バグ魂(ソウル)の不確かすぎる多世界周回 作:カミト6622
「うわぁ……! クロウ、見て見て! お家がみんな水の上に浮いてるみたい! お水がとってもキラキラしてて、すっごく綺麗!」
「そうだな。この街の移動はこれが基本だ。シロ、落ちないようにしっかり掴まってろよ」
高級店での極上の『水水肉』ランチを終えた俺たちは、水の都の最大の名物でもある、愛嬌のある顔をした巨大な魚『ヤガラブル』の背に揺られながら、網の目のように張り巡らされた水路をのんびりと下っていた。
シロはヤガラブルの背中で、小さな両手で手すりを握り締めながら、まるで子供のように無邪気に水の都の美しい景観に目を輝かせている。
俺たちが今化けているのは、白い羽を持たない、ただのどこにでもいる少し裕福な旅人の兄妹だ。
バグ巫力による情報改ざんのおかげで、すれ違う住民や海兵たちも、まさか自分たちの横を通り過ぎる黒いコートの男が世界を震撼させている3億2000万の懸賞首だとは夢にも思っていない。
ヤガラブルは心地よい水音を立てながら、世界最高峰の造船会社『ガレーラカンパニー』の本社ビルと、巨大な第1ドックがそびえ立つ中心海域へと差し掛かった。
そこには、巨大なクレーンや木材がひしめき、何十人もの一流の船大工たちが大声を張り上げて巨大な船を建造している、圧倒的な活気の世界が広がっていた。
「おいパウリー! そっちのキール(竜骨)の角度がコンマ数ミリ狂ってやがるぞ! もう一度測り直せ!」
「分かってらァ、アイスバーグさん! ガタガタ騒ぐんじゃねぇ、今すぐ調整してやるよ!」
水路のすぐ脇にあるドックの足場の上。
ガレーラカンパニーの社長であり、この水の都の市長でもあるアイスバーグが、トレードマークの青いネズミ(ティラノサウルス)を胸ポケットに入れたまま鋭い指示を飛ばしていた。その傍らでは、葉巻を咥えた金髪の船大工職長パウリーが、ロープを器用に操りながら怒鳴り返している。
俺たちの乗ったヤガラブルが、ちょうどそのドックの真横を通り過ぎようとした、その瞬間だった。
「……ん?」
アイスバーグの鋭い眼光が、ふと、水路を進む俺たち……いや、俺たちの背後に潜む『ある影』へと向けられた。
正確には、ドックの死角、一般の船なら絶対に座礁するような不自然な水深の歪みに隠形させてある、我が拠点――漆黒のガレオン船『レヴァナント号』の、バグ巫力による空間の歪みを、一流の船大工としての『直感』が微かに捉えたらしい。
「おい……パウリー。あの裏のドックの死角にある船……お前、あんなガレオン船の発注を受けた覚えはあるか?」
「あぁん? 何言ってんだアイスバーグさん、あそこは今、資材置き場……――って、はァ!?」
アイスバーグに促されて視線を向けたパウリーが、咥えていた葉巻をドックの床へポロリと落とした。
俺の『隠形・万里縮地』の空間偽装を完全に破ることはできずとも、造船のプロである彼らの目には、そこにある『空間の不自然な吸光率』と、チラリと見えた漆黒の特殊木材の質感が、世界の常識を遥かに逸脱している戦闘船の存在を物語っていたのだ。
「な、なんだあの船の構造は……!? 竜骨(キール)の曲線のバランスが完璧すぎるなんてレベルじゃねぇぞ! まるで船そのものが一つの生きた『呪物』みたいに空間に溶け込んでやがる……!」
「それだけじゃない。あの船体の黒い木材……世界最高峰の宝樹アダムとも違う、この世のどこの海にも存在しない未知の金属質の木だ。船大工として断言できる……あんな船、人の手で造れるわけがない……ッ!」
アイスバーグの額から、タラリと冷や汗が流れ落ちる。
ロブ・ルッチたちCP9ですら気づけなかった『レヴァナント号』の構造の異常性に、純粋な造船の技術という一点において、彼らは本能的な恐怖と驚愕を抱いたのだ。
「おい! そこのヤガラブルに乗ってる兄ちゃんたち! あの黒い船の持ち主は――」
パウリーがたまらずドックの端から身を乗り出し、水路にいる俺たちに向かって大声を張り上げようとした。
だが、俺はヤガラブルの上で、ワイングラスの代わりに持っていた冷たいリンゴジュースのグラスを軽く傾けながら、パウリーとアイスバーグに向けて、フッと冷ややかな笑みを向けた。
それと同時に、俺の右手のロザリオが不穏な黒いバグ巫力の光を微弱に放ち、彼らの周囲の空間の音をピキリと遮断する。
「(……一流の職人の目ってのは大したもんだな。だが、あまり深入りしようとするなよ、船大工。俺たちはただの気楽なゲストだ。皿を割るような不粋な真似はお互い本意じゃないだろ?)」
声には出さない、脳内ハッキングを応用した直接の念話(プレッシャー)。
3億2000万ベリーの亡霊が放つ、普通の人間が近くに居られない領域の圧倒的な重圧がドックの上層を包み込み、パウリーとアイスバーグの身体が一瞬で金縛りにあったように硬直した。
「く……っ、身体が……動かねぇ……!?」
「な、なんだこのプレッシャーは……。あの兄妹、一体何者だ……ッ!」
彼らが冷や汗を流して凝視する中、俺たちのヤガラブルはそのまま何事もなかったかのように水路のカーブを曲がり、賑やかな下層街の雑踏の中へと優雅に消え去っていった。
「クロウ、今の金髪のお兄さん、何か叫んでたよ? お友達?」
「いや、ただの通りすがりの職人だよ。ちょっと俺の服のセンスを褒めてくれただけさ」
「えへへ、クロウのコート、格好いいもんね!」
純白の少女の無邪気な笑い声を乗せて、ヤガラブルはどこまでも穏やかに水の都を進んでいく。
世界一の船大工たちすらその異常性に戦慄する魔船を従えながら、俺たちは海軍の警戒も政府の闇も全て置き去りにして、水の都のさらなる美味を求めて気楽な航海を続けるのだった――。