自我持つ兵器の英雄譚“Prequel” 1945 to 2000 作:Nyappy-
実用化への道。
1955年
日本の震電は、音速の壁を越えた。
震電三三型改、J7W4。
正式な制式型式を与えられなかったその試験機は、繰り返された飛行試験によって超音速域への進入と安定飛行を実証し、膨大な記録を残して役目を終えた。
戦時中、400ノットを目指していた航空機の子孫が、遂に音より速く飛んだのである。
それは間違いなく、一つの到達点だった。
だが、喜んでばかりもいられなかった。
音速を越えられる航空機と、超音速で戦える戦闘機は、必ずしも同じものではない。
三三型改は、音速突破という明確な目的を持つ試験機だった。機体の状態を入念に調べ、飛行条件を限定し、十分な準備を整えた上で試験に臨むことができる。
しかし、制式戦闘機にそのような贅沢は許されない。
敵機を発見すれば迎撃に向かい、必要なら戦う。任務を終えれば基地へ帰還し、整備を受け、また次の任務へ飛び立つ。
その過程で、機体は様々な速度、高度、気象条件に置かれる。
当然、武装も必要だった。
一度だけ音速を越えるのではない。
音速の向こう側を、日常的に使えるようにする。
それが、日本国防空軍の次の課題だった。
そして、その答えとなる機体の開発は、三三型改が最後の試験飛行を終えるよりも前から進んでいた。
震電五四型。
略符号、J7W5。
戦時中に生まれた震電の名を受け継ぎながら、最初から超音速戦闘機として設計される、新しい震電だった。
「……これ、本当に震電ですか?」
設計室で、若い技師が呟いた。
机の上には二枚の図面が広げられていた。一枚は震電三三型。もう一枚は、現在開発中の五四型である。
若者が首を傾げたのも無理はなかった。
先尾翼という特徴的な構成こそ共通しているものの、胴体の輪郭から主翼、吸気系統に至るまで、ほとんど別の航空機と言ってよいほど違っていたのである。
「震電だよ」
そう答えたのは、新しい設計主任だった。
かつて、図面を描いては突き返され、何度も設計をやり直していた若手技師の一人。今では後進を率い、次の震電を完成させる責任を負う立場になっていた。
「でも、前の機体とは随分違いますよ」
「違わなかったら困る」
「それはそうですけど……」
若い技師は、もう一度三三型の図面へ目を落とした。
一一型から二二型、そして三三型まで。発動機や内部構造には大きな変化があったものの、いずれも戦時中の試製震電から続く独特の輪郭を色濃く残していた。
三三型改も、超音速飛行のために外形を大きく変更したとはいえ、まだ元の震電の面影が強かった。
ところが、五四型は違う。
「三三型改までは、元の震電からどうやって音速の向こうへ行くか、という設計だった」
新主任は、二枚の図面を見比べながら説明した。
「だが、今回は違う。初めから超音速で戦う飛行機を作るんだ。そのために必要な形を考えて、そこへ震電の設計思想を取り入れる」
「……順番が逆なんですね」
「そういうことだな」
新主任は五四型の図面を指した。
胴体は高速飛行に適した形状へ改められ、主翼も薄く、後退角を持つ新しい設計となっている。吸気口は超音速域での作動を考慮したもので、尾部も従来の配置をそのまま踏襲してはいなかった。
だが、先尾翼は残っている。
そして、機首に強力な武装を集中する思想も変わっていない。
「……先尾翼は残すんですね」
「残す価値があると判断したからな」
「もし、なかったら?」
「変えるさ」
あまりにもあっさりした返事だった。
若い技師が驚いた顔をすると、新主任は少し笑った。
「震電という名前を守るために、性能の悪い飛行機を作るわけにはいかないだろう?」
それは、かつての設計主任が繰り返してきた考え方でもあった。
ただし、今の新主任は、教わった言葉をそのまま繰り返しているわけではない。
残すものと変えるものを自分で判断し、その結果について責任を負う。
今は、そういう立場にいる。
「それに、先尾翼も万能じゃない。速度域が広がれば、操縦性や安定性に関する要求も変わる。高速側で都合のいい配置が、低速側でも都合がいいとは限らん」
「……結構、大変そうですね」
「大変だよ。だから設計してるんだ」
新主任は苦笑した。
若い技師も笑ったが、図面へ視線を戻すと、自然と表情が引き締まった。
まだ、決めなければならないことが山ほどあった。
「……それで、お前はどうしたい?」
背後から声が掛かった。
新主任が振り返ると、そこにいたのは、かつて震電開発を率いていた設計主任だった。
もっとも、現在の正式な肩書は違う。
設計顧問。
三三型改の最終試験飛行を終えた後、彼は震電開発の実務責任者から退き、後進の指導と技術面での助言を行う立場に移っていた。
設計室では今でも時折「主任」と呼ばれることがあるが、そのたびに本人は苦笑しながら訂正するのだった。
「顧問。ちょうど良いところに」
新主任は図面の一角を指した。
「高速側の性能は、現在の案で要求を満たせる見込みです。ただ、その分だけ低速側に余裕がありません」
「ほう」
「離着陸時の操縦性、それから着陸速度ですね。もう少し余裕を持たせたいのですが、そのためには高速側で多少の犠牲が出ます」
顧問は資料へ目を向けた。
新主任が示したのは、風洞試験の結果と、それを基にした性能推算だった。
音速を越えるために翼を薄くし、高速時の抵抗を減らす。その一方で、低速時に十分な揚力を確保しなければならない。
さらに五四型には、武装、燃料、各種電子装備を搭載する必要がある。
試験専用の三三型改とは、要求される重量配分も違っていた。
「お前なら、どうする?」
しばらく資料を眺めた後、顧問が尋ねた。
新主任は、少し困った顔をした。
以前にも何度となく聞かれた言葉だった。
自分で考えろ。
なぜそうするのか説明しろ。
何を優先し、何を諦めるのか決めろ。
その繰り返しの末に、今の立場へ就いたのである。
「私は、低速側の余裕を確保するべきだと考えています」
「理由は?」
「量産して、部隊で使うからです」
顧問は黙って続きを待った。
「三三型改なら、試験条件を限定できました。ですが五四型は違います。搭乗員が変わりますし、燃料や武装の搭載状態も変わります。毎回、理想的な状態で飛ばせるわけではありません」
新主任は別の資料を広げた。
「音速を越えるだけなら、もっと極端な設計でも構いません。しかし、今回は戦闘機です。離着陸が難しすぎたり、速度を落とした時の操縦性に問題があったりすれば、部隊で使いにくくなります」
「それで?」
「高速性能は、必要な水準を確保できる見込みです。ならば、残った余裕は他の性能に回すべきだと思います」
顧問は小さく頷いた。
「……なら、そうすればいい」
「いいんですか?」
「何が?」
「もっと速度を追え、と言われるかと思っていました」
顧問は少し笑った。
「俺なら、違う答えを出すかもしれんがな」
「……やっぱり」
「だが、それを決めるのはお前だろう?」
新主任は黙った。
顧問は、机の上の図面を指した。
「三三型改は、音速を越えるための飛行機だった。今度は違うんだろう?」
「はい」
「なら、今度の目的に合わせて作ればいい。俺が昔どう考えていたかなんて、最後の判断には関係ない」
それだけ言うと、顧問は資料を机へ戻した。
「もちろん、判断を間違えたら責任は取ってもらうぞ」
「……分かっています」
「なら結構」
顧問は満足そうに笑った。
必要なら相談に乗る。経験から助言もする。
しかし、最後の判断までは奪わない。
新主任にとって、その姿勢はありがたくもあり、少々恐ろしくもあった。
以前なら、最後は主任に判断してもらえばよかった。
だが、今は違う。
既に、自分が主任なのだから。
超音速戦闘機を完成させる。
言葉にすれば単純だが、実際に求められる仕事は、音速突破試験機を完成させることよりも遥かに広かった。
速度、上昇力、運動性、航続力、武装、整備性。
それらを限られた機体の大きさと重量の中に収め、全体として実用に耐えるものにしなければならない。
しかも、それぞれの性能は独立しているわけではなかった。
「……また重量が増えました」
若い技師が報告書を持ってきた。
新主任は受け取り、数字を確かめた。
「何が増えた?」
「操縦系統の補強と、武装関係です。特に機首周辺が……」
説明を聞き、新主任は別の資料を引き寄せた。
重心位置、燃料搭載量、主脚に掛かる荷重、機体各部の構造強度。
重量が増えたという報告は、単に機体が重くなったことだけを意味しない。
どこに、何が、どれだけ増えたのか。それによって機体全体の釣り合いが変わってしまう。
「機関の出力を上げれば、多少は……」
若い技師が言いかけた。
新主任は首を振った。
「それだけで済ませるな」
「……はい?」
「重量が増えたから出力を上げる。出力を上げたら燃料が足りなくなる。燃料を増やしたら、また重量が増える。構造も強くしなきゃならんから、さらに重くなる」
技師は黙った。
「そうやって、何でも大きくすれば解決するわけじゃない」
「……では、削りますか?」
「何を削る?」
「それは……」
「必要な装備まで削ったら、戦闘機にならないだろう」
新主任は資料を机へ置いた。
「だから、考えるんだ」
若い技師は、もう一度数字を見直した。
三三型改では、音速突破という目的のために、機体の一部の性能や装備を割り切ることができた。
しかし五四型では、それが許されない。
速度が速くても、燃料が足りなければ敵機を迎撃できない。
大口径機関砲を積んでも、照準できなければ意味がない。
強力な発動機を積んでも、整備に何日も掛かるようでは部隊の戦力にならない。
そして、どれほど優れた機体でも、量産できなければ国防空軍の主力にはなれなかった。
「……重量配分から、もう一度考え直します」
「頼む」
新主任は頷いた。
「速いだけの飛行機を作っているわけじゃないからな」
その言葉は、五四型の設計室で何度も繰り返されることになった。
機体の設計が進む一方で、別の場所でも新しい兵器の開発が続いていた。
航空機関砲である。
震電には、戦時中から続く特徴があった。
機首へ大口径機関砲を集中するという設計思想。
試製震電の30mm機関砲四門という武装は、大型爆撃機の迎撃を念頭に置いたものだった。
強力な砲弾を目標へ叩き込み、短時間で致命的な損傷を与える。
その考え方は、戦後になっても価値を失っていなかった。
しかし、航空機の速度が上がれば、射撃の条件も変わる。
互いに高速で接近する戦闘機同士では、照準を合わせられる時間が短くなる。一発の威力が高くても、肝心な時に十分な弾数を送り込めなければ、その威力を活かせない。
そこで求められたのが、発射速度と信頼性の向上だった。
開発の基礎になったのは、戦時中に実用化された五式30mm機関砲である。
旧海軍時代に蓄積された大口径航空機関砲の設計・製造技術は、戦後も完全には失われなかった。
砲身、閉鎖機、弾薬、給弾装置。
それらの技術的な蓄積を土台として、さらに外国から得た新しい知見を取り込んでいく。
その中でも大きな影響を与えたのが、戦後に入手したドイツのMG/MK213系に関する技術資料だった。
「……回るのは砲身じゃないんですね」
試験設備の前で、若い技師が呟いた。
「そうだ。回るのは薬室の方だ」
年長の技師が、機構を示しながら説明した。
複数の薬室を回転させ、一門の砲身に対して順番に作動させる。
弾薬の装填、発射、排莢という一連の動作を、複数の薬室に分担させることで、高い発射速度を実現する機構だった。
「なるほど……」
「もっとも、仕組みが分かれば簡単に作れる、というものでもないがな」
「ですよね」
若い技師は苦笑した。
実際、開発は決して順調なことばかりではなかった。
給弾不良、薬室の作動不良、部品の摩耗、連続射撃時の発熱。
さらに、高い発射速度を実現できても、それに伴って寿命や整備性が悪化しては意味がなかった。
図面の上で動く機構と、何度も発射試験を繰り返してなお正常に作動する機関砲は、別物である。
「……また止まりました」
試験設備から戻ってきた技師が、少し疲れた顔で報告した。
「今度は?」
「給弾です。高速作動時に、どうも追いつかないようで」
「前回の修正部分か?」
「おそらく」
年長の技師は、試験記録へ目を落とした。
「……分かった。原因を調べよう」
「また分解ですか」
「それ以外に何がある?」
「……ですよね」
若い技師は、諦めたように笑った。
だが、誰も開発そのものを諦めようとはしなかった。
戦時中の日本が完成させた五式30mm機関砲。
戦争に敗れ、海の向こうから入ってきたドイツの新しい機構。
そして、戦後の日本で発展した材料技術や精密加工技術。
それらを組み合わせ、自分たちの兵器として成立させる。
単に外国製の機関砲を模倣するのではない。
日本側に残った技術を活かしながら、新しい機構を理解し、実用に耐えるものへ仕上げるのである。
やがて、その研究は二つの口径へ分かれていった。
20mm。
そして、30mm。
20mm型は比較的軽量で、高い発射速度を重視したもの。
30mm型は一発の威力を確保しながら、従来より優れた発射速度と作動信頼性を実現しようとするものだった。
そして、震電五四型が採用することになったのは、後者だった。
「……それで、何門積むんでしたっけ?」
若い技師が尋ねた。
「五四型か?」
「はい」
「三十ミリを四門だ」
若者は少し黙った。
「……四門」
「ああ」
「やっぱり、そこは譲らないんですね」
年長の技師は笑った。
「震電だからな」
「いや、それ理由になってます?」
「半分くらいはな」
もちろん、実際の理由はそれだけではない。
必要な迎撃火力、搭載重量、機首周辺の容積、発射反動、弾薬搭載量など、様々な条件を検討した上での判断だった。
それでも、震電の設計者たちが30mm四門という数字に特別な意味を感じていたことは、否定できなかった。
かつての試製震電も、30mm機関砲四門を搭載していた。
その思想を、まったく新しい機構で実現する。
技術者たちにとって、それは単なる武装の更新以上の意味を持つ仕事だった。
「……収めるだけなら、できます」
武装関係の技師が、難しい顔で言った。
新主任は、その言葉を聞いて眉を上げた。
「その言い方は嫌だな」
「問題は、整備性です」
机の上には、五四型の機首内部を示した図面が広げられていた。
新型の30mm回転薬室式機関砲を四門。さらに給弾装置、弾薬、照準関係の機器を、限られた空間へ収めなければならない。
当然、搭載すれば終わりというわけにはいかなかった。
「機関砲そのものは、かなり完成度が上がっています。ただ、今の配置では取り外しに手間が掛かります」
「どのくらい?」
「故障の内容によっては、機首周辺を相当分解する必要があります」
新主任は顔をしかめた。
「……それは困るな」
「ですよね」
「砲の配置を変える余地は?」
「多少はあります。ただ、給弾経路と機体構造にも影響が出ます」
「なら、機体側も見直そう」
武装関係の技師は、一瞬だけ黙った。
「……本当に、そこまでやります?」
「どういう意味だ?」
「いや、機関砲自体は十分な性能を持っているんです。整備を簡単にするために、機体側へここまで手を入れる必要があるのかと……」
新主任は少し考えた。
「故障した時、どうする?」
「取り外して修理することになります」
「部隊で、すぐにできるか?」
「今の案では……難しいですね」
「それじゃ駄目だ」
新主任は図面を指した。
「飛行機は、飛ぶためにある。兵器は、必要な時に使える状態でなきゃ意味がない。せっかく高性能な機関砲を作っても、故障のたびに長時間飛べなくなるなら、戦闘機としては困るだろう」
技師は頷いた。
「……分かりました。武装架の構造も含めて、整備側と相談します」
「頼む」
技師が部屋を出ていくと、新主任は小さく息を吐いた。
その判断によって、また機体の設計を変更しなければならない。
重量配分にも影響するだろう。生産工程にも、新しい検討事項が生まれるかもしれない。
だが、それでよかった。
設計室の都合だけで、航空機は完成しない。
工場で作り、整備員が手入れをし、搭乗員が操縦する。
それらすべてを考えた上で、一つの兵器として成立させなければならなかった。
かつての設計主任が、何度も繰り返してきたことだった。
今は、それを自分が行っている。
そして、その積み重ねは少しずつ形になっていった。
1956年。
新しい国産航空機関砲は、正式に制式名称を与えられた。
56式20mm回転薬室式機関砲。
そして、56式30mm回転薬室式機関砲。
五式30mm機関砲から受け継いだ国内の技術と、戦後に取り入れた外国の技術。
その両方を、自分たちの手で一つの兵器にまとめ上げた成果だった。
1956年。
試験飛行場の格納庫から、一機の航空機が引き出されていた。
震電五四型、J7W5。
初めて実機を見る者なら、少々驚いたかもしれない。
そこには、戦時中の震電から連想される、独特の太い胴体とプロペラを備えた機体の姿はなかった。
かつて後部に置かれていた推進式プロペラは、三三型の段階で既に姿を消している。
そして五四型では、機体全体が超音速飛行を前提とする新しい構成へと作り直されていた。
薄く後退した主翼。
高速飛行に適した胴体。
再設計された吸気系統。
もはや、旧震電の機体へジェットエンジンを積んだような姿ではない。
最初から、超音速戦闘機として生まれた機体だった。
それでも、震電だと分かる者には分かる。
前方に配置された先尾翼。
特徴的な機体全体の構成。
そして、機首へ集中された強力な武装。
以前の輪郭をそのまま残してはいないが、確かに震電としての特徴を受け継いでいた。
「……思ったより、震電ですね」
若い技師が呟いた。
新主任が振り返る。
「どういう意味だ?」
「図面で見ていた時は、もっと違う飛行機になると思っていたんですよ」
「違う飛行機だよ」
「……そうなんですか?」
「三三型とはな」
新主任は機体を見上げた。
「でも、震電だ」
若い技師は少し笑った。
「何だか、ややこしいですね」
「そうだな」
新主任も笑ったが、すぐに表情を引き締めた。
飛行前の確認が始まっていた。
整備員が機体各部を点検し、地上員が試験設備の状態を確認する。
搭乗員は飛行計画を読み直し、技術者たちは最後の確認事項をすり合わせていた。
やがて、搭乗員が操縦席へ収まった。
キャノピーが閉じられる。
発動機の始動。
低く響いていた音が次第に高まり、機体の周囲に熱気が広がっていく。
新主任は、その様子をじっと見つめていた。
少し離れた場所には、設計顧問もいる。
だが、彼は何も言わなかった。
この機体の開発を率いたのは、自分ではない。
若い主任と、その下で働く技術者たちだった。
自分は助言をした。判断を求められれば、考えも伝えた。
しかし、最後に決めたのは彼らである。
だからこそ、今は黙って見守っていた。
五四型が動き始めた。
誘導に従って滑走路へ入り、離陸位置に着く。
発動機の出力が上がった。
機体が滑走を開始する。
速度が増し、滑走路を流れる景色が次第に速くなる。
やがて前輪が浮き、続いて主脚が地面を離れた。
五四型は、そのまま滑らかに上昇していった。
新主任は、小さく息を吐いた。
「……飛んだ」
隣にいた若い技師が笑った。
「当たり前じゃないですか」
「そうだな」
「三三型改まで作ったんですよ?」
「ああ」
新主任も笑った。
「でも、やっぱり嬉しいものだな」
少し離れた場所で、設計顧問も空を見上げていた。
その気持ちは、彼にもよく分かった。
何度経験しても、自分たちが作った飛行機が初めて空へ上がる瞬間だけは、特別だった。
五四型の飛行試験は、慎重に進められた。
最初から最高速度を目指すわけではない。
離陸、上昇、巡航、旋回、降下、着陸。
まずは通常の飛行領域で、設計どおりに機体が振る舞うかを確かめていく。
三三型改が音速突破という一つの目的に向かって試験を重ねたのに対し、五四型では確認するべき項目が遥かに多かった。
特定の速度域で優れた性能を発揮するだけでは足りない。
低速での操縦性。
着陸進入時の安定性。
高度や速度によって変化する操縦感覚。
さらに、燃料や武装の搭載状態による飛行特性の変化も考慮しなければならなかった。
試験搭乗員は、飛行のたびに報告書を提出した。
技術者たちは、その内容を読み、計測されたデータと照合する。
時には、設計段階では予想していなかった問題も見つかった。
「……ここ、少し気になりますね」
ある日の試験後、搭乗員が報告した。
「どこです?」
「速度を落とした時の応答だ。危険というほどじゃないが、少し癖がある」
技師が資料へ目を落とした。
「……この辺りですか」
「そうだな。高速側では問題ないんだが」
新主任も、その会話に加わった。
「修正できるか?」
「操縦系統の調整で、ある程度は改善できると思います。ただ、機体側の特性も関係しているので……」
「なら、両方確認しよう」
そうして、修正案が作られていく。
一度の試験で全てが分かるわけではない。
問題を見つけ、原因を調べ、設計を直し、再び飛ばす。
それを繰り返すことで、五四型は少しずつ完成度を高めていった。
そして、基本的な飛行特性の確認が進むと、試験は次の段階へ移った。
超音速飛行である。
三三型改が残した試験資料は、既に設計へ取り込まれていた。
遷音速域での空力特性。
衝撃波の発生。
吸気系統の作動。
高速飛行に伴う操縦性や構造上の問題。
それらを研究し、五四型は最初から超音速飛行を前提として設計されている。
とはいえ、実際に飛ばさなければ分からないことも多い。
試験は段階的に進められた。
速度を上げ、各部の状態を確認する。
問題がなければ、さらに速度を上げる。
そして、ある日の試験飛行。
五四型は、予定された超音速域へ到達した。
マッハ1.3級。
かつて三三型改が切り開いた音速の向こう側へ、五四型も入っていったのである。
だが、重要なのは、その数字だけではなかった。
三三型改は、音速を越えるために作られた機体だった。
五四型は、超音速で飛ぶことを前提として作られた戦闘機である。
その違いは、試験を重ねるほど明確になっていった。
ある飛行試験の後。
帰還した搭乗員が、技師たちへ報告していた。
「……速いな」
「それは、そうでしょう」
若い技師が笑った。
搭乗員は首を振った。
「いや、そういう意味じゃない」
「……はい?」
「三三型改も速かった。あれはあれで凄い飛行機だったよ。ただ、あいつは試験機だったからな」
搭乗員は、格納庫に収められた五四型を振り返った。
「こいつは、戦闘機として飛べる」
若い技師は少し考えた。
「……扱いやすい、ということですか?」
「そうだな。少なくとも、超音速で飛ぶためだけに、他の何もかもを犠牲にしている感じじゃない」
もちろん、全てが理想的というわけではなかった。
高速飛行に伴う制約は存在するし、速度域によって操縦感覚も変化する。
しかし、五四型は試験機ではない。
通常の搭乗員が訓練を受け、決められた手順に従って運用する。
そのことを前提にした機体だった。
「……良かった」
若い技師が呟いた。
搭乗員は笑った。
「これからだぞ」
「……ですよね」
「速く飛べることは分かった。次は、ちゃんと戦闘機として使えるかどうかだ」
若者は頷いた。
試験は、まだ終わっていなかった。
56式30mm回転薬室式機関砲。
四門。
震電五四型の機首には、新しい大口径機関砲が集中して搭載されていた。
戦時中の試製震電と同じ30mm四門という構成。
だが、その中身は大きく異なっている。
新型機関砲は、回転薬室式の採用によって従来より高い発射速度を実現し、給弾や作動の信頼性も向上していた。
ただし、機関砲そのものが完成しても、航空機の武装として完成したことにはならない。
実際に飛行中に発射し、問題なく作動するかを確かめなければならなかった。
「……いよいよですね」
武装関係の技師が呟いた。
隣にいた年長の技師が頷く。
「ああ。ようやくだ」
試験設備の前で何度も作動不良を起こし、そのたびに分解と修正を繰り返してきた機関砲だった。
今では、制式名称まで与えられている。
だが、技術者たちにとって、本当の意味での評価はこれからだった。
試験飛行が始まった。
所定の高度と速度へ到達した五四型が、射撃試験に入る。
照準を合わせ、発射。
機首から、30mm機関砲の砲声が響いた。
短い射撃の後、搭乗員は機体の状態を確認する。
発射時の振動。
操縦性への影響。
照準のずれ。
機関砲の作動状態。
必要な情報を記録し、試験を続けていく。
地上でも、計測された資料の確認が進められていた。
「……どうです?」
若い技師が、記録を確認している担当者へ声を掛けた。
「今のところ、悪くない」
「四門とも?」
「ああ。作動は正常だ」
若者は、ほっと息を吐いた。
だが、試験が終わったわけではない。
一度正常に作動したからといって、あらゆる条件で正常に作動する保証はなかった。
速度や高度、機体姿勢が変われば、機関砲を取り巻く条件も変わる。
さらに、射撃後には機体へ戻って詳細な点検を行う必要がある。
武装試験は、その後も続けられた。
そして、飛行中の作動や機体への影響が確認されるにつれ、ようやく新しい機関砲の実用性が明らかになっていった。
ある試験の後。
搭乗員が報告書を書いていると、武装関係の技師が声を掛けた。
「……どうでした?」
「何が?」
「三十ミリ四門です」
搭乗員は少し考えた。
「……凄いな」
技師の顔が明るくなった。
「ですよね!」
「ただし」
「……はい?」
「火力が強ければ、それだけで命中するわけじゃない。高速で飛ぶ相手を捉えて、短い射撃機会に必要な弾数を叩き込む。結局は、そこだ」
技師は頷いた。
「……なるほど」
「それに、弾薬だって無限に積めるわけじゃない。無駄撃ちはできんよ」
搭乗員は笑った。
「でも、必要な瞬間にこれだけの火力を使えるのは大きい。良い武装だと思うぞ」
その言葉に、若い技師も笑った。
新しい機関砲の開発に携わってきた者にとって、それは何より嬉しい評価だった。
そして、機首へ集中された30mm四門という武装は、震電が戦時中から受け継いできた特徴を、まったく新しい技術で実現したものでもあった。
同じ思想を受け継ぎながら、中身を作り替える。
それは、五四型という機体の性格そのものを象徴していた。
五四型の実用化に向けた評価では、当然ながら既存の制式戦闘機との比較も行われた。
その中でも重要な相手となったのが、F-86FJだった。
アメリカから導入され、国内でのライセンス生産も進んでいたF-86。
日本国防空軍のジェット戦闘機戦力を支える、重要な機体である。
F-86には、既に成熟した運用体制があった。
搭乗員教育。
整備体系。
補給部品の供給。
そして、実際に部隊へ配備して運用してきた経験。
どれを取っても、簡単に代替できるものではなかった。
しかし、機体性能そのものを比較すれば、五四型は明らかに新しい段階へ進んでいた。
「……速いですね」
比較評価の後、F-86の搭乗員が呟いた。
隣にいた五四型の試験搭乗員が笑った。
「そりゃ、こっちは音速の先まで行く機体だからな」
「いや、速度だけじゃないですよ」
F-86の搭乗員は、格納庫に並んだ二機を見た。
「上昇力も違う。迎撃機として考えれば、あの差は大きいです」
「そうだな」
「武装も三十ミリ四門ですしね」
「……まあ、そこは震電だからな」
二人は笑った。
しかし、比較評価は単に最高速度や上昇力を並べるだけのものではなかった。
模擬迎撃。
異なる高度からの接近。
速度や飛行条件を変えた状況での評価。
その中で、五四型の持つ性能上の優位性と、実際の運用における制約が確認されていった。
高高度へ急速に進出し、迎撃を行う能力では五四型が明らかに優れていた。
一方で、あらゆる条件の空戦においてF-86を一方的に圧倒できる、という単純な話でもなかった。
機体には、それぞれ得意な領域がある。
搭乗員の練度や、与えられた任務によっても結果は変わる。
何より、速度が速いからといって、必ずしも相手より有利な位置へ回り込めるわけではない。
「……やっぱり、速けりゃいいってもんじゃないですね」
評価を終えたF-86の搭乗員が、苦笑した。
五四型の搭乗員も頷いた。
「そうだな。速さは武器になるが、それだけで勝てるわけじゃない」
「でも、迎撃機としては羨ましいですよ」
「ああ。それは間違いない」
二人は、並んだ機体を見上げた。
F-86は、戦後日本のジェット戦闘機戦力を支えてきた存在だった。
そして五四型は、その先へ進むために作られた機体である。
両者には、明確な世代差があった。
ただし、それはF-86が一夜にして無価値になったことを意味しなかった。
「……全部、五四型に置き換えますか?」
国防空軍の会議室で、若い幕僚が尋ねた。
机の上には、F-86FJと五四型の比較評価資料が並んでいた。
年長の将校は、すぐには答えなかった。
最高速度、上昇力、武装、航続力、運用経費、生産と整備に必要な設備。
新しい戦闘機を導入する際、考えるべきことはいくらでもあった。
「……性能だけなら、そうしたくなる気持ちも分かる」
将校は答えた。
「ですが?」
「飛行機だけ揃えても、部隊はできない」
若い幕僚は頷いた。
「整備員も、補給も、搭乗員も必要だ。F-86は既に、それらを含めた戦力として動いている」
将校は別の資料を指した。
「五四型は高性能だ。だが、新しい機体だからこそ、部隊へ行き渡らせるには時間が掛かる」
「……なるほど」
「それに、どの任務にも五四型が必要というわけじゃない。F-86で十分に対応できる任務もある」
「なら、当面は併用ですか」
「そうなるだろうな」
五四型の登場によって、F-86が直ちに第一線から退くわけではなかった。
F-86は、量的な主力として国防空軍を支え続ける。
その一方で、五四型は高い性能が求められる迎撃任務を中心に、配備が進められていく。
両者は、同じ時代の国防空軍を支える異なる戦力だった。
そして、その共存そのものが、戦後日本の航空戦力に生まれた余裕を示していた。
かつては、飛べる機体を揃えることさえ難しかった。
今では、任務に応じて戦闘機を使い分けることができる。
その差は、決して小さくなかった。
制式化を前に、設計室では最後の確認が続いていた。
新主任は、机に積まれた資料へ目を通していた。
飛行試験の結果。
武装試験の報告。
整備性に関する評価。
生産設備と部品供給に関する資料。
機体が飛ぶことは、既に確かめられている。
求められた性能も、概ね実現できていた。
しかし、それだけで仕事が終わるわけではない。
量産機を作り、部隊へ渡す。
そのためには、工場で安定して生産できることも重要だった。
「……やっぱり、試作機とは違いますね」
若い技師が呟いた。
新主任が顔を上げる。
「何が?」
「量産です。試作機なら、多少手間が掛かっても何とかできますけど……」
「同じことを、何度もやるわけだからな」
「はい」
若者は資料を見た。
「部品の加工方法を変更したいそうです。今のままだと、製造工程が複雑すぎると」
新主任は頷いた。
「それで、性能への影響は?」
「今のところ、大きな問題はない見込みです」
「なら、詳しく詰めよう」
若者は少し驚いた顔をした。
「……いいんですか?」
「何が?」
「せっかく設計した部分を、製造側の都合で変更することになりますけど」
新主任は少し笑った。
「製造できなきゃ意味がないだろう?」
「……それは、そうですけど」
「図面に描けたから完成じゃない。工場で作れて、部隊で使えて、初めて意味がある」
若者は頷いた。
その考え方も、戦後の開発を通じて受け継がれてきたものだった。
設計室だけで航空機は完成しない。
工場があり、整備員があり、搭乗員がいる。
彼らの意見を聞き、問題を解決していくことで、ようやく実用機になる。
新主任は、資料を机へ戻した。
「……もう少しだな」
若者が顔を上げる。
「はい?」
「制式化までだよ」
「……そうですね」
二人は、しばらく黙って資料を眺めていた。
ここまで来るのに、どれほど多くの人間が関わっただろうか。
戦時中の試製震電を作った者たち。
敗戦後、未完成だった機体を再び飛ばした者たち。
二二型でレシプロ機としての可能性を追った者たち。
三三型でジェット化を成し遂げた者たち。
そして、三三型改で音速の壁を越えた者たち。
そのすべてが、五四型へ繋がっている。
しかし、今度の機体を作ったのは、彼らだけではなかった。
五四型には、五四型を作った技術者たちの判断がある。
古いものを受け継いだ上で、新しい答えを出した。
それが、今回の開発だった。
「……どうだ?」
ある日の夕方。
設計顧問が、新主任の机へやってきた。
「もう少しです」
新主任は答えた。
「試験の結果も揃いましたし、生産側との調整も進んでいます」
「そうか」
顧問は、机の上に置かれた図面へ目を向けた。
震電五四型。
かつて自分が設計した試製震電とは、もう随分違う。
機体の形も、発動機も、飛行性能も。
何より、設計を進めてきた人間が違う。
自分は必要な時に相談に乗った。
技術的な問題について助言もした。
だが、この機体を最初から最後まで、自分の判断でまとめたわけではない。
新主任と、その下で働く技術者たちが作った機体だった。
「……良い飛行機になりそうだな」
顧問が呟いた。
新主任は、少し意外そうな顔をした。
「珍しいですね」
「何が?」
「顧問が、そんなに素直に褒めるなんて」
顧問は笑った。
「今まで俺が、何も褒めなかったみたいな言い方だな」
「……褒める前に、必ず何か指摘されましたから」
「それは、指摘するところがあったからだろう」
「まあ、そうなんですけど」
二人は笑った。
少しして、新主任が尋ねた。
「……顧問から見て、本当に震電に見えますか?」
顧問は図面を見た。
その問いには、以前にも答えたことがあった。
だが、今度は少し違う。
当時は、まだ図面の上の話だった。
今では実際に機体が完成し、空を飛び、音速の向こう側で性能を示している。
「見えるさ」
顧問は答えた。
「……そうですか」
「ああ」
顧問は図面を軽く叩いた。
「ただし、俺が作った震電じゃない」
新主任が顔を上げた。
「……はい?」
「お前たちが作った震電だ」
新主任は、しばらく黙った。
顧問は続けた。
「だから、俺の震電と同じ姿である必要はない。俺と同じ答えを出す必要もない」
「……はい」
「それでも、ちゃんと受け継いでいるものがある。だから震電なんだろう」
新主任は、机の上の図面を見た。
自分たちが作った震電。
その言葉を、今まであまり意識したことはなかった。
これまでは、どこかで以前の主任が作った機体の続きを設計しているつもりでいた。
だが、今は違う。
設計上の判断を下したのは、自分だった。
技術者たちの意見をまとめ、採用するものと見送るものを決めたのも、自分だった。
その結果として、五四型は完成に近づいている。
「……責任、重いですね」
新主任が呟いた。
顧問は笑った。
「今さらか?」
「……今さらです」
「なら、慣れることだな」
新主任は苦笑した。
「簡単に言いますね」
「簡単じゃないから、お前に任せたんだ」
顧問はそう答えると、机から離れた。
「……顧問」
呼び止められ、振り返る。
「ありがとうございました」
顧問は、一瞬だけ黙った。
それから、少し笑った。
「礼を言うのは、まだ早いだろう」
「……そうですね」
「ちゃんと完成させてからにしろ」
そう言い残し、部屋を出ていった。
新主任は、その背中を見送った。
そして、再び図面へ向き直った。
残された仕事は、まだあった。
1956年。
J7W5 震電五四型、制式化。
日本国防空軍に、新たな超音速戦闘機が誕生した。
最高速度は、マッハ1.3級。
J7W4で得られた音速突破試験の成果を取り込み、最初から超音速飛行を前提として設計された実用戦闘機だった。
固定武装は、56式30mm回転薬室式機関砲四門。
戦時中から続く機首集中武装の思想を受け継ぎながら、発射速度や信頼性、搭載構造を戦後の技術で作り直している。
そして、その外観は従来の震電とは大きく異なっていた。
三三型までの震電は、ジェット化してもなお、戦時中の試製震電の輪郭を色濃く残していた。
三三型改では、その形に新しい変化が現れた。
そして五四型では、もはや旧震電の機体へ新しい推進装置を積み込んだような印象は薄くなっていた。
そこにあるのは、最初から超音速飛行を前提に設計された戦闘機だった。
それでも、震電だった。
先尾翼。
機首集中武装。
そして、戦時中の試製震電から続く設計思想と技術者たちの経験。
同じ形を残すことではなく、受け継いだものを使って次の機体を作ること。
その意味で、五四型はまぎれもなく震電の後継だった。
かつての試製震電から続く輪郭を第一の姿とするなら、五四型は第二の姿を手に入れた震電だったのである。
もちろん、これはあくまでも外観上の世代交代を指す話だった。
ジェット戦闘機一般の技術世代区分とは、別の意味である。
しかし、五四型が持つ意味は、外観の変化だけに留まらなかった。
三三型改の試験成果を、実際に運用できる制式戦闘機へ作り替えたこと。
外国の技術を学び、国内の研究を重ね、設計・製造・試験・整備の能力を組み合わせて、一つの機体として完成させたこと。
そして何より、その仕事を新しい世代が中心となって成し遂げたことだった。
以前の設計主任が、すべてを決める必要はなくなった。
彼は設計顧問として残り、必要な時には知識と経験を伝える。
しかし、実際に図面を描き、設計をまとめ、完成させたのは次の世代だった。
それこそが、五四型という機体の持つ、もう一つの意味だった。
制式化後。
五四型の実機を前に、新主任はしばらく立ち尽くしていた。
量産に向けた準備が進み、部隊へ渡すための手続きも動き始めている。
もはや、試験機として一機を飛ばせばよい段階ではない。
これからは、同じ性能を備えた機体を安定して作り、部隊へ配備し、継続して運用できることが求められる。
それは、また別の仕事だった。
「……完成しましたね」
隣にいた若い技師が呟いた。
「ああ」
新主任は答えた。
「完成した」
二人は、しばらく五四型を見上げていた。
三三型までの震電とは、随分違う姿だった。
だが、こうして眺めていると、不思議と違和感はなかった。
「……何だか、やっと自分たちの飛行機になった気がします」
若い技師が言った。
新主任は少し考えた。
「……そうだな」
その言葉には、実感があった。
以前は、戦時中の設計を完成させることが一つの目標だった。
未完成で終わったものを、今度こそ実用機にする。
一一型も、二二型も、そして三三型も、その延長線上にいた。
三三型改では、初めてその枠を大きく越えようとした。
しかし、あれはあくまでも試験機だった。
そして今。
五四型は、最初から新しい時代の戦闘機として設計された。
音速の向こう側で飛び、必要な時には敵を迎撃し、任務を終えれば帰還する。
そんな機体として、完成したのである。
「……主任」
若い技師が声を掛けた。
「何だ?」
「次は、どうするんです?」
新主任は、少し笑った。
「どうするって?」
「五四型の次ですよ」
「……もう次の話か」
「だって、これで終わりじゃないでしょう?」
新主任は五四型を見上げた。
確かに、その通りだった。
五四型が完成したからといって、航空技術の進歩が止まるわけではない。
世界でも、新しいジェット戦闘機の開発は続いている。
さらに高性能な発動機。
より優れた飛行性能。
新しい兵装。
五四型で実現できたことも、いずれは当たり前になるだろう。
今は優れている性能も、いつかは十分ではなくなるかもしれない。
だからこそ、次を考える必要がある。
「……そうだな」
新主任は答えた。
「まだ、やることはある」
「やっぱり」
若い技師が笑った。
新主任も笑った。
少し離れた場所では、設計顧問が二人の様子を眺めていた。
声は掛けなかった。
今は、そうする必要がなかったからだ。
彼らは既に、自分たちで次を考え始めている。
かつて、400ノットを目指していた震電。
その機体は戦後に蘇り、改良を重ね、ジェット化され、遂には音速の壁を越えた。
そして今、後を受け取った世代の手によって、まったく新しい姿の制式戦闘機へ生まれ変わった。
もちろん、これで完成というわけではない。
五四型は、一つの到達点であると同時に、新しい出発点でもあった。
そして、その先へ進むために必要なものは、もう残されていた。
図面、技術、経験。
それらを受け取った人間たち。
そして、自分たちの手で次の答えを作り出す力。
1956年。
震電は、新しい姿を手に入れた。
だが、本当に新しくなったのは、機体の形だけではなかった。
続く
あ と が き
初めての実用国産超音速ジェット戦闘機。
次回 新たな家族は大口径