■地下都市アガルタ・馴染みのダイナー(夜)
レイは無言で歩み寄ると、アイリスの正面へドカッと腰を下ろした。
「……さっきは、怒鳴って悪かった」
アイリスはハッと顔を上げ、赤くなった目でレイを見つめる。
「いえ……。レイさんの言う通りです」
小さく息を吸い、ゆっくりと言葉を続けた。
「私は、何も知らずに綺麗な言葉を使っていました。父たちがしているのは、『支援』なんて高尚なものじゃない。地下を都合よく管理するための仕組みです」
アイリスはギュッと膝を握りしめた。
虹色の瞳には、揺るがない決意が宿っている。
「私は前から疑問に思っていました。父上は、それを正義だと信じています。でも私は……違うと思っていた。それなのに今日、私自身が『支援』という言葉を使ってしまった……」
「本当に、ごめんなさい」
しばらく沈黙が流れる。
「……あぁ」
レイは静かにグラスを見つめた。
その横から、ガレスがレイを肘で小さく小突く。
「ほらな。この子は違うだろ?」
レイは頭を掻き、照れ臭そうに笑った。
「……俺も悪かった」
アイリスはふっと笑みを浮かべる。
「もう大丈夫です。レイさんが、顔は怖いけど、とても優しい人だって分かりましたから♪」
「顔は余計だ」
レイがそっぽを向くと、ガレスが吹き出した。
「で、話を戻すが」
ガレスが身を乗り出す。
「何で皇女様が、こんな危ない場所を一人で歩いてたんだ?」
「それはですねぇ〜」
アイリスの虹色の瞳がキラキラと輝き始めた。
「ぷりんですっ!!」
「「…………」」
二人は同時に固まった。
レイが頭を抱える。
「……お前なぁ。ぷりん食うためだけに命懸けで地下まで来る奴がいるか?」
「何を言ってるんですか!」
アイリスは勢いよく立ち上がる。
「ぷりんは正義です!! あのカラメルとカスタードが織り成す奇跡! 口の中でオーケストラが――」
熱弁を振るう皇女様。
ガレスはレイを見た。
「あー……レイ」
「こりゃ本気だ」
「みたいだな……」
二人は同時に肩を落とした。
レイがため息を吐く。
「護衛は?」
「もちろん撒きました♪」
「……マジか」
「今頃、大騒ぎじゃねぇのか?」
その言葉にアイリスは青ざめた。
「あわわわっ!! そうでした!! 本当はお昼には戻る予定だったんです!!」
「じゃあ何で今まで……」
「迷子になってしまいまして……」
「…………」
「…………」
レイとガレスは無言で顔を見合わせた。
「んで、その護衛さんたちは?」
「地上の研究所区画にいらっしゃると思います」
「「えっ!?」」
今度は完全に声が揃った。
レイが身を乗り出す。
「待て!! 地上に人が居るのか!?」
アイリスは逆に不思議そうな顔をした。
「……居ないんですか?」
「え?」
「え?」
妙な沈黙。
アイリスは慌てて説明する。
「もちろん居ますよ。居住区画もありますし、研究施設もあります。ただ……空はまだ灰色ですけど」
レイもガレスも言葉を失った。
「お、おい……。屍人(しびと)はどうした?」
アイリスは首を傾げる。
「朝おっしゃっていた『棺桶』の方々ですか?」
「病気や怪我の方は、医療区画で治療したあと、居住区画へ移ります。犯罪者は牢獄区画ですね」
静まり返る店内。
レイたちは言葉を失っていた。
「……付いていけねぇ」
ガレスが頭を抱える。
「俺もだ……」
自分たちが信じてきた世界。
その常識が、音を立てて崩れていく。
アイリスは申し訳なさそうに笑った。
「無理もありません。クロフォード博士がいなければ、私も何も分かりませんでしたから」
「……!」
レイとガレスが同時に顔を上げる。
「クロフォード博士?」
ガレスがレイを見る。
レイは静かに尋ねた。
「その博士って……マリア・クロフォードじゃないか?」
「はい!」
アイリスは笑顔で頷く。
「マリア・クロフォード博士です! ご存じなんですか?」
レイはゆっくり息を吸った。
「……俺、レイ・クロフォードって言うんだ」
一拍。
「マリア・クロフォードは――俺の母さんだ」
「…………え?」
アイリスは目を丸くした。
そして次の瞬間。
「あぁぁぁぁっ!!」
勢いよく立ち上がる。
「そうでした!! クロフォード博士が言ってました!!」
「『顔面凶器の息子がいるから、もし会ったら地上で待ってる』って!!」
「レイさんのことだったんですね!! 納得です♪」
「誰が顔面凶器だよ……」
「ぶはっ!!」
ガレスが腹を抱えて笑い始める。
「ギャハハハ!! じゃあアイリスちゃんを送るついでに、レイの母ちゃんにも会いに行くか!!」
「ガレス、お前……そんなに俺の母さんに会いたいのか?」
「違う」
「ん?」
ガレスは満面の笑みで親指を立てた。
「レイの母ちゃんより神話だっ!!」
「お前最低だな!!」
「ワハハハ!!」
豪快に笑うガレスを見て、アイリスも思わず吹き出した。
「ふふっ♪ お二人は本当に仲が良いんですね」
「どこがだよ……」
レイは呆れたように頭を掻きながらも、小さく笑う。
この何気ないやり取りが、張り詰めていた空気をすっかり溶かしていた。
「じゃあ帰るか」
レイは立ち上がり、アイリスに視線を向ける。
「アイリス、行くぞ」
「あ、はい!」
ガレスも席を立ち、伸びをしながら言った。
「んじゃ、俺はいつもの場所――モビルワーカーの格納庫で待ってる」
「あいよ」
◇
アガルタの帰り道。
薄暗い通路を二人の影が並んで歩く。
「……さっきは、本当に悪かった」
「もう大丈夫ですよ」
アイリスは優しく笑う。
「レイさんが怒った理由も分かりましたから」
「ありがとな」
しばらく歩いてから、アイリスが微笑む。
「でも、クロフォード博士がレイさんのお母様だったなんて。何だか運命みたいですね♪」
「俺も、もしかしたらとは思ってたけどな。まさか本当にそうだったとは」
レイは照れ臭そうに笑った。
やがて、小さな鉄製の扉の前で立ち止まる。
「ここだ。俺ん家」
「せ、狭……」
アイリスは慌てて咳払いをした。
「な、なかなか趣のあるお住まいですね!」
「今、何か言ったか?」
「いえっ! 何でもありません!」
部屋へ入ったアイリスは、棚の上に置かれた写真立てを見つけた。
幼いレイを優しく抱く、一人の女性。
「この方が……クロフォード博士。若いですねぇ」
少し眺めたあと、クスッと笑う。
「レイさん、この頃から顔面凶器だったんですね」
「おい。どういう意味だ」
「さっ! 準備しましょう!」
アイリスは慌てて荷物をまとめ始める。
レイは呆れたようにため息を吐きながら、旅支度用の古いバックパックをクローゼットから引っ張り出した。
地上へ。
止まっていた運命が、ゆっくりと動き始めようとしていた。
(第6話 終)