自我持つ兵器の英雄譚“Prequel” 1945 to 2000 作:Nyappy-
数年早く、必要とされたから。
……その注文は、突然やってきたわけではなかった。
1946年
終戦から一年も経たない頃、生き残った日本の工場へ舞い込んできた仕事の多くは、ひどく地味なものだった。
ボルトにナット、工具、ドラム缶。トラックや鉄道関係の部品。荷役用の機材に、食料品を詰める缶。衣料品や簡単な電気部品。
戦争中に航空機や火砲の部品を削っていた旋盤が、農業機械の軸を削る。その隣では、自動車用の部品が作られていた。
高瀬正一が働き始めた工場も同じだった。
戦争は終わった。だから兵器は作らない。
だが、人が生きるために物は必要だった。国内にも、日本を占領しているアメリカ軍にも。
「またトラックですか」
図面を受け取った若い工員が言った。
古参技術者が紙を覗き込む。
「まただな」
「農機具より多くないです?」
「走り回ってる数が違う」
それだけの話だった。
……少なくとも、最初は。
中国大陸での戦闘が激しくなるにつれ、注文の中身が少しずつ変わっていった。
車両部品が増えた。無線関係の部品が増えた。航空機の整備に使う工具、鉄道輸送向けの資材、港湾設備の補修部品まで回ってくる。
米軍が必要としている物資の量が増え、日本国内に残っている修理・補給能力まで使われ始めたのだ。
注文書に軍という文字がなくても、何に使われるのかは次第に分かるようになった。
「これ、民間のトラックじゃないですよね」
若い工員が図面を見ながら言った。
高瀬も横から覗き込む。
「軍用だろうな」
「作っていいんですか」
「注文が来たんだから、いいんじゃないか」
「そういうもんですかね」
高瀬は少し考えた。
「軍隊にいた頃も、大体そんなもんだったよ。上から来た命令の理由まで、毎回教えてもらえるわけじゃない」
「……高瀬さん、それ説得になってません」
「俺もそう思う」
二人は笑って、仕事へ戻った。
中国大陸向けの需要。
当時、一部の工場や商社では、それを冗談交じりに「支那特需」などと呼び始めていた。
もっとも、この時点ではまだ日本中を沸かせるほどのものではない。戦争で傷んだ工場は多く、材料も電力も輸送力も足りなかった。注文が来たところで、それをすべて引き受けられるほど日本の産業は回復していない。
だから最初に増えたのは、すぐに作れるものだった。
修理。交換。補修。
民間向けにも使える部品。既存の設備で加工できる品物。
それでも、仕事は仕事だった。
注文がある。
材料が入ってくる。
機械を直す理由ができる。
人を雇う理由ができる。
工場は、少しずつ立ち直り始めた。
1947年
工場の一角へ、工作機械が一台運び込まれた。
新しい機械ではない。
戦争中に使われ、敗戦後は工場の奥へ追いやられていたものを、整備し直して持ってきたのだ。
「これ、まだあったんですか」
若い工員が、油と錆の跡が残る機械を見上げる。
「あった」
古参技術者が答えた。
「使わなかったんです?」
「使えなかった、が近いな」
軍需用として使われていた工作機械。
敗戦後、そのまま兵器を作り続けることは当然できなかった。
だが、旋盤は旋盤だった。フライス盤はフライス盤だった。農機具も作れれば、自動車部品も作れる。機械そのものが軍人だったわけではない。
戦争中に翼桁を削っていた機械が、戦後には民生用の部品を削った。火砲部品を仕上げていた機械が、自動車部品を作った。
そして注文の性質が変わるにつれ、機械も少しずつ、昔の仕事に近いものを任されるようになった。
「航空機用?」
高瀬が図面を見る。
「補修部品だ」
「アメリカ軍の?」
「そうらしい」
古参技術者は図面を作業台へ置き、奥から出してきた工作機械へ目を向けた。
「この精度なら、あれを使った方が早い」
電源が入る。
低い音を立てて回り始めた機械は、敗戦後、民需用の機械として働いてきた。
あるいは、そういう顔をしていた。
何を削るかを決めるのは機械ではない。
図面と、注文した人間だった。
仕事が増えると、今度は人が足りなくなった。
戦争が終わった直後は、むしろ人が余っていた。
軍需が消え、軍隊も消え、復員兵が帰ってくる。仕事を探しても見つからない。高瀬自身も、その一人だった。
だが一年、二年と経つうちに状況は変わった。
工場の門に、人員募集の紙が貼られる。
機械工。
仕上工。
検査員。
整備工。
経験者優遇。
応募してくる者の中には、復員兵も多かった。
満州から帰ってきた者。中国から帰った者。南方から戻った者。シベリアからようやく帰還した者。
軍隊で整備をしていた。
自動車隊にいた。
航空隊で機体を触っていた。
工兵だった。
兵器廠で働いていた。
戦争は終わっていたが、そこで覚えた技術まで捨ててしまう余裕は、復興途中の日本にはなかった。
高瀬も、新しく入ってきた者へ仕事を教えるようになった。
「軍隊では何を?」
「自動車隊です」
「なら機械は触れるな」
「多少は」
「十分だ。こっちは旋盤が初めてでも、覚えればいい」
相手の経験を聞き、出来ることを見つけ、向いている場所へ回す。
軍曹だった頃の癖なのか、そういう仕事をいつの間にか高瀬が任されていた。
「高瀬さん、軍曹に戻ったみたいですね」
いつもの若い工員に言われ、高瀬は嫌そうな顔をした。
「やめろ」
「似てますよ」
「俺はもう兵隊じゃない」
「でも、人の使い方は上手い」
高瀬は一瞬黙った。
「……それは否定しない」
軍隊で過ごした十年は、敗戦の日を境に、何の役にも立たない過去になると思っていた。
でも、実際には違った。
兵隊でなくなっても、そこで身につけたものまで消えるわけではない。
それは高瀬だけの話でもなかった。
同じ頃、工場へ戻ってくるのは若い労働者だけではなくなっていた。
「山崎さんが戻るらしい」
古参技術者がそう言うと、周囲がざわついた。
「山崎さんって」
「戦争中の製造部長だ」
「辞めたんじゃ?」
「追放指定に引っかかってた」
「ああ……」
敗戦後、旧軍や軍需産業へ深く関わっていた者の中には、職場や公的な立場から遠ざけられた者も少なくなかった。
だが、その扱いも見直され始めていた。
中国大陸では戦闘が続いている。朝鮮半島でも緊張が高まり、ソ連との関係は悪化する一方だった。
そんな状況で、工場を動かせる者、設計のできる者、会社をまとめられる者を、いつまでも仕事から外しておけるのか。
答えは、次第に変わっていった。
そして1948年初頭までには、軍国主義体制そのものへ深く関わった者を除き、多くの技術者や実務家が職場へ戻れるようになっていく。
工場にも、昔の顔が戻ってきた。
「老けましたね」
古参技術者が言った。
「お互い様だ」
戻ってきた男が答える。
二人は握手した。
戦争中の話はしなかった。
だが機械の前へ立てば、手は覚えていた。
1948年初頭
朝鮮半島で戦争が始まった。
それまで少しずつ増えていた注文は、一段跳ね上がった。
輸送、燃料、車両、通信、航空機整備、医療、食料、鉄鋼。
戦争を続けるには、あまりにも多くの物が必要になる。
最初に日本へ求められたのは、それまでと同じく、既存設備ですぐ作れる部品や修理品、消耗品だった。
だが、それだけでは済まなくなった。
朝鮮で砲声が上がった数日後。
高瀬たちの工場へ、アメリカ軍の技術者がやってきた。
前の日、工場長が告げた通りだった。
倉庫の奥から、木箱が運び出される。
一年以上前、占領軍によって処分を止められたものだった。
蓋を外し、油紙を剥がす。
黒い機関部に、長い砲身。
五式三十粍固定機銃。
「……これが三十粍ですか」
若い工員が覗き込む。
「ああ」
古参技術者が答えた。
「海軍の航空機関砲だ」
戦争末期、アメリカ軍機を撃つために作られた兵器。
その周囲を、今度はアメリカ軍の技術者たちが囲んでいた。
保存状態。
砲身や機関部、給弾機構。
図面に治具。
質問は一つずつ具体的になっていった。
「発射できるか?」
通訳を介した問いに、古参技術者が砲を見た。
「整備すれば」
次の質問が来る。
「同じものを、新しく作れるか?」
その言葉で、周囲の空気が少し変わった。
修理ではない。
残っている一挺を動かせるかでもない。
もう一度、作れるか。
古参技術者は倉庫の外へ目を向けた。
工作機械がある。
図面がある。
治具がある。
以前より人も戻ってきた。
終戦から、まだ三年も経っていない。
設備も人間も、完全に散ってしまうには短すぎた。
「何挺です?」
逆に尋ねると、通訳された言葉を聞いたアメリカ人技術者が眉を上げた。
「作れるのか?」
「数によります」
古参技術者は少しだけ笑う。
「試作くらいなら」
会議室には、旧海軍の図面とアメリカ軍の資料が同じ机の上へ広げられた。
求められているのは、戦争中の五式三十粍をそのまま大量生産することではなかった。
まず、作れるか。
次に、撃てるか。
そして、どこまで使えるか。
アメリカ側は、自分たちが持つ航空機関砲の資料や、極東で得られた情報と比較しながら、五式三十粍そのものと、日本に残った製造技術を評価しようとしていた。
古参技術者が、一枚の資料へ目を落とす。
「昨日まで、これであなた方を撃とうとしていたんですがね」
通訳が伝える。
向かい側の技術将校は、少しだけ口元を緩めた。
「だから来た」
「気にしないんですか」
「撃たれたくはない」
一拍置いて、将校は続けた。
「だが、使える技術まで嫌う理由もない」
今度は日本側が笑った。
昨日まで敵同士だった者たちが、同じ机を囲んでいる。
戦争が終われば、敵と味方が入れ替わることもある。
その変化を一番早く実感したのは、政治家でも軍人でもなく、案外こういう工場の人間だったのかもしれない。
『占領軍であるアメリカ軍の技術評価を目的とした少数試作』
名目はそうなった。
だが、工場にとって重要なのは別のところにあった。
兵器を、新しく作る。
敗戦以来、初めてのことだった。
もちろん、戦争中と同じやり方をそのまま復活させるわけではない。
材料が違えば、検査方法も違う。
一部の設備には手が加わっている。
そこへアメリカ側の要求まで入る。
加工途中の部品を測った若い工員が、測定具から目を離した。
「少し外れてます」
古参技術者が確認する。
「作り直し」
「農機具なら通りますよ」
「これは農機具じゃない」
「少しくらいなら動きません?」
「動くかもしれん」
部品を手に取り、光へ透かすように眺める。
「だが、撃った時にその少しが返ってくる」
若い工員は、もう一度部品を見る。
「……戦争中も、そんなに厳しかったんですか」
古参技術者は少し黙った。
「本当はな」
そして部品を返す。
「最後の方は、材料がない、人がない、時間がないで、通さなきゃならんこともあった」
「じゃあ今は?」
「今は作り直せる」
短い言葉だった。
だが、その違いは大きかった。
昔の技術は使う。
昔の経験も使う。
しかし、昔の失敗まで受け継ぐ必要はない。
そうして、最初の一挺が完成した。
戦争中の在庫ではない。
戦後に調達した材料を、戦後の日本で働く工員が加工し、戦後の工場で新しく組み上げた五式三十粍固定機銃。
若い工員は、完成した砲をしばらく眺めていた。
「……本当に作れた」
古参技術者が横で鼻を鳴らす。
「二年しか作ってなかったんだ」
「二年も、じゃなくて?」
「二年しか、だ」
彼は、自分の手を見る。
「忘れるには短すぎる」
試射場に、重い発射音が響いた。
機関部が激しく動き、薬莢が跳ねる。遠くで土が弾けた。
射撃が止まると、日本側とアメリカ側の技術者が一斉に砲へ集まった。砲身、機関部、給弾系。摩耗、変形、熱の入り方まで一つずつ確認する。
一度で終わるはずもなかった。
二度目。
三度目。
途中で作動不良が出た。
原因を探し、部品を見直し、工場へ持ち帰って削り直す。
再び持ち込む。
また撃つ。
今度は動いた。
作る。試す。壊れれば直す。
そして、また試す。
その手順自体は、戦争中と何も変わらなかった。
違うのは、その砲を囲んでいる人間だった。
昨日まで互いを撃っていた国の技術者たちが、同じ故障箇所を覗き込み、どう直すかを相談している。
高瀬は少し離れた場所から、その光景を見ていた。
三年という時間は短い。
だが、敵と味方を入れ替えるには十分だった。
試験が一区切りつく頃には、工場へ届く注文は五式三十粍だけではなくなっていた。
航空機の交換部品。
車両部品。
通信機材。
弾薬関係の加工品。
別の工場には、造船、鉄鋼、鉄道、港湾関係の仕事が流れ込んでいる。
中国大陸と朝鮮半島。
二つの戦場が、日本の産業へ大量の仕事を持ち込み始めていた。
もちろん、日本全体が豊かになったわけではない。
街にはまだ焼け跡が残る。住宅は足りない。食卓も豊かとは言えない。
それでも工場の中だけを見れば、敗戦直後とは明らかに違った。
夜勤が増えた。
求人が出た。
復員兵が働き始めた。
追われていた技術者が戻ってきた。
壊れていた設備が修理され、止まっていた工作機械が再び動く。
そして今度は、兵器まで作り始めた。
日本には、まだ軍隊がなかった。
だが、軍隊が使う物を作る能力は、その成立を待たずして戻り始めていた。
数日後
工場長は、占領軍の将校と向かい合っていた。
机の上に置かれていたのは、五式三十粍の追加発注書ではない。
工場の生産設備。
従業員数。
月間生産能力。
拡張余地。
戦時中に何を作っていたのか。
現在、何を作れるのか。
航空機、車両、火砲、無線機。
さらに、旧陸海軍の技術者や熟練工がどれだけ戻っているのかまで、調査項目に含まれていた。
工場長は何枚か紙をめくった。
「朝鮮向けですか?」
「朝鮮でも使う」
将校が答えた。
「中国でも?」
「使うだろう」
工場長は、もう一度書類へ目を落とす。
それにしては、調べている範囲が広い。
一つの戦場で必要になった兵器を注文するだけなら、ここまで工場そのものを調べる必要はない。
アメリカが知りたがっているのは、何を作らせればよいかだけではなかった。
今の日本に、何を作れるのか。
どれだけ作れるのか。
そして、どこまでなら戻せるのか。
「……何を始めるつもりなんです」
将校は、すぐには答えなかった。
「まだ、何も決まっていない」
それは嘘ではなかった。
日本にはまだ、陸軍も海軍も空軍も存在しない。
にもかかわらず、人は戻り、設備は直り、兵器を作る工程まで復活し始めている。
制度だけが、その変化に追いついていなかった。
その日の夕方。
高瀬は旋盤を止め、加工を終えた部品へ測定器を当てた。
規格内。
検査箱へ入れる。
三年前、この機械は日本軍の兵器を作っていた。
敗戦後は鍋を作り、農機具を作り、自動車の部品を作った。
人が生きるための物を作った。
そして今日、また兵器の部品を削っている。
旋盤は同じだった。
使っている人間も、大半は同じだった。
違うのは、図面の向こう側にいる相手だった。
かつて射線上にいた国が、今度は引き金を引く。
工場の向こうでは、次の材料が運び込まれていた。
夜になっても、旋盤の音は止まらない。
日本は、もう一度兵器を作れる。
ならば次に問われることは、一つしかなかった。
その兵器を、誰が使うのか。
まだ誰も、その答えを制度の名前として口にはしていなかった。
続く
あ と が き
軍需産業、再起動。
次回 新たな発注者