自我持つ兵器の英雄譚“Prequel” 1945 to 2000 作:Nyappy-
何かが狂い始める。
1945年12月
戦争が終わってから四ヶ月。
工場では今日も旋盤が回っていた。
ただし、削っているものはもう飛行機の部品ではない。
「次、送ってくれ!」
声が飛ぶ。
若い工員が加工を終えた部品を木箱へ入れた。
それは農業機械に使う部品だった。
工場の奥では別の班が鍋や工具を作り、その向こうではトラック用の部品を加工している。
戦争中、ここでは航空機部品を作っていた。
昼も夜も関係なく工作機械が回り続け、材料が入ればすぐに加工し、完成したものを次の工程へ送った。
一つでも多く、一分でも早く、敵を撃つ兵器を作れ。
そう言われ続けた工場で、今は人が生きるための物を作っている。
農具、車両部品、生活用品、壊れた機械を直すための交換部品。
食料も物資も足りない日本にとって、昨日まで軍需工場だったかどうかなど、もはや大した問題ではなかった。
使える機械があって、使える人間がいる。
───ならば、使う。
ただそれだけだった。
8月15日に玉音放送を聞いたあと、若い工員が覆いを掛けた旋盤も再び動いていた。
あの日は、もう二度と動かすことはないかもしれないと思った。
少なくとも、兵器を作るために動くことなど二度とないだろうと。
今、その旋盤は農機具の部品を削っている。
甲高い切削音が響く。
細い切粉が伸びる。
切削油の臭いがする。
作るものは変わったが、仕事のやり方までは変わらなかった。
「止めろ」
不意に声が飛んだ。
工員たちが顔を上げる。
一台、また一台と機械の回転が落ち、工場から音が消えていく。
四ヶ月前とは違う。
ラジオは置かれていない。
代わりに入口から、何人もの男たちが入ってきた。
日本人の通訳。
そして、その中心にいるアメリカ軍人たち。
───占領軍だった。
工場では、もうまったく珍しい光景でもない。
彼らは生産状況を確認し、帳簿を読み、設備を調べる。
戦争中、何を作っていたのか。
今は何を作っているのか。
どれほどの生産能力があるのか。
どの機械が軍需専用で、どの機械が民需へ転用できるのか。
工場長が応対する。
アメリカ人の一人が、ずらりと並ぶ旋盤を眺めた。
フライス盤、研削盤、大型旋盤、測定器、工具棚。
その一つ一つについて通訳を介して質問し、紙へ書き込んでいく。
工員たちは、少し離れたところからその様子を見ていた。
口には出さない。
だが、考えていることは似ていた。
───持っていかれるのか。
日本は負けた。
なら、賠償もある。
ここは軍需工場だった。
戦争中、兵器を作り続けた場所。
ならば、そのために使っていた設備を接収されても不思議ではない。
実際、各地で似た話は聞いている。
取り外される設備。
処分対象に指定される機械。
兵器しか作れない設備なら、なおさらだった。
若い工員は自分の旋盤を見る。
ただの機械だった。
材料を掴み、回転させ、刃物を当て、図面に指定された形へ削る。
昨日は兵器を作った。
今日は農機具を作っている。
旋盤そのものには、その違いなど分からない。
視察に来たアメリカ人が、その旋盤の前で止まった。
何かを尋ねる。
通訳が工場長へ向き直った。
「これは航空機専用ですか」
「いえ。治具を替えれば、普通の機械部品も加工できます。今も民需品を作っています」
「精度は?」
工場長が技師を見る。
「まだ十分使えます。戦時中から整備は続けていました」
英語でやり取りが続く。
アメリカ人は旋盤へ軽く手を触れ、それから紙へ何かを書いた。
若い工員には、その文字までは見えなかった。
少し先へ進んだところで、今度は様子が変わった。
棚から運び出されたのは、特殊な治具。その横には木箱がある。
蓋が開けられ、中から図面の束が出された。
工場長の表情がわずかに強張る。
通訳が尋ねた。
「何のものですか」
技師が答える。
「航空機用機関砲の部品です」
「種類は?」
わずかな沈黙。
「五式三十粍固定機銃です」
若い工員にも覚えがあった。
戦争の終わり頃に作っていたものの一つ。
30mm。飛行機へ積むには大口径の機関砲。
結局、どれほど実戦で役に立ったのかは知らない。自分たちは、言われた部品を作っただけだった。
アメリカ側の技術将校らしい男が図面を見る。
続いて治具と測定具を見る。
そして、質問する。
「現在、生産していますか」
「していません」
「では、再開できますか」
予想外の質問に、工場長も一瞬だけ黙った。
「設備と材料があれば……可能です」
「どのくらいで?」
「それは、条件によります」
また英語が交わされる。
工員たちは互いの顔を見た。
何のために、そんなことを聞くのか?
兵器を作ってはならない。
日本軍はもうない。
ならば、再開できるかどうかなど調べる必要もないはずだった。
やがてアメリカ人は、処分対象を示していた書類とは別の紙に何かを書いた。
通訳が工場長へ告げる。
「この図面と治具は、当面保管してください」
「……保管?」
「処分は保留するそうです」
工場長が聞き返した。
「使用してよい、という意味ですか」
「いいえ」
通訳は首を振った。
「使用許可ではありません。処分しない、というだけです」
それだけだった。
何の説明もない。
兵器を作れと言われたわけでもない。まして、日本軍を復活させるなどという話ではない。
図面を、治具を残す。
ただ、それだけ。
だが四ヶ月前なら、その「残す」という判断自体が、もっと奇妙に聞こえただろう。
同じ頃
東京 第一生命館
机の上には、日本の地図だけが置かれていたわけではなかった。
朝鮮半島に中国大陸、満州、南樺太、千島列島、ソ連極東部、さらにその先まで。
アメリカ陸軍の制服を着た男が、資料へ目を落としている。
「北は?」
「ソ連軍の影響下で組織化が進んでいます」
朝鮮半島、38度線。
日本軍の降伏を処理するため、北側へソ連軍が入り、南側へアメリカ軍が入った。
本来なら、それは一時的な軍事上の区分であるはずだった。
だが、現実はそう簡単ではない。
南北の連絡。
行政、政治組織、警察。
そして、武装勢力。
どれもが、一本の線を境に違う方向へ進み始めている。
「中国は」
「国民政府軍と共産党軍の衝突が続いています。こちらも楽観できません」
昨日まで、両者には同じ敵がいた。
日本軍。
そして、消えた。
すると、抑え込まれていた争いが再び表へ出てきた。
別の報告書が机へ置かれる。
ヨーロッパ、そしてソ連。
「モスクワは?」
「協調姿勢は維持しています」
そこで言葉が切れた。
「───表向きは」
誰かが付け加えた。
数ヶ月前、アメリカ兵とソ連兵は、エルベ川で肩を組んでいた。
ドイツを挟み撃ちにし、同じ勝利を祝った。
今、ワシントンもモスクワも、相手が次に何をするのかを考え始めている。
誰も、まだ「次の戦争が始まった」とまでは言わない。
だが、戦争が終わったからといって、国家同士の争いまで終わるわけではなかった。
机の上へ、日本占領政策に関する文書が置かれた。
日本軍を解体する。
完全に武装解除する。
軍国主義を排除する。
戦争遂行能力を奪う。
それ自体については、大きな異論はない。
真珠湾にフィリピン、ガダルカナル。
硫黄島、そして沖縄。
日本を、以前の日本へ戻すわけにはいかない。
それは前提だった。
だが、一人の将校が日本列島を指でなぞった。
北海道から九州まで細長く、大陸の東側へ蓋をするように伸びている。
北にはソ連。西には朝鮮半島。
その先には中国。
「日本列島の場所だけは、占領政策では変えられない」
部屋が静かになった。
日本が何をしたのか。
それと、
日本がどこにあるのか。
それは同じ問題ではなかった。
「軍国主義を解体することと、この島を軍事的空白地帯にすることも同じではない」
「日本に再び軍隊を持たせると?」
「今すぐ、そんな話をしているわけじゃない」
返答は早かった。
日本軍が消えてから、まだ数ヶ月しか経っていない。
戦犯の追及も続いている。
占領改革も始まったばかり。
日本を民主的な国家へ変える。
その方針まで変わったわけではない。
だが、
「一年後の中国を保証できるか」
誰も答えない。
「二年後の朝鮮を?」
答えは同じ。
「五年後のソ連極東軍を?」
沈黙が続く。
一人が腕を組んだ。
「だからといって、日本を今から再武装させるのは早すぎる」
「同意する」
意外なほど簡単に返ってきた。
「問題はそこじゃない」
男は日本列島を指したまま言った。
「今、永久に不可能にする必要があるのか、という話だ」
占領開始時に作られた計画には、日本を恒久的に武装解除する、という考えが多く盛り込まれていた。
兵器を作れない国にする。
軍隊を持たない国にする。
再びアメリカの敵になれない国にする。
つい数ヶ月前まで戦っていた相手なのだから、別に不自然な考えではない。
だが、世界の方がその計画より速く変わり始めていた。
日本の憲法改正作業も進んでいる。
10月には既に、その検討が始まっていた。
新しい国家、新しい政治。
天皇の位置づけと国民の権利。
そして、戦争と軍隊をどう扱うのか。
まだ答えは決まっていない。
だからこそ、アメリカ側でも、その一文が持つ意味は以前より重くなっていた。
1946年2月
憲法草案作成を前にした会議。
机上に置かれた文書へ、一人の幕僚が目を落とす。
「戦争放棄については?」
「侵略戦争を国家の手段として認めない。それは変わらない」
別の男が答えた。
「では、自国の防衛は」
少しの沈黙の後、
「───そこまで永久に封じる必要はない」
直後、紙へ鉛筆が走った。
日本が再び他国を侵略するための軍隊を持つこと。
それを許すつもりはない。
だが将来、極東の情勢がさらに悪化した時、日本自身が日本を守る能力まで、憲法によって永久に奪うのか。
数ヶ月前なら、答えはもっと単純だった。
だが、今は違う。
「日本政府が望めば、すぐ軍隊を作れるようにする、ということではない」
「それは当然だ」
「だが、自衛まで憲法そのものに禁じさせる必要もない」
「そういうことだ」
まだ、正規軍創設の計画もない。
戦車の生産命令も、戦闘機の再生産命令も、軍艦の建造計画も、一切何もない。
ただ……閉じられるはずだった扉が、完全には閉じられなかった。
ただ、それだけ。
工場では、視察が終わっていた。
軍事用途にしか使えない設備の中には、使用禁止を告げられたものもある。
処分対象になったものもある。
だが一方で、旋盤、フライス盤、研削盤、測定器など、一般工業へ転用できる設備は、その多くが残った。
それだけではない。
一度は処分されると思われていた図面や治具の一部まで、「保留」と書かれた箱へ移され始めていた。
若い工員が、その箱を見た。
『五式三十粍固定機銃』
紙に書かれた名称。
昨日まで敵だったアメリカ人が、日本軍の兵器だったものの図面を捨てるなと言った。
理由は分からないし、聞いても教えてはくれないだろう。
「何見てる」
後ろから年配の職工が声をかけた。
「いや……これ、残すんだなって」
「らしいな」
「何に使うんですかね」
「さあな」
老職工は、それ以上考える様子もなく箱の蓋を閉めた。
「今使わんものを考えても仕方ない」
「でも残せと言われたなら残す。使えと言われたら、その時考える」
実に職人らしい答えだった。
「ほら、仕事戻れ」
「はい」
箱は倉庫へ運ばれていった。
使われる予定はない。
ただ、捨てられなかった。
1946年 冬
高瀬正一は、その工場の門をくぐった。
少し前まで、陸軍軍曹だった男。
今は軍服を着ていない。
工場勤務の経験もない。
以前面接をした年配の男が、高瀬を現場へ連れていく。
「今日から、ここな」
「はい」
工場には機械音が満ちていた。
銃声でも、砲声でもない。
金属を削る音だった。
一人の若い工員が、高瀬へ目を向ける。
8月15日に、旋盤へ覆いを掛けた男。
「あ、新しい人ですか」
「そうだ。面倒見てやれ」
「俺が?」
「お前ももう新人じゃないだろ」
「まだ一年も経ってないんですけど」
「戦争終わってからなら古参だ」
無茶苦茶な理屈に、高瀬は思わず笑った。
若い工員も諦めたように息を吐く。
「機械、触ったことあります?」
「ほとんどないです」
「旋盤は?」
「名前なら知っています」
「じゃあ、最初からですね」
渡されたのは、油で汚れた布。
高瀬は、それを見る。
「……これで何を?」
「掃除です」
「なるほど」
軍曹だった頃、新兵へ銃の手入れを教えたことなら何度もある。
だが今度は、自分が新兵だった。
「よろしくお願いします」
高瀬が頭を下げる。
「こちらこそ」
若い工員が答えた。
高瀬は機械の前へ立った。
鉄の塊にハンドル、レバー、刃物台。
見慣れないものばかり。
「まず、ここは毎日拭いてください。切粉が残ると傷になるんで」
「はい」
「油も切らさないように」
「はい」
「あと、動いてる時は絶対にここへ手を出さない」
「分かりました」
返事だけは妙に良かった。
若い工員が笑う。
「軍隊みたいですね」
高瀬も笑った。
「返事だけは癖で」
そう言いながら高瀬は布を動かした。
戦争で覚えたこと。
軍隊で覚えたこと。
全部捨てなければ平和な人間には戻れないと、少し前までそう思っていた。
……だが。
本当にそうなのだろうか。
決められた時間に来る。
道具を手入れする。
仲間と仕事をする。
危険な場所では確認する。
新人へ教える。
自分より詳しい者の話を聞く。
銃が旋盤へ変わっただけで、似ていることもあった。
やがて、機械の電源が入る。
主軸が回る。
高瀬は一歩下がった。
金属へ刃が触れ、切粉が伸びていく。
「これは何の部品です?」
「農機具です」
若い工員が答える。
「……今は」
高瀬が、その言葉へ顔を向けた。
「今は?」
「いや」
若者は少し考えた。
倉庫の方を見る。
「……この工場、昔は飛行機の部品を作ってたんですよ」
「知ってます」
「もう二度と、そんなもの作らないと思ってました」
「俺も、もう二度と軍服は着ないと思ってますよ」
二人は顔を見合わせた。
少しだけ、笑った。
この時は二人とも知らなかった。
この工場がこの先、何を作ることになるのか。
だが……知らなくてよかった。
今はまだ、農機具を作ればいい。
人が生きるための物を。
壊れた国を直すための物を。
旋盤は回る。
技師は残った。職工も残った。
工作機械も、治工具も、図面も。
軍隊を失った男まで、そこへ加わった。
帝国陸軍も、帝国海軍も、もうない。
それでも、そこで働いていた人間まで消えたわけではない。
積み上げた技術まで、昨日まで覚えていたことまで、敗戦と同時に、頭の中から消えてなくなるわけではない。
そして日本の外では、ほんの数ヶ月前まで戦友だった国々が、既に互いの次の一手を考え始めている。
「日本を二度と武装させない」そう考えて始まった占領も、「その日本を将来、誰が守るのか」という、別の問いを抱え始めていた。
工場は残った。
今はまだ、平和な道具を作るために。
続く
あ と が き
色々なものが徐々にズレ始めました。
次回 揃っていく条件