自我持つ兵器の英雄譚“Prequel” 1945 to 2000 作:Nyappy-
国産技術のターニングポイント。
4-1. 震電保存会
1960年
第二次世界大戦が終わって、十五年。
日本国防軍が創設されてから、十二年が経とうとしていた。
その間に、日本の軍備は大きく姿を変えていた。
戦争直後、旧軍由来の兵器とアメリカから供与された兵器によって再建された国防軍は、国内の技術と産業を立て直しながら、独自の装備開発を進めてきた。
国防陸軍では、新しい主力戦車『チル』の開発が最終段階を迎えている。
国防海軍でも、戦後に新造された艦艇が増え、旧日本海軍から受け継いだ技術は少しずつ新しい世代へ移りつつあった。
そして国防空軍もまた、大きな変化の中にいた。
かつて日本の空を飛んでいたのは、零戦や隼、紫電改、疾風といったレシプロ戦闘機だった。
しかし、今やそれらは第一線の主力ではない。
航空機の世界は、ジェットエンジンによって急速に変わりつつあった。
音の壁を越えることは、もはや一部の試験機だけに許された特別な挑戦ではなくなっていた。より速く、より高く飛び、レーダーと誘導兵器を用いて遠距離から戦う。
そうした能力を持つ航空機が、世界各国で次々と開発されていたのである。
日本も例外ではなかった。
橘花から始まった国産ジェット機の研究は、震電や景雲をはじめとする航空機へ受け継がれ、独自の発展を続けている。
しかし、国産技術が進歩しているからといって、世界の最先端へ追いついているとは限らなかった。
むしろ、その差を最も痛感しているのは、他でもない国産機の開発に携わる人々だった。
国防空軍の装備計画に関する会議室。
机の上には、日本とアメリカの戦闘機に関する資料が並べられていた。
そのうち、特に多くの注目を集めていたのは、アメリカの新しい超音速戦闘機だった。
『F-104 スターファイター』
ロッキード社が開発した、マッハ2級の高速戦闘機である。
日本でも、その導入と国内ライセンス生産について検討が進められていた。
まだ正式な決定が下されたわけではない。しかし、国防空軍の次期戦闘機を考える上で、有力な選択肢となっていた。
「……速度の差は、やはり大きいな」
資料を確認していた将校が呟いた。
向かいに座っていた技術担当者も頷いた。
「ええ。現在開発中の新型震電でも、最高速度はマッハ1.5級となる見通しです」
新たな震電───五五型。
1956年に制式化された五四型を、主として発動機の改良によって発展させた機体だった。
1960年の時点では、後の完成仕様にかなり近い試作機が存在していたものの、正式採用には至っていない。
一方、五五型の基本となった五四型は、戦後の日本が自ら開発した本格的な超音速戦闘機だった。
その成立に至るまでには、長い技術的蓄積があった。
戦争末期に生まれた試製震電。
戦後に改良された一一型と二二型。
ジェット戦闘機となった三三型。
そして、音速突破試験機としての役目を果たした三三型改。
それらの成果を受け継ぎ、機体の構造から新しい時代へ対応させたのが五四型だったのである。
しかし、どれほど長い歴史を持つ戦闘機であっても、それだけで性能が高くなるわけではない。
「F-104を導入すれば、少なくとも最高速度については、国産機の開発を待たずに大きく引き上げられる」
将校の言葉に、反対する者はいなかった。
「国内でライセンス生産するのであれば、製造技術を学ぶ機会にもなります。機体だけを買って終わるわけではありませんから」
「それに、航空隊が必要としているのは、実際に使える戦闘機です。国産だからという理由で、性能に劣るものを選ぶわけにはいかない」
いずれも、もっともな意見だった。
国防軍の目的は、日本を守ることにある。
国産航空機の開発を続けるために、必要な戦闘能力を犠牲にするわけにはいかなかった。
ただし、その判断が別の問題を生む可能性もあった。
「……では、震電の開発はどうするんです?」
若い将校が尋ねた。
「仮にF-104の導入とライセンス生産が決まったとして、震電の改良を続ける必要はあるのでしょうか」
会議室が静かになった。
その問いは、誰もが考えていたことだった。
国産戦闘機を開発するには、多額の費用が必要になる。試作機を作り、飛行試験を繰り返し、不具合を修正しなければならない。
発動機の開発も、機体構造の研究も、決して安くはない。
一方で、既に高い性能を実現している外国製戦闘機が存在する。
それをライセンス生産できるなら、わざわざ国産機の開発を続ける必要があるのか。
上席の将校が答えた。
「……少なくとも、震電を従来どおり主力として配備し続ける理由は、慎重に考える必要があるだろうな」
「航空隊にとって、機体の血統は性能の代わりにはならん」
その言葉に異論はなかった。
しかし、席の端に座っていた年配の軍人が、静かに口を開いた。
「……一つ、聞いてもよろしいでしょうか」
旧日本陸軍の航空部隊に所属し、戦後は国防空軍の再建にも関わってきた人物だった。
「仮に震電の開発を終えるとして、そこにいた技術者たちはどうなるのでしょう」
将校は少し考えた。
「ライセンス生産に携わってもらうことはできるだろう。技術者を無駄にするつもりはない」
「もちろん、それは結構なことです。では、その次は?」
「……次?」
「F-104の次の戦闘機が必要になった時、我々はどうするのでしょうか」
その問いに、すぐ答えられる者はいなかった。
年配の軍人は続けた。
「私は、アメリカ製の戦闘機を使うなと言いたいわけではありません。優秀な機体があるのなら、使うべきでしょう。技術を学べるのであれば、なおさらです」
そして、机の上の資料へ目を落とした。
「ただ、その次に必要なものまで、外国から買ってくるしかない国になってしまうのは……少々、困りますな」
会議室には、短い沈黙が流れた。
誰も、その言葉を簡単に否定することはできなかった。
同じ頃
震電の開発に関わる航空試験施設の格納庫では、五五型の試作機が整備を受けていた。
五四型と同じJ7W5系列に属する、改良型の震電である。
その姿は、戦争末期に作られた試製震電から大きく変わっていた。
プロペラは既に存在せず、機体は本格的な超音速ジェット戦闘機として設計されている。主翼や胴体の形状も、かつての震電とは異なっていた。
それでも、先尾翼式の構成や、機首へ武装を集中する考え方には、確かに震電の面影が残されていた。
「……また、機関ですか」
整備員から報告を受けた若い設計主任が、少し疲れた声で言った。
「ええ。重大な故障というわけではありませんが、この条件では、まだ調整が必要です」
整備員は試験記録を示した。
五五型は、五四型から主として発動機を改良することで性能向上を図っていた。
しかし、発動機を変更するということは、単に新しい機関を取り付ければ済む話ではない。
吸気や燃料供給、温度管理、機体との適合性。
それらの条件を一つずつ確かめ、必要に応じて修正していかなければならなかった。
主任は記録を確認すると、しばらく考え込んだ。
「……次の試験までに、確認できるところは確認しましょう。無理に飛ばしても、良い結果にはなりません」
「了解しました」
整備員が戻っていくと、主任は格納庫の奥へ目を向けた。
そこには、以前この系列の設計主任を務めていた人物がいた。
現在は設計顧問として、若い技術者たちの仕事を支えている。
旧日本海軍時代から震電の開発に関わり、ジェット化と音速突破の時代を見届けてきた人物だった。
「……どう思われますか、顧問」
声を掛けられた設計顧問は、手元の記録から顔を上げた。
「何がだ?」
「この先のことです」
若い主任は、五五型の試作機へ目を向けた。
「F-104の導入が決まれば、震電の立場は厳しくなるでしょう。性能だけを比較すれば、向こうに分がある部分も多い」
「そうだな」
顧問は、あっさりと認めた。
「……悔しくはないんですか?」
「悔しいさ。だが、向こうが速いのは事実だろう」
顧問は記録を閉じた。
「悔しがっているだけで速くなるなら、苦労はせんよ」
主任は苦笑した。
その言葉は、いかにもこの人物らしかった。
かつて、時速400ノットを目指して開発された戦闘機があった。
そして、その技術を受け継いだ試験機は、十年後に音速を越えた。
しかし、音速を越えたからといって、開発が終わったわけではない。
世界の航空技術は、その間にも先へ進んでいたのである。
「……震電を残すべきだと思いますか?」
若い主任が尋ねた。
顧問は、すぐには答えなかった。
やがて、整備を受ける試作機へ目を向けたまま、静かに言った。
「何を残すつもりなんだ?」
「……何を、ですか?」
「震電を残したいと言う。だが、震電の何を残したいんだ?」
若い主任は、思わず黙り込んだ。
目の前の機体か。
それとも、設計図か。
先尾翼という形か。
あるいは、震電という名前そのものなのか。
顧問は続けた。
「この機体を一機残すだけなら、それほど難しい話じゃない。飛ばさずに置いておけば、しばらくは形が残る。きちんと手入れをすれば、もっと長く残せるだろう」
しかし、と言葉を継いだ。
「その間に、こいつを作った人間がいなくなり、直し方も分からなくなったらどうする?」
主任は答えなかった。
「次に新しい戦闘機が必要になった時、図面を広げて眺めることしかできないなら……それは、我々が残したかったものなのか?」
顧問は、そこで一度言葉を切った。
「俺は、そうは思わんよ」
格納庫の中では、整備員たちが作業を続けていた。
機体の点検口が開かれ、工具の音が響く。若い技師が記録を取り、別の者が測定値を確認している。
顧問は、その光景へ目を向けた。
「次の機体を作れるなら、今の機体が第一線を退くのは構わん。そういうものだろう」
そして、若い主任へ視線を戻した。
「だが、次を作る力まで失うのは、話が違う」
その言葉は、主任の胸に残った。
それからしばらくして、国防空軍の将来について、非公式な意見交換が行われることになった。
集まったのは、旧日本陸海軍の航空関係者たちだけではなかった。
現役の国防空軍将校に航空機メーカーの技術者、発動機の研究者、整備や製造の現場を知る人々。
さらに、産業界や政財界からも、国産航空技術の将来を案じる者たちが参加していた。
それぞれに立場が違い、考え方も同じではない。
中には、国産機の維持に強い思い入れを持つ者もいた。
一方で、外国製の優秀な兵器を積極的に採用すべきだと考える者もいる。
しかし、ある一点では、意見が一致していた。
日本の航空産業から、独自に航空機を開発できる能力を失わせてはならない。
「……それで、具体的には何をするんです?」
ある技術者が尋ねた。
「国産機の開発を続けろと言うだけなら簡単です。しかし、開発費はどこから出すんですか。設備も人員も、何もかも必要になります」
その指摘はもっともだった。
航空機の開発には、多額の資金が掛かる。
新しい機体を一機作れば終わりというわけではない。試験と改良を続けるための設備が必要であり、発動機や材料、電子機器など、機体以外の分野にも投資しなければならない。
しかも、研究成果が必ず実用化されるという保証はない。
「……そもそも、なぜ震電にこだわる必要があるんでしょう」
別の参加者が口を開いた。
「国産航空技術を維持することには賛成です。ですが、震電という機体を残すことと、それは別の話ではありませんか?」
旧日本海軍出身の軍人が頷いた。
「その通りだと思います」
意外な返答だったのか、何人かが顔を上げた。
「私は、震電を作ってきた人間たちの苦労を知っています。だからこそ、あの機体が新しい戦闘機に取って代わられることを、必ずしも悪いことだとは思わない」
その言葉に、旧日本陸軍出身の軍人も同意した。
「我々の時代にも、同じことはありましたからな。隼にも疾風にも、それぞれの時代があった。いつまでも古い戦闘機を主力に据えることが、航空技術を守ることにはならんでしょう」
会議の席に、静かな納得が広がった。
そこにいた者たちは、旧軍の航空機を何もかも神聖視していたわけではなかった。
むしろ、かつての戦争を経験しているからこそ、技術の進歩に取り残されることが、どれほど深刻な結果を招くのかを知っていた。
「では、何を残すのか」
最初に発言した技術者が、改めて問い掛けた。
その問いに対し、発動機の研究者が口を開いた。
「私は、技術者を残したいですね」
彼は少し考え、言葉を続けた。
「もちろん、人数だけの話ではありません。自分で考え、設計し、試験の結果から問題を見つけて、次の設計へ反映できる人間です」
続いて、航空機メーカーの関係者が言った。
「我々としては、工場と製造技術も残していただきたい。特に熟練工の技能は、一度失えば簡単には取り戻せません」
「整備の側から言わせてもらえば、作ったものを使い続けられる能力も必要です」
整備関係者が続けた。
「新しい機体が来るたびに、何もかも外国任せでは困ります。国内で修理できるのか、部品を作れるのか、必要な改修ができるのか。そこまで考えなければなりません」
さらに、現役の操縦者からも意見が出た。
「飛ばす側としては、機体のことを理解した人間を育て続けたいですね。新しい技術が入るのは歓迎ですが、それを使いこなすための訓練や、飛行試験の経験まで失ってしまっては意味がありません」
様々な意見が出た。
しかし、それらは互いに対立するものではなかった。
むしろ、同じ問題の異なる側面だった。
設計する人間がいても、作る技術がなければ航空機は完成しない。
作ることができても、整備できなければ使い続けられない。
機体があっても、それを安全かつ効果的に飛ばせる搭乗員がいなければ、兵器としての能力は発揮できない。
そして、それらを繋ぐ組織と資金がなければ、技術の継承は途切れてしまう。
「……要するに、航空機そのものを保存するだけでは足りないわけですね」
誰かが呟いた。
「ええ」
発動機の研究者が頷いた。
「我々が残したいのは、航空機を作り続けられる状態なんです」
その言葉を境に、話し合いの方向が少し変わった。
何を残すべきかという議論から、それを残すために何をしなければならないのか、という議論へ移っていったのである。
ただし、国産技術を守るという考え方は、外国製兵器の導入を否定することとは違っていた。
むしろ、話し合いでは海外技術の積極的な吸収を求める意見が相次いだ。
「F-104の導入を妨げるつもりはありません」
航空機メーカーの関係者が言った。
「必要なら導入すればいい。ライセンス生産の機会があるなら、そこから学べるものはできる限り学びたい」
「ただ、作り方を教わって終わりでは困りますね」
別の技術者が続けた。
「同じものを作れるようになることは大切です。しかし、それだけでは、新しい機体を自分たちで設計できることにはならない」
外国製の航空機をライセンス生産することには、多くの利点がある。
新しい製造技術を導入できる。品質管理の手法を学び、国内の工場設備を改善することもできる。
しかし、それらの経験が、必ずしも独自開発能力へ結び付くとは限らなかった。
与えられた図面どおりに製造する能力と、要求に合わせて設計を変更する能力は、同じではないからである。
「ですから、海外技術の導入と国産研究を対立させるべきではないと思います」
発動機の研究者が言った。
「優れた技術があるなら学ぶ。その上で、国内の研究へ戻す。足りない部分を補い、必要なら独自に改良する。それを続けて初めて、次の技術へ進めるのではありませんか」
日本のジェットエンジン開発でも、既に似た考え方が実践されていた。
外国製発動機の研究やライセンス生産を通じて得られた知識を、国産のネ式系列へ取り込む。
もちろん、外国製の機関をそのまま模倣するだけではない。
国内で得られた試験結果と組み合わせ、日本の技術者が自ら設計を進めていく。
その繰り返しによって、国産発動機の技術は少しずつ高められていたのである。
「……目標は、外国製のものを使わないことではないんですね」
若い技術者が確認した。
「そうです」
年配の軍人が答えた。
「必要なものは買う。使える技術は学ぶ。だが、次のものを作る時に、いつまでも他人の図面がなければ何もできないのでは困る」
そして、少し笑った。
「そのうち、向こうが我々から学びたいと言うくらいにはなりたいものですな」
それは、当時の日本にとって簡単な目標ではなかった。
しかし、最初から不可能だと決め付けてしまえば、そこへ辿り着くこともない。
一方、議論には現実的な懸念も残っていた。
「……それで、どこまで研究を続けるつもりなんです?」
財政面に詳しい参加者が尋ねた。
「実用化できるか分からないものに、いつまでも資金を投入するわけにはいきません。航空技術の発展が重要だとしても、予算には限界があります」
「それは当然でしょう」
研究者も認めた。
「ただ、今すぐ量産できないからといって、研究する意味がないとは限りません」
例えば、新しい耐熱材料の研究。
それ自体は、すぐに戦闘機一機を完成させるわけではない。
しかし、その研究が成功すれば、将来の発動機や機体構造へ利用できる可能性がある。さらに、軍用機以外の機械や産業設備にも応用できるかもしれない。
レーダーや電子機器、工作機械についても同様だった。
「……つまり、実用機を作るための開発と、将来の技術を育てるための研究を、分けて考えたいわけですね」
「ええ。ただし、好き勝手に金を使っていいという話でもありません」
研究者は苦笑した。
「結果が出ない研究はあります。しかし、何を確かめるための実験なのか、その結果から何を学べたのかくらいは、説明できなければなりませんから」
全員が、その考えに納得したわけではなかった。
成果の見通しが立たない研究へ、多額の資金を投じることに慎重な者もいる。
一方で、短期的な採算だけを重視すれば、長い時間を必要とする研究が切り捨てられてしまうという懸念もあった。
その対立は、話し合いを重ねたからといって簡単に消えるものではない。
しかし、そうした意見の違いも含めて、新しい組織を作る必要があるのだろう。
参加者たちは、少しずつその方向へ考えをまとめていった。
話し合いが重ねられる中で、具体的な活動方針も次第に形を取り始めた。
まず、歴史的な価値を持つ航空機を、可能な範囲で飛行可能な状態に維持すること。
ただし、単に古い機体を飛ばし続けることが目的ではない。
整備を通じて構造を理解し、機体を扱う技術を次の世代へ渡すこと。必要な場合には、実際の飛行によって得られる経験を教育や研究へ活かすことが重視された。
飛行に適さない機体についても、保存や展示、教材としての役割がある。
そして、もう一つ。
設計と製造の技術を、絶やさないこと。
「……古い機体を残すことも大切ですが、それだけではいけませんね」
ある技術者が言った。
「今ある機体を保存しながら、次の機体を作る技術も育てなければならない」
それは、震電だけの話ではなかった。
流星に連山、二式大艇。
かつて旧日本海軍で使用され、戦後も改良や研究が続けられてきた航空機たち。
それぞれが、異なる任務と技術を持っていた。
すべての機体を、同じ形のまま未来永劫使い続けることはできない。
しかし、ある機体が退役したからといって、その機体で培われた技術まで失う必要はない。
機体の構造が変わっても、任務を引き継ぐことはできる。
名前が変わっても、技術や設計思想を受け継ぐことはできる。
場合によっては、元の機体とは似ても似つかない姿になっているかもしれない。
それでも、確かに繋がっているものがある。
「……となると、震電だけを対象にするわけではありませんね」
「ええ。ですが、全部を一度に抱え込むつもりもありません。まずは、航空技術を中心に始めるべきでしょう」
対象が広がれば、それだけ必要な資金も人員も増える。
何より、新しい組織が、すべての国産兵器の開発を直接管理することなどできるはずもなかった。
国防軍にはそれぞれの装備開発部門があり、企業や研究機関にも独自の仕事がある。
新しい組織の役割は、それらに取って代わることではない。
研究者や技術者の交流を支え、必要な研究へ資金や設備を繋ぎ、技術が軍や企業の境界で途切れないようにすることだった。
将来的には、航空機だけでなく、材料、電子機器、制御装置などの研究を通じて、他の軍種にも成果を渡せるかもしれない。
そして、その技術が民間産業で役立つのであれば、それを妨げる理由もなかった。
「……まるで、軍と民間を繋ぐ研究団体ですな」
旧陸軍出身の軍人が言うと、隣の技術者が頷いた。
「そういうものを目指すべきだと思います。軍だけでも、民間企業だけでも、できない研究がありますから」
そこまで話が進んだところで、ある参加者が少し笑った。
「……ところで、この集まりには、もう名前があるんですか?」
何人かが顔を見合わせた。
当初は、国産航空技術の維持を目的とする集まりとして、様々な名称が考えられていた。
しかし、誰かが口にした一つの名前が、いつの間にか関係者の間で使われるようになっていた。
『震電保存会』
「……保存会、ですか」
名前を聞いた若い技術者が、少し困った顔をした。
「今までの話だと、保存するだけの団体には見えませんが」
「確かにな」
年配の軍人は笑った。
「むしろ、新しいものを作るための集まりだ」
「それなら、研究会とか技術振興会の方が、実態に合っているのでは?」
「そうかもしれん。だが、震電という名前を残すのも悪くないと思う」
旧海軍出身の軍人が、静かに口を開いた。
「戦争末期に生まれた震電が、戦後も改良され続け、今では超音速戦闘機になっている。あれは、我々がここまで歩んできた証でもあるからな」
その言葉に、何人かが頷いた。
震電は、必ずしも日本の航空技術すべてを代表する存在ではない。
しかし、戦争末期から現在まで国産戦闘機として第一線に残り続けてきた、その歩みは象徴的だった。
ならば、その名前を新しい組織に掲げることにも意味がある。
「……しかし、保存会という名前だけは、少し違和感がありますね」
若い技術者は、まだ納得しきれていない様子だった。
すると、隣に座っていた研究者が答えた。
「いいんじゃありませんか。保存したいものが、機体そのものだけではないというだけの話です」
「……と、言いますと?」
「今ある技術を残す。その技術を使える人間を残す。そして、次の技術を生み出せる環境を残す。そう考えれば、立派に保存でしょう」
研究者は少し笑った。
「ただし、何も変えずに残すのではありません。変わり続けられるように残すんです」
その言葉を聞いて、若い技術者もようやく頷いた。
こうして、『震電保存会』という名称は、単なる旧式戦闘機の保存団体とは異なる意味を持つようになっていった。
1960年
震電保存会が正式に設立された。
その中心となったのは、旧日本陸海軍の航空関係者たちだった。
しかし、組織は彼らだけで構成されたわけではない。
国防空軍の現役軍人、航空機や発動機の設計者、製造と整備の技術者、研究者、産業界や政財界の関係者たち。
それぞれ異なる立場の人々が、国産航空技術の維持と発展という目的の下に集まっていた。
もちろん、発足したからといって、すべてが順調に進んだわけではない。
研究には資金が必要であり、設備や人員を確保するには、企業や国防軍との調整が欠かせない。
保存会が支援する研究の中には、すぐに実用化できるものもあれば、成果が出るまで長い時間を必要とするものもあった。
それどころか、研究を続けた末に、実用化を断念するものも出てくるだろう。
「……随分と金の掛かる保存会になりそうですな」
ある会合で、財政面を担当する関係者が呟いた。
隣の技術者は、悪びれもせず頷いた。
「そうでしょうね。航空機を一機保存するだけなら、もっと安く済むでしょうが」
「それを分かっていて、こんな名前にしたんですか」
「ええ。もっとも、名前だけで予算が増えるわけではありませんけどね」
二人は苦笑した。
それでも、保存会が掲げる目的には、少なからぬ支持が集まりつつあった。
国防軍にとっては、国内の技術基盤を維持できることに意味がある。
企業にとっては、新しい技術の研究や、熟練した人材の育成を続けられることに意味がある。
そして研究者たちにとっては、すぐに量産へ結び付かない研究であっても、将来の技術へ繋がる可能性を残せることが重要だった。
ただし、その考え方が行き過ぎれば、実用性や採算を度外視した研究へ多額の資金が流れる危険もある。
保存会の活動を支持する者たちの間でさえ、どこまで研究へ踏み込むべきかという議論は続いていた。
それは、今後も簡単には消えない問題だった。
しかし、少なくとも一つだけ、確かになったことがある。
日本には、国産技術を残すという目的のために、軍と民間の境界を越えて活動する組織が生まれたのである。
震電の試験施設。
格納庫では、五五型の試作機が次の試験へ向けた整備を受けていた。
若い設計主任は、整備記録を確認していた。
前回の試験で見つかった問題は、まだ完全には解決していない。
機関の調整が必要であり、確認しなければならない項目も残っていた。
それでも、試験を重ねることで、少しずつ改善の方向が見え始めていた。
「……また、しばらく忙しくなりそうですね」
主任が言うと、隣にいた設計顧問は頷いた。
「そうだろうな」
「保存会も動き始めました。研究を続けるための道筋は、少し見えてきた気がします」
「それは結構なことだ」
顧問は、整備を受ける震電へ目を向けた。
「だが、研究が続けられることと、良い機体が作れることは別だぞ」
「分かっています」
「なら、いい」
顧問はそれ以上、何も言わなかった。
研究のための資金が増えたところで、航空機の性能が自動的に向上するわけではない。
問題を解決するのは、結局のところ、現場の技術者たちだった。
設計し、試験し、失敗の原因を調べ、改良を重ねる。
そして、必要ならば、これまでの設計を捨てて新しい方法を選ぶ。
それができなくなれば、どれほど立派な組織を作っても意味はなかった。
「……顧問」
若い主任が、ふと思い出したように口を開いた。
「以前、震電の何を残したいのかと、お尋ねになりましたよね」
「ああ」
「あれから、少し考えたんです」
主任は、試作機を見上げた。
「私は、やはり震電を残したいと思います。あの機体が好きですし、これからも飛び続けてほしい」
顧問は黙って聞いていた。
「ただ……もし、いつか震電ではない戦闘機を作ることになったとしても、その時に、私たち自身の手で設計できるようにしておきたいんです」
「……そうか」
「ええ。だから、今の震電を守ることだけにこだわるつもりはありません」
若い主任は、少し笑った。
「次に必要なものを、自分たちで作れるようにしておきたい。それが、一番残したいものなのかもしれません」
顧問は、しばらく何も言わなかった。
やがて、静かに頷いた。
「それでいいと思うよ」
その返事に、主任は少し意外そうな顔をした。
「……随分と、あっさりしていますね」
「何だ。もっと難しいことを言ってほしかったのか?」
「いえ、そういうわけでは……」
顧問は笑った。
「俺だって、震電は好きだ。できることなら、これからも飛び続けてほしいと思っている」
そして、少しだけ真面目な表情になった。
「だが、次の世代の人間が、俺たちの作ったものより良い機体を作れるなら……それ以上に嬉しいことはないさ」
主任は、静かに頷いた。
格納庫では、整備員たちが作業を続けていた。
技術者たちが図面を広げ、試験記録を確認する。
誰かが問題を見つけ、別の誰かが改善策を考える。
そして、次の試験へ向けて準備を進めていく。
特別なことではなかった。
彼らは、これまでもそうしてきた。
戦争末期に生まれた震電を、戦後も改良し続けてきたのも、そうした仕事の積み重ねだったのである。
震電保存会が生まれたからといって、その仕事の本質が変わったわけではない。
ただ、その仕事を次の世代へ渡すための、新しい支えが加わった。
それだけのことだった。
しかし、その違いは、決して小さなものではなかった。
そもそも、保存とは何なのだろうか。
「あるものを、元の姿のまま残すこと」
それも、一つの保存である。
歴史を伝えるために、実物を残しておくことには大きな意味がある。
しかし、技術には、形のないものも多かった。
設計上の判断。
製造現場で培われた技能。
整備の経験。
飛行試験を通じて得られた知識。
そして、失敗から学び、次の設計へ繋げていく文化。
それらは、機体を一機残しただけでは、必ずしも受け継がれない。
だからこそ、震電保存会が守ろうとしたものは、単なる一機種の航空機ではなかった。
震電を残すこと。
それと同時に、震電の次を作れること。
さらに、その次の世代でも、新しい航空機を自分たちの手で生み出せること。
その状態を維持し、発展させていくことこそが、彼らの目指す保存だったのである。
もちろん、1960年の時点で、その理想がどこまで実現できるのかは誰にも分からなかった。
国産技術が世界の最先端へ追いつけるのか。
外国製兵器との競争を続けられるのか。
そして、巨額の研究費を投じるだけの成果を残せるのか。
答えは、まだ出ていない。
それでも、彼らは研究を続ける道を選んだ。
必要なら海外から学び、使える技術は積極的に取り入れる。
その上で、自分たちの技術を育て、次の世代へ繋げる。
いつか震電が第一線を退く日が来たとしても、その時に新しい国産戦闘機を作る力が残っているのであれば、それは決して敗北ではない。
むしろ、彼らが目指した保存が、一つの成果を挙げたことになる。
『震電保存会』
その名前は、過去を振り返るためのものだった。
しかし、彼らが本当に守ろうとしていたのは───
未来においても、自らの手で新しいものを作り続けられるという可能性だったのである。
続く
あ と が き
彼らは一体、何を成してくれるのか。
次回 世界のトレンドに乗って、もがいて。