自我持つ兵器の英雄譚“Prequel” 1945 to 2000 作:Nyappy-
片方が動けば、もう片方も引き摺り込まれる。
1946年 満州
倉庫の扉が開いた。
薄暗い内部には、木箱が天井近くまで積み上げられている。
側面に残っている文字は、日本語。
小銃、機関銃、迫撃砲とその砲弾。
少し離れた建物には車両部品があり、別の集積所には旧日本軍が残した燃料や通信機材まであった。
数ヶ月前まで、それらを管理していたのは関東軍だった。
今、日本軍はもういない。
だが、兵器まで消えたわけではなかった。
中国共産党軍の兵士たちが木箱を運び出していく。その傍らに立つソ連軍将校は、自分で荷物へ手を触れようとはしなかった。帳簿を確認し、通訳を介して短い指示を出すだけ。
どの倉庫に何があるのか。
弾薬は何発残っているのか。
使える車両は何台あるのか。
どこまで鉄道で運べるのか。
日本軍が敗戦によって置き去りにしたものが、今度は別の戦争のために数え直されていた。
最初は、それだけだった。
少なくとも、そう説明することはできた。
敗走した軍隊の装備が現地勢力へ流れた。戦後の混乱で、管理しきれなかった物資が渡った。
それだけなら、いくらでも言い訳はできる。
だが、やがて倉庫へ届く箱から日本語が消え始めた。
代わりに書かれていたのは、ロシア語だった。
無線機、車両、新しい弾薬が届いた。
軍事顧問が増えた。
通信の方法が変わり、鉄道輸送が整えられ、昨日までばらばらに動いていた部隊が、次第に一つの軍隊らしい動きを見せ始めた。
それでも、ソ連軍師団が赤旗を掲げて国民政府軍へ攻撃を仕掛けたわけではない。
ソ連軍機がアメリカ軍機と撃ち合ったわけでもない。
兵器を持つのは中国人。
それを撃つのも中国人。
撃たれて死ぬのも中国人だった。
だからモスクワは言えた。
ソビエト連邦は、中国の内戦へ参戦していない。
それは完全な嘘ではない。
ただ、その言葉だけで戦場を説明するには、届く物資の量が増えすぎていた。
飛行場では、レシプロ機が離陸していく。
戦争末期から大して姿を変えていない戦闘機だった。
地上を走るトラックも、砲も、戦車も、少し前までヨーロッパや満州を走っていたものとよく似ている。
戦場だけを写真に撮れば、第二次世界大戦の続きに見えただろう。
違うのは、その背後だった。
誰が兵器を渡しているのか。
誰が通信網を整えているのか。
誰が情報を流しているのか。
誰が、表へ出ないところで戦争を支えているのか。
兵器の姿はまだ古い。
戦争の仕組みだけが、新しくなり始めていた。
同じ頃、南京。
アメリカ軍人の前へ、新しい報告書が置かれた。
満州からの情報。
鉄道輸送。
共産党軍の再編と、その兵器の出所。
ソ連軍人と見られる顧問の活動。
一つ一つなら決定的とは言えない。
だが、並べれば意味は変わった。
「偶然で説明するには多すぎる」
将校が呟いた。
向かいの男は腕を組んだ。
「ワシントンは、まだ直接介入を嫌がっている」
「中国人同士の内戦だからな」
「そういうことになっている」
机の上には別の資料もある。
国民政府軍。
補給不足に弾薬不足。
通信の混乱。
部隊によってばらばらな装備。
日本との八年に及ぶ戦争を終えた国に、内戦を戦う余力など本来なら残っているはずもなかった。
しかし、共産党軍の力は増している。
「向こうが先に始めた」
誰かが言った。
「それを理由にするのか?」
「理由にしなくても、結果は同じだ。このままなら満州を失う。その次は?」
返事はなかった。
アメリカは、第二次世界大戦が終わったばかりだった。
兵士を家へ帰したい。
軍事費を減らしたい。
また別の大陸戦争へ入ることなど、誰も望んでいない。
それでも、相手が先に盤面へ駒を置けば、こちらだけが手を引いたままではいられない。
数週間後。
中国の別の飛行場へ輸送機が降りた。
載せているのは荷物だけではない。
人員も、通信機材も、整備部品も、そして、国民政府軍へ渡される兵器も。
本来なら戦後整理へ向かうはずだった支援は、再び逆方向へ膨らみ始めた。
滑走路の端には、青天白日の国籍標識を付けたP-51が並んでいた。
つい最近まで、日本軍機と戦っていた戦闘機だった。
今度は中国人が乗る。
相手もまた、ソ連から供与された機体や、満州に残された日本製機を使っている。
アメリカ兵とソ連兵は、まだ互いに銃を向けていない。
しかし、中国人の操縦するアメリカ製戦闘機と、別の中国人が操るソ連系戦闘機が、同じ空で戦うようになっていた。
国共内戦は、中国の戦争。
それは変わらない。
だが、もう中国だけの戦争ではなくなりつつあった。
1946年11月3日
日本国憲法公布。
日付そのものは、史実と大きく変わらなかった。
敗戦国だった日本は、新しい国家の形を文章にした。
主権、国民の権利、天皇の地位。
そして、国家が武力を持つということ。
日本は侵略戦争を再び国家の手段としない。
その原則は強く置かれた。
一方で、自国を守るための力まで、永久に持てない国にはならなかった。
数ヶ月前。
憲法の骨格が作られていた頃には、すでに満州と朝鮮半島の情勢が占領当初とは違っていた。
日本をもう一度アメリカの敵にしてはならない。
それと、
日本を永遠に自分で自分を守れない国にすること。
二つは同じではない。
その判断は、公布の日より前に始まっていた。
1947年5月3日
新憲法は施行された。
その日、日本に軍隊はなかった。
帝国陸軍も帝国海軍も存在しない。
だから、街の景色が突然変わったわけではない。
工場で働く高瀬正一にも、旋盤を回す若い工員にも、新しい憲法が施行された次の日から何かが劇的に変わったようには見えなかった。
朝になれば仕事へ行く。
機械を動かし、部品を作る。
夕方、食べ物を買って家へ帰る。
それだけだった。
ただし、海の向こうでは、状況が変わり続けていた。
1947年 東京
机の上に並ぶ数字を見て、アメリカ陸軍の将校が額を押さえた。
「また減るのか……」
「本国の復員は止まりません」
「止めろと言えると思うか?」
部下は黙った。
誰もが答えを知っている。
───言えるはずがない。
戦争は終わった。
ヨーロッパからも、太平洋からも、何百万人もの兵士が帰国した。
家族が待っている。
大学へ戻る者もいれば、仕事へ戻る者もいる。
議会も、有権者も、戦争が終わった後まで巨大な軍隊を維持し続けることを望んではいない。
占領開始時、日本には大量の米軍部隊が入った。
だが、それは長く続かなかった。
部隊は縮小され、人員は帰国した。
補充は追いつかない。
装備も、訓練も、戦争中の水準を維持できるわけではなかった。
一方で、必要な場所は減っていない。
中国、朝鮮、ヨーロッパ、そして日本。
「中国への支援を増やすなら、どこから人を出す」
「日本から一部を回せます」
「朝鮮は?」
「そちらも日本からです」
「……では、日本は?」
そこで会話が止まった。
日本列島の地図が壁に貼られている。
北海道、本州、九州。
その西には朝鮮半島。
さらに向こうには中国大陸。
北にはソ連。
1945年。
この島へアメリカ軍が置かれた理由は単純だった。
日本を占領するため。
1947年。
理由は、それだけではなくなっていた。
日本には港がある。
飛行場が、鉄道がある。
工場も病院も倉庫もある。
朝鮮半島でも中国大陸でも有事が起きれば、ここが後方基地になる。
その時、日本を占領している兵士たちは、日本を離れて戦場へ向かう。
「我々が出た後、誰がここを守る?」
将校が聞いた。
「警察があります」
「警察に港湾防空をやらせるのか?」
「……無理です」
「飛行場は?」
「同じです」
「海岸線は?」
返事はない。
国内治安だけなら警察で足りる。
だが、日本列島そのものが軍事拠点になるなら話は別だった。
飛行場を、港を、燃料庫を、弾薬庫を、通信施設を、そして、日本そのものを、
誰かが守らなければならない。
「日本人にやらせるしかない」
一人が言った。
一年ほど前なら、部屋の空気が凍っただろう。
だが今は……誰も笑わなかった。
同じ頃 朝鮮半島北部
号令が響いた。兵士たちが一斉に動く。
制服は新しい。
だが、手にしている銃や、後方へ並ぶ火砲は、どこか第二次世界大戦の写真で見たものに似ていた。
それも当然だった。
戦争が終わって、まだ二年しか経っていないのだから。
ソ連軍の教官が隊列を見ている。
射撃、通信、分隊戦術、砲兵との連携、部隊運動。
ただ銃を渡しているだけではなかった。
軍隊そのものを作っていた。
道路の向こうから低い音が近づく。
兵士たちが振り返ると、そこにいたのは戦車だった。
履帯が土を噛み、重い車体が揺れる。
新しい時代の兵器ではない。
───T-34。
ヨーロッパでドイツ軍と戦ったものと、ほとんど同じ姿をしている。
だが、南には、それに正面から対抗できるものがほとんどなかった。
38度線の南側でも、朝鮮人部隊の訓練は進められていた。
アメリカ軍教官の前で小銃を構え、行進し、通信を学ぶ。
だが、その規模も装備も北側に追いついてはいない。
北も、南も、まだ正式には一つの朝鮮だった。
しかし、線の両側で作られている軍隊は、明らかに別の国の軍隊になり始めていた。
1947年末 東京
会議室には中国と朝鮮の地図が並んでいた。
「北側の部隊は、もう治安部隊とは呼べない」
報告を読んだ将校が言った。
「南側も増強しています」
「こちらが増やしたからな」
「ええ」
「なら向こうは?」
「さらに増やしています」
完全に悪循環だった。
一人が朝鮮半島を見た。
「もし北が動いたら?」
「南だけでは止められません」
「在朝鮮米軍は」
「不足します」
「増援は」
その質問に、今度は全員が、日本列島を見た。
「日本から出すしかない」
また、それだった。
中国へ送る物資も、朝鮮へ送る兵も、極東の航空戦力も、大抵、日本から出ていく。
結果として、日本を守るために置かれた占領軍の余裕は、少しずつ失われていた。
「だから、日本人に自分の国を守らせる」
「警察では足りないぞ」
「分かっている」
「なら、何を作るんだ?」
誰も、すぐには答えなかった。
───軍隊。
それが最も簡単な答えだった。
そして、わずか二年前まで敵だった国へ出す言葉としては、それはあまりにも重かった。
同じ会議で、別の資料が回された。
今度は地図ではなく、航空兵器だった。
ソ連軍が好んで使用してきた航空機関砲。
20mmを超える口径。
大きな砲弾による一発あたりの破壊力。
アメリカ軍の
それは第二次世界大戦で十分に証明されている。
発射速度、弾道、信頼性、搭載数、その全てにおいて。
だが、航空機は速くなる。
戦闘機同士が互いの射線へ入る時間は短くなる。
一瞬しか撃てないのなら、一発で与える損害は大きい方がいい。
今、極東で飛んでいる戦闘機の大半はまだレシプロ機だった。
国民政府軍のP-51。
ソ連系のYak。
少数の初期ジェット。
空戦の見た目は、まだ第二次世界大戦から大きく離れていない。
しかし、技術者が考えている次の戦争は違った。
速度はさらに上がり、プロペラが消える。
射撃時間は短くなる。
そしてソ連は、大口径航空機関砲を捨てる気配を見せていない。
「30mm級を試すべきだ」
技術将校が言った。
「新規開発には時間が掛かる」
「鹵獲したドイツ砲は?」
「研究中です」
「他には?」
資料をめくる手が止まった。
そこにあったのは一枚の写真。
日本軍の航空機関砲。
五式三十粍固定機銃。
「これがある」
「日本海軍の?」
「ああ」
戦争末期に実用化された30mm航空機関砲。
もちろん、そのままアメリカ軍の次期標準砲になるとは限らない。
発射速度、重量、給弾、搭載方法。
改良すべきところはいくらでもある。
だが、現物も図面もある。
作った人間もまだいる。
生産設備まで残っている可能性がある。
「すぐ量産するという話ではない」
「我々の管理下で行う、技術試験用の限定生産」
技術将校が言った。
「まず作らせてみて、撃って調べる」
「日本人に?」
「作ったのは日本人だ」
誰も反論しなかった。
二年前、
その砲はアメリカ軍機を撃つために作られた。
そして今、
そのアメリカ自身がその砲を欲しがり始めていた。
1948年1月中旬 朝鮮半島
───夜明け前。
南側の警備隊員は、最初の音を雷だと思った。
遠くで低い音がする。
腹の底へ響く。
二度目は少し近い。
三度目───地面が揺れた。
直後、前方で土が吹き上がった。
「……砲撃!」
叫び声が飛ぶ。
電話が鳴る。
無線が騒がしくなる。
兵士たちが塹壕へ飛び込む中、北側から砲弾が飛んでくる。
空にはまだ、後退翼のジェット戦闘機などいなかった。
夜が明ければ、上空へ現れるのはプロペラを回す戦闘機と攻撃機。
地上を進むのも、第二次世界大戦を戦ったものとよく似た戦車とトラック。
兵士たちが持つ小銃も、砲も、軍服さえも、ほんの数年前の戦場から、そのまま歩いてきたような姿だった。
だが、その背後にはソ連がいた。
海の向こうにはアメリカがいた。
二つの大国は、
この日も互いに宣戦布告していない。
それでも戦争は始まった。
後に『朝鮮戦争』と呼ばれる戦いは、
1950年を待たなかった。
その日の東京
電話が鳴り続けた。
朝鮮から、ワシントンから、横浜から、佐世保からも。
輸送船、航空機、医薬品、燃料、そして弾薬。
在日米軍部隊にも移動命令が出始める。
日本を占領するために置かれていた兵士たちが、日本から戦場へ出ていく。
会議室の隅では、別の書類が決裁を待っていた。
日本国内の旧軍需工場へ対する、技術調査の要請。
対象兵器───五式三十粍固定機銃。
工場では、今日も旋盤が回っていた。
若い工員が部品を測る。
隣では高瀬正一が、以前より随分と慣れた手つきで機械を扱っていた。
「また外れてる」
「前よりは良くなったでしょう」
「外れてるものは外れてる」
「厳しいなあ」
「俺も同じことを言われたんですよ」
二人が笑った。
作っているのは農業機械の部品だった。
……その時。
事務所から工場長が出てきた。
いつもとは少し違う顔をしていたのを見て、若い工員が手を止める。
「どうしたんです?」
工場長は答えず、倉庫の方を見た。
一年以上前、占領軍から処分を止められた木箱。
中には、図面、治具、測定具。
五式三十粍固定機銃の物。
「明日、アメリカ軍の技術者が来る」
高瀬も顔を上げた。
「何を見に?」
工場長は、一度だけ息を吐いた。
「三十粍だ」
機械の音が響いている。
敗戦の日に止まった旋盤は、鍋を作った。農機具も作った。
そして今、昨日まで敵を撃つために作っていた兵器を、昨日まで敵だった国が、もう一度作れるかと聞きに来る。
戦争は終わった。
だが世界は、平和になったわけではなかった。
冷戦の足音は、
もう、日本のすぐ隣まで来ていた。
続く
あ と が き
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