自我持つ兵器の英雄譚“Prequel” 1945 to 2000 作:Nyappy-
日本色に染め上げる。
1950年代後半
日本近海の、とある海域。
海面の下を、一隻の潜水艦が航行していた。
水上からは、その姿を見ることができない。海面には、船体が通過したことを示すものすら、ほとんど残されていなかった。
艦内では、乗員たちがそれぞれの持ち場についている。
艦橋の代わりに指揮の中心となる発令所では、艦長が報告を受けていた。
「深度、異常なし」
「針路、保持」
「機関、正常」
艦は、低速で航行を続けていた。
電動機が回り、推進器が水を押す。その音と振動は、船体を通じてわずかに伝わってくる。
だが、乗員たちは必要以上の音を立てないよう注意していた。
「……目標らしい音を探知」
ソナー員から報告が入った。
発令所の空気が、わずかに変わる。
「方位は?」
「確認中です。まだ断定できません」
艦長は頷いた。
「引き続き聴取。こちらの速力は維持する」
敵を探す。
それは、潜水艦にとって欠かせない仕事だった。
だが、海中では水上艦のように周囲を見渡すことができない。潜望鏡を使えば海面の様子を確かめられるが、そのためには深度を調整する必要があり、潜望鏡自体を発見される危険もある。
レーダーも、海中に潜ったまま自由に使えるわけではない。
水中で頼りになるのは、ソナーだった。
そして、相手を見つけようとすることと、自分が見つからないようにすることは、必ずしも両立しない。
積極的に音波を発すれば、目標までの距離を測りやすくなる場合がある。
しかし、その音は、こちらの存在を知らせることにも繋がる。
一方、相手が発する音を受け取るだけなら、自分から探知音を出す必要はない。ただし、それだけで目標の距離や正確な位置が分かるわけではなかった。
どちらにも、長所と短所がある。
潜水艦は、その間で判断を続けなければならなかった。
「……目標、識別を継続します」
「了解」
艦長は短く答えた。
この日は演習だった。
目標も、味方が用意した訓練相手である。
それでも、乗員たちは真剣だった。
自分たちが先に相手を見つけられるか。
発見した目標を追跡できるか。
そして、相手に気付かれないまま、有利な位置へ移動できるか。
それらを試すための演習だった。
しばらくして、ソナー員から新しい報告が入った。
艦長は、その情報を航海担当者へ伝える。
海図上では、目標の推定位置が少しずつ更新されていった。
「……これが、今の潜水艦なんですね」
発令所の隅で、初めて本格的な演習に参加した若い士官が呟いた。
隣にいた先任士官が、小さく笑った。
「昔の潜水艦と、そんなに違うか?」
「……想像していたより、ずっと静かです」
「静かにしなきゃならんからな」
先任士官は、周囲へ目を向けた。
「潜っているだけで安全なわけじゃない。見つかれば、向こうもこっちを探してくる」
若者は頷いた。
この艦は、伊-210型。
アメリカから供与されたガトー級潜水艦を、日本国防海軍の要求に合わせて大改修した艦だった。
元を辿れば、第二次世界大戦で日本の商船や軍艦を脅かした潜水艦である。
その船体に、今は日本国防海軍の乗員が乗っている。
しかも、兵装や内部設備に至るまで、当初の姿から大きく改められていた。
もはや、単なる供与潜水艦ではない。
戦後日本が、自分たちの潜水艦を作るために積み重ねてきた技術。
その成果が、一隻の艦として形になっていた。
だが、ここに至るまでには、長い道のりがあった。
話は、国防海軍創設の頃まで遡る。
1948年
日本国防海軍が創設された頃、旧日本海軍の潜水艦は、既にその多くが姿を消していた。
戦争中に失われた艦。
終戦後に接収された艦。
そして、処分された艦。
日本が再び潜水艦を運用しようとしても、使えるものが簡単に揃うわけではなかった。
それでも、国防海軍は旧軍が残した潜水艦の技術を捨てるつもりはなかった。
潜水艦を建造してきた技術者がいる。
整備に携わってきた者も、艦を動かしてきた乗員もいる。
そして、まだ失われていない船体があった。
伊204、伊205、伊404。
三隻の潜水艦だった。
「……これ、本当に残すんですか?」
国防海軍の創設間もない頃。
ある技術者が、保全対象となった艦艇の一覧を見て尋ねた。
向かい側の年配の技師は頷いた。
「残す」
「……三隻とも?」
「ああ」
若い技師は、資料を見直した。
どれも、すぐに使える状態ではない。
修理や復旧が必要であり、場合によっては大規模な工事も避けられなかった。
「……随分と金が掛かりそうですが」
「掛かるだろうな」
「……新しい潜水艦を作った方が早いんじゃありませんか?」
年配の技師は首を振った。
「新しい潜水艦を作るために、残すんだよ」
若者は顔を上げた。
「……どういうことです?」
「今の我々が、何もないところから新しい潜水艦を設計できると思うか?」
若者は、しばらく考えた。
旧日本海軍には、数多くの潜水艦を建造してきた経験がある。
しかし、その技術は戦時中の要求に基づいて発展してきたものだった。
戦後の潜水艦には更に新しい性能が求められる。
水中速力や長時間潜航能力、静粛性、索敵能力、新しい対潜戦闘の環境へ対応する能力。
あらゆる性能が新しくなくてはならない。
「……戦争中と同じものを作るわけにはいきませんね」
「そうだ」
年配の技師は頷いた。
「だから、今あるものを調べる。どこまで使えるのか確かめる。その上で、外国の技術とも比べる」
「……なるほど」
「三隻とも、役割が違うんだ」
伊204と伊205は、潜高型に属する潜水艦だった。
水中高速を重視し、戦争末期に開発された新しい設計である。
一方、伊404は、かつて航空機の搭載を想定して建造されていた巨大潜水艦だった。
「……伊204は?」
「潜高型を、当初の構想にできる限り近い姿へ完成させる。その上で、実際に動かして性能を調べる」
「伊205は?」
「未完成部分が多いことを利用して、新しい装備を試す」
「……伊404は?」
年配の技師は、少し笑った。
「大きな潜水艦を作るための教材だ」
若者は、もう一度資料を見た。
三隻のいずれも、そのまま量産するために残すわけではない。それぞれ異なる目的を持たせ、次の潜水艦を作るための技術を得る。
そのために、国防海軍は三隻の処分を止め、復旧の道を選んだのである。
1950年代前半。
伊204は、修理と整備を終え、実際の試験航海へ出るようになっていた。
沈んでいた船体を引き揚げ、損傷を調べ、使用可能な部分を残す。機関と電装品を整備し、必要な装備を復旧する。
その作業は、決して簡単ではなかった。
外見上は修理できたように見えても、水中で使う艦である以上、細かな不具合を見逃すわけにはいかない。
どこか一つに問題があれば、重大な事故へ繋がりかねなかった。
「……本当に潜るんですね」
試験当日。
初めて乗り込んだ若い乗員が、少し緊張した様子で呟いた。
隣の先任乗員が笑った。
「そりゃあ、潜水艦だからな」
「そうですけど……元々、沈んでいた艦ですよ?」
「今度は自分で潜って、自分で浮かんでくるんだ」
冗談めかした返事だったが、試験そのものは慎重に行われた。
最初から限界性能を試すわけではない。
水上での航走から始め、機関や操舵装置の作動を確認する。
続いて、潜航設備を点検し、条件を限定した潜航試験を行う。
艦が沈み始めると、若い乗員は思わず周囲を見回した。
「……何か、不思議ですね」
「何がだ?」
「さっきまで海の上にいたのに、今はその下にいるんですよね」
先任乗員は少し笑った。
「そうだな」
潜水艦にとって、潜航すること自体は当たり前の仕事だった。
しかし、初めて経験する者にとっては、その当たり前が不思議なものに感じられる。
水面が見えなくなる。
外の風景も見えない。
船体の周囲には、大量の海水がある。
その中で、機械と人間の操作だけを頼りに航行する。
しかも、伊204は戦後に復旧された艦だった。
乗員たちは、機械の作動を一つずつ確かめながら、慎重に試験を進めていた。
「深度、保持」
「了解」
指定された深度に達すると、艦は水平航行へ移った。
機関担当者から報告が届く。
各種装置は、予定された範囲で作動していた。
しかし、本当の試験はそこからだった。
潜高型の特徴。
水中高速性能を、実際に確認しなければならなかったのである。
伊204の試験では、水中での速力が段階的に引き上げられた。
電動機の出力を増やす。
すると、艦は次第に速度を上げていく。
船体を伝わる振動も変わり、乗員たちは、艦が水の中を速く進んでいることを感じ取った。
「……速いですね」
「潜高型はそういう艦だ」
潜高型は、戦時中の日本が水中高速を目指して開発した潜水艦だった。
水中抵抗を抑えた船体形状。
強力な電動機と、それを動かすための大容量蓄電池。
その組み合わせにより、従来の潜水艦より高い水中速力を目指していた。
だが、高速航行には大きな代償があった。
「……電力消費、増加しています」
機関担当者から報告が入った。
艦長は頷いた。
「予定通りだ。引き続き記録を取れ」
速力を上げれば、電動機はより多くの電力を必要とする。
しかも、水中抵抗は速力が上がるにつれて大きくなる。
高速で航行できるということと、その速度を長時間維持できるということは違った。
試験を終えた後。
技術者たちは、記録を前に議論を続けていた。
「……確かに速いです」
若い技師が言った。
「だが、ずっとその速力で走れるわけじゃない」
年配の技師が答えた。
「はい。高速時の電力消費が、かなり大きいですね」
潜高型は、二十ノットに迫る水中速力を目指した優れた設計だった。
しかし、その最大速力を長時間維持できるわけではない。
高い速力を発揮するほど、蓄電池の残量は急速に減少する。
「……つまり、速く走れることと、長く潜れることは別なんですね」
若い技師が呟いた。
「ああ」
年配の技師は頷いた。
「今の潜水艦に必要なのは、その両方だ」
若者は資料を見直した。
高速航行は、必要な時に使える大きな能力だった。
しかし、常に高速で行動することが最善とは限らない。
高速で走れば、電力を消費する。
推進器や機械の発する音も大きくなりやすい。
その結果、敵に発見される危険も増える。
「……速ければ速いほどいい、というわけじゃないんですね」
「そうだな」
潜高型から学ぶべきことは、単純な最高速力の数字だけではなかった。
どの速力で航行すれば、どれだけ電力を消費するのか。
どこまで静かに走れるのか。
どの条件で高速を使うべきなのか。
そして、その性能を実際の作戦でどう活かすのか。
そうしたことを確かめるために、伊204は試験を重ねていた。
戦争末期に開発された高性能潜水艦。
その技術は、戦後になって初めて、落ち着いた環境で十分な評価を受け始めたのである。
一方、伊205では、少し違う仕事が行われていた。
こちらは、潜高型の基本設計を出発点としながら、戦後の新しい装備を試すための研究艦だった。
未完成だった部分が多かったことは、復旧においては大きな負担となった。
しかし、その反面、最初から新しい装備を組み込む余地を作りやすいという利点もあった。
新しい装備を取り付け、実際に使ってみる。
試験が終われば取り外され、別の装置へ交換されることもあった。
「……また外すんですか?」
整備員が、艦内から運び出される機器を見て尋ねた。
「試験が終わったからな」
技師は当然のように答えた。
「この前、取り付けたばかりですよね?」
「ああ。だから試したんだ」
整備員は、何とも言えない顔になった。
「……せっかく取り付けたのに」
「結果が分かれば、それで仕事は終わりだ。次は別のものを試す」
伊205では、そのような光景が珍しくなかった。
新しい装備が、本当に潜水艦の性能向上へ繋がるのか。
実際に積み込み、航海し、潜航し、使い勝手を確かめる。
結果を持ち帰り、問題点を調べ、改良する。
そして、また試す。
それが伊205の仕事だった。
特に重要な研究対象の一つが、蓄電池である。
潜水艦にとって、電力は単に機械を動かすためのものではない。
水中航行能力そのものを支えるものだった。
「……もっと容量を増やせませんかね」
若い技師が尋ねた。
年配の技師は、少し考えた。
「増やすことはできるだろう。だが、それだけでは済まないぞ」
「……重量ですか?」
「それもある。あとは熱も問題だ」
若者は頷いた。
蓄電池の容量を増やし、強力な電流を取り出せるようにすれば、水中航行性能の向上へ繋がる。
しかし、大きな電流を扱えば、発熱も増える。
また、当時主流だった鉛蓄電池では、充電中に水素などのガスが発生する場合がある。
閉鎖された艦内で、そうしたガスを適切に処理できなければ危険だった。
「……電池を増やすだけでは駄目なんですね」
「そうだな」
年配の技師は、艦内の配置図を指した。
「蓄電池の性能を上げるなら、換気や冷却も考えなければならん。整備するための空間も必要だ」
「……結局、艦全体の設計になるんですね」
「ああ」
潜水艦の性能は、一つの装置だけで決まるものではない。
強力な電動機を積んでも、それを動かす電力が足りなければ意味がない。
大容量の蓄電池を積んでも、発熱や安全性の問題を解決できなければ実用にならない。
そして、どれほど電力を確保しても、潜り続けるにはいずれ充電が必要になる。
その問題に対して、伊205では別の装置も研究されていた。
シュノーケルだった。
ディーゼル潜水艦は、水中では主に蓄電池と電動機を使って航行する。
しかし、蓄電池に蓄えた電力を使い切れば、充電しなければならない。
従来の潜水艦では、そのために浮上してディーゼル機関を運転することが多かった。
だが、敵の航空機や水上艦艇が周辺海域を警戒している場合、浮上は危険を伴う。
そこで、潜望鏡深度付近を航行しながら、海面上へ吸気管を出してディーゼル機関を動かす。
そのための装置がシュノーケルだった。
「……潜ったまま、ディーゼルを動かすんですね」
若い技師が、説明を受けながら呟いた。
「正確には、吸気管を海面へ出す必要があるがな」
年配の技師は答えた。
「……完全に潜ったまま、というわけじゃないんですね」
「ああ。それに、万能でもない」
シュノーケルは、潜水艦の潜航持続力を高める上で重要な装備だった。
しかし、使えば必ず安全になるというものではない。
吸気管が海面へ出ていれば、発見される可能性がある。
波が高ければ、吸気口の弁が閉じる場合もある。
ディーゼル機関を動かせば、その騒音も無視できなかった。
「……それに、機関が空気を吸えなくなったら困りますよね」
「だから、装置だけでなく、運転手順も重要になる」
シュノーケルの試験は、慎重に行われた。
運用上の問題点を確かめながら、潜水艦として安全に使える方法が研究されていった。
「……便利な装置ですけど、結構難しいですね」
若い技師が呟いた。
「当たり前だろう」
年配の技師は、少し笑った。
「海の中で、空気が必要な機関を動かそうとしているんだからな」
若者も笑った。
しかし、笑って済ませられる問題ではなかった。
潜水艦が長く海中へ留まるためには、電力を確保しなければならない。
そのための装置が、かえって潜水艦を危険に晒してしまっては困る。
シュノーケルを使う条件。
機関の運転方法。
充電の効率。
そして、敵に発見される危険との兼ね合い。
そうした問題を、実際の試験によって確かめていく。
伊205で積み重ねられた経験は、やがて戦後の潜水艦に必要な技術として整理されていった。
だが、潜水艦が水中で行動するためには、もう一つ欠かせないものがある。
周囲の状況を知る能力だった。
「……何も見えませんね」
伊205で行われた試験中、若い士官が呟いた。
発令所では、潜航中の艦が静かに航行していた。
「そりゃそうだろう」
先任士官が答えた。
「潜っているんだからな」
「……はい」
若い士官は、少し苦笑した。
だが、その問題は冗談で済むものではなかった。
潜水艦は、水中に潜れば周囲を直接見ることができなくなる。
レーダーも、水中では自由に使えない。
潜望鏡を使うために深度を上げれば、発見される危険が増える。
そして、無線通信も、海中では大きく制限される。
潜水艦は、周囲の情報を得ることと、自分の存在を隠すことの間で、常に判断を迫られていた。
「……水中で無線を自由に使えたら、便利なんですけどね」
若い士官が呟いた。
先任士官は頷いた。
「便利だろうな。だが、今の技術ではそう簡単にはいかん」
通常の無線通信に使われる電波は、海水中を十分に伝わらない。
受信できる情報にも限界がある。
潜水艦が外部と連絡するには、アンテナを海面付近へ出すか、必要に応じて浮上しなければならなかった。
もちろん、潜ったまま受信するための技術も研究されている。
しかし、自由に双方向通信できるわけではない。
「……つまり、潜った後は自分で判断しなければならないことが増えるんですね」
「そうなるな」
潜水艦には、独立した行動能力が必要だった。
事前に与えられた任務を理解し、周囲の状況を調べ、必要に応じて判断する。
そして、できる限り自分の存在を隠しながら行動を続ける。
それが、戦後の潜水艦に求められていた仕事だった。
だが、そのためには優れた索敵能力が必要になる。
そして、伊205では、そのためのソナー装備も研究されていた。
「……音だけで、相手が分かるんですか?」
若い士官が尋ねた。
ソナー員は、少し考えた。
「何の音か、ある程度は分かります」
「……距離も?」
「それは、簡単ではありません」
ソナー員は、機器を指した。
「音が聞こえる方向は分かります。でも、それだけで相手がどこにいるかまで、正確に分かるわけではありません」
若い士官は頷いた。
水中では、音の伝わり方も単純ではない。
水温や海水の密度、深度、海底や海面での反射。
そうした条件によって、音の伝播は変化する。
同じ目標でも、条件が変われば探知しやすさが違ってくる。
「……海の中にも、見えない地形みたいなものがあるんですね」
若い士官が呟いた。
ソナー員は少し笑った。
「そう考えると、分かりやすいかもしれません」
そして、静かに続けた。
「それに、こちらが音を出してしまえば、相手にも聞かれるかもしれません」
若い士官は、発令所の周囲を見回した。
先ほどから、必要以上の物音を立てないようにしている乗員たち。
それは、単なる規律ではなかった。
潜水艦そのものの生存性に関わる仕事だったのである。
伊205では、ソナーの試験に合わせて、艦そのものが発する音についても調査が行われていた。
機関の振動、電動機の作動音、推進器が水を押す音、補機や配管から伝わる音、艦内で人間が出す物音。
「……これ、全部こちらの音なんですか?」
若い技師が、記録を見ながら尋ねた。
年配の技師は頷いた。
「ああ」
「……結構、うるさいですね」
「自分たちで聞けば、そうだな」
若者は、もう一度記録を見た。
艦内で生活していると、機械の音には慣れてしまう。
しかし、水中で音を探す側からすれば、それは重要な手掛かりになり得る。
「……機関の音を小さくすればいいんでしょうか」
「それも必要だ。だが、音の発生源は一つじゃない」
年配の技師は、別の資料を指した。
「機械を取り付ける方法も考えなければならん。船体へ振動が伝われば、そこから音が出る」
「……なるほど」
「推進器も同じだ。速く回せばよいというものではない」
若者は頷いた。
潜水艦が静かに行動するためには、機械そのものだけでなく、それを船体へ取り付ける方法まで考える必要がある。
また、推進器の形状や回転数にも注意しなければならなかった。
速く走れば水中抵抗が増え、騒音も大きくなりやすい。
条件によっては、推進器の周辺で水の圧力が下がり、気泡が発生することもある。
そのような現象は、音の発生源となる。
「……速く走るほど、見つかりやすくなる場合もあるんですね」
「ああ。だから、潜水艦の性能を最高速力だけで決めるわけにはいかん」
伊204で確かめられた水中高速性能。
伊205で研究されている静粛性。
その二つは、必ずしも同じ方向へ進むものではなかった。
しかし、どちらも潜水艦には必要だった。
必要な時には高速で移動できる。
一方、普段はできる限り静かに行動する。
その両方を成立させることが、新しい潜水艦の設計目標となりつつあった。
そして、伊404。
こちらは、伊204や伊205とはまったく異なる性格の艦だった。
戦時中には、航空機の搭載を想定して建造されていた巨大潜水艦。
その大きさは、通常の潜水艦とは比較にならなかった。
しかし、1948年の国防海軍が求めたのは、航空機を搭載するための能力ではない。
巨大な潜水艦を建造し、運用するための技術だった。
処分を免れた伊404は、当初、直ちに復旧されたわけではなかった。
船体には損傷があり、未完成だった部分も残されている。
それを実際に航行できるようにするには、時間も費用も必要だった。
創設直後の国防海軍には、そこまで一度に行う余裕がなかったのである。
しかし、1950年代に入ると状況は少しずつ変わっていった。
技術者が集まり、造船設備が整えられ、復旧に必要な作業も進められるようになった。
やがて、伊404は修理を終え、実際の試験航海へ出るようになった。
「……本当に、動かしたんですね」
岸壁に浮かぶ巨大な船体を前に、若い技師が呟いた。
年配の造船技師は頷いた。
「ああ」
「……随分と金が掛かったでしょう?」
「掛かったな。時間も人手も掛かった」
「そこまでして、何が分かるんです?」
年配の技師は、伊404を見上げた。
「大型潜水艦を作るために、何が必要なのかが分かる」
巨大な潜水艦を設計する。
それは、普通の潜水艦を単純に大きくすることではない。
耐圧船殻の構造。
重量配分。
機関と各種設備の配置。
大型艦特有の操縦特性。
乗員が長期間生活するための空間。
そして、それらを一つの艦として成立させるための設計。
「……今すぐ、こんな潜水艦が必要なんですか?」
若い技師が尋ねた。
「同じものを量産する必要はない」
年配の技師は答えた。
「だが、将来必要になった時に、何も分からないところから始めるのは困るだろう」
若者は頷いた。
伊404は、そのための教材だった。
そして、実際に動かしてみると、机上の計算だけでは分からなかった問題も現れ始めた。
ある日の試験航海。
伊404は、指定された海域で操縦試験を行っていた。
艦内では、乗員たちが深度と針路を確認している。
「……舵の効き方が、随分違いますね」
若い士官が呟いた。
隣の先任士官は頷いた。
「艦が大きいからな」
船体が大きければ、質量も大きくなる。
その分、進路や深度を変える際の挙動も、通常の潜水艦とは違っていた。
操作した瞬間に、思い通りの動きをしてくれるわけではない。
艦の慣性を考えながら、必要な操作を行わなければならなかった。
「……少し早めに考えておかないと、遅れるんですね」
若い士官が言った。
「ああ」
先任士官は頷いた。
「大きな艦は、一度動き始めると、簡単には止まらん」
また、巨大な潜水艦では重量配分の管理も重要だった。
燃料を消費する。
弾薬や物資を移動させる。
海水を取り込み、あるいは排出する。
そうした変化によって、艦の釣り合いは変わる。
「……大型艦の方が余裕がありそうなのに、難しいんですね」
若い士官の呟きに、先任士官は少し笑った。
「余裕があることと、扱いやすいことは別だからな」
伊404は、巨大な内部容積を持っていた。
しかし、その広い空間をどう使うかという問題は、別に存在した。
そして、大型潜水艦として長期間行動するためには、もう一つ考えなければならないことがあった。
乗員の生活である。
潜水艦の艦内は、決して快適な場所ではなかった。
長期間にわたる閉鎖環境での生活、それに伴う食料と清水の保管。
伊404は大型艦であるため、通常の潜水艦より多くの空間を確保できた。
しかし、それだけで長期航海の問題が解決するわけではなかった。
「……広い艦だと思っていましたけど、意外と窮屈ですね」
若い乗員の言葉に、先任乗員は笑った。
「機械を積めば、すぐ狭くなるさ」
実際、潜水艦の内部空間は、乗員のためだけに用意されているわけではない。
機関に兵装、生活用の物資も詰め込む。
それらを限られた船体へ収めなければならなかった。
「……もっと居住区を広くできないんですか?」
若い乗員からの質問に、先任乗員は少し考えた。
「できるかもしれん。だが、その分だけ別のものを減らす必要があるだろうな」
「……そうですよね」
長期間潜航するためには、乗員が生活できる環境も必要だった。
潜水艦が長く潜れるようになったとしても、乗員がその環境に耐えられなければ意味がない。
「……機械の性能だけ上がっても、駄目なんですね」
若い乗員が呟いた。
「ああ」
先任乗員は頷いた。
「人間も、艦の一部だからな」
その言葉には、潜水艦乗りらしい実感があった。
伊404では、長期間の航海を通じて、そうした問題についても研究が進められていた。
大型潜水艦に必要な設備。
乗員の配置と、休息と勤務の交代。
非常時の対処。
そのすべてが、将来の潜水艦へ引き継ぐべき経験だった。
そして、その広大な船体には、もう一つの使い道が見つかっていた。
新しい魚雷を試すことである。
国防海軍では、魚雷の将来について少なからぬ議論が起きていた。
旧日本海軍が実用化していた酸素魚雷には、大きく二つの代表的な系列があった。
水上艦艇用の61cm九三式魚雷。
そして、潜水艦用の53cm級九五式魚雷。
どちらも、当時としては極めて高い性能を持つ兵器だった。
特に九三式は、長大な射程と高速性能、強力な弾頭を備えた、旧日本海軍の水雷技術を象徴する存在である。
一方、九五式も決して劣った魚雷ではない。
九三式に連なる酸素魚雷技術を、潜水艦で使用するために小型化した兵器だった。
むしろ、潜水艦への搭載という条件を考えれば、九五式の方が合理的な部分も多かった。
「……普通に考えれば、五十三糎級でしょう」
技術会議で、若い将校が言った。
「潜水艦へ搭載しやすく、艦内でも取り扱いやすい。海外にも同じ口径の魚雷がありますし、旧海軍だって、そう考えたから九五式を作ったんでしょう?」
周囲の技師たちが頷いた。
潜水艦にとって、内部空間は非常に貴重である。
魚雷を大型化すれば、発射管も大きくなる。予備魚雷の搭載や、艦内での取り回しにも影響が出る。
しかも、潜水艦には魚雷以外にも重要な装備がある。
水中速力、静粛性、潜航持続力、索敵能力、通信設備。それらを高い水準へ持っていかなければならない。
「ですから、今後も五十三糎級を基本にするのが合理的だと思います」
若い将校が結論を述べた。
すると、奥の席から声がした。
「……六十一糎は、どうする?」
旧海軍で魚雷開発に関わっていた、年配の技術者だった。
若い将校が振り返る。
「水上艦艇用として残すことは考えられますが……これからはミサイルもありますし」
「そうだな。だからこそ、惜しいんだ」
年配の技術者は、机の上の資料を指した。
「このままだと、六十一糎の仕事そのものが減っていく」
「……それは、仕方ないのでは?」
「仕方ないで済ませるには、惜しい技術なんだよ」
技術者は、少し笑った。
「それに、六十一糎だぞ」
若い将校は、何とも言えない顔になった。
「……それ、理由になります?」
「なる」
即答だった。
隣に座っていた別の旧海軍出身者まで頷いた。
「まあ、六十一糎がなくなるのは、何となく寂しいな」
若い将校は思わず苦笑した。
旧海軍の水雷屋たちにとって、61cmという口径は特別だった。
大型の酸素魚雷を実用化し、長年改良を続けてきた。その技術が、戦後の水上艦艇から消えていこうとしている。
惜しいと思うのも、無理はなかった。
だが、愛着だけで新しい兵器を採用できるほど、国防海軍の予算には余裕がない。
「……お気持ちは分かります。でも、潜水艦へ積む以上は、それだけの意味が必要です」
若い将校が言った。
「もちろんだ」
年配の技術者は、今度は真面目な表情で答えた。
「だから、昔の九三式をそのまま復活させたいわけじゃない」
その言葉に、若い将校は顔を上げた。
「九三式は優秀な魚雷だった。だが、欠点もあった。それを忘れて残したところで、意味はないだろう」
技術者は、別の資料を広げた。
「例えば、爆発尖だ」
若い将校は、資料へ目を落とした。
「……早爆の問題ですか」
「ああ」
戦争中、九三式魚雷には、目標へ命中する前に爆発してしまうという問題が報告されていた。
いわゆる、早爆である。
どれほど速く、遠くまで走り、強力な弾頭を持っていても、敵艦へ届く前に爆発してしまえば意味がない。
「感度調整の問題があったと聞いています」
若い将校が言った。
年配の技術者は頷いた。
「そうだな。現場で感度を調整できるようにしたことが、かえって問題を招いたという話がある」
命中した魚雷が爆発しなければ、攻撃は失敗する。
それを嫌うのは、当然の心理だった。
しかし、だからといって信管を敏感にすればよいというものではない。
本来なら耐えなければならない航走中の衝撃や振動でも作動してしまえば、目標へ届く前に爆発する。
すると、別の男が口を開いた。
旧海軍の水雷部隊で、実際に艦上勤務を経験した者だった。
「……ただ、その話は少し違うと思うぞ」
年配の技術者が振り返る。
「何がだ?」
「現場が勝手に感度を上げたから早爆した、という話だ」
男は、少し苦い顔をした。
「少なくとも、どの艦でも好き勝手に調整できたわけじゃない。信管は厳重に扱っていたし、調整用の器具だって、何でも揃っていたわけじゃない」
若い将校は、二人を見比べた。
「……つまり、原因は別にあったと?」
「全部が全部、現場の調整のせいだったとは思えん、ということだ」
男は答えた。
「整備や調整に問題がなかったと断言するつもりもない。だが、設計そのものに問題があった可能性だって考えなきゃならんだろう」
年配の技術者は、しばらく黙っていた。
そして、ゆっくりと頷いた。
「……その通りだな」
魚雷の早爆は、単純な問題ではなかった。
信管の感度、機構そのものの信頼性、航走中の衝撃、発射条件、整備状態。原因の候補はいくらでもある。
どこに問題があったのか、当時の事例すべてについて明確な答えが出ていたわけではない。
「……要するに」
若い将校が言った。
「昔の失敗を、現場の使い方だけのせいにしてはいけない、と」
「うむ」
年配の技術者は頷いた。
「設計した側も、使った側も、考えなければならないことがあった」
少し間を置いてから、続ける。
「だから、次に作る魚雷では同じ問題を繰り返したくない」
その言葉には、周囲の誰も異論を挟まなかった。
新しい61cm魚雷を開発するなら、単に口径を残せばよいというものではなかった。
旧日本海軍の酸素魚雷には、高い性能と引き換えに、取り扱いの難しさも存在した。
特に問題となるのが、高圧酸素である。
「……酸素魚雷は性能が高い。だが、扱いが難しい」
年配の技術者が説明した。
「高圧の酸素を扱う以上、油分や異物、漏洩、火災には注意しなければならん」
酸素は、それ自体が燃料というわけではない。
しかし、燃焼を強く助ける性質がある。
そのため、取り扱いを誤れば、通常の圧縮空気を使用する兵器とは異なる危険が生じる。
そして、潜水艦ではその問題がさらに重要になる。
「……艦内に積むんですものね」
若い将校が呟いた。
「ああ」
年配の技術者は頷いた。
「水上艦でも危険だが、潜水艦ならなおさらだ。事故が起きた時、簡単に外へ逃げられるわけじゃない」
若い将校は、資料を見直した。
潜水艦では、乗員と弾薬、機関、各種設備が、限られた船体内へ収められている。
その中で、危険な兵器を安全に取り扱わなければならない。
「……つまり、安全性も作り直すんですね」
「そうだな」
新しい魚雷では、酸素の取り扱い方法を改良し、事故や誘爆の危険をできる限り減らすことが求められた。
信管についても、必要以上に敏感にならず、狙った条件で確実に作動するものへ改める。
そして、航走性能や弾頭威力だけでなく、長期間の保管や艦内での取り扱いまで考えなければならなかった。
「……でも、それなら普通の魚雷でもいいんじゃありませんか?」
若い将校が尋ねた。
年配の技術者は、少し考えた。
「その選択肢もあるだろうな」
「では、やはり六十一糎にこだわる必要は───」
「いや。まだ分からん」
技術者は、別の資料を取り出した。
「六十一糎には、大きいからこその余裕がある」
53cm級より大きな弾頭。
機関部の設計余裕。
そして、将来的には新しい誘導装置やセンサーを組み込むための空間。
それらを活用できる可能性があった。
もちろん、口径が大きければ必ず高性能になるわけではない。
大きな魚雷には、大きな魚雷の欠点もある。
だが、戦後の技術を取り込んで新しく設計するなら、その余裕を利用できるかもしれなかった。
「……誘導装置ですか」
若い将校が呟いた。
「ああ」
当時、各国では誘導魚雷の研究が進められていた。
従来の魚雷は、発射前に設定した条件に従って航走するものが中心だった。
一方、誘導魚雷では、目標の位置や動きに対応しながら航走を修正することができる。
ただし、それを実用化するには多くの問題があった。
目標を探知するための装置。
水中雑音への対処。
誘導機構の信頼性。
そして、限られた魚雷内部へ、それらを収めるための設計。
「……大きければ、その分だけ装置を積みやすい?」
若い将校が尋ねた。
「そういう利点はあるだろうな」
年配の技術者は頷いた。
「ただし、全部を一度に実現できるとは思っていない」
新しい61cm魚雷は、最初から完成された万能兵器として作られるわけではない。
まず、安全に使用できること。
必要な航走性能を持つこと。
そして、潜水艦で実際に運用できること。
それらを確かめた上で、将来の誘導技術や静粛性の改良へ繋げていく。
「……つまり、これも長い開発になるんですね」
若い将校が呟いた。
「そうだろうな」
年配の技術者は、少し笑った。
「だが、やる価値はあると思う」
「……それでも、五十三糎級の方が合理的だと思いますけど」
若い将校が言うと、年配の技術者は頷いた。
「その意見も間違っていない」
意外な返事だった。
「……いいんですか?」
「何がだ?」
「六十一糎を残したいんでしょう?」
「ああ。だが、五十三糎級の利点まで否定するつもりはない」
技術者は、机の上の図面を見た。
「大きな魚雷を積むことで、潜水艦そのものが弱くなっては意味がないだろう」
若い将校は、少し考えた。
そして、頷いた。
「……では、結局は試験ですね」
年配の技術者は笑った。
「ああ。ちょうどいい艦もあるしな」
若い将校は、嫌な予感がした。
「……まさか」
「伊404だ」
その名前を聞いて、会議室の何人かが顔を見合わせた。
巨大な潜水艦。
大型潜水艦の建造と運用を研究するために、引き揚げられ、修理された艦。
しかも、通常の潜水艦より内部空間に余裕がある。
「……確かに、最初に試すには都合が良さそうですけど」
若い将校が呟いた。
「だろう?」
「でも、伊404で使えたからといって、普通の潜水艦に積めるとは限りませんよ?」
「もちろんだ」
年配の技術者は頷いた。
「だから、次は潜高型でも試す」
若い将校は、机の上の資料を見た。
伊204。
そして、伊205。
「……本当に、そこまでやるんですか」
「ああ」
年配の技術者は笑った。
「潜水艦の性能を高めた上で、攻撃力も高める。そのための研究だからな」
若い将校は、思わず苦笑した。
「……欲張りですね」
「欲張りで結構」
その返事は、少し楽しそうだった。
伊404での魚雷試験は、段階的に進められた。
大型潜水艦としての運用研究を続けながら、新しい61cm魚雷の搭載と運用についても確かめる。
魚雷そのものの性能、艦内での取り扱い、発射設備との適合性、実際に潜航しながら兵装を扱う際の問題、それらを一つずつ確認していった。
「……本当に、何でも試すんですね。この艦」
若い乗員が呟いた。
案内していた技術者が笑った。
「そのために直した部分もあるからな」
「……元々は、飛行機を積む潜水艦だったんですよね?」
「ああ」
「それが、今度は魚雷ですか」
「大型潜水艦の研究も続けているぞ」
技術者は、艦内を指した。
「この大きさの潜水艦を実際に動かすこと自体が、今の我々には貴重な経験なんだ」
伊404は、一つの目的だけに使われていたわけではない。
長大な船体の操縦特性、潜航中の挙動、重量配分、長期航海で生じる問題、新しい兵装を搭載した場合の運用、などなどあらゆる項目が研究対象だった。
やがて、61cm魚雷の大型潜水艦への搭載と運用について、一定の見通しが立った。
「……少なくとも、使えそうですね」
若い技師が、試験結果を見ながら呟いた。
年配の技術者は頷いた。
「ああ」
「……でも、伊404は大きいですから」
「そうだな」
「ここで使えても、普通の潜水艦で使えるとは限りません」
年配の技術者は、少し笑った。
「分かっている」
そして、別の資料を取り出した。
「だから、次はこっちだ」
若い技師は、資料へ目を向けた。
伊204、そして伊205。
「……潜高型ですか」
「ああ」
「……そっちにも積むんですね」
「大型潜水艦でしか使えないなら、これからの標準兵装にはしにくいからな」
伊404で得られたデータを、今度は通常規模の潜水艦へ持ち込む。
大口径魚雷の実用化へ向けた研究は、次の段階へ進もうとしていた。
潜高型への61cm魚雷搭載は、当然ながら簡単ではなかった。
伊204と伊205も、当然ながら53cm級魚雷を運用することを前提としていた。
そこへ、より大きな魚雷を積む。
艦内空間の余裕は、伊404ほどない。
「……発射管を減らすしかないでしょうね」
若い技師が、図面を見ながら呟いた。
年配の技術者は頷いた。
「必要なら、そうする」
「でも、発射管が減れば、一度に撃てる魚雷の数も減ります」
「そうだな」
「……それで、本当に強くなるんですか?」
年配の技術者は、少し考えた。
「そこを確かめるんだよ」
単純に考えれば、魚雷発射管は多い方が一度に多くの魚雷を撃てる。
だが、それが潜水艦の攻撃能力を決める唯一の要素ではない。
一発あたりの性能。
目標を発見し、追跡する能力。
発射に必要な準備。
そして、攻撃後に再び行動できるかどうか。
そうしたものを合わせて考えなければならなかった。
「……でも、大きな魚雷を積めば、予備魚雷も減りますよね」
若い技師が言った。
「その可能性はある」
「……それで、長い作戦を続けられるんでしょうか」
年配の技術者は頷いた。
「重要な問題だな」
61cm魚雷は、53cm級より大型である。
その分、取り扱い設備にも余裕が必要だった。
発射管だけ交換すれば終わり、という話ではない。
予備魚雷をどこへ置くか。
どうやって運ぶか。
狭い艦内で、乗員が安全に作業できるか。
そのすべてを考えなければならなかった。
しかも、兵装区画だけが潜水艦ではない。
蓄電池や機関、居住区画、通信設備、ソナーなども必要である。
「……魚雷を大きくするために、他の性能を犠牲にしすぎるわけにはいきませんね」
「潜水艦は、魚雷を載せるためだけの箱じゃないからな」
二隻の潜高型では、61cm魚雷の運用を可能にするための改修と試験が進められた。
発射管数の見直し。
艦内配置の変更。
弾薬の取り扱い設備。
そして、新しい魚雷を運用するための乗員教育。
それらを確かめながら、潜水艦としての性能をできる限り維持する方法が研究されていった。
もちろん、すべてが思い通りに進んだわけではない。
発射管を減らせば、一度の攻撃で発射できる魚雷の数が減る。
大型魚雷の再装填にも相応の時間と労力が必要になる。
そのため、単純に発射管数の減少を速射性だけで補えるわけではなかった。
「……結局、何を優先するかですね」
若い技師が呟いた。
「ああ」
年配の技術者は頷いた。
「だから、実際に使ってみる必要がある」
大口径化そのものが目的ではない。
潜水艦の総合的な攻撃能力を高めることが目的だった。
伊204と伊205での試験は、そのために必要な技術と運用上の問題を明らかにしていったのである。
そして、魚雷の性能だけを調べればよいわけでもなかった。
潜水艦は、敵を見つけなければ攻撃できない。
しかも、攻撃の準備をしている間に相手に見つかってしまえば、反撃を受ける危険がある。
ある日の演習。
伊205は、海中で訓練目標を追跡していた。
ソナー員から、目標の方位が報告される。
発令所では、その情報を記録しながら、目標の動きを推定していた。
「……方位が変わっています」
若い士官が言った。
艦長は頷いた。
「目標の針路が変わったとは限らんぞ」
「……はい?」
「こちらも動いているからな」
若い士官は、海図を見直した。
確かに、潜水艦自身が移動している。
そのため、相手がまっすぐ航行していても、観測される方位は変化する。
「……なるほど」
「だから、一度聞いただけでは分からん」
艦長は、静かに続けた。
「時間を掛けて、相手の動きを確かめるんだ」
潜水艦の攻撃では、目標の位置だけでなく、その動きも重要になる。
相手がどの方向へ、どの程度の速力で進んでいるのか。
それを推定しなければ、魚雷を命中させることは難しい。
もちろん、潜望鏡で確認できれば有利になる場合もある。
しかし、潜望鏡を出すには深度を調整しなければならず、発見される危険もある。
「……思っていたより、ずっと地味ですね」
若い士官が呟いた。
艦長は少し笑った。
「何を想像していた?」
「敵を見つけたら、すぐ魚雷を撃つものかと」
「そんなに簡単なら、苦労せんよ」
若い士官も苦笑した。
実際の潜水艦戦闘では、魚雷を撃つまでの準備が重要だった。
相手を発見する。
目標を識別する。
位置と動きを推定する。
必要な位置へ移動する。
そして、攻撃が成立する条件を整える。
その過程では、何度も判断をやり直す必要があった。
しかも、自分が発する音にも注意しなければならない。
「……これだけ準備して、ようやく撃てるんですね」
若い士官が呟いた。
「ああ」
艦長は頷いた。
「魚雷が強くなっても、当てられなければ意味がないからな」
伊205で積み重ねられた経験は、魚雷の設計にも還元されていった。
必要な射撃諸元と発射前の設定。
魚雷の航走特性。
そして、将来的な誘導能力への要求。
潜水艦の乗員と、魚雷の技術者。
両者が必要としているものは、必ずしも最初から一致していたわけではない。
だが、実際の訓練と試験を重ねることで、少しずつ共通の答えが見えてきた。
新しい魚雷を作るだけでは足りない。
その魚雷を使って、潜水艦が戦えるようにしなければならなかったのである。
やがて、三隻の潜水艦で得られた経験を、より実用的な艦へ移す時が来た。
その対象となったのが、アメリカから供与されたガトー級潜水艦だった。
───ガトー級。
太平洋戦争中、アメリカ海軍が大量に建造した艦隊型潜水艦の一つである。
長大な航続距離と実用的な兵装を備え、太平洋の広い海域で行動することを前提としていた。
日本にとっては、かつて海上交通路を脅かした敵潜水艦だった。
しかし、戦争が終わり、日米の関係が変わった今、その潜水艦を日本が自国の戦力として使うことになっていた。
「……妙な気分ですね」
供与された艦を見上げながら、若い技師が呟いた。
隣にいた年配の技師は、少し考えた。
「何がだ?」
「昔は、こいつを見つけるために苦労していたんでしょう?」
「ああ」
「それが今は、こちらの潜水艦になる」
年配の技師は頷いた。
「そうだな」
太平洋戦争では、ガトー級を含むアメリカの潜水艦が、日本の商船や軍艦へ甚大な損害を与えた。
旧日本海軍にとって、その存在は厄介なものだった。
しかし、今は違う。
かつて敵だった潜水艦を、実際に調べることができる。
乗員が使い、整備員が機械を調べ、技師が図面を確認する。
それは、戦争中には得られなかった機会だった。
「……やっぱり、日本の潜水艦とは違いますね」
若い技師が呟いた。
「ああ」
年配の技師は頷いた。
ガトー級は、広大な太平洋での長距離行動を想定した艦だった。
水上航行能力や航続力を重視し、長期間の作戦に必要な設備を備えている。
一方、潜高型は、水中高速を重視して開発された潜水艦だった。
同じ潜水艦であっても、設計の重点が異なる。
「……どちらが優れているんでしょうか」
若い技師が尋ねた。
年配の技師は、少し考えた。
「一概には言えんな」
「……そうなんですか?」
「ああ。何をさせるかによる」
長距離を航行して、遠方の海域へ進出する。
必要に応じて水中高速を発揮する。
長時間、静かに潜り続ける。
そのすべてを一つの艦で高い水準へまとめるのは難しい。
「……でも、今度はそれを目指すんですよね」
若い技師が言った。
「ああ」
年配の技師は頷いた。
「少なくとも、できるところまではな」
ガトー級の船体を使いながら、潜高型で得られた水中性能の研究成果を取り込む。
伊205で試験した蓄電池やソナー、機関などの技術を活かす。
さらに、伊404で蓄積した大型潜水艦の運用経験も参考にする。
そして、61cm魚雷を搭載する。
それが、新しい改修計画だった。
しかし、ガトー級の改修計画は、すぐに大きな問題へ突き当たった。
「……これ、どこまで改修するつもりなんです?」
若い技師が、図面を見ながら尋ねた。
年配の技師は、少し考えた。
「必要なところまでだな」
「……それ、答えになってませんよ」
若者は苦笑した。
机の上には、改修項目が並んでいた。
兵装設備に機関部、船体外形の一部見直しまで。
どれも、潜水艦の性能へ大きく関わる部分だった。
「……ほとんど新しい潜水艦を作るみたいですね」
若い技師が呟いた。
「そこまでは言わんが、確かに大掛かりな改修にはなるな」
年配の技師は頷いた。
ガトー級は、戦争中に実用化された優れた潜水艦だった。
しかし、設計の中心にあったのは、水上航走による長距離進出と、必要に応じた潜航だった。
一方、戦後の潜水艦には、できる限り長く水中で行動する能力が求められる。
そのためには、船体形状も見直す必要があった。
「……甲板砲は、どうするんです?」
若い技師が尋ねた。
「今後の任務を考えれば、優先度は低いな」
「……撤去ですか?」
「そういう方向になるだろう」
かつての潜水艦では、水上へ浮上して砲を使用することにも意味があった。
しかし、敵の航空機や対潜艦艇が発達した戦後では、浮上して砲戦を行うことの危険が大きくなっている。
甲板砲を撤去すれば、重量と整備負担を減らせる。
さらに、上部構造物を整理することで、水中抵抗の低減にも繋がる。
「……今までの潜水艦らしい姿が、なくなっていきますね」
「ああ。だが、潜水艦なんだから、水の中で使いやすい方がいいだろう」
若者は、少し笑った。
アメリカ海軍でも、戦後の既存潜水艦を近代化するため、蓄電池の強化や船体の整形、シュノーケルの装備などが進められていた。
日本の改修計画も、そうした動向と無関係ではなかった。
ただし、単にアメリカの改修方式をそのまま採用するわけではない。
潜高型から得られた水中高速の知識。
伊205で研究した機関と電装品。
伊404で積み重ねた大型艦の運用経験。
それらを、ガトー級の船体へ合わせて取り込む。
そして、さらに大きな変更が待っていた。
魚雷である。
「……この艦にも六十一糎を?」
改修計画を見た若い技師が尋ねた。
年配の技術者は頷いた。
「そうだ」
「……元は五十三・三糎ですよね?」
「ああ」
「随分、大掛かりな改修になりますよ」
「分かっている」
年配の技術者は、落ち着いて答えた。
「だから、伊404と潜高型で試験してきたんだ」
若者は、しばらく資料を見ていた。
巨大な伊404で、大口径魚雷の搭載と運用を試す。
伊204と伊205で、より小さな潜水艦への搭載を検証する。
その成果を踏まえて、今度は本格的な運用に使う潜水艦へ組み込む。
ようやく、試験の積み重ねが一つの形になろうとしていた。
「……発射管の数は、減らすんですね」
若い技師が尋ねた。
「ああ。無理に元の数を維持するつもりはない」
「……でも、それで大丈夫なんですか?」
年配の技術者は、少し考えた。
「そこは、艦全体の能力で考える必要がある」
ガトー級には、もともと多数の魚雷発射管が備えられていた。
それを61cm級へ変更するなら、艦内の構造や重量配分にも影響が出る。
単純に発射管の口径を広げれば済む話ではない。
発射設備を収める区画。
予備魚雷の搭載場所。
乗員が弾薬を取り扱うための空間。
そして、艦の重量と浮力。
それらを見直さなければならなかった。
「……魚雷を大きくしたせいで、潜水艦としての性能が落ちたら困りますね」
「だから、他の改修と一緒に考える」
新しい蓄電池を搭載する。
機関と電動機を改良する。
船体の水中抵抗を減らす。
ソナーや通信設備を更新する。
その上で、61cm魚雷を運用できるようにする。
そうした大改修によって、供与されたガトー級は、元の艦とはかなり異なる姿へ変わっていった。
当然、重量も増加した。
基準排水量も、元のガトー級から変化している。
「……これ、もうガトー級のままとは言いにくいですね」
若い技師が呟いた。
年配の技術者は笑った。
「元がガトー級であることは変わらんよ」
「……でも、兵装まで変えてしまいました」
「それだけ、我々の要求に合わせたんだ」
若者は頷いた。
そして、国防海軍は、この大改修を受けた基準排水量2100トン級の潜水艦を新たな伊号潜水艦系列として整理することになる。
伊-210型潜水艦。
アメリカ製の船体を基礎としながら、日本国防海軍の運用思想と技術を組み込んだ潜水艦だった。
もっとも、伊-210型を完成させる上で難しかったのは、機械の改修だけではなかった。
乗員の訓練も、大きな問題だった。
ガトー級には、アメリカ海軍が長年積み重ねてきた運用思想がある。
一方、日本国防海軍には、旧日本海軍の潜水艦運用から受け継いだ経験があった。
そして、戦後になって新しく研究された水中高速や静粛性、索敵能力もある。
そのすべてを、同じ艦で使えるようにしなければならなかった。
「……前の手順とは、随分違いますね」
訓練後、若い乗員が呟いた。
先任士官は頷いた。
「そうだな」
「……覚えることが多いです」
「仕方ないさ。艦そのものが変わったんだからな」
若者は、手元の資料を見直した。
改良されたソナー。
新しい通信設備。
シュノーケルの運用。
戦後型61cm魚雷。
そして、それらを使うための新しい手順。
どれも、覚えるだけでは十分ではない。
実際の航海で使い、必要なら素早く判断できなければならなかった。
「……昔の潜水艦乗りの経験は、もう役に立たないんでしょうか」
若い乗員が尋ねた。
先任士官は、少し考えた。
「そんなことはない」
「……本当ですか?」
「ああ。潜水艦を安全に動かすことも、海の中で判断することも、昔から変わらん」
先任士官は、周囲へ目を向けた。
「ただ、使う道具が変わった。それに合わせて、仕事のやり方も変えなければならんということだ」
若者は頷いた。
旧日本海軍の潜水艦乗りたちは、戦争中に多くの経験を積んでいた。
潜航と浮上、航海、艦内の生活、非常時への対処。
そうした経験は、戦後になっても失われるものではなかった。
しかし、それだけで新しい潜水艦を使いこなせるわけでもない。
新しい装備を理解し、戦後の戦術を学び、必要な手順を覚え直す。
そのために、旧海軍出身の乗員たちも、新しい世代とともに訓練を続けていた。
「……大変ですね」
若い乗員が呟いた。
先任士官は、少し笑った。
「大変だぞ」
「……ですよね」
「だが、面白い仕事でもある」
若者は顔を上げた。
先任士官は、艦内の新しい装備を見た。
「昔は、こういう潜水艦を使えるとは思っていなかったからな」
その言葉には、どこか感慨深いものがあった。
かつて、日本は潜水艦の多くを失った。
それが今では、外国から受け取った艦を自分たちで改修し、新しい兵器として使おうとしている。
しかも、その技術は旧日本海軍が残したものとも繋がっていた。
潜高型と伊404。
61cm酸素魚雷。
そして、戦後の新しい装備。
それらが、伊-210型という一つの艦に集まっていた。
伊-210型の試験航海は、慎重に進められた。
まず、改修した機関や電装品の作動を確認する。
続いて、潜航性能と操縦特性を確かめる。
ソナーや通信設備についても、必要な試験が行われた。
もちろん、61cm魚雷の運用も重要な確認項目だった。
しかし、それらを個別に試すだけでは十分ではない。
実際の潜水艦は、複数の装備を同時に使う。
移動しながら周囲を警戒し、必要に応じて通信し、目標を見つければ攻撃の準備をする。
その一連の行動が成立して、初めて潜水艦は戦力になる。
ある日の演習。
伊-210型の一隻が、海中で訓練目標を追跡していた。
「目標音、継続聴取」
ソナー員から報告が入る。
発令所では、目標の推定位置と移動方向が確認されていた。
「針路、微修正」
艦長の命令が伝えられる。
艦は、静かに針路を変えた。
電動機の出力は、必要以上に上げない。
高速で移動する能力はある。
しかし、今はその性能を使うべき場面ではなかった。
「……低速のままなんですね」
若い士官が呟いた。
隣の先任士官は頷いた。
「ああ」
「……もっと速く走れば、早く位置を取れるんじゃありませんか?」
「その分、音が大きくなる」
若い士官は黙った。
伊204で研究された水中高速。
伊205で研究された静粛性。
その両方が、今の艦には必要だった。
だが、両方を常に最大限使えるわけではない。
状況に合わせて、どちらを優先するのか判断しなければならなかった。
やがて、目標の推定位置が更新される。
艦長は報告を確認した。
「……攻撃訓練へ移る」
命令が伝えられた。
兵装担当者たちは、所定の手順に従って準備を進める。
新しい61cm魚雷。
その運用手順は、旧日本海軍の魚雷とも、供与されたガトー級のものとも違っていた。
発射に必要な条件が確認される。
そして、訓練用魚雷が発射された。
魚雷は、海中を目標区域へ向かって航走していく。
艦内では、試験結果を確かめるための記録が取られていた。
この演習は、実戦ではない。
しかし、乗員たちにとっては重要な経験だった。
新しい装備を積んだだけでは、潜水艦は強くならない。
その装備を使いこなせるようになって、初めて能力を発揮できる。
伊-210型は、そのための訓練を積み重ねていた。
試験航海から戻った後。
技師たちが、艦の周囲へ集まっていた。
「……どうでした?」
若い技師が尋ねた。
年配の技師は、試験結果を見ながら答えた。
「悪くない」
「……本当ですか?」
「ああ。まだ改善するところはあるがな」
若者は、少し安心したように息を吐いた。
「……ようやく、ここまで来ましたね」
「そうだな」
年配の技師は、岸壁に浮かぶ伊-210型を見上げた。
元は、アメリカから供与されたガトー級だった。
しかし、そのまま使うのではなく、国防海軍の要求に合わせて大改修を施した。
機関部、船体形状、ソナー、通信設備、61cm魚雷。
そのすべてが、戦後日本の潜水艦研究と結び付いていた。
「……伊204と伊205、それに伊404がなかったら、どうなっていたんでしょうね」
若い技師の呟きに、年配の技師は少し考えた。
「同じ艦を作れたかもしれんが、もっと苦労しただろうな」
「……そうですか」
「ああ。少なくとも、あの三隻で得られた経験は大きかった」
伊204は、潜高型が目指した水中高速性能を実際に確かめた。
伊205は、戦後の蓄電池や機関、ソナー、通信装備を試した。
伊404は、大型潜水艦の建造と運用を研究し、新しい61cm魚雷を試すための場にもなった。
それぞれ異なる仕事を担っていた三隻。
その成果が、伊-210型へ集められていた。
「……何だか、寄せ集めみたいですね」
2人は笑った。
「そうかもしれんな」
旧日本海軍の技術とアメリカの潜水艦技術。
そして、戦後日本が新しく積み重ねた経験。
そのすべてが、伊-210型の中にある。
「……でも、ちゃんと一隻の潜水艦になりました」
若者が言った。
「ああ」
年配の技師は頷いた。
「そこが大事なんだろうな」
外国の技術を取り込むことと、旧軍の技術を受け継ぐこと。
その二つは、必ずしも対立するものではなかった。
必要なものを選び、自分たちで理解し、新しい兵器へ作り替える。
それが、戦後の国防海軍が選んだ道だった。
1950年代後半。
日本国防海軍の潜水艦部隊は、少しずつ新しい姿を整え始めていた。
伊204。
潜高型の性能を実際に確かめ、水中高速潜水艦の可能性を示した艦。
伊205。
戦後の新しい機関や電装品、蓄電池、ソナーなどを試し、次世代の潜水艦へ技術を渡した艦。
伊404。
大型潜水艦の建造と運用を研究し、長期航海や新しい兵装の試験にも使用された艦。
そして、伊-210型。
アメリカから供与されたガトー級を大改修し、戦後日本が求める潜水艦として作り直した艦だった。
その兵装には、61cm魚雷が採用された。
旧日本海軍が水上艦艇用として発展させてきた大口径魚雷。
その口径と技術を受け継ぎながら、戦後の安全性と信頼性、潜水艦での運用を考慮して再設計する。
かつての九三式魚雷を、ただ復活させたわけではない。
必要な改良を施し、潜水艦の新しい攻撃兵器として発展させたのである。
だが、国防海軍が取り戻そうとしていたものは、魚雷だけではなかった。
水中で速く走る能力。
長く潜り続ける能力。
静かに行動する能力。
敵を発見し、追跡する能力。
そして、必要な時に確実に攻撃できる能力。
それらを一つの艦へまとめる。
そのための設計と運用を、自分たちの手で確立することだった。
もちろん、伊-210型が潜水艦技術の完成形になったわけではない。
潜高型で得られた水中高速の知識も、伊205で研究された装備も、まだ発展の余地を残していた。
伊404で得られた大型潜水艦の建造経験も、すぐにすべてを活かせるわけではない。
そして、61cm魚雷もまた、新しい誘導技術や静粛性の改良へ向けた研究を続けていく必要があった。
だが、それでよかった。
今必要なのは、すべてを完成させることではない。
次の潜水艦を、自分たちで作れるようになることだった。
再び、海中。
伊-210型の一隻が、静かに航行していた。
演習は、まだ続いている。
艦内では、ソナー員が周囲の音へ耳を傾け、航海担当者が針路と深度を確認していた。
機関は正常に作動している。
蓄電池の状態も、予定された範囲に収まっていた。
「……目標、追跡継続中」
ソナー員から報告が入った。
艦長は頷いた。
「了解。そのまま続けろ」
発令所の隅で、若い士官が静かに周囲を見回した。
初めて潜水艦へ乗り込んだ頃、彼は潜水艦というものを、海の中へ隠れて敵を攻撃する兵器だと考えていた。
もちろん、それは間違っていない。
だが、実際に乗ってみると、話はそれほど単純ではなかった。
潜る、静かに動く、電力を管理する、周囲の音を聞いて敵の位置を推定する、必要な時に浮上、あるいはシュノーケルを使って機関を動かす、魚雷を撃つための条件を整える。
そのすべてが、潜水艦の仕事だった。
「……随分、いろいろ考えなきゃいけないんですね」
若い士官が呟いた。
隣の先任士官が、少し笑った。
「何の話だ?」
「潜水艦です」
「ああ」
「……もっと単純な兵器だと思っていました」
先任士官は、しばらく考えた。
「単純な兵器なんて、そうそうないさ」
「……そうですね」
若い士官は頷いた。
そして、少し間を置いてから尋ねた。
「……これからの潜水艦は、どうなるんでしょうね」
先任士官は、発令所の周囲へ目を向けた。
新しい装備。
改修された機関。
戦後の技術を取り込んだソナーと通信設備。
そして、61cm魚雷。
「……さあな」
先任士官は、少し笑った。
「ただ、もっと長く、もっと静かに潜れるようにはなるんじゃないか」
若い士官は頷いた。
「……そうなれば、もっと強くなれますね」
「ああ」
先任士官は答えた。
「だが、その分だけ覚えることも増えるだろうな」
若者は苦笑した。
「……まだ増えるんですか」
「増えるだろうな」
二人は、小さく笑った。
そして、再びそれぞれの仕事へ意識を戻した。
艦は、静かに海中を進んでいく。
その船体には、旧日本海軍とアメリカ海軍、そして戦後日本の技術が組み合わされていた。
だが、それを実際に動かしているのは、今の日本国防海軍の乗員たちだった。
彼らは、古い潜水艦をそのまま使い続けているわけではない。
新しい潜水艦の使い方を学びながら、その能力を次の時代へ渡そうとしていた。
かつての潜水艦は、長距離を水上航行し、必要な時に潜ることを前提とするものが多かった。
しかし、戦後の潜水艦は違う。
できる限り水中に留まり、相手を先に発見し、自分は見つからないまま行動する。
そのために、船体を作り直す。
機関を改良する。
電力を増やす。
音を減らす。
そして、兵装も新しくする。
国防海軍が目指していたのは、単に海へ潜れる艦を増やすことではなかった。
海の下で、継続して戦える海軍を作ることだったのである。
伊204、伊205、伊404。
そして、伊-210型。
それぞれの艦が、異なる役割を担いながら、そのための技術を積み重ねていった。
失われた潜水艦隊を、そのまま復活させるのではない。
旧日本海軍が残したものを拾い、外国の技術を学び、新しい潜水艦へ作り替える。
そして、その経験を次の世代へ渡す。
戦後日本の潜水艦技術は、そうして再び歩み始めていた。
海面の上から、その姿は見えない。
だが、その下では確かに、新しい日本国防海軍が育ち始めていたのである。
続く
あ と が き
基準排水量の概算の上三桁=艦型の数字。
次回 陸で戦う海軍