大通りの喧騒の中を進んでいると、突如として、ズゥゥゥン……と地響きのような重低音が街に響き渡った。
アガルタの中央区画にそびえ立つ、巨大な金属製のシャフト。その半透明のチューブの中を、一つの大きなカプセルが、凄まじい速度で上空――天を突く岩盤の天井に向かって上昇していく。
アイリスはその光景に目を奪われ、足を止めて見上げた。
「……あの、レイさん。あれは何ですか?」
レイはアイリスの視線を追い、上昇していくカプセルを見つめると、その目つきを一段と険しくした。ふっと自嘲気味な笑みを漏らす。
「お前、本当に何も知らないんだなぁ〜。各地区にそれぞれあるだろ? ……ありゃ、『棺桶』だよ」
「……あれが、博士の言っていた『棺桶』ですか……」
アイリスが怪訝(けげん)そうに眉をひそめる。
レイはポケットに手を突っ込み、吐き捨てるように言った。
「そう。地上直通エレベーターさ。病気や怪我、感染症でどうにもならなくなった奴なんかが、あのカプセルに乗せられて地上へ送られる。……そこで『屍人(しびと)』になるのさ」
アイリスはその生々しい光景に顔から血の気を失い、驚愕と恐怖に目を見開いた。
「本当に……あんな風に送り出されてしまうんですね……。どうしてそんな事をするんですか!?」
思わず声を荒げたアイリスに、レイは冷めた、だがどこか深く傷ついたような視線を向けた。
「何言ってんだ、お前。……俺たちモグラは、使える資源が限られてんだぞ。生きてるだけで、空気も水もタダじゃねぇんだ。……仕方ない事なんだよ。システムを維持するためにはな。……悔しいけどな」
レイの脳裏に、かつてあの『棺桶』に乗せられて二度と戻らなかった、優しかった母親の笑顔がよぎる。
アイリスは言葉を失い、ただただ、灰色の天井へと消えていくカプセルを、祈るような痛切な面持ちで見上げ続けるしかなかった。
重苦しい沈黙が二人を包みかけたその時、大通りの向こうから、ドスの利いた、だが快活な声が飛んできた。
「おうおう、レイ! お前にもとうとう春が来たのか!!」
声の主は、油まみれの作業着を着た、通りすがりのおっちゃんだった。おっちゃんはニヤニヤと笑みを浮かべ、レイの肩をパシパシと叩く。
「仕事はどうした? 今日は休みか!! ……で、そのお嬢ちゃん、ここいらじゃ見かけない顔だが……」
「そんなんじゃねぇ〜よ。観光で来た子が迷子になってるから、案内してんだよ。送ったら急いで仕事だよ」
レイが盛大な溜息を吐きながら言うと、アイリスは申し訳なさそうにペコリと頭を下げた。
「お忙しいのに、私のせいで本当に申し訳ございません……」
「別にいいさ」
レイはぶっきらぼうに自分の後頭部を掻く。
「ガハハ! 相変わらずお人好しだな、レイ! じゃあな、仕事遅れんなよ!」
おっちゃんは満足そうに笑いながら、再び大通りの雑踏へと消えていった。
さっきのお婆さんといい、今のおっちゃんといい、みんながレイに親しげに声をかけていく。
その様子を見ていたアイリスは、感心したように目を輝かせた。
「……レイさんって、皆さんから本当に慕われてるんですね」
「ん〜……慕われてるっていうよりも、家族みたいなもんかな。……俺、家族いねぇ〜し」
あっけらかんとしたレイの言葉に、アイリスは息を呑んだ。レイの家族の話と、先ほどの『棺桶』の話が、一気に頭の中で繋がったのだ。
「し、失礼しました……! 変な事を聞いてしまって……」
激しく恐縮してオロオロとし始めたアイリスに、レイは「だから気にすんなって」と苦笑いしながら、前方を指差した。
「ほら、見えてきたぞ。あそこが『絶品モグラぷりん本舗』だ」
レイが指差した先には、手書きのレトロな看板を掲げた小さなお店があった。店先からは、甘くて香ばしいカラメルの匂いがふんわりと漂ってくる。
アイリスの目がぱあっと輝いた。
「ぷ、ぷりん〜♪」
「あっ! わざわざありがとうございました! この御恩は一生忘れません。このお礼は必ず……!」
「そんな大袈裟なぁ〜。別にいいよ。じゃあなっ!! ……あ、やべぇ〜! 仕事に遅れちまう!」
手元の時計を見たレイは、ガレスの言葉を思い出してハッと飛び上がった。もう始業ギリギリの時間だ。
レイは慌てて、大通りの群衆へと駆け出す。
「レイさぁ〜〜ん! またどこかでぇ〜!」
後ろから、大きく手を振るアイリスの元気な声が響く。
レイは走りながら、振り返らずに片手を大きく突き上げた。
「んじゃなぁ〜〜!」
全力で掘削現場へと走りながら、レイはふっと、さっきまで隣を歩いていた少女の笑顔を思い浮かべた。
暗い地下の空気の中で、彼女の周りだけ、まるでここではないどこかの光が差しているみたいだった。
(にしても……可愛かったなぁ〜、あの子)
強面の自分を怖がりもせず、コロコロと表情を変えていた不思議な少女。
レイは少しだけ顔を火照らせながら、アガルタの灰色の通路を一段とスピードを上げて駆け抜けていった。
レイは息を切らせながら、掘削区画の重いハッチへと滑り込んだ。
タイムカードの表示は、始業時間のちょうど一分前。
「セーフ……! 間に合った……」
膝に手をついて荒い息を吐き出すレイの背中を、先に機体のチェックを始めていたガレスが呆れた顔で小突く。
「ギリギリだぞ、レイ。あの迷子のお嬢ちゃん、ちゃんと送り届けられたのか?」
「おう、モグラぷりん本舗までバッチリな。放っておいたら、今頃アガルタの最深部まで直滑降で行ってたぜ、あの子」
レイは作業用ヘルメットを被り、顎紐をぐっと締め直すと、自身の愛機である工業用パワードスーツ――『モビルワーカー』のコックピットへ飛び乗った。
剥き出しのフレームに、長年の掘削作業で傷だらけになった装甲。
狭いコックピットに深く腰掛け、コントロールレバーを握り、足元のペダルに足をかける。
「あいつ、棺桶のことは『博士がどうこう』って知ってたみたいだけど、街のことは何一つ見てないような、世間知らずのお嬢様っぽかったな……。ガレス、あの子が着ていた服、お前どう思った?」
隣のドックで同じく機体を起動させていたガレス・ハドソンが、無線越しに真剣な声を返してきた。
「……さぁ〜な。ただ、一つだけ確かなことがある。あの子の肌は、この地下の人工照明の下で生きてきた俺たちの青白さとは違った。本物の……太陽の光を知っている人間の肌だ」
「太陽、ねぇ……」
レバーを引くと、操縦者の動きをトレースするように、頑強な金属製のアームがギチギチと音を立てて駆動する。
400年前の『核の嵐』がもたらした、灰色の空と地下生活。それが自分たちのアタリマエの日常だ。
だが、あの少女の笑顔は、まるでガレスの古書に出てくる『神話の空』そのもののように、眩しくて、温かかった。
「……よし、行くか! 今日も掘って掘って、掘り進めるぞ!」
レイは強面をさらに引き締め、フットペダルを一気に踏み込んだ。
ズズズ……と背面の大型ジェネレーターが唸りを上げ、駆動音とともにアガルタの日常が再び回り始める。
二人はまだ知らない。
この出会いが、
400年もの間止まり続けていた世界を、
再び動かす最初の一歩になることを――。
(第2話 終)