『安楽死』の個性を持つ透明な"僕"と血を吸う少女 作:汚れっちまった哀しみに
「救う‥‥だと?」
顔がピクリと痙攣するように一度動き、ヒーロー殺しが緩慢に止まった。それまで一度たりとも僕を見ていなかったその瞳が、横目で僕へと固定される。
「救うと言ったかお前、この状況で‥‥ヒーローじゃないな。学生か‥‥?」
僕へ向けられた視線に体を合わせるように、ヒーロー殺しの体が僕の方を向く。
僕は傷だらけの彼と対面した。
(あぁ‥‥もう壊れた匂いがする)
目の前のヒーロー殺しからは、そういう香りがした。まるで叩き続けられた歪な鋼の板だ。不完全だった自らの意思を、辛酸を舐めるたびに自らの力へと還元してきた人間だ。
その原点にあるものが信念なのか妄執なのかは分からないけれど。
僕には彼を救えない。彼は僕の差し出す掌を払いのける人間だ。
――壊れかけのレディ・ナガンとは違う。
しかしだからこそレディ・ナガンを彼に渡すわけにはいかない。彼女は僕が救うモノだ。
「そう。彼女は僕が救う。君は必要ないんだ」
ヒーロー殺しは、右手の指先で倒れ伏したレディ・ナガンを指し示した。
「‥‥お前はあの女がヒーローとして何をしていたか知っているのか? あの公安の犬の手は既に血で染まりきっている‥‥ただの偽物だ‥‥」
「なぜあんたが、それを‥‥」
「贋作の英雄の腐敗臭は隠そうとしたところで漏れ出でる‥‥」
ヒーロー殺しの言葉にレディ・ナガンは目を伏せた。傷が拡がったのか、右腕を押さえかすかに震えてさえいる。
「だからこそだよ。彼女は苦しんでいる。可哀想なレディ・ナガンの心は叫びをあげている。だから僕が救うんだ。僕の個性が彼女を殺すことで」
「救う、だと‥‥? 殺して?」
「そうだよ。ヒーローに倒されて終わるだけなんて可哀想じゃないか」
「くだらん‥‥」
ヒーロー殺しは目を閉じた。額に手を当てそこには暗い影が落ちる。
「ハ‥‥ハァ‥‥期待した俺が愚かだった‥‥」
ため息と共に、指の隙間から憎悪を込めて睨みつけられる。
「時間の無駄だ‥‥お前は壊れきっている」
僕が? なぜだろう。なぜ彼はそんな哀しいことをいうのだろう。違う。僕は壊れてなんていない。空っぽで透明な僕の中には、けれどもこんなにも多くの皆がいるんだから。
「動くな。レディ・ナガン‥‥」
思考が広がろうとして、しかし意識が深く沈みこむことはなかった。
「ぐっ……ッ!!」
ヒーロー殺しがレディ・ナガンへとナイフを投擲した。それは彼女の腹部へと突き刺さる。
「死にたくなければ消えろ‥‥俺の邪魔をするな」
「そういうわけにはいかないんだよ。僕にも僕の役割がある」
透明人間だって役割をもって存在しているのだから。そうでなければ僕は存在していないのも同じ。
それじゃあ駄目なんだ。
「ハァ‥‥ならば粛清対象だ‥‥」
彼は僕を見た。だが彼は僕を見てはいない。ヒーロー殺しが見ているものは、あくまでも彼の信念の先にあるものだ。
ナイフを構える彼を前にして、僕は両手を広げてその殺意を受け入れる。ちょうどヒミコちゃんを抱きしめた時のように。
一瞬、怪訝な表情をしたヒーロー殺しだったけれど、すぐに僕へと向かい襲いかかる。
僕の力はひ弱だ。どうしようもない。簡単に硬質な床へと押し倒される。そうしてそのままナイフが頭を目掛けて振り下ろされた。
果たしてナイフは僕の顔の横へと振り下ろされていた。僕にとっては予定調和のように。彼にとっては不規則に。
二度、三度とナイフは振り下ろされる。
ニイと笑う。あぁ、やっぱりこの人は僕を見てはいないんだ。
僕は個性を発動させた。ヒーロー殺しの死を願ってはいない。けれど腕を呼び寄せるだけでいい。九つの冷たい掌が、温かい血潮を持つ彼へと迫ろうとして――
――ヒーロー殺しは僕から飛び退き距離を取った。
「なんだお前は‥‥なぜこちらの攻撃が当たらない‥‥?」
素晴らしい反射神経だった。
僕の腕たちは渇きを覚えた獣のように貪欲だ。僕の許可さえ与えられれば、相手に群がり貪り食らうように襲い掛かる。
僕は立ち上がる。抱きしめるように、あるいは肋骨のように広がる腕たちの中から彼を見る。
「君は僕を見ていない。それじゃあ僕は殺せないんだよ。深淵を覗き込む者は、深淵に覗き返されるというように‥‥深淵を覗かない者は覗き返されないように‥‥」
僕は僕だ。真正面から僕を見れない者は、僕を真に捉えることは出来ない。これは僕が僕であるだけなのと同じ。
個性による副次作用。
炎は僕を避け、銃弾は外れ、水流に閉じ込められても空間を作り出す。
衣服についた砂埃を払い落とし、ヒミコちゃんに噛みつかれ痛みを残す首筋の傷を掌で覆った。
「君は僕を見ていない」
僕を殺せるのは僕を観ることが出来る人だけだ。
愛・地球吐く!