、ジェットエンジンの音がした。
五年前には、まだ珍しかった音。
今は少しずつ、この飛行場の日常になろうとしている。
若者は図面を抱え直した。
そして、設計室へ戻っていった。
次の時代は、もう始まっていた。
第二章 完
あ と が き
別に彼らは上には残る。隠居する訳ではない。
次回 音よりも速く飛べ