『安楽死』の個性を持つ透明な"僕"と血を吸う少女 作:汚れっちまった哀しみに
レディ・ナガンという女性のいまをひと言で語るならば、ヒーロー殺しのヒーローというのが一般的には先に来る評価だろう。諍いの末に同業者を殺して逃げているという彼女を評する言葉は、間違いなく悪役としてのものしか見当たらない。
あるいは不自然なほどに過去の栄光の情報はなりを潜めている。
けれども本当にそれだけなのだろうか? 事件を起こす前、彼女は子供にも慕われるヒーローだったのだ。握手を求められ、ぶっきらぼうにしかし誠実に対応している姿を一度見たことがある。
そんな人間が殺人を犯す? 私利私欲で? 突発的に?
ありえるだろう。
人間は善性だけをもって存在していない。たとえ常日頃はヒーローのマスクをかぶれたとしても、ふとした瞬間にそれが脱げて本当の自分が顕になることだってある。
人間はそういうものだから。
そしてそんなヒーローなんて腐るほどいる。そうでなければ毎年汚職絡みで老舗のヒーロー事務所は潰れてはいかない。
むしろ潰すことが出来るだけまだマシとさえいえる。国や街の全体が汚職にまみれてしまえば、己の立っている場所が肥溜めである自覚さえ見失うものだ。
しかしそれでも僕はレディ・ナガンというかつてのヒーローが、自分のためにヒーローを殺害したとはどうにも思えなかった。
僕がそう考えるのはきっと子供たちに握手を求められた時、何かを幻視したように己の手を瞬間じっと見つめてしまった彼女を見たことがあるからかもしれない。
もしも彼女が今もそうであるように、差し伸ばした掌の寄る辺を求めているのならば、誰かがその手を握り返さなければいけない。そうでなければ彼女は暗闇のそこに留まり続けることになるだろう。
そう思いレディ・ナガンの元へと近づこうとして、彼女の視線と目が合った。瞬間の恐れ、それから怪訝な色を瞳に宿していた。
しかしそうだからといって彼女がこちらにやってくることも、逃亡者である彼女の顔を見た僕へと攻撃に移ることもなかった。ただレディ・ナガンは一度後ろを振り返ると路地裏の向こう、横路へと駆けるように去っていった。
それからすぐに別な人間がやってくる。まず目についたのはその視線。何かを妄執するかのような三白眼気味の瞳。狂気を感じさせるそれをギョロギョロと動かしている。
「どこへ消えた‥‥レディ・ナガン‥‥」
両手には抜き身になった大小二振りのコンバットナイフ。長い舌を垂らし、まるで獲物を探るように体を這い寄らせている様は、その牙で獲物を喰らおうとする猫科の獣のようだった。
「ハァ‥‥偽物のヒーロー‥‥堕ちたお前は正されなければならない‥‥」
男は彼を見ている僕に気がつくことなく、レディ・ナガンが立ち去った横路へとユラユラと揺れるように歩きながら追いかけていった。
時系列はどうぞ気にせずに