原神転移 異世界おじさん   作:ところてんの

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第14話「メイド騎士」

 モンドの朝は、思っていたよりも静かだった。

 

 街の中では人々が行き交い、店の準備をする者や、騎士団の仕事へ向かう者の姿がある。

 

 少し前まで日本で暮らしていた俺にとっては、いまだに不思議な光景だった。

 

 石造りの建物。

 

 剣を腰に下げた騎士。

 

 風に揺れる旗。

 

 そして、街の中央にそびえる巨大な神像。

 

 ゲームの画面で何度も見た場所なのに、実際に歩いてみると全然違う。

 

 そんなことを考えながら歩いていると、前方から見覚えのある少女がこちらへ向かってきた。

 

 銀色の髪。

 

 整った顔立ち。

 

 そして、騎士服の上から身につけた白いエプロン。

 

 ノエルだった。

 

「おじさん、たかふみさん。おはようございます」

 

「おはよう、ノエル」

 

「おはよう」

 

 ノエルはいつものように丁寧に頭を下げる。

 

「今日は何かご用事でしょうか?」

 

「特にない」

 

「ないんかい」

 

 おじさんが即答すると、俺は思わず突っ込んだ。

 

「だったら、なんで街を歩いてるんだよ」

 

「歩いているだけだ」

 

「いや、まあ……そうだけどさ」

 

 おじさんは本当にそれだけだった。

 

 目的地があるわけでもない。

 

 何かを探しているわけでもない。

 

 ただ歩いている。

 

 異世界生活を十七年も経験した人間の行動として、それが普通なのかどうかは俺には分からなかった。

 

「でしたら、もしよろしければ騎士団の訓練場へ行ってみませんか?」

 

 ノエルがそう提案した。

 

「訓練場?」

 

「はい。今日は少し訓練をする予定なんです」

 

「おじさんも?」

 

「……俺は別に」

 

「ですよね」

 

 ノエルは少し困ったように笑った。

 

「ですが、おじさんの戦い方について、少し教えていただきたいことがありまして」

 

 その言葉を聞いた瞬間だった。

 

 俺の頭の中に、少し前の出来事が浮かんだ。

 

 ――第12話。

 

 あの日、俺たちはモンドの街へ入ったばかりだった。

 

 言葉は通じる。

 

 けれど、文字は読めない。

 

 モラの価値も分からない。

 

 何もかもがゲームで見ていた世界とは違う。

 

 そんな状況の中で出会ったのが、ノエルだった。

 

 彼女は俺たちが異世界から来たと聞いても、いきなり疑ったりはしなかった。

 

 困っているなら助ける。

 

 それが当然だと言わんばかりに、俺たちのことを気にかけてくれた。

 

 その時から、ノエルは何かと俺たちを手助けしてくれていた。

 

 そして、俺はもう一つ覚えている。

 

 ノエルがおじさんの戦い方を見ていたことを。

 

 おじさんは、派手に剣を振り回していたわけではない。

 

 敵との距離を測り。

 

 足場を確認し。

 

 相手の動きを見て。

 

 必要な時だけ魔法を使う。

 

 そして最後に光の剣で仕留める。

 

 ゲームで見るような派手な戦闘とは、少し違った。

 

 無駄が少ない。

 

 だからこそ、俺は妙に印象に残っていた。

 

 ノエルも同じだったらしい。

 

「以前、おじさんの戦い方を拝見してから、ずっと気になっていたんです」

 

「そうか」

 

「はい」

 

 ノエルは真剣な表情で頷いた。

 

「私は剣の訓練を続けています。でも、実際に魔物と戦う時には、ただ剣を振るだけでは足りないと感じることがあります」

 

「……まあ、それはそうだな」

 

 おじさんは少しだけ考えた。

 

「何を知りたい?」

 

「実戦での動きです」

 

 ノエルの答えは早かった。

 

「敵との距離の取り方や、攻撃するタイミング。それから、敵を見ながらどう動くのかを教えていただけませんか?」

 

「分かった」

 

「本当ですか?」

 

「ああ」

 

「ありがとうございます!」

 

 ノエルの顔がぱっと明るくなる。

 

 その反応を見て、俺は少し意外に思った。

 

 おじさんは教えるのが嫌いなタイプだと思っていた。

 

 というより、人に何かを教える姿そのものをあまり見たことがない。

 

「おじさん、普通に先生できるじゃん」

 

「そうか?」

 

「いや、本人が分かってないのが一番すごいわ」

 

 ノエルは小さく笑った。

 

「では、お願いします!」

 

「まず相手を見る」

 

「はい!」

 

 訓練場へ移動すると、おじさんはノエルと向かい合った。

 

 剣を抜くことはない。

 

 魔法も使わない。

 

 ただ立っている。

 

「相手を見る、ですか?」

 

「ああ」

 

「具体的には、どこを見ればいいのでしょうか?」

 

「全部だ」

 

「全部……」

 

「顔だけを見るな。腕、足、肩。視線。体の向き。距離」

 

 ノエルは真剣に聞いている。

 

「攻撃する前には、必ず何か動く」

 

「はい」

 

「肩が動くこともある。足が動くこともある。視線が変わることもある」

 

 おじさんが一歩だけ前へ出る。

 

 ノエルが反射的に身構えた。

 

「今、何を見た?」

 

「……右足です」

 

「違う」

 

「え?」

 

「視線が先に動いた」

 

 ノエルが目を見開く。

 

 おじさんは続けた。

 

「相手がどこを見ているか。それだけでも次の動きが分かることがある」

 

「なるほど……」

 

 ノエルは何度も頷いた。

 

「もう一度」

 

「はい!」

 

 それから訓練が始まった。

 

 派手な技はない。

 

 おじさんが歩く。

 

 ノエルがそれに合わせて動く。

 

 距離が近づけば下がる。

 

 おじさんが足を動かせば、ノエルも構えを変える。

 

 何度も同じことを繰り返す。

 

「近い」

 

「はい!」

 

「下がりすぎ」

 

「はい!」

 

「足が止まっている」

 

「すみません!」

 

「謝らなくていい。もう一度」

 

「はい!」

 

 ノエルは疲れているはずなのに、弱音を吐かなかった。

 

 失敗すればやり直す。

 

 注意されれば修正する。

 

 そして、また繰り返す。

 

 その様子を見ながら、俺は思った。

 

 やっぱりノエルって真面目だな。

 

 ゲームで知っていた性格と、実際に会った彼女の性格はほとんど変わらない。

 

 人の役に立ちたい。

 

 強くなりたい。

 

 そのためなら努力を惜しまない。

 

 ただ、実際の世界では、その真面目さがゲーム以上にはっきり見える。

 

「ノエル」

 

「はい!」

 

「攻撃するな」

 

「……はい?」

 

「今は攻撃しなくていい」

 

「分かりました」

 

「相手を見る」

 

「はい」

 

「相手が動くまで待て」

 

 ノエルは構えたまま、おじさんを見る。

 

 おじさんも動かない。

 

 数秒。

 

 さらに数秒。

 

 訓練場に風が吹いた。

 

 ノエルの髪が揺れる。

 

 それでも二人とも動かない。

 

 俺は思わず欠伸をしそうになった。

 

 ――いや、これ訓練としては地味すぎないか?

 

 そう思った直後。

 

 おじさんが踏み込んだ。

 

 ノエルが反応する。

 

 一歩下がる。

 

 おじさんの手が空を切った。

 

「今」

 

「はい!」

 

 ノエルが踏み込む。

 

 しかし、おじさんはすでに横へ移動していた。

 

「遅い」

 

「はい!」

 

「でも、さっきよりいい」

 

「ありがとうございます!」

 

 ノエルの表情が少しだけ明るくなる。

 

 それからまた繰り返した。

 

 一度。

 

 二度。

 

 三度。

 

 何度失敗しても、ノエルは諦めない。

 

 むしろ失敗するたびに動きが少しずつ変わっていく。

 

 足の位置。

 

 重心。

 

 視線。

 

 構え。

 

 最初よりも明らかに動きが良くなっていた。

 

「すごいな……」

 

 思わず俺が呟く。

 

「何がだ?」

 

「いや、おじさんじゃなくてノエル」

 

「そうか」

 

「そこはもうちょっと褒めろよ」

 

「本人が努力している」

 

「だから褒めろって」

 

 ノエルがこちらを見る。

 

「ありがとうございます、たかふみさん」

 

「いや、俺は何もしてないけど」

 

「見ていただけるだけでも励みになります」

 

「……そういうところなんだよな」

 

「?」

 

 ノエルは首を傾げた。

 

 真面目すぎる。

 

 でも、不思議と嫌な感じはしなかった。

 

 むしろ、この世界で生きていくなら、こういう人が近くにいてくれるのはかなり心強い。

 

 訓練は昼前まで続いた。

 

 最後にはノエルの息も少し上がっていた。

 

「今日はここまで」

 

「はい!」

 

 ノエルは剣を収めた。

 

「ありがとうございました、おじさん」

 

「どういたしまして」

 

「とても勉強になりました」

 

「そうか」

 

「はい」

 

 ノエルは少し考えてから、頭を下げた。

 

「もしご迷惑でなければ、また教えていただけませんか?」

 

「必要なら」

 

「ありがとうございます!」

 

 嬉しそうに笑うノエル。

 

 俺はその様子を見ながら、なんとなく思った。

 

 たぶん、今日からノエルにとって、おじさんはただの異世界人じゃなくなった。

 

 剣や戦い方を教えてくれる人。

 

 言うなら――先生みたいなものだ。

 

「おじさん」

 

「なんだ」

 

「先生って呼ばれたりしない?」

 

「されない」

 

「今後されそうだけどな」

 

「そうか?」

 

「そうだよ」

 

 おじさんは本当に分かっていない顔をしていた。

 

 ノエルもそんなおじさんを見て、少しだけ笑う。

 

「では、次回もよろしくお願いします。おじさん」

 

「ああ」

 

 モンドの風が、訓練場を静かに吹き抜ける。

 

 この世界に来てから、まだそれほど時間は経っていない。

 

 それでも、少しずつ知り合いが増えている。

 

 そして、俺たちの生活も少しずつ変わり始めていた。

 

 ゲームの中で知っていたキャラクターたちと、実際に言葉を交わす。

 

 それだけでも十分に不思議なのに。

 

 おじさんの存在によって、その世界は俺の知っている『原神』から少しずつ違うものへ変わっていく。

 

 ただ――。

 

「昼飯、どうする?」

 

 俺が聞くと、おじさんは少し考えてから答えた。

 

「肉」

 

「雑だな」

 

「お腹が空いた」

 

「まあ、それは分かるけど」

 

 ノエルがすぐに反応する。

 

「でしたら、私もお手伝いします。お昼ご飯をご用意しましょうか?」

 

「本当ですか?」

 

「はい。皆さん、まだモンドでの生活に慣れていないと思いますので」

 

「助かる……」

 

「ありがとうございます、ノエル」

 

「いえ。困った時は遠慮なく言ってください」

 

 ノエルはいつものように、丁寧に微笑んだ。

 

 その言葉に、俺は少しだけ安心した。

 

 異世界に来てしまった。

 

 帰る方法も分からない。

 

 この先、何が起きるのかも分からない。

 

 それでも。

 

 こうやって少しずつ、この世界で頼れる人が増えていく。

 

 それは悪いことじゃない。

 

「じゃあ、行きましょう」

 

「ああ」

 

 俺たちはノエルと一緒に歩き出した。

 

 その先に、どんな出来事が待っているのか。

 

 この時の俺には、まだ分からなかった。

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